振り返るべき時
戻って来たリアムの話によると、運んだ仲間達は街の住人が協力して船に乗せてくれているそうだ。
アンジュの容態も、どうにか動ける程度には回復して手伝いをしているらしい。
かなり深い傷だったにも関わらず、ユキノ特製の回復薬は俺の予想以上の効果を発揮した様だ。
「お、おい、レイヴン! 大丈夫なのか⁈ 」
「問題、無い……」
レイヴンの魔力もそろそろ底を尽く。
魔物堕ちした者を人間に戻す間にも、森の奥から血の匂いに引き寄せられて来る魔物への対処に力を割かれていたのが不味かった。
途中何度も意識を失いかけたが、どうにか堪えている状況だ。
倒すだけなら造作も無い事なのだが、救わなければ意味が無い。
魔物堕ちした者達の意識が完全に消えてしまう前に、なんとしてもケリをつけるのだ。
「やった! やったぞ!!! また人間に戻った!」
「喜ぶのは……まだ、早い……後、一人……」
どうにか後一人というところまで人間に戻す事に成功した俺は、集まって来た他の魔物を倒すべく、剣を構え直した。
既に魔力は尽きかけてはいるが、倒すだけならば問題無い。
そう思って踏み出そうとした矢先、俺の意思とは関係無く地面に倒れてしまった。
(ぐっ……こんな時に! 頼む! あともう少しだけ耐えてくれ)
「クソッ……! 」
魔物達は弱った獲物には容赦が無い。
倒れたレイヴンを見た魔物達が一斉に襲いかかって来た。
如何にレイヴンと言えども、無防備な状態では勝ち目は無い。
しかし、起き上がろうにも既に体は言う事を聞かなくなってしまって満足に動けない。
「レイヴン!!!」
リアムが叫び声を上げたその時だった。
突然目の前に現れた人物の放った白い剣尖が魔物達の攻撃を弾き返した。
「馬鹿者が!!! お前は一体何をやっているのだ⁉︎ 」
声の主は俺を抱えると魔物から距離を取って後退した。
魔物はまだ健在だ。
どうしてこの二人がこんな場所にいるのか知らないが、最後の一人を元に戻すまでは退く訳にはいかない。
「離せ、リヴェリア!!! あの魔物は人間だ! 俺が……! 俺が救ってやるんだ!!!」
「黙っていろ!!! 」
リヴェリアはレイヴンを怒鳴りつけた。
「……ッ!」
「マクスヴェルト!」
「はいよ!」
マクスヴェルトは魔法を発動させ、防御壁を展開させた。
魔物は再び襲いかかろうと迫って来たが、光の壁に阻まれて近寄っては来られ無い様だ。
リヴェリアはレイヴンを投げ下ろすと胸ぐらを掴んで怒鳴った。
「馬鹿か貴様! 聖職者にでもなったつもりか⁉︎ お前が死んでしまっては、残された者達はどうなる⁈ 頭を冷やせ!!!」
リヴェリアは金色の目を吊り上げ、見た事の無い形相となっていた。
いつも悠然と構えているリヴェリアからは想像もつかない顔だ。
「うるさい! 俺は俺の出来る事をやっているだけだ! お前にとやかく言われる筋合いは無い!!!」
「このッ……!!!」
リヴェリアの放った拳に吹き飛ばされたレイヴンはいくつもの木を薙ぎ倒して、ようやく止まった。
普段ならこの程度の攻撃に怯みはしない。けれど、体の自由が効かない状態では防御する事が出来なかった。
「うわぁ……やり過ぎなんじゃない?」
「構わん!この程度でどうにかなる奴では無い」
「そうだけどさ……」
飛び出すタイミングを失ったリアムは、剣に手をかけたままの姿勢で固まっていた。
どこからともなく現れた二人は魔物を軽くあしらい、金色の目をした女は、窮地を助けに来た筈のレイヴンを殴り飛ばしてしまった。
消耗して弱っていたとは言え、リアムからしてみれば遥か彼方の力を持っている。
レイヴンをまさか殴り飛ばせる人物がいる事が信じられなかった。
一人は何処にでも居そうな平凡な容姿の少年だった。しかし、彼の使った魔法は魔物の動きを完全に封じ込めてしまった。魔法については詳しく無いが、異常な事であると言う事は理解できる。
そしてもう一人、真っ赤な髪に金色の目をした美女。美しい白色の鎧に身を包み腰に下げた剣からも尋常ではない力を感じる。彼女の放った剣尖は、魔物の攻撃全てをはじき返していた。
両手で受けるのも難しいと言うのに、魔物の重たい一撃を軽くあしらう様は、レイヴンと同じ規格外の実力者である事を分からせた。
「あ、あんたらは一体……?」
「名前は?」
「リアムだ。魔物堕ちした仲間と同じパーティーでリーダーをやっている」
「そうか。私はリヴェリアだ。リアムは後ろへ下がっていろ。マクスヴェルトはそのまま魔物を抑えておけ」
「はいはい。早くしてよね」
「分かっている!」
リヴェリアは不機嫌そうに告げると、レイヴンの元へ歩き出した。
「少しは頭が冷えたか?」
リヴェリアの抑揚の無い低い声が響く。
「何故邪魔をする……もう少しでーーーー」
「もう少しでお前は魔物堕ちするところだった」
「……」
「その様は何だ? お前がどれだけ他人を救おうと、確かに勝手だ。私がとやかく言う必要は無い」
「だったら引っ込んでいろ……!!!」
「お前は自分の命の重さが分かっていない。今のままでは、これ以上前には進めないのだという事を知れ」
怒りに満ちたリヴェリアは、拳を強く握りしめたまま静かに語りかけた。
こんなリヴェリアは初めて見る。レイヴンはリヴェリアのいつもとは違う様子に動揺していた。
「何だいきなり……お前と議論する気は無い!早く人間に戻してやらないと手遅れになる!そこをどけリヴェリア!」
リヴェリアの方も引く気は無い。
今のレイヴンは変だ。何があったのか知らないが冷静さを失っているのは分かる。
「他者を救い、己の存在意義を見出す」
「……⁉︎ 」
「それはお前にとって、さぞかし心地の良い事だろうな。蔑まれ、疎まれ、居場所の無かったお前にはな……」
「だから何だ! そんな事は今関係無い!」
「関係があるから言っている!!!」
リヴェリアは握りしめた拳を再びレイヴンに向かって放ち殴り倒した。
「リヴェリア! 貴様……ッ!!!」
仰向けに倒れたレイヴンが起き上がるよりも早く、リヴェリアはレイヴンの上に跨ると、再び拳を叩き込んだ。
最早、リアムには何が何だか訳が分からない。
今は仲間割れをしている場合では無いのだ。後一人で、魔物堕ちしてしまった仲間を全員救えるところだった。
「ちょ、ちょっと待てよ! あんたら一体何なんだ⁈ レイヴンの仲間じゃ無いのかよ⁈ 」
「仲間と言えば仲間かな?」
「だったら何であんな事を⁈ 」
「仲間だからだよ。少なくともリヴェリアが怒っているのは、レイヴンの事を仲間だと思っているからだと僕は思うよ?」
「訳が分からない! あんたらが仲間割れするのは勝手だ! けど、今はレイヴンしか頼れる奴が居ないんだ! 早く残りの一人を……!!!」
「無理だよ……」
「……え?」
マクスヴェルトはレイヴンが人間に戻した仲間を指差して告げた。
「姿形は人間だけれど……もう、死んでる。先に助けた方の人達は生きているみたいだね。おそらく状況から察するに、人間の意識が消えてしまってからでは姿形を元に戻す事は出来ても、生き続ける事は出来ないみたいだね。これは魔物の力を……って、君に言う事じゃ無いか。とにかく、此処にいる君の仲間は残念ながら間に合わなかったんだ」
リアムは言われた事が理解出来ないのか、呆然と立ち尽くしたまま動かない仲間達を見つめていた。
横たわる仲間の体は今にも起きて来そうなのに、よく見てみると確かに呼吸をしていなかった。
「そ、そんな……。間に合わなかったって言うのか……」
「気休めにしかならないと思うけど、一度魔物堕ちした人間が元に戻った上、生きていたと言うだけも奇跡だよ。僕の知る限り、そんな馬鹿げた事はレイヴンにしか出来ない。それと……僕は別にレイヴンを庇うつもりは無いのだけれど、レイヴンが本気で君の仲間を救おうとしていたのは分かるでしょ?」
言われるまでも無い。
そんな事は分かっている。
諦めた仲間が戻って来たのは少年の言う通り奇跡だ。
会ったばかりの俺達の為にレイヴンは全力を尽くしてくれた。
「ただ……君達を巻き込んだのはこっちの都合なんだけどね。ああ、何でもない。それはこっちで上手くやっとくから」
「……?」
マクスヴェルトはそれだけ言うとリアムに睡眠の魔法をかけた。
「全部夢なら良かったんだろうけど……」
マクスヴェルトの言葉を聞いていたレイヴンは、リヴェリアにのしかかられたまま空を見上げていた。
“間に合わなかった”
認めたく無い現実がマクスヴェルトによって告げられた。
必死に救おうとしたリアムの仲間達を全員救う事は出来なかった。
「リヴェリア……俺のやった事は無駄だったのか?」
全員救ってやると言いながら、魔物堕ちした彼等が既に人間では無くなっている事に気付かなかった。
リアム達を巻き込んだのは自分の責任だ。
「その答えは、救えなかった人間の数で測るべきものでは無いし、彼らが魔物堕ちしてしまったのもお前の責任では無い。お前はお前にしか出来ない事をやった。それだけだ」
本当にそうだろうか?
「レイヴン。お前は前へ進み続ける事で強さを手に入れて来た。それは間違いじゃない。本意では無かったかもしれない。そういう道しか選べなかったのだからな……」
「……」
「だが、今は違う。立ち止まれとは言わない。けれど、振り返る時が来たのでは無いか? お前が歩いて来た道には誰もいなかったというのか? お前が手を差し伸べた数だけ、守るべき人達、大切な人が出来たのではないか?」
「……」
「命を粗末にするな。お前が死んでしまっては悲しむ者がいるのだ。私もその一人だ……」
リヴェリアが何と言おうとも、この結末の責任はレイヴン自身にある。
もっと他に方法があったのではないか?こちらの事情に巻き込んでおいて救う事すら出来なかった。
(……これは俺の責任だ)
「立てるか?」
「ああ。マクスヴェルト、魔法を解け」
「……何をするつもりだい?」
リヴェリアはマクスヴェルトに目で合図を送る。
「全く、君達の考えている事が時々分からないよ」
数瞬レイヴンの目を見つめていたマクスヴェルトが魔法を解くと、抑えていた魔物達が動き出した。
ーーードクン。
魔剣の鼓動が鳴る。
ひどく弱々しい音だ。
けれど、黒い刀身に纏う赤い魔力はバチバチと音を立ててレイヴンに応えていた。
(せめて、人の姿で送ってやる……)
最後の一人を人間に戻したレイヴンは、瞬く間に他の魔物達を一掃して鎧を解いた。
「すなまかった……」
レイヴンの呟きは静けさの戻った森の中へ溶けていった。




