第一話 レイヴン係再び
突然始まる事もある。
改訂版更新は今しばらくお待ちください。
王家直轄冒険者の制度が廃止され、新たに最高位冒険者としてクレアとルナの二人が五カ国の代表者によって任命された後のこと。
再びCランク冒険者として歩き始めたレイヴンの元へ、一通の奇妙な手紙が届けられた。
差出人は不明。
古ぼけた紙の内容も書かれていない白紙の手紙。その真意を訝しく思いながらも、同封されていたペンダントから漂う不思議な魅力に興味をそそられたレイヴンは、手紙の差出人を探すことにした。
差出人は誰なのか?
レイヴンに何をさせようとしているのか?
行き着く先に待ち受けているであろう待ち人を探して、最強の冒険者と呼ばれた魔人は再び聖魔剣ミストルテインを手に取り動き出した。
あり得たはずの未来。
どうにもならなかった過去。
夢見た未来を紡ぎ出す為に奔走した一人の少女が目指した世界と葛藤。
この物語は突然届いた奇妙な手紙から始まる『過去と現在』そして『過去と未来』を繋ぐ物語。
理想を抱き続けた果てに、とある少女が手にしたもう一つの物語と現在を結ぶ物語である。
肌を撫でる風が少し暑くすら感じる暖かい陽気の昼下がり。
中央の冒険者組合の前の大通りに、やけに上機嫌で歩くレイヴンの姿があった。
今や真の意味で誰も実力を疑うことのない最強の冒険者。無口で無愛想な顔をしているが、依頼者の願いに寄り添いどんなに困難な依頼でも完璧にこなす事でも知られている。
そのレイヴンを知る者がこの浮ついた姿を見れば、きっとさぞ報酬の高い依頼を受けたから上機嫌なのだろうと思うかもしれない。
だが実際は違う。
そんな彼の視線の先にあったのは成功報酬の入った袋でも、魔物から剥ぎ取った素材でも新鮮な魔核でもない。念入りに紐できつく縛られた分厚い紙の束だった。
その紙の正体は冒険者組合が発行したCランク冒険者向けの依頼書。
片っ端から引き受けて片手では持ち切れない程の厚みになった依頼書の束だ。
いくらなんでも無茶だと多くの人は思うだろう。難易度によると言っても、一つの依頼をこなすのには準備期間を含めて最低三日はかかる。複数の依頼を同時にこなそうとすれば、かかる日数も失敗の確率も高くなるので普通はやらない。
けれども、レイヴンにとっては当たり前の事。身に付いた習慣の一つに過ぎなかった。
ーーー主殿。今日はやけに機嫌が良いな。
(まあな。思い切って冒険者組合に足を運んでみて良かった)
ーーーほう。だが、良かったのか?あまり無茶をするとまたリアーナ殿に叱られるのではないか?
(う……)
魔剣ミストルテインは、レイヴンがまた何も考えずに依頼を受けたことに深い溜め息を吐いた。
しかしながら、主であるレイヴンがそんな無茶なことを始めたのにもちゃんと理由がある。
先ず、一つの依頼を終える度に、いちいち地上へ戻るのは面倒だというのが一つ。
受けられる依頼は受けられる時に全て受けて、一つでも多く依頼をこなすようにしている。
今でこそマクスヴェルトに作ってもらった魔法の鞄があるので荷物の持ち運びに苦労することは無いが、以前は大量の素材を一時的に保管しておく場所の確保が出来ずに苦労した。だから何度も往復するよりも一度に換金した方が交渉も含めて楽だと考えたのだ。
単に他人と何度も話すのが億劫だったりするのも理由だ。
もう一つは、レイヴンが受ける依頼の報酬額が安いことだ。
低ランク冒険者の貰える依頼料は安く、一つや二つこなした程度では宿にすら泊まれない。それ故、魔物の素材や宝箱などから得られる武器や防具を売って報酬の足しにする必要がある。
レイドランクの魔物の魔核が入手出来れば高く売れるのにといつも思っていたりする。しかし、どういう訳かレイヴンが一人でいる時には滅多に遭遇しないのである。
なので結局はいくつもある孤児院の運営費を賄う為には数をこなすしかなかった、というのが一番の理由だろう。
金を稼ぐには数をこなす。
これがレイヴンの基本方針だ。
しかし、それとて今はもう必要の無いことだ。
クレアとルナがレイヴンの後を継いで資金集めを手伝ってくれた事や、各国が新たに設けた孤児院の専門機関主導で孤児院の運営を始めた事、オルドが手腕を活かして孤児院の運営費を上手く運用し活用してくれているおかげもあって、かつてルイスがレイヴンに語り思い描いた目標は実を結び世界中に新しい花を咲かせている。
オルドの話では、今いる子供達が無事に巣立っていけるようになるまでの当面の資金は集め終わっているので、今後は一人でも孤児を減らせる環境を作っていくべく活動していくそうだ。
ーーー主殿の実力ならそんなことをしなくても他に稼ぐ手段はいくらでもあるだろうに……。
(それはそうなんだが……)
ーーー私は忠告したからな。
レイヴンは現在、Cランクから最高ランクまでの依頼を全て自由に受けられる資格を有している。
別に報酬の一番安い依頼を大量に受けなくても、Sランク以上の高額報酬依頼をいくつか定期的にこなせば今まで通りに稼ぐ事は出来る。
つまり何と言うか、これは癖なのだ。
戦うことしか知らなかったレイヴンの日常は常に命懸けで依頼をこなすことだった。
誰にも手を借りず、誰からも文句を言われず独り淡々と依頼をこなす毎日。
依頼の難易度や内容はどうでもいい。目の前の敵をただ倒すだけ。
そうすることがレイヴンが明日という日を手に入れる為の手段だった。
平和な日常を手に入れた今でも、その時の感覚がどうしても抜け切らずに残っている。
ソロでの活動が可能な例外は最高位冒険者の証を持っている一握りの者だけという決まりだ。
超高額の報酬と専用の宿も用意されていたりと破格の待遇があり、一般の冒険者には任せられない高難易度の依頼を斡旋される仕組みがあるにも関わらず、レイヴンはクレアやルナに任せて難易度の低い依頼ばかり受けていた。
周囲からは若い冒険者に回す依頼が無くなるから大量に依頼を受けるのは止めろと何度も注意されている始末だ。
もしも今、こんな依頼書の束を持ち歩いている姿を知り合いの誰かに見られでもしたら、問答無用で依頼を取り上げられてしまうに違いない。最悪の場合、特例として単独行動の許可を得ているのも取り消される可能性もある。
ところがだ。
レイヴンは依頼書の束を確認しては何やら満足そうに頷くのを繰り返していた。
(止めろとは言われてもな。分かってはいるんだが……)
竜王を名乗り始めたリヴェリアが精力的に改革を推し進めている影響からか、以前よりも比較的に安全で報酬額も手頃な依頼が掲示板に溢れるようになっていた。
依頼は報酬額と適性難易度別に細かく仕分けされ、自分の実力と能力に合ったものをじっくりと選ぶことが出来るし、必要な冒険者のランク以外にもパーティー向けの依頼だとはっきりと明記されている。
以前と大きく違うのは、Sランク以上の依頼を受けるには必ずSランク冒険者三名以上の同行が必須になっている事だ。
(それにしてもたった一年の間に随分変わったものだ。難易度が低い割に報酬も良いし依頼の内容も悪くない。前はこういう比較的安全な依頼は魔物混じりには回って来なかったからな。Cランクでこの額なら悪くない)
但し、この話には一つだけ注意が必要な点がある。
これらはレイヴン基準で見た場合に難易度が低いと言っていることであって、決して現在のCランク難易度の依頼が簡単という意味では無いという点だ。
Cランク依頼の内容は改革以前のBランクからAランク相当。報酬の一人頭の取り分は以前と同程度か、パーティーの人数によっては以前よりも安くなる場合もある。
あくまでパーティー単位で戦う前提の報酬額設定になっている分、高く見えるだけなのだ。
因みに現在の基準ではSランクから先はレイドランクの魔物の討伐も含まれている。
それ故に大半の冒険者が受ける依頼はA,B,Cランクのいずれかであり、リヴェリアの部下やランスロット、他のSSランク冒険者達もAランクまでの依頼を主にこなしている。
では何故レイヴンが簡単だと思うのか?
全てはレイヴンが戦う対象を選ばない実力者である事と、対象が如何なる強さを有していようとも歯牙にも掛けない事に起因している。
レイヴンのやる事は至極単純だ。
“立ち塞がる敵は全て一撃の元に斬り伏せる”
それだけだ。
“全て一撃” この点が同じ最高位冒険者でもクレア、ルナ、カレン、エレノアといった強者とは一線を隔てている所以だろう。
冒険者の頂点に位置する彼女達ですらフルレイドランクの魔物に対しては念入りに準備し、必要であれば数十人単位のパーティーを組む事を迷う事なく選択する。
レイヴンやリヴェリアが飛び抜けて強過ぎるだけで、フルレイドランクの魔物とは本来、一握りの強者がそこまでして初めて挑むかどうかを判断するべき相手だ。
慢心は死を招く。決して単騎で挑んだりして良い相手では無い。
しかし、最低ランクの弱い魔物だろうが、最低でも数十人単位で挑むべきフルレイドランクだろうが、レイヴンにとっては有象無象の魔物と同じでしかないのだ。
久しぶりに大量の依頼を受けられて満足気にオーガスタの街を歩いていたレイヴンの前に、見覚えのあるシルエットの影が落ちた。
「ん?」
「こんにちは〜」
「くるっぽ!」
レイヴンは依頼書の束を素早く懐に隠して空を見上げると、頭上に怪し気な丸い物体が音もなくぷかぷかと浮かんでいた。
「……あれだ」
「?」
「こうして街の中で見るといよいよハトにしか見えないな」
「むぅ!違いますぅぅぅ!!!ツバメちゃんですぅ!」
「くるっぽ!くるっぽ!」
音も無く舞い降りた巨大なハト……もとい、風の最上位精霊ツバメちゃんと、その背中から顔を覗かせた精霊魔法使いのミーシャが頬を膨らませながら抗議して来た。
(それにしても……ふむ)
どこからどう見てもツバメちゃんの外見はハトだ。なるべく言うまいとは思っていても、こうして会うとつい口にしてしまう。
このやり取りも最近ではすっかり恒例になっていた。
「くるっぽ?」
レイヴンは首を傾げる……傾げている?まん丸もふもふなツバメちゃんの身体に触れて、改めて感じる不思議な感触に唸った。
皆のおかげで魔物堕ちから無事に生還し、晴れて人間としての生活が始まってからも、相変わらず精霊であるツバメちゃんの気配を感じ取るのが苦手だった。
すぐ近くに来るまで気付かない事もザラで、こうして直接触ってみても不確かで形容し難い感触が伝わってくるばかり。かなり集中しないとツバメちゃんの実体を捉えるのが難しいのだ。
マクスヴェルト曰く、神の眷属であるシェリルと魔王アイザックの血を引いているとは言っても、魔の血が濃いレイヴンでは聖の魔力の方が弱い為に、魔の者と対極にある精霊との相性は悪いままという事らしい。
それでも触れることが出来るのは聖の魔力を無意識にコントロールしているからだそうだ。
「ーーーまあいい。それで、俺に何か用か?」
「あ、そうでした。今日はレイヴンさんにお手紙を預かって来てるんですよ」
「手紙?また依頼か?」
差出人不明の手紙を貰ってセス達新米冒険者パーティーと風鳴のダンジョンに潜ったのはまだ記憶に新しい。
あの一件が無ければ自分が歩んで来た道を振り返る余裕を持つことなど到底出来なかったと思っている。生まれて初めて腹の底から笑ったのも良い思い出だ。
そういえばセス達は元気にやっているだろうかと考えていると、ミーシャがクスリと笑ったのが視界の端に見えた。
リアーナはともかく、ミーシャにまで表情を読まれているのはなんだか恥ずかしいので、あえて気付かないフリをしていると、ミーシャがやれやれといった風なジェスチャーをしてから持って来た手紙について話し始めた。
「実はそれがですね、今回も差出人不明なんですよ」
「不明?」
「ええ。しかも、冒険者組合経由じゃ無くて私の部屋のドアに挟んであったんです」
「ちょっと待て。それなら、組合の誰かがそうしておいたんじゃあないのか?と言うより、何でその手紙が俺宛てだと分かる?」
「え?そんなの私がレイヴンさん係だからに決まってるじゃないですか」
「は?」
「だってほら、こんな訳の分からない手紙を私の所へ届けたという事はですよ?それだけでレイヴンさん宛てだと相場が決まっているんです」
「おい……」
ミーシャが正式にリヴェリア直属の部下になってからは、中央冒険者組合の敷地内にある寮で暮らしている。誰でも自由に出入り出来るが、一般人が立ち入ることは滅多に無いらしく、普段の寮内には冒険者組合の人間しかいないという話だ。であれば、組合の誰かが届けたと考えたのは間違いではないだろう。
オルドがそうしたように知り合いの誰かが差出人という可能性もあり得る。
「あー……それがですね。私もそう思って他の人に聞いてみたんですけど、誰も知らないって言うんです」
「誰も知らない?そんなことがあるのか?」
「普通は有り得ませんよ。それにこの手紙、組合経由の手紙に押されるはずの許可印が無いんですよ。私宛ての個人的な手紙だとは思えませんし、流石に勝手に持ち出すのは不味いかなぁって思ったので、一応リヴェリアちゃんにも聞こうとしたんですけど……」
「……けど?」
「リヴェリアちゃんったらお城の人にも内緒でシェリルちゃん達とダンジョンに出かけちゃったらしくて留守なんですよ。で、困ったなぁっ。でも、中身が気になるなぁって思ってツバメちゃんに乗ったままウロウロしてたら、なんだか機嫌良さそうに歩いているレイヴンさんが見えたので……」
「で?」
「もう考えるのも面倒だし、直接渡しちゃえって思って渡しに来ました。てへっ!」
「何でそうなる……」
旧友と仲が良いのは結構な事だ。しかし、城の人間が冒険者組合にリヴェリア捜査依頼を出そうとするくらいにはまだ慌ただしい状況らしいのに、あんなに奔放にして良いものだろうか。
今のダンジョンは地上と変わらない広大な面積と気候の異なる不特定数の階層構造になっている。一度潜ったら本人達から連絡を取ろうとしない限り居場所を特定するのは非常に難しい。
つい先日もユキノとフィオナに止められていたのを見た覚えがあるし、リヴェリアを探しているらしい老人がリヴェリアの部下達を使ってリヴェリア捜索隊を結成しているのを見かけたばかりだ。
(不憫な……。しかし、あれが本来のリヴェリアなんだろうな。ーーーいや、俺には関係無いな。本題に戻ろう)
レイヴンはシェリルから聞いた昔話のリヴェリアの姿が思い浮かんだところで本題の手紙について思考を切り替えた。
本来、組合経由の手紙は透視の魔法を使って中身の安全や内容をあらためた上で宛先にある冒険者へと届けられる決まりになっている。
これは冒険者を無用な危険から守る為であり、勝手に無茶な依頼を引き受けて無関係な一般人に被害が及ばないようにする為の処置だ。
そのことはミーシャも十分に知っているだろうに、それをあえて直接届けて来た。「誰が出したにしたって、どうせ厄介事に巻き込まれるのはいつものことじゃないですか」そう言われている気がする。
実に心外だ。
「と、いうわけで。はい、お手紙です」
「……」
「どうしたんですか?」
ミーシャは眉間にシワを寄せて手紙を受け取ろうとしないレイヴンの態度に首を傾げた。
「あ、もしかして別の厄介事ですか?私のいない所で勝手に巻き込まれないでくださいよ。私にはレイヴンさん係という大事な使命があるんですから」
「いや、そういう訳じゃ……」
せっかく受けた大量の依頼を先に片付けてしまいたいとは口が裂けても言い出せないレイヴンは、仕方なく手紙を受け取ることにした。
お喋り好きなミーシャにバレでもしたら直ぐにリアーナに知られてしまう恐れがあるからだ。
(仕方ない。さっさと片付けてしまおう)
厄介事という割にやけに楽しそうな視線を向けてくるミーシャを無視して手紙の確認を続ける。
しかし、封筒の中には三つ折りにされていた紙が一枚入っていただけ。
その上ーーー
「白紙だ。何も書かれていない」
「え、白紙ですか???」
何の変哲も無い白紙の手紙。
わざわざ封筒に入れたからには何か意味がありそうだと考えたレイヴンには一つだけ思い当たる事があった。
(そうだ。確か前にも……)
冒険者がよく使う魔具の他に、日常生活の中には便利な道具が沢山ある。
それらの大半は魔具の機能を大衆向けに簡略化した物で、例えば、以前オルドの手紙に同封されていた声と映像を保存しておけるメッセージカードもそれに当たる。
他にも濡れた髪を乾かす道具、食材を冷蔵保存しておく道具等、日常生活に必要な便利な道具は一通りあるらしい。ただ一つ、水を精製する魔具だけは製作する為の素材の入手難易度の高さからあまり普及していない。
因みに、「らしい」と言うのも、レイヴンは長年の冒険者生活で殺傷能力が高かったり魔物を捕獲するのに有用な魔具であれば多少知識に自信があっても、そんな生活を長い間していたが故に、一般的な普段使いの魔具にはまるで縁が無かった。なので未だにメッセージカードや火を起こす魔具等以外にはほとんど知識を持ってはいない。だからその辺りのことについては、現在リアーナ達と暮らしながら勉強中である。
(魔力を流す為のサインのような物も無し、か。何か仕掛けがあるという訳でも無さそうなんだが……もしかしてこれは紙全体に魔力を流すのか?んー……)
「あ、私が見たところただの紙っぽいので魔力流そうとしても意味無いと思いますよ?」
「……わ、分かってるさ」
「ほほう。なるほどなるほど……」
「な、なんだ?」
「いえ、何でもないですよ」
ミーシャはニヤついた顔をして黙ってレイヴンを見ていた。
勝手に手紙を覗いてくるのもいつもの事だったが、さすがに気不味くなって来たレイヴンは少しだけ目線を逸らして言った。
「勝手に見るなと前にも言っただろ……」
「何言ってるんですか!私は今でもレイヴンさん係なんですよ?まぁた厄介事に巻き込まれるんじゃないかって心配なんです!だから私も知っておく必要があります!あ、これも前に言いました!」
「……」
中身の安全を確かめもせずに渡してきたくせによく言うと思ったレイヴンであったが、口ではミーシャに勝てそうにないので黙っておくことにした。
誤魔化しに適当なことを言ってこれ以上火に油を注ぐ真似は避けたい。
(しかしなぁ……)
諜報の得意なライオネットやロイであれば何か手掛かりを見つけられるかもしれないが、生憎彼等は他国へ出払っていて中央にはいない。しかし、だからといって、このまま白紙の手紙を眺めていても埒が開かない。
そこでレイヴンは一つ考えた。
一人で考えるのを諦めて、大人しくミーシャの知恵を借りるのもいいだろう。
冒険者とは違う視点からであれば何かヒントを得られるかもしれない。
「俺には白紙の手紙であること以外には特に変わったところが無いように見える。その、ミーシャはどうだ?」
まさかレイヴンに話を振られるとは思っていなかったミーシャは驚いた顔をしたものの、手紙を受け取るなりじっくりと観察し始めた。
「うーん、そうですねぇ……。随分古い紙みたいですけど、紙質はかなり良いですよね。こういう上質の紙ってあまり一般には流通していないので結構高いんですよ。大事な書類ならともかく、手紙に使う人はお金持ちでもあまりいないかもです」
「ほう……」
以前に郵便配達をしていただけあってレイヴンには無い着眼点からの情報を語るミーシャに感心する。
「匂いや魔力の反応も特にありませんね。透かしてみても何もありませんでしたし……。あれ?レイヴンさん、そっちの封筒の中にまだ何か入っているみたいですよ?影が見えます」
「封筒の中?」
ミーシャに言われた通りに封筒を逆さまにすると、何やら非常に繊細な意匠の金属の塊が出て来た。
手に取ってよく見てみると、それは細い鎖のついた小さな花を模したペンダントだった。
言われるまで気付かない程に軽い素材が使われていることに驚きだ。
「わあ!綺麗ですね〜!」
白い花を模したペンダントにはまるで生きた花のような艶やかさがあった。それだけでもこのペンダントが特別な物だとすぐに分かったのだが、それとは別にもう一つ、首にかける為の細い鎖がレイヴンの目を引いた。
遠目には細い紐にしか見えないが、よくよく目を凝らして見ると非常に小さくて細い金属のような物で細かく編み込まれて一本の紐状になっていたのだ。
一体どうやって作ったのか想像もつかない精巧な造り。人間の手によるものとは到底思えなかった。
これ程の逸品は中央でもドワーフの町でも見た事が無い。目の効く商人に見せればかなりの値が付くのはまず間違いないだろう。
しかし、こんな細工の出来る腕の良い職人がいるのなら話題になっている筈だ。けれど、そんな職人にも全く覚えが無い。
「ああ、見事な品だ。細かな意匠と良い、最低でも一級品かそれ以上の価値がある。そうお目にかかれる物じゃない。俺もここまで精巧に作られたペンダントを初めて見る」
「……へぇ」
饒舌に喋るレイヴンを見たミーシャが感嘆したようにレイヴンの顔を覗き込んだ。
「……さっきから何だ?言いたいことがあるならはっきり言え。何かヒントになるかもしれない」
まじまじと見てしまっていたことに気付いたミーシャは慌てて距離を取り、手を振って否定した。
「いえいえ、そうじゃなくてですね。なんていうか、レイヴンさんは魔物の素材以外には興味が無いと思っていたので少しビックリしていただけですよ」
「失礼な……。確かに俺はこういう小物の知識には疎い。だが、俺にだって物の良し悪しくらい分かるぞ。ダンジョン内に現れる宝箱には稀にこういう品も混ざっているからな」
「そうなんですね〜。なるほどです。ところで、何でダンジョンの中に宝箱があるんでしょうね?」
「さあな。そういうものだと割り切っているから考えたことも無い。金になるならそれで良い」
「お金……相変わらずですね。レイヴンさんらしいですけど」
ミーシャにはああ言ったが、実はつい最近までレイヴンもダンジョンの中に自然発生する宝箱には疑問を抱いていた。
誰も足を踏み入れた事の無い危険な場所に、どう見ても人工物にしか見えない宝箱が何故置かれているのか。
階層のボスは何の為に存在しているのか。
それらが仮に世界の仕組みなのだとしても、最初にその仕組みを作った誰かが存在する筈なのだ。
しかしつい最近、そんな長年に渡る冒険者レイヴンの疑問も思わぬ形で解を導き出された。
自身の魔物堕ちを捻じ伏せていよいよ世界改変に手を伸ばした時のことだ。
魔神喰いが聖魔剣ミストルテインへと変化を遂げ、世界の理に干渉した瞬間に何となくだが仕組みが分かったのだ。
いや、気付いてしまったと言うべきだろうか。
宝箱を発生させているのは一説に世界を創ったとされる神でも悪魔でも無い。ダンジョンに挑む数多の冒険者の願いそのものだ。「危険なダンジョンで戦功を上げた証が欲しい」「どこまで到達出来たのか証明したい」「自分の強さを証明したい」そんな強い想いが宝箱や階層ボスという形で具現化し、更にその願いが時代の流れと共に連鎖する事でダンジョンの中にある筈の無い宝箱が出現するという世界の法則を新たに作った、という推察に至った。
大きな願いには相応の対価を必要とするが、小さな願いが集まる事でも世界にすら干渉し得る絶大な力となるという事らしい。無論、これは欲望という生物が持つ中で最も強力な願望があってのことだ。
(世界とは“願い” の集合体だ)
願いを叶える力は誰もが内に秘めている。
平和世界を望む等の漠然とした大きな願いでは世界の理には触れられない。手が届かない。持てる全てをかなぐり捨てても尚、世界の理には至らないのだ。
(だが……)
願いの果てにはいつか訪れる祝福がある。
それが思い描いた願いの通りでなくとも、だ。
たとえいつ叶うとも知れない途方もない無謀な願いだとしても。願い続けることは決して無駄では無いとレイヴンは考えている。
ならどうすれば良い?
願いに執着し固執し続けている事。
他者を蹴落としてでも、悪魔に魂を売ろうともなりふり構わずにがむしゃらに願いを貫き通す事。
(それだけでは駄目だ。もっとーーー)
ーーー主殿。
(悪い、少し考えごとをしていた)
レイヴンの持つ魔剣ミストルテインのように、膨大な魔力を媒介にして世界の理に干渉し願いを叶えてしまうような超常の力は例外中の例外だ。
人間一人の願いに添えるのは小さな幸福。それを一つずつ積み重ねていくしかない。
ありふれた当たり前の日常はその先にあると知った。
それは日々の努力があってのこと。願えば叶うからといって、身の丈を超えた願いは害にしかならないのだ。
世界の仕組みなど知らなくても人は強く生きていける。
ーーー何事にも例外はあるものだ。そうではなかったか?
(ふふ、そうだった。確かにランスロットのような例外もいるな)
レイヴンは思考から浮上すると、手紙と一緒にペンダントを懐へ閉ってミーシャに背を向けて歩き出した。
「謎だらけの手紙にペンダント。良いだろう。興味が湧いた。このまま手紙の調査を続けてみるとするか。行くぞ」
「え、それって……」
「駄目だと言ってもどうせついてくるつもりなんだろう?なら一緒に行くぞ。こういうのは知っていそうな奴に聞くのが一番早い。俺に心当たりがある」
「……!はいです!」
ミーシャは満面の笑みで返事をすると、いつもの仏頂面に戻ったレイヴンの後を追いかけて駆けて行った。
「レイヴンさん、だから歩くの速いですってば!」
「す、すまない……」
「まったくもう、そういう所は治りませんねぇ」
「くるっぽ」