対話
中央冒険者組合の一室。
彼女の為に用意された私室に空間の歪みが発生した。
中から現れた人物を確認した彼女は、待っていましたと言わんばかりに声をかける。
「おっ、戻ったか。どうだった?」
「どうだった? じゃ無いよ。全く……何だい? その格好は? ユキノとフィオナがいないからって気を抜き過ぎでしょ」
十歳程の見た目の少女は、いつもの椅子では無く、ソファーに座って紅茶を飲んでいた。
普段は美しく艶のある栗色の髪はその辺にある荷紐で縛られており、あちこち寝癖が付いてしまっている。服装も薄い寝間着姿のまま。特徴的な金色の目の下にはくっきりと隈が出来ている有様だった。
「此の所忙しかったし、たまにはこういう気軽な感じも良いものだ。それに、それを言うならお前の姿もおかしいのではないか?」
何処にでもいそうな平凡な身なりをした男は、慣れた様子でソファに寝転がると、テーブルに置かれたお菓子を口へ放り込んだ。
「僕は良いのさ。噂が一人歩きしているし。何とでも言い訳は出来るから」
「便利な噂だな……」
「そういう風になるように下準備して来たからね。これはもう努力と呼ぶべき功績だよ」
「研究室に籠って噂作りをするのが努力か?」
「それで良いんだよ。僕が動かなきゃならない事態になるよりはね」
「……」
少女は頬を膨らませて不服そうに男を睨みつけた。
動かなければならない事態と言うより、動いていないからこんな大変な目に遭っている。
「ごめんって! 君が原因じゃないのは知っているともさ。もう、すぐ拗ねる。可愛らしい顔が台無しだよ? 君は見た目に合わせて精神まで変化するのかい?」
「そんな訳があるか! それより、早く報告するのだ!」
男は、やれやれといった風に起き上がってソファに座り直す。
少女が用意した紅茶を一口飲んだ後、肝心の報告を始めた。
「甘っ! 砂糖入れ過ぎだよ……。結界ならちゃんと元に戻したさ。だけど、西の大国アルドラス帝国の噂が出始めた頃からどうもおかしいんだよね。調べてみたらあちこちで結界に綻びが発生しているんだ。念の為に全ての結界を修復しておいたんだけど、あの結界は何もしなくてもまだ数百年は保つ筈だったんだ……」
中央と外界を隔てる壁は、たとえレイヴンが全力で攻撃したとしても破れない。
攻撃力に関係無く、結界に触れた者を触れた側の世界に強制転移させる様に作ってあるからだ。
直接攻撃だろうが、弓矢や魔法による間接攻撃であったとしても、結界に干渉しようとする者の攻撃は全て吸収、或いは跳ね返される。
結界に必要な魔力は定期的に補充してやる必要があるものの、結界に近付いた魔物の魔力を吸収する性質を術式に組み込んだおかげで、殆ど半永久的に発動可能となっている。
大規模魔法を維持出来るだけの魔物がこの世界に溢れているのだと思うとうんざりするが、多少なりとも数を減らしているのだと思えばマシな気もする。どうにも複雑な気分だ。
「レイヴンの魔剣と何か関係があると思うか?」
「情報が少な過ぎて何とも言えないな……」
長い年月を費やし、苦心して作り上げた術式であるだけに、絶対に突破されない自信があった。その結界をどういう手段を使ってか突破した者がいるのは間違いない。でなければ、帝国の噂も、今回の騒ぎも起きなかった筈なのだ。
受け入れ難い事だが、自分の魔法に干渉出来る人物が世界の何処かにいる。
「ま、結界の件は調査しておくよ。それはそうとさ、レイヴン滅茶苦茶強くなってたよ。本気で防御してたのに、魔力の波動を抑えられなかった。この僕が、剣を止めるので精一杯だったんだ。想定外の力だよ。それに……」
男は体を起こすと、目の前に座る少女を見つめた。
ヘラヘラとした雰囲気は消え失せ、真剣な表情を浮かべている。
「何だ? まだ気になる事があるのか?」
「あの魔剣の由来は知っているよね? 悪魔と神の両方から呪いを受けたって」
「ああ、伝承の内容程度であれば知っている。部下を調査に向かわせているが、おそらく何も情報は得られないだろう。それで? それの何が問題なのだ?」
男は破顔して溜息を吐くと、ソファーにもたれかかった。
「もう……呆けちゃったの? あの呪いは人間には絶対に解けないんだ。悪魔の呪いは悪魔に、神の呪いは神にしか解けないって知っているでしょ? 問題は、レイヴンが出会った何者かが、そのどちらも解呪したって事さ」
「二人……という事は無いのか?」
何か根拠があった訳では無い。しかし、記憶の片隅にチラつく影がある。
「あり得ないね。悪魔と神が、西の大陸の何処かでひっそりと仲良く同居でもしているって言うのかい?」
「それもそうだ」
少女は再び紅茶を飲むと目を半分閉じて思考を始めた。
目の前に座る男は、あらゆる魔法を使う事が出来る。それでも、魔剣にかけられた呪いの解析をするだけで精一杯。あらゆる魔法的手段を模索し、方々の文献を漁って手を尽くしても、呪いを解く事は出来なかった。分かったのは呪いの解呪が不可能という事だけだった。
「それとね、レイヴンは暴走していなかった。力は桁違いに大きくなっていたけど、ちゃんと制御してたんだ。ちょっとからかってみたんだけど、いつもみたいな喧嘩にはならなかったよ」
「何をしておるのだ……。だが、という事は……」
「そうだよ。君の想像通りさ。悪魔と出会ったのなら、魔物堕ちしたレイヴンが西の大陸を焼け野原にしてる。神と出会っていても同じ。あの呪いは同時に解く必要があった。どちらか一方の呪いだけを解いていたら、今頃大変な事になっていた筈だよ。あの魔剣をあっさり使いこなしているのには驚いたけれど、それ以上にレイヴンが成長している事の方がよっぽど驚いたね。基本的に誰とも関わら無い奴だと思ってたんだけど、あの子のおかげかな?」
「それだけでは無いさ……」
少女は紅茶の入ったカップを見つめ、レイヴンの事を思い起こしていた。
レイヴンは様々な経験をして来た。
辛い事、悲しい事。魔物混じり、禁忌の子であるが故の耐え難い屈辱、心無い言葉の数々。
それが彼が歩んできた殆どではあったけれど、全てでは無かった。
手を差し伸べてくれる者達と出逢う事が出来た。
認めてくれる者達と出逢う事が出来た。
避けられない不幸な出来事もあった。
どんな時でも、レイヴンは前へと進み続けた。
レイヴンは知っていたのだ。
前へ進む事で得られる事を。
前へ進む事で失わずに済む事を。
たとえ傷付いたとしても、それがレイヴンにとって“生きる”という事だった。
その結果が“現在”なのだ。
「レイヴンは強い。もしもーーーーー。いや、私はどんな時でもレイヴンの味方でありたい。そう思うのだ」
「そっか……」
たとえ世界がレイヴンを拒絶したとしても、もう一人では無い。
レイヴンの声に耳を傾けてくれる仲間達がいる。
「話を戻すけど、レイヴンは魔剣の呪いを解呪した人物と直接会っているみたいなんだ。聞いても何も言わなかったんだけどさ。ほら、レイヴンは嘘が下手だから」
「呪いを解いた人物はレイヴンの事を知っていたとは考えられないか? その上で解呪したとしたら? 」
「どうかな。でも、その人物はきっと、レイヴンに敵意を持っていなかったとは思うよ? レイヴンは自分に向けられる敵意には敏感だし」
確かにその通りだ。
レイヴンと相対して無事な者などまずいないだろう。それに、敵対する相手をわざわざ強くする様な真似をするとは考え難い。
「敵意のある相手では無いという意見には私も同意する。しかし、あり得るのか? 悪魔と神の力に同時に干渉し得る存在など……」
「だから問題なんでしょ」
「……」
「まあ良いや。とにかく、レイヴンには警告しておいた。油断はしない様にって。相変わらず愛想無かったけどね。さてと、報告は以上だよ。……後は君が舵を取ってやりなよ」
「ああ。分かっている……今度は間違ったりしない」
男は少女の金色の目を真剣な眼差しで見つめていた。
「ん? 何だ?」
「君がどうしてそこまでレイヴンに肩入れするのか疑問に思ってね」
「……それはお互い聞かない約束ではなかったか? 」
「そうなんだけど……」
お互いに協力する関係にはあるが、理由については干渉しない。
それが相互協力関係を結ぶ時の約束だ。
「これは私の独り言だ」
「……」
「たとえ抗う事の出来ない運命だったとしても。私は、私の後悔を受け入れられない。愚かで無意味な行為だとしても、何もせずにはいられないのだ……」
それは懺悔。
少女の中に“しこり”となって残っている後悔。
その後悔を晴らす為にこうして打てる手を打っている。
「じゃあ、僕も独り言を言うよ」
「……」
「愚かなくらいで丁度良いんだよ。大丈夫。今度はきっと皆んなで笑える」
男がレイヴンに肩入れする理由は分からなくとも、理解し合える事もある。
「……そうか、愚かなくらいで丁度良いか。ありがとう……」
「どうしたの? 急にお礼なんか言っちゃって。僕は独り言を言っただけさ」
「そう、だったな……」
「それじゃあ、僕はそろそろ自分の研究室に戻るよ。またね」
男は立ち上がって背伸びをした後、来た時と同じ様に魔法を発動させた。
「その姿と口調は戻しておけよ?」
「……ゴホンッ! そうじゃったな。分かっておるわい。全く、イメージ作りも大変じゃわい」
そうボヤいた男はそのまま空間の歪みに姿を消した。
部屋に一人残った少女は金色に輝く目をめいいっぱい開くと、ソファーに寝転がって手足をバタバタと動かして暴れ始めた。
「ああーーーッ!!! もうっ! 誰だ⁈ 魔剣の呪いを解いたのは⁈ 余計な問題を増やしおって!!! レイヴンが暴走したら止めるのは私なのだぞ⁈ 見つけたら文句の一つでも言ってやらねば気が済まんのだ!!! 気が……私は……どうすれば良かったのだ……」
暴れ疲れた少女はソファに寝転がり天井を眺める。
「………私はただ、レイヴンに普通の人間と同じ様に生きて欲しい。それだけなのだ。その時が来たら、力を貸してくれるか?」
『貴女が望むのなら』
「すまぬ、迷惑をかける……」
暫くしたらユキノ達が戻って来るだろう。
それまでにいつもの自分に戻っておかなければならない。
けれど、今だけは……
少女の頬に一筋の涙が流れた。




