西へ
診療所内の手術室。
ユキノとフィオナは、ドワーフ達の声で揺れる治療室の中で黙々と治療を続けていた。
ランスロットを貫いた剣は心臓を僅かに避けていたが、出血が酷く未だに予断を許さない状況だ。
ユキノとフィオナは戦闘能力よりも、魔法による補助と諜報を得意とした冒険者だ。瀕死の重傷を負った仲間の治療は幾度となくこなして来た。その二人でも、瀕死のランスロットを救うには相当の集中力と魔力を必要とした。足元には魔力回復薬の空瓶がいくつも転がっている。
「ユキノ、どうするの?」
「どうするって?私達はお嬢の命令に従うだけよ」
「そうじゃなくて、ドワーフ達の事よ。一度お嬢の指示を仰いだ方が良いと思うのだけれど?」
「……」
ドワーフ達が何か裏でこそこそと動いていた事は既に掴んでいる。中央への武器の輸出量が減った時期と、レイヴンがこの街を訪れていた時期が重なっている事もだ。
「聞いてるの?」
「ミーシャに働いてもらいましょう。あの子なら時間をかけずにお嬢と連絡が取れるわ」
「分かったわ。直ぐに手紙を用意する」
「ええ、お願い」
リヴェリアからの指示内容は『諜報』
西の大陸にあるというアルドラス帝国の存在を確認し、あわよくば内部の情報を持ち帰る事だ。
この世界には中央とそれ以外の街しか存在しない。
それが、この世界に生きる者の常識だった。
西に広がる広大な森。
方角を見失えば冒険者とて遭難してしまうだろう。
森に入って数日。至る所に空間の歪みがあるのを見つけた。
普通なら見逃してしまいそうな歪みも、ユキノとフィオナにとっては見つけるのは容易い。
調査しようとして空間の歪みに近付いた瞬間、眩い光と共に森の入り口まで強制的に戻されてしまった。呆気に取られた二人は一旦調査を諦め、仕方無くドワーフの街に立ち寄る事にした。レイヴン達に会ったのもこの時だ。
レイヴン達が西へ向かったのは知っていたし、お嬢からもレイヴン宛の手紙を託されていた。まさか本当に会うとは思わなかったが、お嬢であればそのくらい予測してもおかしくは無い。
鉱山ごとダンジョンを破壊したレイヴンの常軌を逸した力には驚かされたし、倒れている事にも驚いた。しかし、二人が最も驚いたのは、森の奥で発動していた魔法だった。あれは幻術の類では無い。空間を捻じ曲げ、人間二人を森の入り口まで“転移” させたのだ。
『賢者マクスヴェルト』
二人の頭に真っ先に浮かんだ名だ。
空間に干渉する事が可能な魔法使いは、この世界でマクスヴェルト一人しかいない。
だが、理由が分からない。
一体何故こんな場所に魔法を仕掛けているのか……。
もう一度森の奥へ行ってみると魔法が解除されていた。一度発動しただけで効果が切れる様な魔法を使用しているとは思えない。
更に奥へと進み、小高い丘の上でから西を観察してみると、北と南に向かって果ての見えないほど長い壁があるのを発見した。
壁には一定間隔で監視所らしき建物があり、出入りしている兵士の姿も確認出来た。
おそらくあの壁の先がアルドラス帝国という国がある領域なのだろう。
二人が互いの持つ知識と情報を使って検証した結果。
実に馬鹿げた結論に至った。
仮定でしか無いとは言え、否定し切れる材料も無い。
マクスヴェルトはーーーー
「うっ……」
治療が終盤に差しかかったところでランスロットが意識を取り戻した。
これだけの傷を負って、もう意識が戻るなんて驚きだ。
「意識が戻ったのね。私の声が聞こえていたら瞬きをして」
「……」
「声は聞こえてる見たいね。もう直ぐ傷は塞がるけれど、血を流し過ぎてる。当分は動けないわよ」
「レイ、ヴン…に……」
ランスロットは震える手でユキノの手を掴んだ。
「まだ喋っちゃダメよ! 傷は肺にも達しているの」
「すまねえ…って………」
「……らしく無いわね。自分で伝えなさいよ」
ランスロットはそれだけ伝えるとまた気を失ってしまった。
すまないというのはクレアの事だろう。不段はふざけている癖に、こいう責任感だけは人一倍に強い。
「全く…そんなになってまで。馬鹿なんだから……」
ランスロットは一先ず一命を取り留めたが、絶対安静が必要だ。
後は診療所の医師に任せても大丈夫だろう。
リヴェリア宛ての手紙を持ったフィオナと共にミーシャの元へ向かう。
診療所の外に集まったドワーフの軍勢は着々と西へ侵攻する準備を進めている。
ミーシャもドワーフ達の熱気にあてられたのだろう。興奮した様子でドワーフ達を手伝っていた。
これはかなり不味い状況と言える。
彼らは自分達がこれから戦おうとしている相手が国だという事を理解しているのだろうか?
「ミーシャ、ちょっとお願いがあるのだけれど」
「あ、ユキノさん! フィオナさんも! ランスロットさんはもう大丈夫なんですか?」
「一応はね。まあ、まだ当分は動きたくても動けないでしょうね」
「良かったあ。それで、私に用事って何ですか? 早くドワーフさん達を手伝わないといけないので!」
ミーシャはすっかり元気を取り戻しいる様に見えるが、空元気なのは直ぐに分かった。
「駄目よ。この手紙を今すぐ中央にいるお嬢に届けて頂戴」
「え、でも……」
「いい? 貴女の仕事は連絡員。役目を果たしなさい」
「ここは私達がどうにかするから」
「……」
ミーシャは俯いてしまって二人の話を聞きたく無い様な素振りを見せた。
不満があるのは理解出来る。けれど、今は自分に出来る事を全力でやるべき時だ。非情になりきれとまでは言わないが、私情を挟んでしまっては救えない命もある。
「納得出来ないって顔ね。この手紙一つでレイヴンもクレアちゃんもドワーフ達も助かるかもしれないって思わない? それとも、ミーシャはもうパラダイムの時の事を忘れてしまったのかしら?」
「ミーシャが報せてくれたおかげでパラダイムは助かった。ここにはミーシャの代わりは幾らでもいるけれど、ミーシャにしか出来ない事が他にあるでしょう? 情報の伝達が速ければ速いほど、救える命が増える。貴女にしか出来ない事よ」
「はい……」
ミーシャは渋々といった様子ではあったが、ツバメちゃんを呼び出すと中央へ向かって飛び立った。
ミーシャがガザフに一度中央へ戻る旨を伝えに行っている間。
二人はドワーフ達を観察しながから今後の展開を話し合っていた。
「それで? 随分強引にミーシャを説得したけど、これからどうするの? ドワーフ達はもう止まらないわよ?」
「お嬢からの返事が来るまでの間だけでも留まる様に説得してみるしか無いでしょ……」
「それ、無理だって分かって言っているでしょう?」
戦意盛んなドワーフの軍勢を相手に冒険者二人がいくら説得した所で無意味だ。
彼らを突き動かしているのは、レイヴンへの義理。
本当なら、一族を上げてレイヴンの為に戦う決意をした者を止めるなんて野暮な真似はしたくはない。
「ドワーフ達が武装した事以外は多分、お嬢の予測したシナリオ通り」
「でしょうね……」
二人には突然の出来事でも、リヴェリアであれば見えていたに違いない。リヴェリア自身が動かないのなら、この状況はまだどうにか出来ると見ているという事だ。
「とにかくやってみるしか無いわ」
「はあ……。嫌な役回り」
「ボヤかないの」
時々、お嬢が考えている事が分からない事がある。私達にも言えない事があるのは当然だと思うし、詮索する気もない。今までお嬢の指示通りに動いて、悪い結果になった事は無いのだ。今回だってきっと上手く行く筈だ。
私達はお嬢を信じて行動するだけだ。
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皆が着々と準備を進めている事など知らないレイヴンは、一人で西を目指して歩いていた。
腕に負った傷はまだ完治しておらず、乱雑に巻かれた包帯には血が滲んでいる。
普段のレイヴンであれば、この程度の傷なら一日と経たずに完治する。
しかし、まだ魔力の回復が十分では無い為に、傷の回復が遅々として進まないのだ。
(こっちか……)
森の中にはまだ、僅かに騎士達の足跡と匂いが残っている。
雨でほとんど消えかけてはいるが、それでも奴らは西へ向かっていると分かる。分からないのは、ドワーフの街から先には広大な森が広がっているだけの筈だ。
(この先に何があるのか知らないが、クレアは返してもらう)
思うように動かない体を無理やり動かしているのは、激しい憎悪。
そして、クレアを守れなかった自分自身への怒りだ。
魔力が無かった事などレイヴンにとって何の言い訳にもならない。
奪われたのなら奪い返す。相手が誰であろうとも、絶対に許しはしない。
意識を失う直前。最後に薄っすらと見えたクレアは泣いていた。
泣いているクレアの顔を思い出す度に、レイヴンの心にどす黒い感情が沸き上がる。
形容し難い感情はやがて形となり、レイヴンの表情を歪めていく。
それは決して人間に向けて良い類の感情では無い。
明確な殺意。
普段のレイヴンならあり得ない事だ。
どんな扱いを受けようが、傷付けられようが、絶対に人間に向けられる事の無かった殺意。
自分でもどうしたのか分からない。けれど、どんなに抑えようとしても無理なのだ。
昔の自分ならこんな事は無かった。
きっとクレアを取り戻すまでこの感情は消えそうに無い気がする。
あの白い鎧を着た騎士はランスロットよりも強い力を秘めていた。
今の状態で戦っても勝算は無いかもしれない。
だが今は回復を待っている場合では無い。
少しでも早くクレアの元へ辿り着かねばならないのだ。
「くそおおおおおおおお!!!」
怒りのままに叩きつけた拳が巨木を薙ぎ倒す。
こんな事をしても意味などない事は百も承知だ。
白い鎧の騎士に負けた事が悔しいのでは無い。守れなかった事が悔しくて堪らないのだ。どうしようもなく自分に腹が立つ。
思うように動かない体とクレアを連れ去られた現実が苛立ちを募らせていく。




