第三話 複数の手紙
これまでの経験上、今のガレスのような表情をした者の口から平穏な話が聞けた試しがない。きっと今回も碌な話ではないのだろう。
レイヴンの元へ来る話は大抵の場合が厄介事。それも普通の人間には手に負えないような事ばかりだ。
しかしながら悪い事ばかりでは無かった。
どれも毎回面倒ではあるものの、それはそれで良い稼ぎになるし、魔物の数を減らしておくのにも丁度良かったからだ。
面倒も厄介ごとも御免だが、財布事情的には助かる。そんな感じだ。
けれども、今はそういう依頼は殆ど無い。
レイヴンから願いの力の譲渡を受けて生まれた聖魔剣。別名“魔剣ミストルテイン” の発動させた願いの力によって世界の理は変革され、地上に魔物が出て来る事は無くなった。
それ以後、ダンジョンの管理は各国の冒険者組合が完全に取り仕切っているので、レイヴンへその手の依頼が直接回ってくる事も少なくなったのだ。
それもこれも、マクスヴェルト主導で始まった冒険者育成学校とやらが上手く機能しているおかげだ。
魔法使いに限らず、セス達やキッドのような新米冒険者にも門戸を開いているので、将来有望な新米冒険者の成長も著しい。
加えて、カレンを筆頭にクレアやルナ、リヴェリアの部下達等、並の冒険者では対処が難しい魔物を優先的に討伐して被害が拡がらないようにしているのも大きいだろう。
今ではレイヴンやリヴェリアでなければな対処不可能な事案も滅多に起きないという訳だ。
だというのに、大陸で起こる事件をほぼ把握し、いざとなればリヴェリアの採択無しで冒険者組合へ冒険者派遣の命令を出せる立場にあるガレスが苦悶の表情を浮かべているこの状況は非常によろしくない。
これではガレスの裁量すら超える厄介事が起きていると言っているようなものだ。
もしかしたら魔剣ミストルテインの力が必要になる事態が起きているのかもしれない。
(出来れば使わずに済むと良いんだが……)
ーーー奇遇だな。私もそう願いたいものだ。主殿といると退屈しないが、どうにも魔剣使いが荒くて困る。少しは休ませて欲しいと思っていたところだ。
(……たっぷり一年休んでいただろ)
ーーーそうだったか?
(……)
今回はどんな厄介事かと構えていると、ガレスはレイヴンの予想とは違って見覚えのある一通の手紙を取り出した。
「これを見てくれぬか」
「手紙?」
手に取った紙の質感はレイヴンが受け取った物と同じ。中を確認すると手紙の内容も何も書かれていない白紙だった。
レイヴンの反応を見たガレスは確信を得たように頷いてから話を続けた。
「この手紙が儂のところへ届いたのは今から約一年前。丁度お前さんが目を覚ました頃じゃ」
「一年前?」
「そうじゃ」
一年もあれば既にリヴェリアが何かしらの対策を講じていてもおかしくない。
なのに、ガレスはレイヴンがこの場に来るまで何もしていないように感じられた。
果たしてそんな事があるのだろうか?
「ガレス。話を聞く前に一つ確認したい。もしかしてだが、他にもまだこれと同じ手紙があるのか?俺のところに届いた手紙も白紙だったんだ」
レイヴンが取り出した手紙とペンダントを見たガレスは明らか動揺した様子で目を見開いた。
「なんということじゃ……。だとすると、やはりまだ運命の輪廻は続いておるのか……」
「どういう事だ?」
「それを説明する前に先ずはこれを見て欲しい」
ガレスが魔法を発動させると、古びた小さな箱を召喚した。
「レイヴンよ、お主が魔物堕ちする未来を回避する為にリヴェリア様とマクスヴェルトが何度世界の時間を巻き戻したか知っているか?」
「ああ、大凡の事なら聞いている」
大雑把だが、確かこんな話だった。
神の眷属であるシェリルと魔物の王にして悪魔である魔王アイザック。決して交わるはずの無い種族である二人の間に授けられた小さな命を巡って世界は歴史上類を見ない緊迫した事態となった。
リヴェリアや精霊王が仲介に入り話し合いの場が設けられた事もあったらしいが、二人がそんなものを受け入れる筈もなく、一度たりとも話し合いされ無いまま交渉は決裂した。
たった二人と小さな命のために神と悪魔が手を組むなど異例中の異例。
全世界に向けて宣言された開戦の報せは地上に住む全ての人の頭の中に響いたという。
『神と悪魔の血を引く子供の誕生は世界の理から逸脱した行為。世界そのもののあり様を壊してしまいかねない存在は末梢しなければならない。それが世界の均衡を保つ唯一の手段である』
そんな大義名分を掲げていたらしい。
そうして、世界を守る聖戦と称してアイザックとシェリルから小さな命を奪う為の戦争を始めたのだ。
世界を二分して管理している神と悪魔が手を組んでまでレイヴンの誕生を阻止しようとした戦い。後に「神魔大戦」という名前にすり替わり伝えられた世界の命運を天秤にかけた戦いだ。
結果、アイザックは死に、身重の大事な体でありながら一人で最期まで抵抗し続けたシェリルは、無二の親友であったリヴェリアの手によって命を絶たれることとなった。
身篭っていた小さな命と共に。
再起したリヴェリアが竜人族の神聖魔法を使って中央大陸の時間を操り始めたのはそれからしばらく経ってからだと聞いている。
生存の確認された小さな命。“レイヴン” と名付けられた子供を生かす為に、リヴェリアとマクスヴェルトは同じ悲劇を繰り返さない為に様々な可能性を考慮し、最も奇跡の可能性が高くなる条件が揃うまで七度時間を巻き戻した。
そして八度目。
多くの仲間達の助けとレイヴン自身の成長によって世界滅亡の歴史は回避され現在に至る。
「儂が手元に持っておる手紙は先程見せた物と合わせて八通ある。そして、お主の元へ届いた手紙が九通目じゃ」
「九通目……」
「レイヴンよ。これは幾度も時間を巻き戻して歴史を繰り返して来た代償。歪みの招いた結果じゃ。本来であれば我々の手で世界に歪みを生んだことの代償を払い、輪廻を断ち切らねばならん。じゃが……情け無い事に我々にはその力が無い。こればかりはリヴェリア様にもどうにもならんじゃろうしな……」
ガレスの言葉は要領を得なかった。
時間を巻き戻した回数よりも手紙は一通多い。それが輪廻を断ち切れていないという事なのだろか?
世界の理を書き換えた代償であれば、魔剣ミストルテインが既に喰らい尽くしている。
不条理すらも飲み込む魔剣は完全に全てを終わらせた。そう報告を受けている。
(おい、ミストルテイン。どういう事だ?)
ーーーどう、と聞かれてもな。生憎、その問いには返答しかねる。私が変えたのはこの世界の理だけで、歪みを喰らったのもそれに付随する事象だけだ。
だいたい、その男の言っている事は私という存在が存在しない世界での出来事だろう?過去七度繰り返された時の流れは時間を巻き戻した瞬間から全て無かった事にされている。なら、主殿にも私にも分からなくて当然ではないか。
(確かにそうだ……)
ーーー今回の八度目にしてもそうだ。過去の手紙との因果関係など問われても情報が少な過ぎる。故に返答しかねると言ったのだ。
元々魔神喰いは神と悪魔に対抗する為の能力を持っていた。しかし、ミストルテインとは違い、直接世界の理に干渉する力は持たない。あれはあくまでもレイヴンの持つ願いの力によるものだ。
魔剣ミストルテインが存在しないということはレイヴンが願いの力を制御出来なかったことを意味している。つまり魔神喰いは聖魔剣ミストルテインへの進化もせず、願いの力の譲渡も起きなかった。だならその時に発生した世界の歪みはそのまま残っているという訳だ。
ーーーそれと、完全に終わらせはしたが、それで何もかも終わりという意味では無い。
今の主殿なら理解していると思うが、世界とは流動的で常に変化している巨大な生き物のようなものだ。
現在、我々が仕組みとして認識している事が、この先いつまでも仕組みのままなどという事はあり得ない。
変化に対応していかなければ世界からはじき出されてしまう。私が思うに、神や悪魔といった世界の調律者面をしている連中が仕組みを変えたがらなかったのは……
(待て。お前の話は長くて分かり難くい)
ーーーん?ああ、そうか。主殿は“世界”を理屈ではなく感性で理解しているのだったな。
要はバランスの問題だ。後衛で戦う魔法使いに鉄の剣や盾を持たせたりはしないだろう?杖や短剣を持たせるにしても、実力に見合った物を持たせるのが無難というものだ。使いこなせないのでは意味が無いからな。
(一体何の話をしているんだ。今は関係無いだろう)
ーーー関係あるとも。私が今やっているのは、そういう誤ったバランスを整える事だ。世界の理を書き換えたのは全体から見ればごく一部に過ぎない。しかし、それに伴う必要な調整は膨大にある。歪みを修正し、“世界の意志” として定着させるのだ。平たく言えば管理責任というやつだ。
(なるほど。それで、お前の結論は?)
ーーーつまり、その男の話を簡単に要約するとだな、『尻拭いをしていなかったツケが回って来た。我々ではどうにもならないから助けてくれ』だ。
身も蓋もない冷たい解釈だが、彼等の陥っている状況はミストルテインの言った通り大体そんなところだろう。魔法同様、神聖魔法も万能ではないという事だ。
ーーー主殿。これだけは言っておく。
(何だ?)
ーーー彼等がやった事は正義でも悪でもあり、始まりには大義名分があったことも承知している。
そのおかげで我々が未来を掴んだ事もだ。
が、しかしだ。はっきり言って自分勝手で愚かな行為だと言わざるを得ない。どう取り繕うとも無関係の人間まで巻き込んだ事実は変わらない。許されざる行為。大罪だ。
(だが、それはーーー)
ーーー分かっているとも。そして、それは私と主殿も同じだ。
全ては今という平穏の為。この世界に生きる全ての存在が未来へと繋がる道筋を得る為に行われた事だ。
それがどんなに業の深い願いであったとしても、多くの人間が未来を掴む為、主殿の為に手を伸ばし続けた結果だという事を忘れないで欲しい。
だからこそ、世界の理を歪めた我々にはそんな彼等をより良い道筋へと導く責任がある。
何事にも対価が必要であるように、我々もまた支払い続けなければならないのだ。
この事を肝に銘じておいて欲しい。
世界の理に、禁忌に触れるとはそういう事なのだと、な。
(お前の名を呼んだあの時から覚悟は出来ている)
ーーーそうか。そうだったな。
いつも寡黙なミストルテインが珍しく流暢に喋ったのも、世界の在り様に何か思うところがあったのかもしれない。
対価は効果に比例するとは限らず、その逆も然り。
つまるところ、ガレス達が抱えている問題は手を下した後始末が出来ていない事だ。
お粗末な話ではあるが、リヴェリアやガレス達を責められない。
世界の理に触れる術は魔剣ミストルテインの力を使う以外には無い。ガレスもその事に気付いているからこそ、リヴェリアにも無理だと言ったのだろう。
ここまではまだいい。
魔法や魔術同様、神聖魔法による世界の歪みという事であれば無関係では無い。自分とミストルテインでどうにか出来るかもしれないからだ。
ただ、肝心の手紙との因果関係が分からないままだ。
レイヴンは困り果てたように手紙を眺めるガレスに質問を投げかけた。
「その歪みについては俺も出来る限り協力すると約束しよう。必要であればもう一度世界の理に干渉する事も厭わない。だが、この手紙がその件に関係しているのかどうかが俺には今一つ分からない。差出人が全て同一人物、或いは俺宛てだという証拠はあるのか?」
「それは……」
ガレスが言い淀んだその時だった。
部屋の中に光が満ちた後に突然現れた見知らぬ女がガレスの言葉を遮った。
「その証明は不可能よ。現段階では、ね」
眩い光と共に現れた女は呆然とするガレスの隣に腰を下ろすと爽やかな笑顔をレイヴンへ向けた。
黄金色に輝く金髪を肩の辺りで短く切り揃え、レイヴンを見つめる金色の瞳にはずっと遠くを見ているような雰囲気があった。
一言で言えば絶世の美女。
しかし、纏う気配はとても異質で掴み所が無い。
だが、これと同じ雰囲気を持つ人物をレイヴンは知っている。
「ミ、ミア様、何故下界へおいでに……しかもお一人でなど……」
「あら、ずっと待っていたのにいつまで経っても二人で楽しそうにお喋りしているんですもの。見ているだけなんてつまらないから迎えに来たのよ?」
「で、ですが!今は大事な話がーーー」
「それはあちらで説明するわ。手紙の件は私達に任せておきなさい。
さ、行きましょうレイヴン。ダンお爺ちゃん……じゃなかった、お祖父様がお待ちになってるわ」
金髪の美女はそう言って困惑するレイヴンの手を掴んだ。
「ミア様。お待ち下さいミア様!」
「何?早くレイヴンを連れて行きたいのだけど?」
ガレスはミアの前に立つと、神妙な面持ちで膝をついた。
「ミア様。無理を承知でお願い申し上げます。どうか、どうかこのガレスにも後悔を拭う機会をお与え下さいませぬでしょうか。リヴェリア様にもレイヴンにも私は……」
ガレスは震える拳を握りしめてミアの言葉を待っていた。
ガレスの抱える後悔とは一体何だ?
それをレイヴンが口にする前にミアがガレスの震える拳に触れて言った。
「ガレス、貴方はリヴェリアのために貴方にしか出来ない事を沢山してくれたわ。あの子を信じ切れなかった気持ちを後悔と呼ぶのなら、それは私も同じよ。
だけど、それでも貴方は見事に役目を果たした。ガレスでなければ到底成し遂げられなかったことでしょう。私はそれをよく知っている。勿論お祖父様も。
だからもうこれ以上背負う必要はないのよ。ありがとう、ガレス。貴方は調律者である竜人族の誇りよ」
「おお…ミア様……なんという……」
ガレスは溢れる涙をそのままに嗚咽を漏らして頭を垂れた。
その光景を黙って見ていたレイヴンは不思議な感覚にとらわれていた。
後悔を抱えたガレスに対してミアは言葉だけでそれを払拭してみせた。
特別な魔法や願いの力を使わなくても、紡がれた言葉は力を持ち、ガレスの抱える心の闇に光明をもたらしたのだ。
ガレスの後悔は報われた。
人目も憚らずに流す涙がその証拠だ。
(なあ、ミストルテイン。俺にもあんな言葉を紡げるようになるだろうか。人の心を救えるような、そんな力を持つ言葉を……)
ーーー主殿。それはやろうと思って出来るものでは無いよ。だが、そうだな……彼女の言葉を借りるなら、私は主殿が行動でそれを示して来たことを知っている。
少なくとも私は、特別な言葉など無くても主殿は主殿のやり方で、ありのままで良い。そう思っているよ。
(俺のやり方、か。……そうだな)
ーーーそうだとも。