飛翔する魔人
ダンジョンの地下に住んでいたステラという女は非常によく喋った。
自分が言うのもおかしいが、普通初対面の人間を相手にこんな態度は取れないものではないだろうか……。
一番親しげに話かけて来たランスロットでさえ、もう少し遠慮はあったと記憶している。
早く上へ戻る方法を教えて欲しいだけなのに、話しかける間もなく茶の用意を始めている始末だ。
「紅茶で良い? 良いって言いなさい。これしかないから。ていうか、あたしの家の真上にダンジョンがあるってどういう事? 確か最後に地上へ出た時には、鉱山だとかの山とか森しかなかったと思うんだけど?」
「今はーーー」
「てことは、あたしの家の真上に魔物がうじゃうじゃいるって事? うへぇ……気持ち悪い。あんた、じゃなかった。レイヴンは冒険者なの? 最近じゃあ魔物混じりの冒険者って珍しくない訳? 」
「おい、上に戻る方法を……」
「あ、それってもしかして魔剣⁈ しかも“魔神喰い”じゃないの。なるほどねぇ…その魔剣を普通に持ってるって事は、今の主人はレイヴンなのね」
(魔剣の事を知っている?)
「外はいろいろ変わっていってるのねぇ。まぁ、それは仕方ないって言うか、随分長いこと私も引き篭もっていたから外の状況なんか分からなくて当然なんだけどさ」
「おい、どうして魔剣の事をーーー」
「あー、そうだった! 上へ戻る方法だったよね? いやあ、久しぶりの来客でしょう? ずっと一人で暮らしてたから人と話すのって本当に久々なのよ。ちょっとテンション上がっちゃってるかも。いきなり裸見られたのは驚いたけれど、よくよく考えたら別に見られたってどうって事無いのよねー。この姿で長く暮らしてたから、すっかり自分が人間だと思っちゃってる訳よ」
「……」
(なんなんだ、この女は……人の話を全く聞く気が無いのか?)
「わぁかってるって! そんな不機嫌そうな顔しないでよ。端的に言っちゃうと上へ戻る方法は無いわ」
「邪魔をした」
「え⁈ ちょ、ちょっと! 紅茶は⁈ 」
「いらん」
時間の無駄だった。
戻る方法が無いのなら仕方が無い。
少々強引な方法になるが、さっさと自力で戻るとしよう。魔剣の事をどうして知っていたのかはまた後日聞きに来ればいい。
家の出口らしき扉を開けようとした時、激しい地揺れが襲って来た。
だが、奇妙な事に地揺れの音は足元からでは無く、頭上から聞こえて来る様だ。
「何⁈ 何⁈ 何⁈ 何なの⁈ レイヴンが言ってたダンジョンが原因な気がするんだけど⁈ 」
(ふむ、同感だ)
ステラの予想はおそらくだが、正しい。
また厄介な事になっている気がしてならない。
「ちょっと上の様子を見てみなきゃ! あたしの家が潰れちゃったらどうしてくれるのよ!」
ステラの手が空中に輪を描くと、何処かの景色が写し出された。
どうやら何かの魔法を使ったらしい。
「此処でも無い……此処? いや、違う……あった! 揺れの発生源は此処だわ! うげぇ、何コレ⁈ 魔物がうじゃうじゃいて気持ち悪い……」
「見せてくれ!」
映っていたのは穴に落ちる前にいた広い空間に間違い無い。
(亀裂から瘴気が吹き出している。……魔物が発生した原因はこれか。だが、揺れの原因は一体……)
映し出された光景にはランスロット達の姿は見えない。ミーシャの使役する風の精霊ツバメちゃんがいるので大丈夫だとは思う。
しかし、姿を確認出来ない内は安心出来ない。
(クレアが怯えていなければ良いが……)
レイヴンは意を決して変な女、ステラに協力を求める事にした。
「ステラ、頼みがある」
「頼み? 何? 今、あたしの家が潰れちゃうかどうかの瀬戸際なんだけど⁈ 」
「連れがいる。大きな鳥を探して欲しい。その魔法なら出来るか?」
「出来るけど……交換条件よ!」
「交換条件?礼という話なら後日改めてしよう。悪いが今は手持ちが何も無い」
魔法を使う対価を払えと言う事なら承知している。
この世界において魔法を扱える者は貴重だ。
例えば回復魔法を使える者なら医療研究機関や、冒険者パーティーに高額の報酬で迎えられる。
しかし、大抵の場合はマクスヴェルトの様に自分の魔法研究の為に生涯を捧げてしまう為、他所の研究や冒険に力を使おうとする者が限られるのだ。
故に、魔法の使用を依頼するなら、それに見合う対価が必要となる。
「お金なんて要らないわ。この揺れを止めて」
「……何だと?原因も分からないのにか?」
一体何を言い出すのか。
地揺れの原因がそう簡単に分かる筈が無い。
そんな事よりもランスロット達を助けて、ステラも一緒にダンジョンから脱出するべきだ。
「簡単よ。ダンジョンをぶっ潰せば揺れは止まるから」
「簡単だと? ダンジョンごと潰すなんて真似がーーー」
「出来るでしょ? だって、その魔剣を持ってるって事は、認められたって事じゃない。安心して。レイヴンの連れは見つけてあげるから」
(この女……)
「……良いだろう。だが、先に連れを見つけてくれ。少々手荒な方法を使うつもりだ。巻き込んでは困る」
「交換条件成立ね!」
ステラには腑に落ちない点が多過ぎる。
だが、少なくとも悪人では無いように思われた。
魔剣『魔神喰い』なら出来る。ステラはそう言った。まるでレイヴンがこれから何をしようとしているのか分かっているような口振りだ。
「大っきな鳥はさっきの広い空間の中を移動しなが逃げてるから、直接あの空間にはいかないで。もうちょっと右!そうそう、その辺りよ! その真上に広い空間に繋がる通路があるみたいだから、そこから入って合流すると良いわ。その後はまた真上に向かって岩盤をぶち抜けば直ぐに出られる筈よ。外へ出たら魔物ごとダンジョンを潰せば揺れは収まるから。じゃ! よろしく!!!」
「……」
本当に簡単に言ってくれる。
ダンジョンを潰すなら、魔物堕ちするギリギリまで力を使わなければならない。
あの時はリヴェリア達がいたから試す気になっただけで、制御出来る保証はない。だがこのまま手をこまねいていてはクレア達が魔物の餌になってしまう。
(やるしか無いか……)
「喰らえ」
ーーードクン。
ドクンという音と共にレイヴンの魔力を喰らった魔剣が目を覚ました。
あれ以来、魔剣の力は使っていない。
また暴走させてしまったら、ランスロット達を助けるどころでは無くなる。自分が自分では無くなるような感覚をまだはっきりと覚えている。魔剣の意志とでも言うのか、胸の奥の深いところを見られているような感覚だ。
面倒だが、慎重に力を解放していこう。
そう思って魔力量を増やしていると、不意にステラが唸った。
「ははあん、そういう感じなのね」
「……?」
「確かに魔神喰いには認められてるけど、レイヴンが魔物混じりだから力を上手く引き出せて無いって感じ? というか、レイヴンの力が強過ぎて魔剣の方が処理し切れていないのね……。うーん、魔神喰い持ってるくらいだから、レイヴン自身も相当強いんだろうなとは思ってたけど、本当に出鱈目ね。こんな状態で一体どうやって……」
ステラは何かの魔法を唱えた。
それは人の言葉では無い。
心地良い音色の様な……
「はい! お終い! これで全力で戦えるわよ」
「何をした?」
「え? 魔剣にかかっていた余計な呪いを解呪しただけ。その魔剣の由来くらい知ってるでしょ? 呪いのせいで魔剣の制御に余計な負担がかかる様にされてたのよ。魔神喰い本来の力を使わせない為にね」
「……」
レイヴンには何がなんだか分からなかった。
ステラの言っている余計な呪いとは何だ?呪いを解いたと言ったが、そもそも解けない呪いがかかっている故の魔剣なのだと思っていた。
由来は知っているが、それも現在判明している事しか知らない。だが、ステラはレイヴンの知らない魔剣の由来を知っている風だ。
「他にも呪いの効果がいくつもあったんだけど……多分、レイヴンの力が強過ぎて呪いの効果ごと発動不能にしてたんだと思う。普通の人間じゃない事が幸いしたって感じかな?」
(呪いが発動不可能?)
「でも……」
急に真剣な表情を浮かべたステラは、俺をじっと見つめて来た。
ステラの青い瞳にレイヴンの赤い目が映る。
「……何だ?」
「魔剣の力が自在に使えても、レイヴンが魔物堕ちするかどうかは別の話よ」
「……」
「いい?呪いを解いたのも一部に過ぎない。今までよりも扱いは楽にはなるけれど、魔剣を自在に使えるって事は限界点があやふやになるのと一緒。力を使えば使うほど魔物堕ちの危険は高くなる。それだけは忘れないで」
「どうしてそこまでしてくれる? おま…ステラに何の得がある? 会ったばかりだ。それにーーー」
ステラはレイヴンの唇を抑えてニコリと笑ってみせた。
さっきまでの喧しい雰囲気とはまるで別人だ。
「久しぶりに人と話が出来て嬉しかったから。そういう事にしといて」
「……」
「ほら! さっさと行ってダンジョンぶっ潰して来てよ! あたしの家が潰れちゃう前に!!!」
「あ、ああ」
魔剣に更なる魔力を込める。
再びドクンという音と共に変化が現れた。
以前の様に黒い刀身がミリミリと不気味な音を立てて本来の姿に変わっていくと思われたのだが、魔剣はクレアを助けた時のように黒い刀身を維持したまま全体に血管の様な赤い模様が浮き出ていた。
(これは……)
今までの五分の力を込めただけで変化が現れた。
淀み無く魔力が行き渡って行くのが分かる。それ程までに呪いが余計な力を使わせていたということだろう。
だが、変化はそれで終わりでは無かった。赤い模様が脈打つように輝くと、今度はあの時と同じ黒い霧が全身を覆い始めた。
(不味い! 制御が……!)
また意識を乗っ取るつもりかと魔力の放出を緩めようとした瞬間、ステラがそれを止めた。
「焦らないで! それが魔剣の本来の姿よ」
「本来?」
体を覆う霧が晴れ、全身を黒い外殻が包む。
そして背中には黒い翼。
あの時と、クレアを助けた時と同じだ。
全身から力が湧いてくるような魔力の波動。けれどもその波動は得体の知れない怒りに満ちている。
「……これが?魔物堕ちの前兆では無いのか?」
「ええ、そうよ。魔神喰いはあなたが主導権を握っている限り安定している筈。だけど無茶は禁物よ。絶対に……」
「……?」
「ほら、さっさと行った行った!」
体が軽い。魔剣が発する力が淀みなく全身を流れている様だ。
それに意識もはっきりとしている。
(これなら何とかなりそうだ)
体を沈め、真上の岩盤を見据える。
飛んだ事も無いのにどうすれば良いのか分かる。熱い魔力が血液のように全身を駆け巡り魔剣を通して再び体に流れて来る。
(クレア、ランスロット、ミーシャ。今行くからな……)
魔剣に埋め込まれた心臓の鼓動とレイヴンの鼓動が重なる瞬間、これまで感じたことの無い凄まじい力が湧き上がる。
一気に岩盤をぶち抜いてランスロット達の元へと向かうのだ。
黒い翼を広げ一直線に飛翔する。
「あーあ。行っちゃった……。私の事忘れてたの呪いのせいじゃ無かったのか……残念。またね、レイヴン」




