ケルベロス再び
成金豚野郎……じゃなかった。冒険者組合長ドルガは流暢に喋り続けていた。
レイヴンの周りを汗をかきながら何周も歩いている。
ドルガが目の前を通過する度に、奴に対する俺の不快度が増していくばかりだ。
魔核が欲しくて堪らないのだろうが、そうはいかない。
「なかなか強情な奴だな。もしも……もしもの話だ。本当にお前が倒した魔物だと言うのなら今すぐ証拠を出すんだな。それが正式に認められる物なら、魔核はお前の物。証拠を出せなければ魔核は私の物だ」
(もう隠す気も無いのか。それとも、俺が理解出来ないと思っているのか。どちらにせよ、いい加減俺も我慢の限界だ)
茶番はもう良いだろう。
頬の傷も既に治った。
手にかけられた縄を引き千切ろうとした丁度その時、突然激しい耳鳴りに襲われた。
耳元でラッパを吹かれている様な爆音に鼓膜が破れてしまいそうだ。
(ぐぅッ……!何だこの音は⁈ )
頭が割れそうな程の酷い音。
しかし、ドルガもモーガンも平気な顔をして立っている。
音の発信源は直ぐに分かった。
それはモーガンが持っている魔核からだ。
レイヴンは次第に大きくなる音に立っていられなくり床に膝をついた。
頭をハンマーで殴られているかの様な鈍い痛みがする。
気を抜くと意識が途切れてしまいそうだ。
おそらく普通の人間には聞こえない種類の音。この不快な音に近い音を出す物に一つだけ心当たりがある。
犬笛だ。
狩人が山や森の中で吹いているのを見た事がある。反応していたのは獣と魔物だけ。
当然、魔物混じりのレイヴンも例外では無い。
「お、お、おお? 膝を屈したということは認めるのだな? この魔核はお前の物じゃ無い。そうだな?」
(黙れ、誰が豚に膝を屈するものか。こっちはそれどころじゃ無い。お前の声は邪魔だ)
魔核から発せられる音に混じって、もう一つ別の音が聞こえる。
かなり小さい音だが、どうやらこの魔核と共鳴しているらしい。
この状況は以前、一度だけ経験した事がある。
素材を回収している最中、僅に耳鳴りがした。気のせいかと思い作業を続けたのだが、背後に気配を感じて振り返ると倒した筈の魔物の魔核が再生を始めていたのだ。
もし、あの時と同じならこの魔核も再生する。そうなれば、街中でレイドランクの魔物が暴れ出す事になるだろう。
「貴様! ガルド組合長が聞いておられるのだ! 何とか答えたらどうだ!」
(豚の腰巾着め。紳士然とした口調はどうした? 頭に響くからお前も黙っていろ)
「まあまあ、待てモーガン。あまり彼を刺激するな。彼は今からこう言うんだ。魔核はガルド組合長様の物です。とな」
二人の下卑た笑い声が、耳鳴りのおかげで声があまり聞こえないのは良かった。
まともに聞こえていたら二人を殴っていたと思う。
音の共鳴も気になるところだが、レイヴンはある事を思い付いた。
魔核を破壊すれば魔物の再生は防げる。しかし、それではドルガの嫌がらせは収まらず、魔核の報酬も手に入れられ無い。なら、やる事は単純だ。
この二人の目の前でもう一度ケルベロスを倒せば良い。
何の疑いも、言い掛かりを挟む余地も無く、魔核はレイヴンの物になる。
どうせ他にも魔物混じりのはぐれ者達を喰いものにしていたんだろう。巻き込まれる街の連中には悪いが、少々痛い目を見て貰うとしよう。
幸いこの街の住人は大半が冒険者だ。ケルベロスの咆哮を聞けば自分でさっさと逃げるだろう。
こういう方法は好きでは無いが、この手の連中には効果的面な筈だ。
「分かった。その魔核はあんたの物だ。たった今、この瞬間から俺の物じゃない。その魔核とは元々何の関係も無かった。これで良いか?」
「そうかそうか! はぐれ者にしては中々話が分かるじゃないか。では、この書類にサインしたまえ。そうすれば君は自由だ」
(どうしてこんな馬鹿が組合長をしているのか不思議だ。中央の連中は知らないのか? まあ、俺には関係の無い事か……)
魔核を机に置いたモーガンはドルガの元へ小走りに近付いて行った。
ドルガと一緒にサインを確認して呑気にほくそ笑んでいる。
仮にも冒険者組合の長と補佐だ。流石に魔核が再生し始めれば気付くと思ったのだが、完全に金に目が眩んでしまっている。
二人は魔核の再生が既に始まっている事に気付く気配は無い。
魔核が光り始めた後はあっという間だった。
魔核を中心に肉が盛り上がり団子状の塊になった巨大な肉の塊は、瘴気を放ちながら形を変えて蠢き、肉体が再生されるにつれて魔核に魔力が満ちて行った。
大気中にある魔力を吸収しているのだろう。凄まじい再生速度だ。
もうほとんどケルベロスだと分かる段階になって、ようやくモーガンが異変に気付いた。遅れてガルドが気付いたが、もう遅い。
急激に巨大化したケルベロスが建物を破壊していく。
二人は声にならない声を上げて走り出した。そして実にみっともない事に、俺を盾にして何か喚き散らし始めた。
「な、な、な、な、何で急に魔核が……⁈ わ、私の金が! おい! 魔物混じり! 早く何とかしろ! 私が逃げる時間を稼げ!!!」
ケルベロスは建物を破壊して外へ出るなり咆哮を上げた。だが、直ぐに動き出す様子は無い。
完全な復活にはまだ時間が必要な様だ。が、おかげで共鳴による頭痛が幾分楽になった。
(今の咆哮は街中に聞こえたはず。住民達は避難し始めるだろうな)
視界の隅でドルガが俺に何か言って来ているが無視した。威圧を込めた咆哮に耐えられる程度の力はあるらしい。
後々ごねる様なら、『建物が崩壊する音と復活したケルベロスの咆哮に掻き消されて何を言っているのかは分からなかった』と言ってシラを切れば良い。
まあ、その必要は無いかもしれないが、そもそもコイツらには冒険者組合を統べるプライドは無いのだろうか?
保身を考える事が悪いとは言わない。
自らの生命が危機に晒されている時に、他人の事を考えろというのは難しい。だが、それでも立ち向かわなければならない時が、立場があるのだ。
私服を肥やすのは勝手だが、パラダイム冒険者組合の長を名乗るなら、そのくらいの覚悟はしておくべきだった。
冒険者組合と街は、蜂の巣をつついたような騒ぎだ。
何人かの冒険者が部屋へ駆け付けて来た。
少し意外だったのはモーガンの対応だ。
冒険者達に住民の避難と、Aランク、Sランク冒険者の招集を手際良く指示していた。
ただの腰巾着だと思っていたが、腐っても冒険者の端くれと言う事らしい。
「非常警報を鳴らせ! Aランク、Sランクの冒険者はケルベロスの討伐に当たらせろ! Bランク以下の冒険者は住民の避難だ。女、子供、老人の避難を最優先しろ! それから誰か一人、酒場へ向かわせろ! SSランク冒険者ランスロット殿に助力を請うのだ! 急げ!」
(意外と冷静だな。ランスロットなら倒せるかもしれないと判断したか。だが、今のランスロットの装備では厳しい)
「あひゃあああああ! モ、モモモモーガン! 私の避難を最優先にしろー! ひいいぃぃ!!!」
一方、ドルガは駄目だ。
喚き散らすばかりで、長としての威厳のかけらも無い。
ケルベロスが少し動いただけで腰を抜かしてしまって這い蹲り、モーガンの足を掴んで震えるドルガの姿は滑稽だ。しかも呆れた事に、手には先程の書類がしっかりと握られたままだ。
状況判断も出来ないドルガと、腐っても冒険者組合の人間だったモーガンとでは雲泥の差がある。
モーガンの慣れた動きには少々違和感があるが、今は放っておく事にした。
住民に被害が及ぶのは望んではいない。
避難に専念してもらうとしよう。
ケルベロスは怒りで我を忘れているのか、レイヴンの事を覚えていない様だ。
一際大きな咆哮を上げて狂ったように火球を空へ放っている。
煙の隙間から招集に応じた冒険者達が攻撃しているのが見えた。
即席のパーティーにしてはなかなか良い連携だが、このケルベロスは亜種。レイドランクの魔物だ。Aランク冒険者に出る幕は無い。ケルベロスの攻撃に一人、また一人と倒されていく。
(やはりSランク以上の冒険者パーティーでなければ手に負えない)
この街に来て数日、何人かSランク冒険者を見かけたが、パーティーを組めるほど人数がいるとは到底思えない。今は街中の冒険者達による数の有利が働いているが、直に形勢は逆転されるだろう。
「踏み止まれ! 住民の避難が終わるまで耐えるのだ!」
モーガンの激でなんとか勢いを取り戻しはしたが、やはり分が悪い。
冒険者達がケルベロスの攻撃に次々と倒れていく。
(流石にこのままでは不味いか……)
流石にこのまま放っておくと死人が出る。そろそろ始めるとしよう。
ランスロットはコレを使えと言ったが、正直言って、こんな物は役に立たないと思う。それに、出来るなら使いたくは無い。
レイヴンは二人に向き直ると胸の『証』を握った。
ランスロットからの助言を無下にする訳にもいかない。
かと言ってーーー
「レイヴン殿! 貴殿にお願いがあります!」
モーガンは足に纏わり付くドルガを振り払い、今まで見下していた筈のレイヴンの前で跪いた。
先程までドルガのごますりをしていた人間とは思えない必死の形相。
レイヴンを見上げる目には本物の覚悟が伺える。
「中央冒険者組合所属『王家直轄冒険者』レイヴン殿!!! 先程までの無礼な態度は、後ほど改めて説明と謝罪をさせて頂く。今は火急の時! 虫の良い話だという事を承知で申し上げる! 貴殿に頼みがあります。ケルベロス討伐にご助力頂きたい! どうか! どうか、私達にお力をお貸しください! 」
レイヴンは『証』から手を離し、必死に頭を下げるモーガンに告げた。
「断る」