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第十話 願いに寄り添う狂気

 

 それは魂に直接響く悲し気な声だった。

 何処までも果てしない闇の中、月の無い空に無数に輝いて見える星のような煌きは直ぐ様闇に呑まれて消えた。

 そして今度は消えたり輝くのを繰り返し始めた。

 その様子は不思議とどこか人間的で、戸惑いながら瞬きをして何かを確かめているかのようにも見える。

 強く弱く。不規則に点滅する無数の煌めきは、歓喜と絶望が混同した感情の整理が付かない心境を素直に現しているのではないだろうか。


 根拠なんて無い。

 ただ漠然とそんな気がするのだ。


「これは……この感覚には覚えがある。だが、一体何故?」


 レイヴンはこの闇の中にあって見え隠れする不安定で不規則な煌めきが、声の主の感情である事を悟ると、封印を破ろうとして込めていた力を抜いた。


 暗闇に慣れた人間は、ほんの微かな光であっても眩しくて目を閉じて背を向けてしまう。

 レイヴン自身も昔はそうだった。

 ずっと求めて待ち焦がれていた筈なのに、目を開けたら光はもう何処かへ行ってしまっているかもしれないという不安と恐怖。

 そんなことは無いと頭では分かっているのに、心も身体も失う恐怖に縛られたまま焦燥感だけが膨れ上がって、どうしたらいいのか分からなくて動けなくなるのだ。


 この周囲を満たす暗闇も同じだ。

 暗闇の更に奥、最も深いところが孤独で満たされているのが分かる。



『やっと、やっと見つけた。迎えに来たよ。さあ、手を伸ばして。一緒に行こう』


 暗闇の中から覗くソレは、無数の手を自在に操ってレイヴンの周囲に僅かな空間を作ると、小さくて白い手を差し出した。


『さあ……』


 その手は周囲の暗闇とは正反対にどこまでも白く、宝石のような艶やかさは輝いて見えた。

 だが次の瞬間にレイヴンは強烈に鼻をつく不快感に吐き気を覚えた。


 まるでつい今し方まで血の池に浸かっていたかのような濃密で強烈な異臭。

 ほんの少し甘いような腐った果実に似た血の臭いと酷い死臭だ。


 ダンジョンという狭い空間でやむを得ず大量の魔物を相手にしなければならなかった時でさえも、ここまでの死臭は経験した覚えが無い。

 一体どれだけの命を奪えばこれ程の事になるというのか。万を超える魔物を屠って来たレイヴンにも見当が付かなかった。


(酷い臭いだ。体は動かせるようになったのは良いが、これでは……)


 魔剣を振り抜くにはまだ狭いものの先程よりは随分力を込め易くなっている。これであれば自力で封印を破って外へ出る事も何とか出来そうだ。

 しかし、レイヴンは直ぐには実行に移さなかった。


 あらゆる不安と恐怖を彷彿とさせる暗闇に包まれていながら、微かに感じる温かさ。

 小さな手に染み付いた強烈な死の臭い。


 けれどもその手そのものに穢れは無い。

 純真で無垢な子供の手だ。


 何処からともなく現れた暗闇と無数の手もそうだ。レイヴンの動きを封じ込めたが、悪意を全く感じなかった。

 それどころか、力を込め過ぎないように、傷付け無いように、逃がさないように。外敵から遠ざけようとしているようにさえ感じる。


「教えてくれ。お前は生きたいのか?」


 死んでいるのか生きているのかも不明。

 死んだように生きているとも、生きながら死んでいるとも受け取れる存在を前に、レイヴンは自然と疑問を口にしていた。


 普通に考えれば目の前にいる闇はレイヴンの敵だ。大切な仲間達に危害が及ぶ前に対処すべき存在。耳を貸すまでもなく魔剣ミストルテインの魔を喰らう力を使って消滅させてしまうのが最も賢い判断だろう。

 しかし、レイヴンは闇が抱える矛盾が他人事には感じなかった。自分を迎えに来たその訳をどうしても知りたくなってしまった。


 声の主は小さく“分からない。でも……そうなのかもしれない” と呟いて見えない視線を暗闇に泳がせた。


 レイヴンには顔が見えた訳ではなかったが、困惑したような気配が何故か懐かしく感じられた。

 もう一度理由を聞こうとしたが、その前に声の主が再びレイヴンに向かって話しかけて来た。


『僕は……私は、ずっと探してた。ずっとずっとずっとずっとずっと、ずっと。何度も諦めそうになったけれど、貴方は私にとって唯一の光だったから諦めずにここまで来られた。私に残された唯一の希望。多分それが私の最初の願いだったから……』


「最初の?だが、俺はお前を知らない。それは本当に“俺” なのか?」


『間違いない。この世界に繋がった時、貴方が私の大切な人だと直ぐに分かった。貴方なら本当の私の願いを叶えてくれる。私は貴方が欲しい。私の手をとって……さあ、早く』


「……そうか。お前は俺にその手を掴めと言いたいのか。それがお前のーーー」


 それがお前の本当の願いなら、力になれるかもしれない。

 そう言い終わる前に今度は黙って聞いていたミストルテインが声を荒げた。


 ーーー主殿!ソレの言葉に耳を貸すな!ソレは人では無い。人に似た何かだ。無限に近い命を喰らった存在。これは憶測だが残留思念の塊に近いだろう。だから意思があるように感じるのもまやかしに過ぎない。もう一度言う。ソレは人では無いのだ!耳を貸すな!戻って来られなくなる!


 普段は淡々としているミストルテインらしく無い必死の訴えだった。

 ミストルテインの様子に僅かに口元に笑みを浮かべながらも、暗闇の先を見つめたまま言った。


「かもな。だがミストルテイン。俺の目的地はきっとこの先にある気がしないか?」


 ーーーは?


 ミストルテインに表情があったなら、さぞかし間抜けな顔をしていた事だろう。

 レイヴンが言ったことが理解出来ずに一瞬思考が停止して耳を疑った。


「ミストルテイン。俺はこの声に応えてやらないといけないんじゃないか。上手く言えないが、多分それが正しい……と思う」


 ーーーよしてくれ主殿。自分が何を言っているか分かっているのか?外ではまだクレア達が戦っているのだぞ?ミーシャを守ってやると約束したのではなかったのか?三流喜劇の主人公だってもう少しマシな事を言うぞ。


 レイヴンと深い繋がりを持つミストルテインには、今レイヴンが何をしようとしているのか手に取るように分かるが故に語気を強めた。

 だが、肝心のレイヴンは封印を破るのを止めてしまって、聞く耳を持とうとはしなかった。


「それは何とかする。奴等の企みに乗ってやるようで癪だが、この声の主に直接会ってみたくなった。きっと手紙にも関係している。そんな気がしてならないんだ」


 ーーーふざけるな。馬鹿な事を言うのはリヴェリアの講習中だけにしてくれ。


 空間魔法や封印魔法が如何に強力な魔法であろうとも、原理を解析して脱出するくらいやってみせる自信がある。

 しかし、この空間の裂け目から迫り出した黒い影が繋がっている先は虚空。塵一つ存在しない虚無の領域だ。

 ガブリエルとフォルネウス、そしてマクスヴェルトの言動から察するに、穴の先はおそらくこの世界とは全く違う次元へと繋がっていると思われる。が、その確証はまだ無い。

 天界と魔界以外の異界の存在証明はマクスヴェルトの存在によって証明されてはいるものの、自由に望んだ世界へ行く方法は分かっていない。


 穴の奥から漏れ出す魔力は、これまでにレイヴンが出会った誰よりも質も量も桁違いに強大だ。

 これに取り込まれてしまったら最後。レイヴンがいかに規格外で出鱈目な存在だろうとも抗う術は皆無。世界の理にすら干渉出来る願いの力も、願う対象の真実の言葉と魂が無ければ作用しない。

 であれば、この場は一旦退いてでも今直ぐに穴を塞ぐべく行動を起こすべきだ。


 ーーーやはり考え直せ。どうしてそう直ぐに自分を犠牲にしようとするんだ。あの男が、ロズヴィックが言った事を忘れたか?願いの力は歴史そのものは変えられないのだ。今ある現実を受け入れろ。これ以上は本当に人の領分を逸脱している。主殿は普通の人間でありたかったのではないのか?


 自由意思の薄かった魔神喰いであったなら大人しく従っただろう。しかし、今は意思を持つ魔剣、聖魔剣ミストルテインとして在るのだ。

 主が死地に飛び込もうとしているのを黙って見ている訳にはいかない。


「それは……そうなんだがな」


 レイヴンもまたミストルテインが何を考えているのか、本当はどうすればいいと思っているのか何となくだが察しがついていた。


 暗闇を歩き続ける者にとって、足元を照らしてくれる光は、たとえそれがどんなに弱々しい光であろうとも大きな希望を抱かせてくれる。伸ばした手を掴んでくれる存在の温かさと有り難さも身に染みて分かっている。


(本当に何も見えない。だが分かる。確実にそこにいる)


 成る程暗闇の先は何も無いようでいて何処かへ繋がっているらしき気配の流れを感じる。

 まだ付き合いは短くても、厚い信頼を置くミストルテインがそのように言うからには本当にどうにもならない可能性が高いのだろう。

 口振りからすると闇の正体に目星がついているようだ。であるならば、危険であろうとも迷う必要は無い。

 相手は圧倒的な孤独が生み出した歪んだ闇。

 それは自ら放つ光以外には輝く術を持たない存在。

 かつての自分自身と同じだ。


(俺は俺に出来る事をする)


 同情、或いは共感というやつだろうか。

 これ程の絶望感と孤独に満たされた存在が願いを口にした時点で、救いの道筋はまだあると確信出来た。

 無数の手はきっと助けを求めて足掻いた強い気持ちの現れに違いない。本当の手はきっとこの中にある。あとはその手を掴んでやれる存在が居ればいい。そう思えたのだ。


「悪いな。今度は俺の番なんだ。救いを求めて手を伸ばしたなら、俺が掴んでやる。光のある場所へ連れて行く。その後の事は……まあ何とかするさ」


 ーーー何ともならないから言っているのが分からないのか!例え出来たとしてもだ、そんなものは偶然以下、万に一つ、億に一つあるかないかの正真正銘の奇跡だ。闇を払ったところで、この世界に無事に戻って来られる保証など無いのだぞ?それに残された者達はどうなる?!いいから早まるな。もう少しで封印の解析も終わる。悪い事は言わないからそれからでもーーー


「もう決めた事だ。それに、お前だって本当は俺の考えている事が満更でもないと思っているんじゃないか?」


 ーーー……ッ。


 ミストルテインは今度こそ言葉を失った。

 レイヴンの考えはあまりに無謀で、生きて帰れる保証も無い虚空へと足を踏み入れるなどとても容認出来るものでは無い。

 なのにレイヴンからは得体の知れない自信だけが伝わって来る。

 こんなものは優しさでも無ければ、ましてや手紙やペンダントへの興味本位でも無い。


 不条理すら退ける最強の存在であるレイヴンの持つ最大の欠点。

 自己保身を一切考えていない他者の救済。

 これは、狂気だ。


 妖精王アルフレッドが言ったように、願いの力を持つ者は自分の為に生きるという生物としてあまりにも根源的な部分が欠如している。

 だからこそ願いの力などという人の身に余る力を扱える訳だが、それにしてもこんな事は馬鹿げている。

 最初こそ遅れをとりはしたが、封印を破り体勢を立て直しさえすれば、相手が誰であろうとも状況をひっくり返す事が出来る。

 天使と悪魔を退け、それからロズヴィックや竜人と話し合い他の方法を検討することや、場合によってはリヴェリア達の力を借りることも出来るだろう。

 万全の状態で事に当たるのが最善であり最低条件だ。

 だが、今それをレイヴンに言ったところで聞く耳を持つとは思えない。


「生きようとする意思は何よりも強い。何者であろうとも生きようと足掻くなら俺が手を貸す理由には十分だ」


 ミストルテインにはそれ以上レイヴンの考えを改めさせる言葉が見つからなかった。

 生きる為に必要な繋がりや絆は数多くあるが、それはそうありたいと努力した過程や結果に対して生じるものだ。

 人に教えられる事はあっても、与えられるものではないという考えは理解出来るが、今はそんな場合では無い。



 ミストルテインは大きく溜め息を吐く代わりにレイヴンへの不満をぶちまけ始めた。


 ーーーその言い方はずるいぞ。どうして主殿はそうもお人好しなのだ。

 願ったから異界へ行く?戻って来られるかも、相手が誰かも分からないのにか?

 それなのにこの世界にいる皆を残して、約束を破ってまで行くだと?

 これまでにも似たような事があったが、今回のは本当にどうかしているぞ。

 確かロズヴィックはこうも言っていたな。人一人に出来る事などたかが知れている、と。私も同意見だ。そして私からはこの言葉を改めて送ろう。

 “どんな力があっても、どんなに願っても、どうにもならない現実はある”

 主殿が自分で言った言葉だ。まさか忘れた訳ではあるまい。力を貸してやろうというのを止めろと言っているのでは無い。今更主殿に自分を大切にしろというのが無駄な事も理解した。私はもっと共に歩む者達の事を考えろと言っている。


「……」


 ーーー主殿は底抜けの馬鹿だ。狂っているとしか思えない。主殿がやろうとしているのは狂人の戯言だ。それに付け加えて馬鹿さ加減はランスロット以上だ。間違い無い。今改めて確信した!

 大体何でそんなに自信満々な顔をしているんだ。その目は詳細も分からない異界から本気で戻って来られると思っている馬鹿の目だ。

 願いの力が通用する保証も無い。

 穴の先は未知。主殿以上の強者の存在だって否定出来ない。何があってもおかしくないんだぞ。

 ……もう主殿は一人では無いのだ。

 私はあの三人が笑っている姿を見ているのが好きだ。他愛のない話を聞いているだけで私はいつだって退屈しないし、くだらない言い争いに必死になって、その後ぎこちなくしている姿を見ているのも興味深くて面白い。

 リアーナ殿やあの二人が泣く姿を見たくないぞ……。


「俺もだ」


 ーーーだったら……


「それ以上言わないでくれ。俺だってそこまで馬鹿じゃない。全部分かっていて言っているんだ。俺は自分なら出来るのに手を掴まないだなんて選択はしたくないんだ。もし掴まなかったら俺は俺でなくなってしまう。それでは駄目だ」


 レイヴンが手に入れた光はいつだって眩しい太陽のように輝いている。

 共に歩む存在がいる心強さを知った今、全てを投げ出してまで死地へ赴く事がどれだけ光を陰らせるかよく分かっているつもりだ。

 光が強ければ強い程、影に潜む闇はより深くなる。それらを全て救う事は出来ないし、気の利いた言葉をかけてやれる程器用でも無い事を自覚している。

 だとしてもだ。せめて手の届く限り力を貸してやりたいのだ。

 普通の生活をしていても、人の領域を逸脱した力を持っている事に変わりない。

 ならどうすれば良い?

 そんな自分が出来る事はかつて自分がそうしてもらったように手を差し延べることだ。

 手の届く範囲で自分に出来る事を精一杯にする。届かないなら届かせる。どんな無茶だろうがやってみせる。

 そういう生き方を選んだのだ。

 でなければまたエリスの時のような悲劇が起きてしまう。

 それだけは絶対に駄目だ。あの日の誓いを違えない為にも、これから先も仲間達と共に生きて行く為にも、そして自分が自分である為に足掻き続ける。


 ーーー教えてくれ。名前も顔も知らない人間の為にどうしてそんな決断が出来るんだ。

 大切な人を残してまで命をかける理由はなんだ。


「言っただろ。俺にしか出来ない事だと思っているからだ。今度は俺が手を掴む。理由はそれだけだ」


 そう言って柄を握ったレイヴンの顔を見たミストルテインは懐かしさに思わずハッとした。

 ミストルテインがまだ聖剣と魔剣であった頃に見た顔。今でも朧げに覚えているアイザックとシェリルが初めてそれぞれの剣を手にした時に見せた顔だ。


 ーーー(そうだった。主殿はあの二人の……)


 不可能を前にしても目には一点の曇りも無く、夢見がちな甘い理想を口にすることも憚らない。

 大言壮語だと誰もが嘲笑う中、真っ直ぐ目標を見据える姿はとても楽し気で、凛とした眼差しは希望の光で満ちて輝いていた。

 柄を握る手から伝わってくる焦がれるような情熱。無理も無茶も無謀も、全てを超えて行こうとする頼もしさに心の底から力になりたいと思ったものだ。

 けれども、それは裏を返せば狂気を孕んだ危険な道だ。

 二人の血を引くレイヴンは特にそうだ。手に入れた光が強く輝くことで、レイヴンの立っている場所がはっきりと分かるようになった。

 光ある世界に憧れながら、光と闇の境界線上を歩いている。


 ーーーハァ……。分かった。好きにするといい。


「良いのか?」


 ーーー何を今更驚いた顔をしている。ああ、良いさ。馬鹿は死んでも治らないと言うしな。そして、私も馬鹿だったということだ。


「すまん」


 ーーー謝罪など不要だ。悪いと思うなら生きて戻る事だ。私は主殿が可能性はゼロでは無いと感じたのなら、それもアリかと思っただけだ。

 タイミングは主殿に任せる。その代わり、あの中に入ったら私の力は暫く使えないと思っておけ。あの穴の先がどうなっているかはっきりとした事が分からない以上、私は主殿の身の安全を最優先する。これは絶対だ。


「分かった。それで良い」


 レイヴンは、差し出された白い手を掴まず、ミストルテインを抜いて魔力を込めた。

 高鳴る心臓の鼓動と迸る赤い魔力の雷は暗闇に溶ける事なく広がっていき、やがて周囲の暗闇すらも飲み込んで真っ赤に染め替えた。


『何をする気?そんな事をしても無駄だよ。私は貴方を逃がさない。絶対に』


「逃げる?俺は救いを求める何者からも逃げたりしない。お前の事は俺がどうにかしてやる。だが、その前に俺は俺の約束を果たす」


 レイヴンはありったけの魔力を込めると、暗闇に向かって相棒の名前を高らかに叫んだ。


「さあ、やるぞ。無限の闇をも喰らい尽くして力を示せ!ミストルテイン!!!」


 ーーードクンッ!





 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 ガブリエルとフォルネウスはそれぞれ腹心の部下を率いてマクスヴェルトへ直接攻撃を試みるが、いずれの攻撃もマクスヴェルトの周囲に出現した黒い影によって阻まれてしまって攻めあぐねていた。

 新たに召喚した配下達は、召喚された傍から圧倒的で一切の容赦の無い攻撃に瞬く間に数を減らしていくばかりで時間稼ぎにもなっていない。


「おのれ……小癪な魔法使いめ!」


「かってぇなあ!人間の魔法使いごときが何でそんな力を持ってんだ?テメェ一体何をしやがった?!」


 レイヴンという切り札の動きを封じて圧倒的に有利な状況にあるにも関わらず、事前の調査には無かった高い戦闘力を見せるマクスヴェルトを前に、二人は憤りを隠せないでいた。


「何したって?別に。僕は僕だし。今まで通りさ」


 そう言って薄ら笑みを浮かべながら作業のように魔法を放つ度にマクスヴェルトを覆う闇はより濃くなっていくばかりだ。


「チッ。……胸糞悪いが仕方ねえ。これ以上手駒を減らされてたまるか。おい、ガブリエル。俺は兵を下がらせるぜ」


「お待ちなさい」


「あん?」


「手駒の補充など後でいくらでも出来ます。それよりも全軍を使ってマクスヴェルトの力をを消耗させるのです」


 得体の知れない闇の気配への恐怖に駆られて軍団を呼び出してしまったのは悪手だったが、ガブリエルはここでマクスヴェルトの力を消耗させておいた方が良さそうだと考えた。


「正気かよ。既に二割近く兵力を失ってるんだ。このまま軍団を失えば小言じゃ済まなくなるぜ?」


「構いません。軍団を失おうとも敗北の烙印を押されるよりマシです」


 フォルネウスはガブリエルが本来の力を行使することも吝かではないという決意の視線をしているのを見て考えを改めることにした。

 どうやら神族にも矜持というヤツがあるらしい。


 フォルネウスは一度冷静に考える。

 無様にもマクスヴェルトの豹変に面食らった形になってしまったのは事実だ。次第に濃くなる闇と異界から呼び出した闇からは同質の気配を感じる。何故マクスヴェルトから同じ気配がするのかは不明だが、放っておけば目的遂行の障害にもなり得るだろう。


(たかが人間にしては大した力だ。過去の大戦では力を隠してやがったな)


 いくらマクスヴェルトが予想を超えた力を発揮しようとも、人間の魔法使いである事には変わりない。魔人レイヴンのように人の領域を遥かに逸脱した化け物が相手ならまだしも、人間の範疇であるなら対処可能との判断だ。

 但し、その為には奥の手である真の姿を晒す必要がある。


 たかだか人間一人を倒す為にそこまでしなければならない状況である事は、世界の管理者の中でも数少ない特権と地位を与えられた大悪魔であるフォルネウスにとって屈辱であった。だが、それ以上に敗北は到底許すことの出来ない万死に値する耐え難い屈辱だ。


(敗者の汚名は避けたいところなんだがな……。しかし、これはなかなかどうして……)


 フォルネウスは緩んだ口元から溢れる涎を拭い上げると、マクスヴェルトを観察するように視線を動かして鼻を鳴らした。


 マクスヴェルトの魂は先程大規模魔法を放とうとしていた時から異様な輝きを見せている。

 人間特有の生への執着心とも違う眩い光。

 闇に覆われて虚な目をしていながらも強く輝く魂に興味がある。


(あの闇は気に食わないな。しかし、悪くない。極上の魂だ)


 実のところ、悪魔であるフォルネウスにとって、魂の価値は勝敗以上に非常に重要なものだ。

 生きようと必死に足掻き、強い意志と希望に満ちた魂を思うままに蹂躙することは、フォルネウスが戦闘を楽しむ上で至上の喜びであり、腕利きの料理人が伝説級の食材を用いて作った至高の食事よりも甘美な魅力がある。


(上の連中が魔人レイヴンをどうしようと大した興味は無い。寧ろ災いの火種を残しておく方が思う存分に人間の魂を喰らう機会が増えるだろうに……世界の均衡がそんなに大事かねぇ……)


 一度引き受けたからには目的遂行も重要だ。悪魔である自分が例え命令であったとしても約束を破る真似はしない。しかし、これ程の輝きを放つ魂ならば、たとえ真の姿を晒してでも手に入れたい。

 自ら約束を反故にすることは出来ないが、状況がそれを許すのであれば都合が良い。


 ガブリエルの提案はフォルネウスにとって正に渡に船といった提案だった。



「まあ確かに、その方が後々楽だわな」


「理解して頂けたようですね。不本意ですが、マクスヴェルトを只の魔法使いだと侮っていた事は認めましょう。しかし、我々に敗北はあってはならない。ここからは本気でやりますよ」


「本気なんて数百年ぶりだな。魔王の奴と戦って以来だ」


 更なる力の解放をした天使ガブリエルと悪魔フォルネウスはマクスヴェルトを圧倒する勢いで強引に攻め立て始めた。

 配下の兵を盾に使い捨てながらマクスヴェルトの張った魔法障壁を力強くで破壊しようとしている。


「マクスヴェルトさん!」


「こっちはいいから竜人達の警戒を!」


「で、でも!」


「いいから!」


 加勢に行きたいクレアであったが、大規模魔法を待機させたままのルナは動く事が出来ず、竜人達の砲撃をいつまでもミーシャ一人に任せてはおけない状況となってしまい、思うように動けないでいた。


「くるっぽ!くるっぽ!」


「わ、分かってますよ!だけど、マクスヴェルトさんがあんな……」


 マクスヴェルトがフルレイドランクの魔物を単騎で討伐可能なレイヴン、リヴェリアの二人と唯一肩を並べる魔法使いであることは中央で暮らす者にとって周知の事実であり、レイヴンがマクスヴェルトの事をリヴェリアと同等に扱っている事からも、最強の一角を担う確かな実力者であると誰もが納得していた。

 けれども、クレア達が知る限りではマクスヴェルトが自ら強大な敵を討伐するなどの目立った功績は無く、力の大半は世界を隔てていた壁の展開とレイヴンの攻撃を防ぐ盾としてあった。

 故に本当の実力を目にするのは今回が初めてだ。


「ミーシャちゃん、今は目の前のことに集中して。私も援護するから」


「でも……でも……マクスヴェルトさんが……」


 召喚された軍勢を相手に一歩も引かないマクスヴェルトの無謀な戦い方は常軌を逸していた。

 攻撃の一切を躱さずに全て魔法の障壁で防いだかと思うと、自ら相手の領域深くに飛び込んで周囲の敵を片っ端から肉塊へ変えている。

 しかし、ミアには本来の力を解放したガブリエルとフォルネウスを相手にしながらの戦いはさすがに厳しいように見えた。


「大丈夫。マクスヴェルトだって強いわ。何しろあのレイヴンが認めているんですもの。それに、レイヴンがこのまま黙っているだなんてあり得ないわ。きっとこの状況を何とかしてくれる筈よ」


 ミアはそう言って泣きそうな顔をしたミーシャを励ましたものの、内心は不安で仕方がなかった。


 いくらレイヴンでも世界から隔離された状態では、さすがにどうする事も出来ないのではないだろうか。

 何もかもが急激に変化する状況でリヴェリアに助けを求める時間も無い。

 解放の可能性があるとすればマクスヴェルトが組み上げた大規模魔法だけだが、ルナ一人に扱えるとも思えなかった。

 現にルナは膨大な量の術式を維持するのが精一杯で他の魔法を使う余裕が無いようだ。


(レイヴンの動きを封じられただけでこんな事になるなんて……)


 一人一人はこの世界でも他を抜きん出た力や才能を持っている。なのに、レイヴンがいないというだけでこうまで脆くなるとは思ってもみなかったのだ。


 天使ガブリエルと悪魔フォルネウスの力は強大だ。戦闘能力が高いとされる竜人族でも一部の者しか相手に出来ないだろう。だとしても、これまでミアが見て来たクレア達の実力であれば、勝ちきれないまでも五分の勝負が出来る筈。


(お爺ちゃんは頼れない。叔父様も動くつもりは無いようね。だったらまだ打つ手はあるわ。きっかけさえあればこの子達にも状況を覆せるだけの力がある!)


 不幸中の幸いというか、ダンはともかくロズヴィックが手出しして来ないのは有り難い。竜人族にも今以上の動きが無いのであればミアの力でも状況に変化をもたらすことが出来るかもしれない。

 後はレイヴンの魂に一番近いクレアとルナが本来の力を発揮出来るきっかけを作ってやればいい。


 ミアは腕輪をなぞるようにして慎重に魔力を流し始めた。


 リヴェリアと同じく初代竜王の血を引きながら他の竜人よりも戦闘能力で劣るミアが竜化現象を抑える為にダンが作った物だ。


 竜化を制御出来るだけの力も才能も無い。一度外せばまた人の姿に戻れる保証は無い。

 もしからしたら理性を失って、ただの獣となってしまうかもしれない。

 だとしても、こんな事になってしまった責任は自分が取る。そうでなければレイヴンにあわせる顔が無い。


(お爺ちゃんごめんなさい。禁を犯す愚かな私を許して。そしてリヴェリア……力を貸して!)


 力強い眼差しでマクスヴェルトのいる戦場を見つめたミアがいよいよ腕輪を外そうとしたその時だった。

 マクスヴェルトとミア達との間にある空間に亀裂が走り、中から巨大な何かが飛び出して来た。


「……愚かな子よ。抗う力を持たぬお前に何が出来る。レイヴンの排除は世界の意志だ。大人しく見ているがいい」


 静まり返る空に黄金竜の重々しい声が響いた。

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