戦いの決着
マクスヴェルトの魔法が終わると、次第に視界が開けてきた。
森があった場所は文字通り、一面焼け野原となっており、見晴らしが良くなった平野に燻る煙が、地平線の彼方まで続いている様に見える。
湖から見ただけでは気付かなかった殲滅範囲の広さにリアム達は息を飲む。
「すっ……げぇ……」
「森が……」
立っている魔物は一体も居らず。焼き尽くされた後には静寂が戻りつつあった。
魔法の威力の凄まじさを物語っていた。
「本当に全部倒しちゃった……」
こんな凄まじい光景を見せられては、リアムとアンジュの疑いが確信へと変わるには充分だった。
「間違いない。やっぱりあの三人は……」
「それは内緒で頼むよ。一応お忍びだからさ」
リアムが口にしようとした言葉を遮ったマクスヴェルトは多くを語らず、ただニコリと笑って見せた。
これだけの偉業を成し遂げておきながら、今更隠しておけるものではないと思うが、リアムの仲間達は常識を逸脱した力に圧倒されて気付いてはいない様だ。
後でそれとなく口止めをしておけば問題ないだろう。それに、命の恩人の頼みを断る程無粋な奴は仲間にはいない。
「あ、ああ。俺としてはいろいろ聞きたい事があるんだけど、止めておく……」
「うん。そうしてくれると僕達も助かるよ。それに、まだ終わってないしね」
「え……?」
その時だった、まるでマクスヴェルトの言葉を合図にしたかの様に大地が振動し、揺れが次第に大きくなり始めた。
立っていられない程激しく突き上げる様な揺れに皆、地面に這いつくばって悲鳴をあげる。
何か巨大なものが地面の下から出て来ようとしている様な感覚。
地中を蠢く音が徐々に近付いて来る。
「ワーム系の魔物だね。魔法が発動する前から地中に潜っていたみたい。こいつを森の中で倒すのは面倒だからさ。長くて気持ち悪いし。どっちが頭なんだろうね? 両方かな?」
呑気な事を言い始めるマクスヴェルト。
普通ならそんな悠長にしている場合では無いと言って怒るところだ。けれど、恐ろしい破壊を撒き散らした大規模魔法を無詠唱で放って見せたマクスヴェルトがいるのなら、また無数の魔物が襲って来たとしても安心だ。
「もしかして、これも想定済みだったの?」
「まあね。さっきまでのは下準備。ワーム系の魔物は位置を特定し難いからね。こっちを倒す為の露払いだよ」
「露払いって……ははは。レイヴン達を見てると自分がどれだけちっぽけな存在だったのか思い知らされるよ……」
リアム達は強くなる為にダンジョンへ潜らず、仲間を集め旅に出た。
それはダンジョンの中だけでは得る事の出来ない経験を積む為でもある。旅の途中、自分よりもランクの高い冒険者に何度も挑む無茶もやった。この森へ入ったのも、これまでの集大成、腕試しのつもりだったのだ。
それがこんな凄まじい戦いを見せられては自信も無くなるというものだ。
「そんな事は無い」
頭上から聞こえた事に反応して空を見上げると、リヴェリアを抱えたレイヴンがゆっくりと降下してきていた。
「レイヴンの言う通りだ。私達はまあ……例外だ。この森に入って来られただけでも、お前達はかなり見込みがある」
「ちょっと、リヴェリア。ダメじゃ無いか。せっかくレイヴンが珍しく喋りたそうにしていたのに」
「そうなのか?」
「そんな事は……無い。だが……」
「ん?」
レイヴンはリアム達の前に立つと、ゆっくりと話し始めた。
自ら話そうとするレイヴンは珍しい。
リヴェリアとマクスヴェルトは静かに様子を見守る事にした。
「俺も最初は何の力も無い、何処にでもいる魔物混じりの冒険者だった。お前達ならまだ強くなれる」
「い、いや……そんな事言われても……なあ?」
「ああ。それに俺達にはそんな立派な装備を揃える金なんて無いし……」
「装備? これか?」
レイヴンは魔剣を鞘に納めると、鎧を解いてしまった。
まだ地中に潜っている魔物がいるというのに武装を解く意味が分からない。
「こんな物が無くても魔物は倒せる。それを証明してやる」
「え? 」
地中から飛び出して来た魔物を見据えたレイヴンは魔剣を地面に突き立て、体を深く沈めていった。
「ちょ、まさか素手で⁈ 」
「無茶よ! 相手はSランク以上の魔物なのよ⁈ 素手じゃ攻撃が通らないわ!」
「見てろ」
放たれた矢の様に湖を易々と飛び越えたレイヴンは、魔物に向かって一直線に突っ込んで行く。
地中から現れた巨大な魔物は、どう少なく見積もってもレイドランク。下手をすればフルレイドにすら到達し得る圧倒的な圧力を纏っている。
放たれた咆哮は結界に防がれ、微風程度にしか感じなかった。
レイヴンの放った咆哮に比べれば大したことはない。
だが、その考えは間違いだと直ぐに分かった。この結界がそれだけ強力で、レイヴンの方が異常なのだ。
だからと言ってこのままでは余りに不利だ。
「や、やっぱりダメだ! 素手だなんて、死にに行く様なものだ! 早くこの剣をレイヴンに……!」
「触れるな!」
リヴェリアは剣に触れようとしたリアムを止めた。
「それはレイヴン専用と言って良い特殊な魔剣だ。魔剣に認められた主で無ければ、触れただけで魔力を吸い尽くされるぞ?」
「魔剣……」
「まあ、見ておれ。それと、レイヴンの話は分かり難かったと思うが、要は鍛錬を積んで行けば更に上を目指す事が出来る。リアム達にはその伸び代があると言いたかったのだろう。それに、武器や装備だけ良くても意味が無い。それを証明しようとしているのだろうな。戦いとは力だけが全てでは無い。仲間達と共に戦って来たお前なら分かるのではないか?」
「俺達に出来るだろうか……」
仲間と共に戦う事の強味は理解している。それでも、リアム達にしてみれば、倒す事の出来ない脅威である事に変わりない。
レイドランクの魔物と戦うには、まだまだ力が足りない。
「それはお前達次第だ。けれど、少なくともレイヴンはそう思っていると私は思う。レイヴンは、滅多な事では他人に戦う為の助言などしないからな。ほら、戦いが始まるぞ」
遠く離れた場所でレイヴンと魔物がぶつかるのが見えた。
衝突音が風に乗り、リアム達のいる場所まで響いて来る。
「ん? レイヴンの奴、また強くなっておらんか?」
「あ、リヴェリアも気付いた? そうなんだよ、嫌になるよね」
「ふむ……」
レイヴンは足を止めずに動き回りながら、素早く魔物の懐に潜り込んで拳や蹴りを放っている。
どんな体勢からでも攻撃を放ち、躱す事の出来る柔軟でしなやかな動きだ。
人間の体術とは明らかに違う。
そして、驚愕すべきはその威力だ。
魔物の硬い外皮を、引き裂き、砕き、貫く。
レイヴンの攻撃が当たる度に魔物の巨体が大きく仰け反り悲鳴を上げている。
どれも重たく鋭い。並の魔物であれば、一撃で仕留められるであろう事は間違いない。
「確かにレイヴンは並外れた個の力を持っている。けれど、最初からあの動きが出来た訳では無い。リアム、お前達が参考に出来る事は多い。決して見逃さぬようにな」
返事は無い。
リアム達は皆、レイヴンの戦いを食い入る様に見つめていた。
今まで積み上げてきた常識が覆る瞬間なのだ。言われずとも見逃すつもりは無い。
戦いは終始レイヴン有利のまま進んでいった。緩急をつけた移動を続ける事で魔物を完全に翻弄している。
攻撃手段を失った魔物が悲鳴を上げて後退し始めた時、レイヴンが魔物の胸の辺りに貫手を放った。
リアム達は直ぐに気付いた。
レイヴンの狙いは魔核だ。
強引に魔核を引きずり出したところで、遂に魔物は生き絶えた。
「やりやがった……」
「素手で魔物を倒す? 何だよこれ……」
「俺達もいつかあんな風に?」
「馬鹿! 動きの方を参考にするんだよ」
「あ、ああ! そうか! そうだよな……。でも、アレをか?」
仲間達が動揺するのも当然だ。
魔物に勝つ為に少しでも良い武器や防具を用意して来た。それは当たり前の事で、大切な事だ。しかし、レイヴンは武器も防具も持たずに強大な魔物を圧倒して倒して見せた。
誰にでも出来る事じゃない。だとしても、極めればあの領域に近付く事が出来るかもしれないのだと思い知った。
「アンジュ、俺はこの戦いを生涯忘れないぞ。もっと強くなってやる」
「ええ……」
たった一人、武器も持たずにレイドランクを上回るであろう魔物を仕留めたレイヴン。
その姿はリアム達の中に深く刻まれた。
魔核を抱えて帰って来たレイヴンは少しだけ満足そうな顔をしていた。
(これで当分は稼がなくても済むな)
旅に出た事で滞っていた孤児院への仕送りは当面の間心配しなくても良いだろう。
「中央に戻ったら魔核を換金しておいてくれ。手数料は一割」
「二割」
「一割五分だ」
「ちぇ……。で? 誰に渡せば良いのさ? まさかまた君の所へ届けろって?」
マクスヴェルトは多くを聞かずに当たり前の様に交渉をした。
レイヴンがどんな時でも魔物の素材を集めようとするのは昔からの癖だと知っているからだ。
「いや、ミーシャに渡してくれ。お前が鞄に細工をした子だ。後で手紙を書く」
「ああ、あの子か。はいよ」
マクスヴェルトに魔核を預けたレイヴンは、リアム達に向き直ると淡々と告げた。
「どうだ、簡単だろう? 少しは参考になったか?」
皆の頭に浮かぶ疑問符。
何が簡単なものか。
対峙するだけでも困難な魔物を相手に、息一つ乱していないレイヴンを見て、唖然とするばかりだ。
確かに動きは参考にはなった。参考にはなったが……。
「あははは! レイヴン、簡単だろうは言い過ぎだぞ」
「リヴェリアなら何と言う?」
「え? わ、私か? んー……こ、こんなものだ?」
「何二人して馬鹿言ってるんだよ……。どっちも同じじゃないか。普通、あんな魔物をほいほい倒せる訳無いでしょ……。とにかく、これで目ぼしい魔物の討伐は終わりだよ。皆良く頑張ったね」
リアム達は引き攣った顔のまま、マクスヴェルトの言葉に頷いた。




