記憶の迷路 前編
『やっと会えた』
少女は確かにそう言った。
部屋に入った時から魔術が発動していたと言うが、俄かには信じられない。
何故なら、その可能性も考えてはいたからだ。
魔術とは道具や魔力その媒体として術を発動させ、対象に術をかける。
あの時の様に無防備な状態ならいざ知らず、警戒した状態でなら魔力の流れ、揺らぎといった物を感知出来る。
魔法と違い、発動に時間のかかる魔術なら防ぐ事が出来る筈だ。
「違うよ? 術が発動したのはレイヴンがこの部屋に入った時だけど、術にかかったのは、それよりもずっと前だもの」
「……⁈ 」
(思考を読まれた?)
「読むも何も筒抜けだよ? だってここは僕が作った世界だもの」
「……作った?」
少女が指を鳴らすと、またも景色が変わった。
今度は何処かの街の様だ。
いや、よく見ると見覚えのある建物がそこら中にある。
(中央…? 一体何故?)
そこは中央都市。見慣れた街並みが一面に広がっていた。
「止めないか! 私は子供では無いと言っているだろう!」
「あ! 駄目ですよ、お嬢。せっかく可愛いリボンを付けているんですから」
「リヴェリアお姉ちゃんとお揃いなの!」
「むう……クレアが言うなら」
「クレアちゃんの言いなりになってるお嬢可愛い……」
(クレア! リヴェリア、ユキノ、フィオナまで……)
仲良く街を歩く姿、はまるで姉妹の様だ。
穏やかな雰囲気のありふれた日常がそこにある。
「よおし! 次はあっちの店で飲むぞ!」
「またですか? ガハルドは昼間から飲み過ぎですよ。二人も何か言って下さいよ」
「お! あっちの屋台にも美味そうな物があるぞ!」
「わ、わ、わ! ちょ、ちょっとランスロットさん! そんなに強く引っ張らないで下さいよ!」
「はあ……二人もですか」
(ランスロット、ミーシャ、ライオネット、ガハルド……)
一体何がどうなっているのか分からない。
「あははは! もうリアーナったら欲張って買いすぎよ?」
「もう! 笑ってないでちょっとは荷物を持つの手伝ってよ……エリスお姉ちゃん」
(エリス⁉︎ リアーナ!)
「これは一体……どうしてエリスまで。いや、これは魔術だ。死んだ人間がいるなんてあり得ない……あり得ない……あり得ないんだ」
心臓の鼓動がやけに大きく響いている様な気がする。
久しぶりに見たエリスの優しい笑顔。
「これは幻だ。幻の筈だ……!」
現実としか思えない幻なら既に経験した。
どんなに本物の様に見えても、所詮は紛い物だ。
あり得たかもしれない未来。
そんな物はまやかしだ。
「あり得たかもしれない未来? 違うよ?」
「だったらこれは何だというんだ!!!」
少女はゆっくりと手を広げて言った。
「理想の世界さ」
風が吹き、再び景色が草原に戻る。
「そんな馬鹿な事があるか! ふざけるのは止めろ!」
「ふざけていない。これは君の願望を元に僕が作った世界。レイヴンが憧れ、手を伸ばし続けた世界。こうすれば良かった。ああすれば良かった。魔物なんていなくなれば良い。魔物混じりが迫害されなくなれば良い。静かに暮らしたい。戦わなくても良い世界になれば良い。皆んなが笑って過ごせる様になれば良い」
「……ッ!!!」
「そして、レイヴンはこうも願った。“気に入らない奴は消えてしまえ” 全部君が願った通りの世界だよ。どうだい? 気に入ってくれた?」
「違う! 俺は……!」
確かにこの世界に絶望した事もあった。
今でもこの世界はどうしようもなく腐っていると思っている。
けれど、この世界にも理解者がいる事を知った。
(俺はこの世界で……)
「この世界で信じられる者に出会えた?」
「……!」
「本当にそうなのかな? レイヴンは気付いているんじゃない? 戦う力が無ければ、誰も自分の事を気に留めてくれやしないって。本当は分かっているんでしょう? 皆んな君の力をあてにしているだけだってさ」
「そ、そんな事……」
「だって、そうでしょう? 戦う事以外の他に何が出来るの?」
「止めろ……」
「戦う事しか出来ない君が、一体誰に何をしてあげられるって言うの?」
「止めろと言っている!」
「……安心してよ。僕が作った世界でなら、もう辛い目に合わなくて良い。誰も戦わずに済む。武器も鎧も必要無い。静かに暮らしていけるよ? いつするかも分からない魔物堕ちに怯えなくても良いんだよ?」
「……」
「レイヴン……僕が君の力になってあげるよ。幻なんかじゃ無い。本当の未来を君にあげる」
そんな世界が本当にあるのなら、誰も傷付かないで済む。
そんな世界があるのなら、それはきっと、心地良いーーーーーー
「レイヴン! レイヴンったら!」
「……!!!」
「もうっ! エリスお姉ちゃんが呼んでるよ! 早く行こっ!」
「リアーナ……此処は?」
気がつくと、エリス、リアーナの二人と共に暮らした小さな小屋の前に立っていた。
「何よ、ぼうっとしちゃって! 狩に失敗したのは仕方ないって言ってるじゃない! また明日頑張れば良いんだから」
(狩? そう言えば、狩に出かけて……何も獲れないまま帰って来たんだ)
「ほら、早く! 今日はレイヴンの大好きなミートボールパスタだよ!」
「あ、ああ……」
俺達三人は東の都と呼ばれる街、オーガスタの外れにあるこの小屋で暮らしていた。
生活は貧しかったけれど、屋根があって風を防ぐ事が出来るだけでもかなりマシだ。
今にも崩れそうなツギハギだらけの小さな小屋。
三人で見様見真似で直したのをよく覚えている。
一緒に暮らす様になったのは魔物に襲われそうになっていた二人を助けたのがきっかけだった。
二人は俺と同じ魔物混じり。
奴隷商人の元から逃げて来た所を魔物に見つかって逃げていたのだそうだ。
二人はお礼だと言って、傷を負っていた俺をリアーナが手当てし、エリスが食事を作ってくれた。
どうして良いか分からない俺は終始二人の勢いに押されるがまま。
けれど、どういう訳か不思議と嫌では無かった。
エリスは料理をする際に上手く作れない事を何度も詫びたが、それは仕方のない事だし、腹に入るなら何でも良かった。
エリスの作った料理は材料も調味料も乏しい状況で作られたとは思えない出来。
キノコや山菜を使ったシンプルな料理。
とても美味しかった。
こんなに美味しい料理を食べたのは生まれて始めてだ。
食事の途中で一緒に暮らそうと言い出したのはエリスだった。
当初リアーナは反対していたが、“俺が護衛役をする代わりに食事を提供する” というエリスの発案によって押し切られた。
こうして俺には意見が求められないまま、なし崩し的に三人の共同生活が始まった。
それまでの人生を考えれば、他人と一緒に生活するなど考えられなかった事だ。
“美味しい食事が食べられるのなら、護衛くらいはやってやろう” そんな考えがあったのは確かだ。
三人の共同生活は役割分担をする所から始まった。
金を稼ぐのは俺の役目。
駆け出しの冒険者となった俺は、他の冒険者に混じってどうにか日銭を稼いでいた。
家の掃除や洗濯をするのは双子の姉エリスの役目。
汚い小屋ではあったけれど、彼女のおかげで随分と住み易くなった。
小さなテーブルには、いつもエリスが白い花を飾ってくれた。
花を見ていると心が落ち着く。
少しは人間らしい生活が出来ているのだと実感させられる。
双子の妹リアーナはエリスの手伝い。
最近エリスに料理を教えてもらっているそうだ。
俺もエリスもあまり喋る方では無い。けど、リアーナがいるといつも明るい気持ちになれた。
彼女は俺達のムードメーカー的な存在だ。
今日の夕食はエリス特性のミートボールパスタ。
倹約家のエリスが、月に一度か二度作ってくれる。
エリスの作るミートボールは絶品だった。
決して贅沢な料理とは言えない。
何処の宿屋や酒場、食堂でも一番値段の安い料理。
それでも、俺達三人にとっては最高のご馳走なのだ。
「え? 暫く帰って来られない?」
「ああ。報酬の良い依頼を受ける事が出来たんだ。最低でも一月はかかると思う」
「そう……」
「ねえ、それって危なく無いの? また前みたいに大怪我しちゃったら……」
「大丈夫だ。今回はかなりの人数でダンジョンへ行くそうだ。そんなに危険な事にはならない」
「だったら良いけど……」
「ああ、問題ない」
二人に吐いた初めての嘘。
この時、俺が呼ばれていたのはダンジョンに溢れた魔物の討伐。
魔物混じりを囮にした特攻になるのはいつもの事だが、無事で済む保証は、無い。
「レイヴンが帰って来たら、皆んなで外食しちゃおうか!」
「そ、そうね! たまには良いかも。街の人達は怖いけど……」
「ちょっと! お姉ちゃん!」
「え? あ、大丈夫! レイヴンと一緒なら大丈夫だから!」
「俺はエリスのミートボールパスタが良い」
街へ行って二人が嫌な思いをするくらいなら、そんな場所へ行かなくても良い。
それに、街へ行ってもエリスの作るミートボールパスタより美味しい食事は無いのだから。
「ありがとう、レイヴン」
翌朝、俺は依頼をこなす為にダンジョンへと向かったーーーーーー
音の無い世界。
頭の中が真っ白になっていく。
エリスが魔物堕ちしてしまった。
俺にはどうする事も出来なくて、エリスを苦しみから解放してやる事しか出来ない。
「エリス……俺は……」
「お、願い、わた、し、を……殺し、て……ごめんね…レイヴン」
「ぅあああああああああああああ!!!」
景色が変わる。
そこは元居た草原だった。
「はぁはぁはぁ……」
「へえ、意外と頑張るね」
「貴様ァあああああああっ!!!」
「おっと、無駄だよ。ここは僕が作った世界だって言ったでしょう?」
「殺す! 殺してやる!!!」
「あははははは!良いねえ!やっと本性が出て来たじゃないか!どうだい? 僕が作った世界でなら、こんな辛い思いをしなくて済むよ? エリスを殺さなくても良い。また三人で仲良く暮らせるんだよ? それとも今のをもう一度繰り返そうか?」
もう魔剣の制御なんてどうでも良い。
今すぐコイツを…! コイツを……!!!
「ふふふふ……その表情、良いよ。凄く良い表情だよ、レイヴン」
「殺す。殺してやる……!!!」
俺は魔剣に手を伸ばす。
しかし……。
「残念でした。魔剣は無いよ」
「……⁉︎ 」
「じゃあ……次、いってみようか……」
指を鳴らす音と共に再び景色が変わる。
立っていたのは丘の上。
振り返ると、小さな家が一軒だけ建っていた。
「お帰り、レイヴン」
家から出て来た人物に目が釘付けになる。
真っ赤な髪を結い上げ、切れ長の目。
青い瞳は俺を捉え、優しく微笑みかけていた。
「ステラ……」




