我儘
五十体近い魔物堕ちした冒険者を前に、レイヴンは魔剣の力を発動させた。
心臓の鼓動が激しさを増し、月明かりに照らされたレイヴンの体を黒い霧が覆っていく。
(何が願いだ……)
「何だよこれ……まさか、レイヴンも魔物堕ちを⁈ 」
レイヴンから放たれる強烈な魔力の圧力にリアムは後ずさる。
こんな馬鹿げた力はSSランク冒険者と本気で戦っても感じられない。
魔物堕ちした仲間だけでも厄介なのに、レイヴンから感じる力は次元が違い過ぎる。
戦って勝つとか逃げるだとか、そんな事は微塵も考えられない。
「そんな訳があるか」
声と共に霧が晴れ、黒い鎧と翼を纏ったレイヴンが姿を表した。
「すげえ……」
魔剣の黒い刀身にはレイヴンの怒りに反応する様に、赤い魔力がバチバチと音を立てて纏わり付いていた。
月明かりしか無い暗い森の中で一層深い闇を纏ったレイヴンの姿を見たリアムは、自分も戦いに備えるべく咄嗟に自身の剣に手を伸ばす。しかし、恐怖で震えた手は剣を地面に落としてしまった。
恐怖よりも強者に出会えた事の高揚感がリアムの体を支配していた。
「あ……! クソ! クソ! クソッ!!! 何で震えが止まらねえんだッ! こんな肝心な時に!!!」
レイヴンが只者では無い事は予想が付いていた。けれど、ここまで常軌を逸した力を持っているなど思いもしなかった。最早、戦ってみたいとは思わない。仲間達の事も放ってはおけない。それでも一緒に肩を並べて戦う事が出来れば何か掴めるかもしれないという気持ちが抑えられないのだ。
「待ってくれ! 俺も一緒に……! クソッ! 動け!」
レイヴンはそんなリアムの様子を見て少し意外に思っていた。
リアムはパーティーを率いるリーダーとしては半人前だが、この状況下でほんの僅かでも闘争心が残っているとは驚きだ。場数を踏み、正しい知識と経験を蓄えれば、リアムはまだまだ強くなるだろう。
「じっとしていろ。お前の仲間は俺が助けてやる」
「何言ってるんだ? アレは化け物じゃないか! だいたい、魔物堕ちした奴はもう助けられないだろ⁉︎ どうしようも無いだろ! もう人間じゃ無いんだ!!! 諦めるしかないじゃないか!」
「違うッ!!!」
“もう人間じゃ無い”
その言葉だけは受け入れる訳にはいかない。
認める訳にはいかないのだ。
(クレアを救ったあの時から……俺は……)
「何が違うって言うんだよ! どう見たって化け物だろ! 」
確かに化け物だ。醜い姿をした化け物。
いつか滅ぶその日まで、ずっと続く苦しみを抱えたまま人を喰らい、魔物を喰らい、破壊と絶望を撒き散らす存在。
しかし、彼等はまだ生きている。生きているのだ。
生きたいと強く願う想いが、生への渇望が、彼等を人間の側へ引き留めている。
今ならまだ間に合う。
「願い、か……」
「何だって?」
(そうか、そうだな……これは俺の我儘だ)
人間の側でいたい。
化け物になりたく無い。
救える力があるのなら、助けてやりたい。
(全部、俺の我儘だ。ならば、ステラの願いもまた……我儘だ)
どどのつまり、願いを叶えようとする気持ちは只の我儘。
願いと言いつつ、俺は自分の為に願っている。
自分勝手な願いという点では、レイヴンもステラも大した違いは無いと言える。
(だが、それでも良い。俺は我儘で良い)
状況に流されて、手を伸ばすのを躊躇うくらいなら……。
何もせず後悔に暮れるくらいなら、一歩でも前へ進もう。
(誰かの願いの為では無く、俺は俺の願いの為に生きる)
それがいつか、どんな形であれ誰かの為になるのなら、少しはマシな筈だ。
我儘を貫かせてもらう。
ステラの思惑通りにはならない。
レイヴンは魔剣を強く握り締めた。
(俺は俺だ。力を貸してくれ、ルナ……。俺の我儘に付き合ってくれ)
ーーードクンッ!
魔剣に意思があるのかは分からない。
ただ、感じる。レイヴンの想いに応えようとしているのが伝わって来る。
「リアム、やはりお前は街へ戻れ。状況は良くない。俺に付き合う必要は無い」
「見くびるな! あんたを一人で残して行けるかよ!」
まだ震える手で剣を握りしめたリアムがレイヴンの隣に並んだ。
「そんな状態で戦えるのか?」
「アイツらは化け物だ。けど、一緒に旅をして来た仲間でもあるんだ……。レイヴンが力を貸してくれるなら、せめて俺の手で楽にしてやりたい」
「そうか……」
「…って、格好付けて言って見たけど、正直俺には手に負えない。俺の手で仲間をどうにか楽にしてやりたいが、完全に魔物堕ちしたアイツらは、レイドランクの強さの魔物と同じか、それ以上だ。だがーーー」
「何だ?」
「レイヴンからはそれ以上の力を感じてる。俺がどうにか立っていられるは、あんたの事を少しは信用してるからだろうな」
(信用か……)
「おかしいか? でも、俺もそれなりに色々あったからな。これでも悪意には敏感なんだぜ?」
「そうか」
話している間にも、魔物堕ちしたリアムの仲間達がゆっくりと近付いて来る。
リアムの言う通り、魔物堕ちした彼等はレイドランク並の力を持っている。しかし、個々の強さはクレアやゲイルに比べればかなり劣っている様だった。
だが、それをリアムに言ったところで何の気休めにもならないだろう。
「それで? どうするんだ? 囮くらいなら出来る。指示してくれ」
「リアム、俺は魔物堕ちした人間を元に戻せる」
「な⁈ そんな馬鹿な事が、こんな時に冗談はよしてくれ」
驚くのも無理は無い。
魔物堕ちは謂わば自然現象に近い。
どう足掻いても“その時” はやって来るのだ。
「出来る」
「冗談はよしてくれって言っただろ! 俺は今まで魔物堕ちしそうになった仲間を何人も楽にしてやった……。この手でな。どんなに助けようとしてもどうにもならなかった! 魔物堕ちを元に戻せるだなんて、冗談にしてもタチが悪いぜ」
「……見た方が早い」
レイヴンは体を沈め、意識を集中させる。
クレアとゲイルの時は、本人の『生きたいと願う力』をきっかけにする事で人間の側に戻す事が出来た。
しかし、今回は人数が多い。
一人一人の意思を確認していては此方がやられてしまう。
一か八か、レイヴンの意思と魔剣の力だけでこちら側へ呼び戻してみるしか無い。
(まずは一人……!)
一番近くにいた魔物混じりに狙いを定め、一気に懐へ飛び込み剣を突き立てた。
本人の意識が僅かでも残っていれば、人間に戻れる可能性はある。
「ァアアアアアアアアア!!!」
「ぐぅ……!」
魔剣の力を制御しようとすればする程、力に振り回されそうになる。
(戻って来い!!!)
魔剣の鼓動に合わせて黒い霧が肥大化した体を包み込む。
「嘘だろ……まさか本当に……」
剣を突き立てられた魔物の体が、人間の姿へと変わって行くのが見えた。
リアムのパーティーに入りたいという奴には必ず質問する事がある。
“仲間を殺す覚悟があるか?”
これに納得出来ない奴は、どんなに腕の良い冒険者だろうと受け入れない。
そうしてリアム達は魔物堕ちの症状が現れた仲間を何人も手にかけて来た。
皆で送ってやるのだ。少しでも楽に逝ける様に。
その度に、仲間との別れを悲しみ、自分の無力さに歯噛みした。
気の良い奴も、お調子者も、腕の良い奴も、魔物堕ちしてしまった仲間を誰一人として助けられなかった。それでも、仕方のない事だと。自分達にはどうしようも無いのだと割り切って来た。
「人間に戻った……本当に、本当に戻った……ううっ」
仲間の髪は白く変化し、少し雰囲気も変わった様に感じる。
それでも、今までずっと一緒に旅をして来た仲間の顔は見間違えたりしない。
「泣いている暇は無いぞ。一人元に戻すのに数秒かかる。どうしてもと言うなら、お前は他の奴の注意を引いて時間を稼いでくれ」
「勿論だ! 任せてくれ!」
リアムは溢れる涙を拭うと、剣を握りしめて走り出した。
(凄え! 凄え! 凄え! 凄えぞちくしょう!!! もう無理だって諦めてたのに……戻って来た! やってやる!もう死んでしまった仲間も大勢いるけど、まだ救える命があるんだ! やってやるぞ!!!)
リアムが他の魔物混じり達を撹乱している間に、少しでも多く人間に戻してやらなければならない。
しかし、レイヴンは体に異変を感じていた。
(魔力の消耗が予想以上に激しい……)
本人の意思とは関係無く魔物堕ちから救う事には成功したが、クレアやゲイルの時とは明らかに違う。
本人の強さが成功確率に影響していると言うのであれば、騎士であったゲイルはともかく、クレアには戦う力は無かった。
魔物堕ちした時の強さには違いがあるものの、それだけでは判断材料としては不十分だ。
明確な違いがあるとすれば、本人の強い意思。やはり、本人が自ら言葉にして願わなければ、魔剣の効果は薄いのだろうか?
(かなり厳しいが、やるしか無い……)
一人、二人、三人……。
リアムが上手く撹乱してくれているおかけでなんとか一人一人に集中する事が出来た。
このまま順調にいけばどうにか全員を元に戻す事が出来そうだ。
(まだ意識は戻らないのか)
リアムの仲間達は、人間の姿に戻っても意識を失ったままだ。
このままリアムの仲間達を庇いながらでは思うように捗らない。
「ハァハァハァ……」
(後もう半分か……)
リアムのスタミナは大したものだ。
仲間を救う事が出来ると分かってから、ずっと動きっぱなしだ。
とは言え、さすがに無理をしているらしく、徐々にスピードが落ちて来ている。
「あまり無理をするな!」
「大丈夫だ! もう諦めてた仲間が助かるんだ! このくらい何でもない!」
「リアム! 後ろだ!!!」
森の中から突然出現した魔物がリアムの背後へ迫る。
把握している魔物混じりとは違う。どうやら森を徘徊していた魔物が血の匂いに誘われて集まって来た様だ。
「くそ! こんな時に……! 時間をかけ過ぎたか!」
翼を広げたレイヴンはリアムの背後へ素早く回り込み魔物を倒した。
手応えからして、この森に生息している魔物だろう。反応速度と外見からして討伐ランクSといったところだ。
「す、すまない。助かった!」
「それは良い。それよりも仲間を街へ運んでくれ。このままでは身動きが取れなくなる」
「だけど、それじゃあレイヴンが一人になってしまう」
「問題無い。時間はかかるが、どうにかする」
「分かった。直ぐ戻って来るからな!」
「ああ」
リアムは仲間を担ぐと街へ向かって走って行った。
本当に大したスタミナだ。
以前も感じたが、ランスロットによく似たタイプだ。
「ぐっ……」
(これは…思ったよりかなり不味いか……)
レイヴンは剣を地面に突き立て膝を折った。
今のはどうにか間に合ったが、体が思う様に動かなくなって来ている。
これは鉱山を吹き飛ばした時の感覚に近い。魔力欠乏症という奴だ。
『限界があやふやになる』
不意にステラが言った言葉が頭を過った。
「ハァハァハァ……」
(くそっ……どっちが本当のステラなんだ)
魔剣にかけられた呪いを解き、俺に助言をしたステラと遺跡の前で会ったステラとではあまりにも雰囲気が違い過ぎる。まるで別人だった。
ーーードクンッ。
ルナの意識の消えた筈の魔剣が勝手に鼓動を始めた。
「分かっている。今はそれどころじゃ無いと言いたいのだろう?」
レイヴンは再び立ち上がって魔剣を構えた。
(どんな理由があろうとも、俺はステラのやり方を否定する)
他者を巻き添えにした願いなど断じて認めるわけにはいかない。
「さあ、続きだ……」




