第十三話 理想
随分遅くなりました…。
ルナという存在が世界にただ一人であるように、この世界に存在するレイヴンと、マクスヴェルトのいた世界にいたレイヴンは別人。
が、しかしーーー
世界の法則からはみ出た存在であるという点において二人は共通した存在である。
大きくなり過ぎた世界の歪みを辿り、異界に起きた異変を調べていたロズヴィックがそう結論付けたのは単なる推論からでは無かった。
決定的な情報を齎したのは、帝国内でも唯一自由裁量の権限を持つルーファスだ。
一体何処からの情報なのかは問題では無い。
肝心なのはロズヴィックが全幅の信頼を置くルーファスがいつになく神妙な面持ちであった事。
たったそれだけで、ロズヴィックが動くには充分な理由であった。
ーーー陛下。準備が整いました。
後方で様子を伺っていたロズヴィックの指輪が淡い光を発すると、頭の中に聞き慣れた無機質な声がした。
帝国内で裏の仕事を一手に引き受けているその男の名はルーファス。
表向きには諜報部の長を任されている謎の多い男だ。
ーーーうむ。こちらも頃合いだ。後はレイヴンに任せて問題なかろう。
ーーー承知しました。ではゲイルとギルにも伝えておきます。
ーーー……。
ーーー何か気になる事でも?
ロズヴィックが何かを考えてるのを察したルーファスが尋ねて来た。
話して良いものか、というよりも聞いても良いものかずっと長い間思案していたその言葉は、ルーファスのこれまでの忠義に応えてやれるものとは到底思えない。
しかし、再びあの時と同じ状況になろうとしている今こそ言っておかなければならないのかもしれない。
一呼吸ほどの間を置いて口を開いたロズヴィックは、ルーファスに対して自分がしてやれる最大級の言葉のみを伝える事にした。
後悔、謝罪、それらは最早過去の出来事であり、今必要な言葉では無いと思ったからだ。
ーーールーファスよ。今度こそ勝利を掴むのだ。
ーーー……ッ!
噛み締めるようにして口に出された言葉はルーファスに全てを理解させるのに充分であった。
皇帝ロズヴィックとしてでは無い。
一個人として、竜人ロズヴィックとして出たであろう言葉を聞き、『やはり』と腑に落ちた。
ならば此処から先は無粋な言葉のやり取りは不用だろう。
ーーー問題無い。
ルーファスはそれだけ言い残して魔力思念による通信を終了した。
(まったく……。本当によく似ておるわ)
ーーーーーーーーー
ーーーーーー
ーーー
異界に起きた異変にいち早く気付いたのは他の誰でもない。ルーファスであった。
謎多き男、ルーファスと出会ったのは、ロズヴィックがまだ帝国を興すよりも以前。隠れ里に身を寄せ合うように暮す魔物混じり達の元を訪れていた時の事だ。
自分達の他に各地に点在する魔物混じり達の隠れ里を行き来して面倒を見ている変わり者の噂を聞いた。
「ロズヴィックさん聞きましたか?どうやら我々と志を同じくする者が最近各地の隠れ里に現れているようですよ」
「ほう……」
「嬉しいものです。我々以外にも変わり者がいると思うと、何やら張り合いがありますね」
「ふふ、変わり者か。確かにこんな事をするのは変わり者であるな。……まあいい。お喋りはその辺にしておけ。今日はまだあと二箇所ほど巡回しておかねばならん」
初めは『自分以外にも同じ事を考えている変わり者がいるのものだな』と、噂を聞き流す程度だったのだが……。
程なくして誰に紹介された訳でもなく、噂の男と鉢合わせる事になる。
西の大陸は僅かながらに文明的な生活を獲得した一部の街以外には、広大で深く険しい森に覆われた場所であり、各地に点在する魔物混じり達の隠れ里を見つけるのは容易では無かった。
身体能力が高く警戒心の強い彼等の足取りは、専用に編み出した魔法を用いる以外にまともな手段では痕跡を掴むのも難しい程だ。
当然だろう。彼等は人間社会から弾き出された存在。体内に魔を宿す者達だ。
酷い迫害を受けた彼等は同じ痛みを抱える仲間達と共に終着場所を探して森の中を移動しているという。
そしてある時、ロズヴィックは出会った。
偶然か必然か、その時はまだそんな事は考えもしなかったが、ロズヴィックは一目で目の前の男が噂の変わり者だと気付いた。
ボロボロにほつれた衣服を身に纏い、汗と泥に塗れた黒髪の男。
驚いた事に男が持っていたのは魔物を倒す為の剣では無かった。
田畑を耕す鍬を持って黙々と作業をする横顔には何の感情も無いようで、あの魔物混じり達が男に対してだけ警戒した様子が無かったのが非常に印象的だった。
「お前が最近噂になっている変わり者か」
気付けば自然と話しかけていた。
警戒心の強い魔物混じり達が何も言わずに男を受け入れている様な雰囲気に興味が湧いた。
「……」
「言葉は話せるか?儂はロズヴィック。お前の名は何という?」
「……ルーファス」
一瞬だけ考えたような素振りを見せた男はルーファスと名乗ったきり、再び鍬を握って作業を続けた。
なんとも素っ気ない態度であった。
が、ルーファスと名乗った男の目にははっきりとした強い意志のようなものが垣間見えた。
淡々と仕事をこなし、必要な会話以外には無口で無愛想。他人と距離を置き、馴れ合う事を極力避けているらしかった。
更に興味深かったのは、そんなルーファスの周りには必ず誰かがいたことだ。
ルーファスは周囲が寄せる感謝や期待を気にした素振りを見せたりはしなかったし、自分から声をかける事もしなかった。なのに、周囲にはルーファスの考えに賛同した者達が同じように隠れ里の人々を助けて、一つのコミュニティを形成していたのだ。
誰が命じる訳でも無く、個々の役割を初めから分かっているかのように動いている。
ロズヴィックは他の隠れ里に向かう用事があったので、その日はそれ以上声をかけたりはせずに、同志達とその場を後にした。
確信は無かった。しかし、いずれ近い内に再び会う日が来る。そんな予感を抱いて……。
ロズヴィックが離れて僅か数刻の後。
予感というやつは嫌な時ほどよく当たる。
ルーファスがいた隠れ里が魔物の群れに襲撃を受けたと報告が入った。
「魔物の襲撃だと?!あの辺りは確か先日、周囲の魔物の数を間引いたばかりではないか」
「え、ええ……ですが実際に連絡係の者が魔物の襲撃を報せてきたきりでして……」
「連絡用魔具の反応が途絶えて以降、全く連絡がつかないのです……」
短くて数ヶ月、長くても二年から三年を目処に魔物混じり達は他の場所へと移動する。
それ故、隠れ里の場所を見失わないように監視と連絡役を兼ねた人員を配置していた。
数は少ないが、いずれもこの辺りに出没する魔物であれば楽に対処可能な実力者揃い。
その連絡役とは魔物の襲撃を報せたきり一切の連絡が途絶えてしまったという。
(あの者達がやられるほど力を持つ魔物……いや、それだけ数が多いのか、或いは……)
数で圧倒される状況であれば、彼等には自分達の命を優先する様に命令してある。
隠れ里に暮らす魔物混じり達を一時的にでも危険に晒す事は、種族や差別を超えた平等なる世界を目指すロズヴィックにとっても非常に不本意な事だ。
だが、そう命令を出したのは、理想を実現させる為には力が必要だからだ。
現実はいつだって弱者にばかり理不尽を押し付ける。
どんなに理想を願っても、ただの一度の理不尽が全てを嘲笑い奪って行く。
ロズヴィックの理想に賛同した同志達の多くは普通の人間や魔物混じり達で、一人一人が持つ個の力には限界がある。
継続的に活動して行く為、一人でも多くの同志の力が必要であり、集団としての力を高めていくには誰一人として失う訳にはいかなかった。
「動ける手の空いている仲間を集めるのだ!今すぐ救援に向かうぞ!」
「お、お待ち下さい!あの隠れ里へは我々の足でも数刻はかかります!とても今からでは……!」
「それはどういう意味だ?お前は儂に行くなと言うのか」
「それは……。ロズヴィック殿……どうか……」
「他の皆も同意見か?もう間に合わぬから見捨てるのか?我々が何の為に剣を奮っていると思っているのだ!理不尽な運命を斬り伏せ切り開く為であろうが!!!」
「ですが!おそらく彼等の中には既に魔物堕ちしてしまった者も……!」
「だからなんだ!」
静まり返った同志達は顔を見合わせてどうするのが良いか互いに探り合っているようだった。
出てくるのはどれも消極的な意見ばかり。救援に向かうべきだと声を上げる者は皆無。
そんな中、一人の同志が神妙な顔をしてロズヴィックの前に出て来た。
「……救う相手もいないのに、我々は一体何の為に、誰の為に命をかけるのですか?魔物の腹に収まって、それで一体何の為に我々は……。ロズヴィック殿は強いからその様な事が言えるのです。い、一緒にされては堪りません……」
「おい、貴様ッ!言い過ぎだぞ!」
「何が言い過ぎなものか!わ、私は自分の命が惜しい……!惜しいのだ!」
「この……!我々は皆、ロズヴィック殿の掲げた理想に従うと誓ったのではなかったのか!」
「……ああ、確かにロズヴィック殿の理想に希望を抱いたさ!力の無い私でも志を同じくする同志達となら何とかなるかもしれないってな!平等な世界ってやつが実現出来るかもって本気で思った!
……だけど現実はどうだ?!来る日もくる日も魔物を倒して、いつになったら理想が叶う?」
「……ッ!」
「ロズヴィック殿は竜人で、我々は所詮只の人間だ……。勝てもしない魔物から逃げて何が悪い!!!命を惜しんで何が悪い!死ぬと分かっていて戦いに行くなんてどうかしている!私には妻子もいる。無駄死には御免なんだよ!」
「黙って聞いていれば何を腑抜けた事を!だからこそ、その為に我々が……!」
「もうよい!」
ロズヴィックは熱くなる部下達を制止すると、騒ぎを聞きつけて集まって来た他の同志達の顔を見た。
あれだけ勇ましかった同志達の意気消沈した様子を見て悟る。
他の皆も今の男と同じ気持ちなのだろう。
大した成果の無いまま魔物を借り続ける日々。
大事を成すにはそれなりの時間が必要だと思い、堅実な道を選んだつもりであった。
しかし、彼等に必要なのは実感出来る成果であり、闇雲に剣を振るっているような遅々とした歩みでも無く、理想へと手をかける確かな一歩だ。
ロズヴィックとて分かっている。
部下達の言う通りだ。
今から救援に駆け付けたところで生存者がいる可能性は限りなく低い。
魔物混じり達が魔物堕ちしている可能性を考慮するなら、他の隠れ里へ向かい避難を促す方が余程現実的だ。それであれば彼等も納得するだろう。
(儂の掲げた理想は所詮儚き夢。戯言に過ぎぬのか……)
腕利きの連絡役が逃亡すら出来ずに全滅した挙句、魔物堕ちした魔物混じりを相手にしなければならないと分かっていて救援に向かって何になる?
相手は人間を餌としか思っていない魔物だ。
遺体を探して弔ってやろうにも、きっと彼等は見るも無惨な姿に変わり果てて魔物の腹に収まっている事くらい容易に想像がつく。
みすみす犠牲者を増やすだけの成果の見えない偽善に命をかけてはいられない。
そう考えるのは自然な事で、彼等にむざむざ死にに行けとは言えない。
(違う。我等にはまだ何もない。何も成していないのだ。何も無いからこそ今日という日を生きねばならん)
理想を掲げた時から痛みを背負う覚悟は出来ている。
同志達に死ねとは言わない。
言える筈が無い。
だとしても、彼等のこれまでの行いを無駄にしてしまわない為にも弱気な背中を見せる訳には断じていかないのだ。
僅かな可能性すら自分で手放してしまっては、一体何の為に剣を手にしたのか分からなくなってしまう。
「お前達の言いたいことはよく分かった」
「ロズヴィック殿……」
ロズヴィックが救援を諦めたと理解した同志達の反応は真っ二つに別れていた。
安堵した胸を撫で下ろす者。
理想を断念したロズヴィックへの失望を浮かべる者。
いくら同じ景色を夢見ようとも、いざという時に他人の為に本気で命をかけられる人間は少ない。
それは仕方の無いことだ。
「運命に抗う力……か」
「「……?」」
ロズヴィックは死に際に美徳だなんだと持ち出す輩には現実が見えていないと考えている。
本当の死は汚くて暗くて、冷たい。
生きていた頃の何もかもを一瞬で奪って行く。
残酷で、無慈悲で、こんな世界では安らかな死に方を選ぶことですら夢物語でしかない。
(少なくともこの場に集った者達との日々は真に理想を追い求めるものであった。それだけは嘘では無いのだ)
ロズヴィックは自らが描いた理想が幻影であったのかを確かめる為に静かに口を開いた。
「最後にこれだけは言っておく。
儂とて万能では無い。お前達の助けが無ければ救えぬ命も多くあった。今日までやって来られたのも、儂が理想を曲げずに来られたのも、お前達が儂の理想に夢を託してくれたおかげだからだ」
「ロズヴィック……殿?」
普段のロズヴィックらしからぬ様子に同志達は困惑した。
しかし、だれも言葉にはせずに静かに耳を傾けた。
「現実はいつだって理不尽なものだ。力なくば何一つ願いを叶える事も、口にする事も出来ぬ。
全てを救えるなどと、そんな都合の良い現実がある筈も無い事くらい分かっていた。
本心では儂も分かっていたのだ」
「「……」」
「命が惜しいと思うのは当然だ。逃げても構わぬ。咎めたりはせぬし、誰にもさせぬ。
ただ、どんなに小さな事でも、出来る事だけでも良い。どうかその手にした剣を下さないで欲しい。
儂は確かにお前達とは違う存在だが、お前達人間が見た夢を、儂もまた同じ目線で実現させたいと考えたのは単なる我儘であったのであろうな……」
「そんなことは……」
「よいのだ。儂の描いた理想がお前達を苦しめることになる事も、そんな顔をさせてしまう事も本意では無かった。
これより後の事は各自の判断に任せる」
「「…………」」
ロズヴィックはそれだけ告げると、剣をとって馬に跨った。
こんな事を言ってらしくも無い。
さぞかし落胆したことだろう。
だがしかし、今出た言葉は全て本心だ。
また別の方法を探してみるだけのこと。
また一から始めれば良い。
そう思って皆に背を向けた時。
救援に反対した部下がロズヴィックに声をかけて来た。
「……何故です?そんな事を言って、何故貴方はまだ救援に向かおうとするのですか?」
それは至極当然の疑問だった。
理想を掲げた本人が幻影に過ぎなかったと認めたばかりだ。
なのにまだ死地へ向かおうとしている。
これ以上の言葉を発しても、彼等を迷わせるだけではないか?
そんな考えが頭を過ったが、ロズヴィックは敢えてその問いに答えた。
「……儂は遠い昔、愚かな選択によって大切な繋がりを自ら手放した事がある。無情な現実と、無いに等しい可能性を天秤にかけ、冷静に、より正しい判断を……最善を尽くしたつもりであった。だが、それは間違いであったと後になって、全てを失ってようやく気付いたのだ。
あの時、儂は何があっても足掻くべきだった。可能性は変えられる。運命は自らの手で変えられるのだ。とな」
「そんな……答えになってないじゃないですか……」
「そうかもしれぬ。儂は運命を手繰り寄せるのは可能性の一歩を踏み出す勇気である。そう考えている。
危地を知り、伸ばせる手を伸ばさずにいる事だけは出来ない。今行けば救える命があるやもしれぬのなら行くべきだ。理想を口にした以上、儂が行かない選択はあり得ない。何年、何十年、何百年とかかろうがやり遂げる。それだけのことだ」
「……それだけって」
「無論、勇気と無謀は違うとも。その程度の分別はあるつもりだ。
あまり気に病むな。お前達にはお前達の守るべき現実があったというだけの事。お前達は何も間違ってなどいない。
生きていたらまた会おう。さらばだ」
同志達の元を一人離れたロズヴィックは隠れ里へ向かって懸命に馬を走らせた。
(何をやっているのだ……苦楽を共にした同志達と別れてまで儂は確かめたいと思っている)
既に間に合わないであろう事は同志達とのやり取りでも痛感している。
ロズヴィックの脳裏には今、ルーファスと名乗った男の姿が見えていた。
一心不乱に鍬を振り下ろす姿からは何も特別なものを感じなかった。
だが、不思議な魅力を感じた。
竜人として生を受けて約千年。
様々な人間を見て来たロズヴィックでさえ推し測れない違和感。
その理由がどうしても知りたい。
「チッ!馬ではこれより先へは進めぬか!」
魔物の襲撃は予想していたよりも規模が大きいようだ。
巨大な力によって周囲の巨木が薙ぎ倒されていて道が塞がれてしまっている。
一歩近付くごとに血の臭いと魔物の唸り声が増していき、一歩近付くごとに強烈な殺意がいくつも伝わって来る。
そしてーーー
一際大きな魔物の咆哮が聞こえた直後、何か金属の様な甲高い音がして大地が揺れた。
(この気配、まだ誰かが戦っている!生存者がいるというのか!?)
隠れ里の入り口を示す監視地点で連絡役の死体を発見した後、足を踏み入れたロズヴィックの眼前に信じられない光景が飛び込んで来た。
魔物混じり達の隠れ里は何処もかしこも破壊し尽くされていて、辺りには人間か魔物の物かすら区別の付かない肉片が散らばって血の海と化していた。
目の覆いたくなる様な惨状の中、瓦礫をよじ登って先へと進む。
(……いた!ルーファス、生きていたか!)
今にも崩れそうな家屋の前で立ち塞がる血塗れの男が一人と、周囲を取り囲む魔物の群れを発見した。
だがロズヴィックは剣を抜いて背後から斬りかかろうとして動きを止めた。
中程から折れた剣を持ってダラリと腕を垂らすように構えたルーファスの鬼気迫る形相は正に鬼神。
全身無事な箇所など無いであろう満身創痍の酷い有様だ。にも関わらず、目は生気を失うどころか激しく燃える炎のような熱を帯ており、細い糸を極限まで張り巡らせた殺気は凍てつく極寒の冷気のようであった。
(なんという男だ……)
ロズヴィックは不覚にもそんなルーファスの姿に魅入られてしまった。
見ているだけで喉が焼けてひり付くような緊張感。
それと同時にロズヴィックの内から沸き起こる闘いへの高揚感。
ルーファスの目を見ていると不可思議な感情が溢れ出して理性を保っているのが馬鹿馬鹿しくなって来る。
闘争本能のままに剣を振るいたくなる衝動に身を委ねてみたい。
ただ目の前の魔物を斬り伏せたいだけの欲求ばかりが次第に大きくなっていく。
(震えている?この儂が?ルーファスの放つ気配に当てられて昂っているというのか?!)
こんなにも純粋な闘争の衝動に駆られたのはいつ以来だろうか。
今なら何も考えずに目の前の敵を全て屠ってしまえそうな気さえする。
ルーファスを取り囲んでいる魔物達も迂闊に手を出せないらしく、威嚇と攻撃を交互に繰り返すばかりだ。
ーーー今ならやれる。
そう思って魔物の群れへ向かって一歩踏み出した時、ロズヴィックの背後から風切り音がして陽の光を遮る程の大量の矢が一斉に矢が放たれた。
矢は尽きることの無いように雨の如く降り注ぎ、魔物の硬い外皮を貫いて血で染めて行く。
(まさか……!)
続いて勇ましい掛け声を合図に剣と盾を持った戦士の一団が雄叫びを上げながら突撃して行った。
その誰の横顔にも見覚えがある。
「ロズヴィック殿に近付けさせるな!我等の理想を絶やしてはならん!!!」
驚いて振り返ったロズヴィックとすれ違うようにして突撃して行ったのは、死ぬのが怖いと素直な気持ちを口にして憚らなかった男だった。
唇は青く、剣を掲げる手には震えがある。きっと今でも恐怖で身体が怯えているのだろう。なのに彼は自分自身を奮い立たせるように雄叫びを上げて必死に闘い始めた。
「これは一体……どうして皆が……」
「貴方の存在こそが我等の理想だと気付いたからですよ」
「こんな所で貴方を死なせはしませんよ!」
駆け寄って来たまだ若い同志は、恐怖を堪えて無理矢理に作った笑顔でそう言うと、やはり皆と同じく魔物の群れ目掛けて突撃して行った。
なんと儚げで、それでいて逞しい背中であることか。
「ふふ、ふふふ……ははははは……!やってくれるではないか!お前達!」
いつしか獰猛な笑みを浮かべて同志達の背中を見つめていたロズヴィックは、力強く剣を握り直してから大きく息を吸い込んだ。
自分の掲げた理想に同調してくれた彼等に勝手な期待を寄せて、勝手に失望した自分の愚かさが情けない。
本当の意味で道標として先頭に立つ覚悟が足りていなかった。
友に歩くと決めたなら、足の早い者、遅れる者、立ち止まる者、それら全てを拾い上げ、手を差し伸べ同じ位置に至らせる覚悟を持つべきだと。
それなくしてどうして同じ景色が見えるだろうか。
千年近く生きた自分がたかだか数十年生きただけの人間に教えられるとは、これだから人間という種族は面白い。
彼等はどんな苦境にあっても立ち上がる。
どんなに遅々とした歩みであっても、どんなに時間がかかっても、また歩き出す強さを持っている。
「一匹たりとも逃すなッ!!!魔物共を殲滅せよ!勝つのは我等だッ!!!」
「「「おおおおおおーーーーッ!!!」」」
強大な力を持った魔物すら萎縮させる勢いで放たれたロズヴィックの檄は戦場の空気を一変させるのに充分であった。
『絶対王権』
竜人族の中でロズヴィックだけが持つこの異能は、ロズヴィックに従う意思を示した全ての者を支配下に置く。
恐怖心を振り払い、強制的に意思の同調を可能にする力だ。
非常に使い所の難しい能力で、他者を支配し、虐げることとは真逆の理想を掲げるロズヴィックにとって無用の力であり、能力の使用を自ら封じていた。
同志達の意志が真の意味で一つになった今、必要なのは絶対の勝利。
であれば、禁を破ってでも使うべきだ。
数では同等、強さでは天と地程の開きがある。
しかし、結果はどうだ。
完璧に統制された同志達の神がかり的な連携によって魔物は少しずつ数を減らし始めた。
「ルーファス!」
一直線に駆け出したロズヴィックは竜人の身体能力の高さを活かして強引に群れの中へ突っ込み、懸命に応戦するルーファスと背中合わせになる位置に構えた。
「あんたは……」
「驚いた。そんな状態でまだ意識がはっきりしておるとは、なかなか大した男だ」
「……」
「何故逃げなかった?」
「……」
「まあいい。では次の質問だ」
魔物を倒す間、ロズヴィックは喋るのを止めなかった。
切迫した状況であるにも関わらず、謎の多いルーファスへの興味が尽きなかったからだ。
「ーーーやはりな」
「……?」
「お前、人間ではないな?それだけの力があれば魔物の群れからでも逃げられただろう。もう一度聞くが、何故逃げなかったのだ?」
しばらく戦いながらルーファスの様子を観察していて直ぐにルーファスが人間では無いと気付いた。
正確には身体は人間だ。問題は肝心の中身が違うという事。
ルーファスは明らかに戦い慣れている上、反応速度は竜人であるロズヴィックに引けを取らない。
なのに剣を振るタイミング、魔物の攻撃を避ける動作の節々に違和感がある。
反応速度が異様に速い割に攻撃を避けきれない場面があるのだ。
意思と体がバラバラであるような、そんな違和感だ。
「それは……」
「まあ、それも何となくだが察しがついておるのだがな。お前の魂の器として人間の身体は脆弱過ぎる。故に思うように動けないのだ」
「どうしてそんな事が分かる?お前が竜人だからか?」
「(ほう……)」
「答えたくないなら別にいい……」
やはり面白い男だ。
人間界、所謂下界に降りてからのロズヴィックは見た目を完全な人間に擬態している。
それを可能にした魔法は人間には到底理解不能な神聖魔法であり、相手の魂を直接知覚出来る神族か魔族でない限り、正体を見抜く事は出来ない。
ルーファスが竜人だと言い当てたのは単なる偶然では無く、前世の能力を引き継いでいるからだ。
そして、ルーファスがこの場を離れない理由は、おそらく背後にある扉の向こう側にある。
扉の中には弱々しい気配がいくつかと、血の臭いがする。
住民を守りながら思うように動かない身体を引き摺って戦う変わり者。
興味を抱くなという方が無理がある。
「儂が推察するに、お前は魂の記憶をそのままに輪廻の輪を潜って転生を果たした者だ。大方、前世は神族か魔族か……故に人間の身体では感覚が追い付いておらぬのだ。違うか?」
ルーファスは一瞬だけ驚いたように視線を向けて来た。
何も言わないのは肯定の意味だろうか?
「儂が描く理想には、お前のような男が必要だ。無理も無茶も承知で弱者を守ろうと足掻くお前が。ルーファスよ、儂に力を貸してはくれぬか?儂はこの世界にある種族の壁を壊したいのだ」
「こんな時に正気か?しかもその発言は魔物混じり達も含む事になるんだぞ」
「当然だ。魔物か人間か。少なくとも人間でありたいと願っているなら迎え入れる。例外は無い!」
ロズヴィックはそう言い切って最後に残った魔物の首を刎ねた。
同志達の歓声が上がり、直ちにルーファスが守り抜いた住人の治療と周辺の捜索が始まった。
「本気でそんな世界が創れると考えているのか?彼等は弱者かもしれないが、同情されたい訳じゃない。当たり前の平穏な生活がしたいだけだ。強者として生まれたお前にそんな事が出来るというのか?」
「出来るか否か。では無い。やるのだ。どんなに無謀な事だとしても、成そうとしなければ何も始まらん。
とは言え、長大な寿命を持つ竜人の儂が言ったのでは信用出来ぬのも仕方がない。
故にーーー」
「待て!何をする気だ?!」
「これが儂の覚悟である。皆もしかと見よ」
ロズヴィックは魔物の死体から魔核を取り出すと、口を大きく開けて無造作に放りこんだ。
「ぐぅッ……!!!酷い味じゃのぅ……」
変化は直ぐに現れた。
全身に浮かび上がる太い血管。
血の混じった嘔吐を繰り返し、喉を掻きむしる手の爪も剥がれ落ちた。
皮膚が裂け、目から血の涙が流れてもロズヴィックは呻き声の一つもあげなかった。
「ロズヴィック殿……!ロズヴィック殿!」
「なんという事を……!」
「誰か回復薬を!薬草でも何でもいい!早くロズヴィック殿に!」
同志達は一様に顔を青褪めさせて取り乱し、ルーファスは万が一に備えて剣を握り直した。
魔核を喰うなど気がどうかしている。
人間なら即死。魔族ならば生き残れるかもしれないが、ロズヴィックは竜人だ。
神族と同じ聖の魔力を持つ竜人が魔核を取り込めば、聖と魔の魔力が激しい反発を引き起こすのは間違いない。
良くて廃人。最悪の場合は竜化して暴走もあり得る。
どのくらい時間が経っただろう。
咳き込みながら起き上がったロズヴィックは口元を拭いながらゆっくり立ち上がり、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべて見せた。
「馬鹿な……」
どうやらルーファスが懸念していた事態にはならなかったようだ。
しかし、ロズヴィックの金色の目は魔物混じりと同じ赤い目へと変わり、眩しいくらいに輝いていた魂には黒い霧のようなもやがかかっていた。
「これで儂も魔物混じりだ。今の儂の言葉であれば魔物混じり達の心にも届くであろう?」
「……ッ!!!」
魔物の力を意思の力だけで抑え込む。
気を抜けば立ち所に魔物堕ちしてしまいそうだ。
後悔はしていない。
このくらいの枷を負う覚悟を持たねば描いた理想は本当に夢物語で終わるだろう。
「儂に力を貸せ。お前一人では出来ぬ事も、儂らだけでは成せぬ事も、共に歩めば叶う日も近かろう」
「無茶をする奴だ」
「お前も、な」
「良いだろう……。その理想とやら、俺が見届けてやる」
ーーーーーーーーー
ーーーーーー
ーーー
(柄にも無く随分昔の事を思い出してしまったな)
後に帝国を築く際にルーファスを右腕としたのは、ロズヴィックの直感からだった。
ルーファスは人間でありながら老いることの無い身体と魔物混じり以上の力を持っていた。
天界、魔界、妖精界、精霊界、人間界の全ての事情に詳しく、ロズヴィックが欲する情報を見て来たかのように話してみせた。
一体何者なのかと疑念や興味を抱くよりも共に歩む者としてルーファスは最高の同志だ。
無理も無茶も無謀も、ルーファスはそれが当たり前の様に打ち砕く覚悟を持っている。
「勘の良い奴め……まったく、本当によく似ておるわ」
ロズヴィックはこちらの意図に気付いたらしいレイヴンの無愛想な顔を見て獰猛な笑みを返した。