仮の名前。大切な名前。
一頻り笑い終えた二人は、一転して真剣な表情をレイヴンに向けると、女の子の姿に変えた事の正当性を説き続けていた。
その表情と声色は余りにも必死でーーーーーー
いや、必死過ぎて……。
レイヴンは拳を握ったまま、怒りの矛先を何処へ向けたものかと困惑していた。
「良い? 私は単に面白いからって女の子の姿に変えた訳じゃ無いの。考えても見て? 貴方はこれから駆け出しの冒険者を演じるの。慣れない依頼を完璧にこなすには、普段の自分とは違う人物になる事が自然な動きを引き出してくれるの」
「そうですよレイヴンちゃ……さん。その姿なら少しくらいの失敗も笑って許してくれますよ。と言うか、絶対に許したくなる筈です。相手はきっと男性の冒険者。これは有利ですよ?」
「……有利?」
異性なら有利などという発想の意味が分からない。
筋力の違いの事を言っているのだろうか。
「手加減が苦手だと言っていたけれど、か弱い女の子のフリをしつつ後ろからこっそり手伝う程度にしておけば大丈夫。周りも初心者ばかりなんだし、誰も怪しまないわよ」
「そ、そういう物なのか?」
「そうよ! 自信を持って。貴方はこの瞬間から、か弱い女の子冒険者。ちょっとくらいドジで消極的でもそれは自然な事なのよ!」
「ですね。私だったら“危ないから後ろへ下がってろ!” って言ってあげたくなっちゃいます! という事はですよ? レイヴンちゃ……さん、は、後ろで見ているだけでも良いって事です! 」
「勝った……これはもう勝ったわ。依頼なんて余裕よ」
何と戦うのかも分からないうちから勝ったと言われても意味不明だ。
そんな事で依頼が簡単にこなせるとは到底思えない。
だが、レイヴンは律儀にも、そういう方法もあるのかと真剣に考えていた。
「むぅ……」
「あ! 良い! 今の表情凄く良いですよ! 自信を持って下さい! レイヴンちゃ……さん!」
腑に落ちない点はあるものの、二人の話す事は理解出来ないでも無い。
ただ、二人の助言を信じるべきか判断するには自分の姿を見てみない事には分からない。
「鏡はあるか?」
「勿論よ。さあ! 自信を持って! 新しい貴方が生まれたのよ!」
フローラが再び手を合わせる様に叩くと姿見の鏡が現れた。
ただでさえ狭い空間だ。ミーシャがピタリと隣へやって来て一緒に鏡に映った。
「……こ、これが俺か?」
(確かに大した魔法だ。これなら何処から見ても女にしか見えないな……)
「そうです! とっても可愛いですよ! 私より断然スタイルが良いのが複雑で羨ましいですけど……最高です! これならリヴェリアちゃんにも負けていませんよ!」
「ああ……怖い。私は自分の才能がこれ程までに恐ろしいと感じた事は無いわ。こんなに素敵な女の子を世に生み出してしまうなんて……ッ!」
「……」
流石にリヴェリアに負けていないというのは言い過ぎだと思う。
異性に興味の無いレイヴンから見ても大人の姿になったリヴェリアは、美女と呼んで差し支えのない人物だ。
ミーシャは随分気に入っている様だが、レイヴンには全く興味が湧かない。
ざっくり言って、"髪の黒いリヴェリアならこんな感じだろうな” その程度の感想しか出て来ないのだ。
「良いなぁ……」
「……バレなければそれで良い」
声まで変えてしまうとはフローラの魔法には恐れ入る。
聞き慣れない声に戸惑いもしたが、どうせ殆ど喋らないのだから構わない。
ただ一つ、長いまつ毛と少し吊り上がった目の中にある瞳だけは、変わらず魔物混じり特有の赤い色をしていた。
「気付いた? その目は敢えて赤いままにしてるの。もしも、加減が上手く出来なかったとしても魔物混じりって事なら言い訳の一つも出来るでしょう?」
「ああ〜! そういう意図があったんですね! 私は色っぽい感じを演出する為だと思ってました」
「え⁈ あ、あー……ま、まあね! 二つの効果を狙った訳よ! ほら、私ってば天才だから!」
「おおおお! 流石フローラちゃんです! そんな深い考えがあっただなんて考え付きませんでした!」
「天才って、理解されないものなのよね……ふっ……」
やれやれといった風に首を振るフローラにミーシャが尊敬の眼差しを向けていた。
あまりにも盲目的なその姿勢には感心するら覚える。
どう見てもフローラがそんな事まで想定していなかったのは明らかだが、ミーシャにはどうでも良いらしい。
何がそんなに嬉しいのか分からないレイヴンは、鏡に映る自分を一瞥すると、興味を失った様に顔を背けた。
(さっさと討伐隊とやらに合流しするか)
「合流場所は何処だ?」
「街にある宿屋よ。この指輪をはめて受付に見せれば案内してもらえるわ」
フローラが取り出した指輪は何の変哲も無い鉄製の輪だ。
レイヴンは指輪を受け取るとさっそくはめてみる。
女の細い指には少々大き過ぎる気がしたが、驚く事に指に合わせてピタリと輪が締まった。
指輪の表面には赤い線が浮き上がっている。
(ただの鉄では無い? 魔具の類いか……?)
「安心して。大きさが変わる以外には至って普通の指輪だから」
「そうか。それと、この変身魔法を解くにはどうしたら良い?」
姿を変える事を受け入れたのは、あくまでも依頼を成功させる為だ。
仕事が終われば用は無い。
「え? 戻したいの?」
「当然だ。この姿でいるのは仕事の間だけだ」
「そんな! クレアちゃんにも見せてあげたいです!」
「……見せなくて良い」
やはり面白がっているだけだろう。
レイヴンは自分の容姿に興味は無いし、普段鏡を見る事もない。けれど、こんな姿を知り合いに見られるのは耐え難いと思っていた。
クレアはともかく、ランスロットに見られでもしたら、また笑いの種にされるに違いないのだ。
それは避けたい。
「も、戻したいならまた私の所へ来てくれれば良いわよ? そ、それまでには元に戻る方法を見つけておくから……。じゃ、じゃあ、私の仕事は取り敢えず此処までだから! またね!!!」
フローラは酷く慌てた様子で別れを告げると何処かへ消えて居なくなってしまった。
(戻る方法を見つけておく? やれやれ……なんて事だ。……仕方ない。いざとなったら無理矢理にでも元に戻させるか)
薄々こんな事だろうとは思っていた。
今は依頼を達成するのが先だ。素性がバレないだけ良しとしよう。
「フローラちゃん何処かへ行ってしまいましたね……」
「まあ良い。俺はこのまま宿屋へ向かう。それから、ミーシャは中央へ帰れ。……というか、何故見つめる?」
「この目に焼き付けておきたいので!」
「……」
「ああっ……!」
ミーシャを無視して部屋を出たレイヴンは、中庭へと降りて行った。
屋敷の外へ出れば、そこはもう風車の街ウィンドーミルだ。
この街には当然、中央が管理している冒険者組合がある。しかし、風鳴のダンジョンへの探索には許可が必要な事もあって、街には冒険者の姿は殆ど見られないという少々変わった街だ。居たとしても大半が冒険者組合の職員だ。
換金などの取引きは出来るのだが、この街の近くには他にダンジョンが無いので、レイヴンも数える程しか立ち寄った事が無い。
「レイヴンちゃ……さん! 待って下さいよ〜! まだ名前を決めてません!」
(名前か……)
追いかけて来たミーシャがレイヴンの隣に並んで歩く。
“決して本名と身分を明かさぬ事”
依頼を受けるにあたって提示された条件だ。
名前といっても一時的なものだ。
実際、何でも良いのだが、女の名前となると直ぐに浮かんで来ない。
(リヴェリア……いや、名が知られ過ぎているな。そうだ、ユキノなら黒髪で特徴も……いや、リヴェリアの部下なら知っている奴がいるかもしれないか……いや……)
浮かんで来るのはリヴェリアの部下達ばかり。
しかし、リヴェリアの部下は殆どがSSランク冒険者。
名前を聞いただけで余計な詮索をされる可能性がある。
「レイヴンさん、レイヴンさん!」
「何だ? 今、名前を考えて……」
「むふふ〜」
満面の笑みで自分を指差すミーシャ。
レイヴンはミーシャが自分の名前を使えと言っているのだと理解するまで、僅かばかりの時間を要した。
「いや、却下だ」
「うええええ⁉︎ 今の間は絶対『お? 良いかもしれないな』って考えてる感じの間でしたよね⁈ 」
「そんな訳があるか。いくら何でも良いと言っても、安易に名前を使って面倒ごとが起きたら、ミーシャの両親に悪いと思っただけだ」
「……!」
名前を借りるのは簡単だが、名前から辿り着ける情報はミーシャが想像しているよりもずっと多い。
名前と身分が分かりさえすれば、本人は勿論、周囲の人間関係まで調べるのは大して難しい事では無い。
最初に冒険者の名前を思い浮かべたのも、何かあった時の対処が出来る面々だからだ。
そういう意味では、今回の依頼主はその辺りの事情に詳しい人物であると言える。
(なるほど、冒険者組合関係者か)
レイヴンは依頼主の姿を想像すると、再び名前を考え始めた。
知られたとしても問題にならない名前となると益々難しくなった。
「〜♪ 」
「……?」
急に機嫌の良くなったミーシャが鼻歌混じりに付いてくる。
早く中央に戻れば良いのにと言いかけたレイヴンは、ふと閃いた。
(既に死んでいる人間なら……。悪いな……名前を借りるぞ、エリス)
「名前を決めた。此処からは俺一人で良い」
「え? 何て名前にしたんですか?」
「秘密だ」
「良いじゃないですか。仮の名前なんですし……」
「仮には違いないが、俺にとっては大切な名前だ。じゃあな」
「大切……? あ、ちょっとレイヴンさん! もう……行っちゃった」
屋敷の門を出たレイヴンを見失ったミーシャは、レイヴンの言った言葉を思い返していた。
「大切な名前って何なんでしょう? 依頼も気になるし……。よし! レイヴンさんには悪いですけど、まだ帰る訳には行きません。不本意ですけど、コレを使うしか無いですね」
ミーシャはツバメちゃんを呼び出すと街へ向かって飛んで行った。