嘘つき
目覚めたその日の夜からあっという間に数週間が過ぎ、リアーナと子供達との生活に慣れ始めた。
日の出と共に目を覚まし、畑の世話をする。
子供達の相手をしながらのんびりと過ごして、腹が減った頃になるとリアーナがご飯が出来たと呼びに来るという毎日だ。
時には魔物の気配が消えた森を散策したり、冒険者を目指すのだという子供を相手に簡単な稽古をつけてやる。
勿論、魔剣は使わない。
目覚めたあの日から一度も触っていない。
「そろそろ夕飯の時間よー!早く戻りなさい」
「「「はーい!」」」
リアーナは子供達の親代わりとして本当によくやっていると思う。
苦手だった料理も、今では本職の料理人顔負けの腕前だ。
ただ一つ、ミートボールパスタの味だけは変わらない。エリスが作ってくれた味を今でもずっと守っている。
ーーー夜。
子供達を寝かしつけた後、久しぶりに屋根の上に登ってみる事にした。
そこから見えるオーガスタの街の灯りは三人で憧れていたあの日と何も変わっていない。
変わったのは周囲の環境の方だ。
今では魔物混じりはほんの少数しかおらず、願いを叶える力によって魔物堕ちする危険も無い。
もう魔物混じりだからと迫害を受ける事も、心無い言葉を浴びせられる心配も無い。いつでも好きな時に街へ行ける。
なのにどうしてだろう……。
屋根の上から見る街は昔よりもずっと遠くにある様な気がするのだ。
「ここにいたのね」
後片付けを終えたリアーナが屋根の上に上がって来た。
幼かった頃には広く感じた屋根の上も、今では二人でも少しだけ狭く感じる。
「リアーナ、俺は多分……あの時よりは少しだけ強くなれた、と思う。だが、俺はーーー」
「実は今日ね、竜王陛下……リヴェリアさんから手紙が来たの」
「……リヴェリアから?」
リアーナの差し出して来た手紙は何通も束になっていて、どれも封をしたままになっていた。全部今日来た訳ではないだろう。
レイヴンが理由を聞く前にリアーナがポツリと言った。
「ねえ、冒険者って楽しい?」
その言葉がどういう意図で発せられたのかを理解するのに時間は必要無かった。
何故なら、リアーナは今にも泣き出しそうなのを必死堪えていたからだ。
冒険者という仕事は決して楽では無い。
命の危険と隣り合わせの危険な仕事だ。
レイヴンが冒険者である事を選んだのは、自分には戦う事しか出来ないと知っていたからだ。魔物を倒すしか能の無いはぐれ者が生きて行くにはそれしか方法が無かっただけだ。
今となってはもうその必要は無い。
オルドが寄越した手紙には、レイヴンがこれまで稼いだ金の中から孤児院の運営に差し支えの無い範囲内での金額が記された換金手形が同封してあった。
リアーナと子供達が一生食べて行けるだけの額だ。
敢えて危険な冒険者を続ける必要は……無い。
「冒険者でいる事は、それが俺に出来る唯一の生きる方法だったからだ。楽しいとか、楽しく無いとか……そんな事は考えた事も無い」
違う。
リアーナが聞きたいのはそんな事じゃ無い。
オルドからの手紙を読んで、リヴェリアが寄越した手紙の内容には何となく察しがついている。
どうしてリアーナがリヴェリアからの手紙を渡さなかったのかもだ。
「いや……この話は止めよう。俺は“満足している” キッドが冒険者になって出て行ってから男手が足りないだろ?それに、この生活は俺がずっと望んでいたんだ。リアーナや子供達だってーーー」
「レイヴンの嘘つき!」
「……ッ⁈ 」
リアーナは手紙の束をレイヴンに投げ付けて屋根から降りて行ってしまった。
何がいけなかったのか。
考えるまでも無いのに、レイヴンの心はもやがかかった様に落ち着かない。
(俺はどうしたいんだ……)
落ちた手紙の束の中に一通だけ封が切られた手紙があるのを見つけた。
おそらくこれが最初の手紙。これを読んでいたから、リアーナは手紙の事を秘密にして渡さなかったのだろう。
手紙には短く『いつでも連絡を待っている』そう短く書かれていた。
「やっぱりか……」
そして、中には新しくなった冒険者制度への登録用紙が同封されていた。
試験会場の他に、希望するランクを記載する項目と、過去に倒した事のある魔物について書く欄があった。
どの程度やれるのか自己申告させてから試験という流れらしい。
非常にまどろっこしいが、命に関わる事だ。このくらいで丁度良いのかもしれない。
(冒険者、か……)
これまで一度として冒険者である事を疑問に思った事など無かったのに、望んでいた暮らしが出来ている事に満足出来ない自分がいる。
ーーー翌朝。
レイヴンは魔剣ミストルテインを部屋に置いたまま、リアーナへ“直ぐに戻る” とだけ書き置きを残して家を出た。
向かったのはオルドのいる孤児院。
今更オルドを頼るのは正直言って気が引ける。けれど、会えば何か自分なりの答えが出せる気がするのだ。
「なんじゃ、まだうだうだと悩んでおったのか?」
オルドはレイヴンの顔を見るなり呆れた様に顔を顰めた。
「いや、俺はまだ何も……」
「ここに手ぶらで来たのが答えじゃろう。よいから中へ入って座れ」
家にはオルド一人の様だ。慣れない手付きで茶を煎れた後、レイヴンの向かいに腰を下ろした。
(何だ、いつもと様子が……)
オルドを目の前にした途端、レイヴンは何も頭に浮かんで来ない事に驚いていた。
「……やれやれ。儂の出した手紙は読まなかったのか?」
「手紙なら読んだ。ちゃんと内容も理解している」
オルドの手紙には落ち着いたら冒険者登録をして顔を出す様に書いてあった。
わざわざ同封してくれた金も、本当は何の意図があるのか分かっているつもりだ。
「なら、どうして魔剣も持たずに此処へ来た?」
「それは……」
見かねたオルドは椅子に座り直して話し始めた。
「良いかレイヴン。今やお前に敵う者はおらず、名実共に最強の存在である事に疑いを持つ者などおりはせん。じゃが、人として当たり前の生活をするとなると、お前はヒヨッコもヒヨッコ。よちよち歩きの赤子と同じじゃ」
「……俺は説教を聞きに来た訳じゃ無いぞ。そのくらい……自覚している」
「ふむ……思ったより重症じゃのう。お前は大事な事を忘れておるよ」
「大事な事だと?」
オルドは『それも気付かないとは』と一言呟いて話を続けた。
「説教臭かろうが聞いて行け。生きることはそれ自体が戦いじゃ。力のある無しに関わらず、人は誰しも自分の居場所を守る為に戦っておる。それは分かるな?」
「ああ……」
「ならば足掻けレイヴン。お前とお前の周りにいる者達がより良い未来を手にする為にじゃ。そして思い出せ。お前が手を伸ばし続けて掴んだモノを。お前の足掻きが何を惹き寄せたのかを。お前が目覚めたのに、どうしてあの二人が姿を見せないのか、よく考えてみるんじゃな。儂はお前が普通の生活を送れる様になった事を心から喜んでいる。冒険者になる事を強要するつもりも無い。自分でそう決めて此処へ来たなら、儂は何も言わずに昔話を始めたじゃろうな……」
オルドは一頻り喋り終えると、来客の予定があると言ってレイヴンを追い出した。
何か答えが見つかると思っていたのに、オルドに会えば答えが出せるだなんて考えは甘かったのだろうか。
結局何の答えも出せないままリアーナの待つ家に戻ると、今度はランスロットが来ていた。
丁度夕食の時間だ。食事の間、リアーナは一言も喋らず、ランスロットも当たり障りの無い会話以外には喋らなかった。
一体何をしに来たのか。
そう聞ければ良かったのだが、それを聞く前にランスロットが子供達の稽古用に使っている木剣を投げて寄越した。
「食後の運動だ。ちょっと“遊ぼうぜ” 』