目覚め。変わりゆく世界。
長い長い夢を見ていた。
新しい旅を満喫する旅だ。
レイヴンの隣にはクレアとルナ、ツバメちゃんに乗ったミーシャと隣で眠そうにボヤくランスロットの姿がある。
穏やかな風を肌に感じながら、のんびりと気の向くままに風景や初めて訪れる村や町を巡って旅をする。
お金が無くなったら近くの酒場に足を運んで報酬の良い依頼を受ければ良い。
依頼を選ぶのはクレアとルナ。横からランスロットとミーシャが口を出しては喧嘩を始める。
そして、いつも最後にはレイヴンが『これで良いだろ』と言って無茶な依頼を勝手に受けてしまうのだ。
笑う事も喧嘩をする事も何もかもが新鮮で、とても楽しい気分にさせてくれる。
そんな夢を見ていた。
目を開けると、懐かしい天井が見えた。
もう何年も帰っていない部屋。
少し違うのは記憶に残っている部屋よりも小綺麗になっている事だ。
此処はかつてエリスとリアーナ、レイヴンの三人で暮らしていたぼろ小屋だ。
ベッドの脇には小さな花瓶に生けられた白い花が置かれ、窓の外からは子供達の笑い声が聞こえて来る。
それはレイヴンがずっと夢に見てきた目覚め。
目を閉じて、再び目を開けた時には何の変哲も無いありふれた日常が始まる。
求め続けていた筈なのに、最初に感じたのは違和感だった。
これはまだ夢なのか?
そう思ってベッドの上に視線を戻すと、壁に立て掛けられた魔剣ミストルテインが視界の片隅に入った。
近くの張り紙には『レイヴン以外絶対に87触っちゃ駄目』そう書かれていた。
「これは、現実か……」
記憶の最後は魔剣ミストルテインを発動させて残りの魔物を殲滅した所までで途切れている。
暫く起き上がれないとは言われていたが、あれから一体どれ程の時間が経過しているのだろうか?
初めて魔力欠乏症に陥った時には一週間近く目を覚さなかった事もある。
そう長くは無いと思いたいが、周囲には誰もいない。
「ミストルテイン、あれからどのくらい経過した?」
ミストルテインならば、そう思って聞いてみたのだが、魔力が無いからか、触れていないからなのか、ミストルテインは何も反応しなかった。
ーーーコンコン。
ドアをノックする音がしてレイヴンのよく知る人物が顔を覗かせた。
「おお、やはり起きていたか。そろそろだと思っていたのだ」
赤毛の大人の姿をしたリヴェリアは、遠慮も無しにずかずかと入ってくるなりベッドの横に置かれていた椅子に腰を下ろした。
「リヴェリア、教えてくれ。俺はあれからどのくらい眠っていた?」
「ん?ああ、そうだったな。今日で丸三年になる」
「三年だと?何を言って……」
何の冗談だ?
しかし、リヴェリアの金色の目に揺らぎは無く、嘘を言っている訳では無いと直ぐに分かった。
「信じられないのも無理は無いが、あれからきっかり三年、ずっと眠りっぱなしだったのだ」
「そ、そうか……」
「少し現在の状況を説明しておこう。実を言うと、此処へ来たのはその為なのだ」
リヴェリアが話してくれたのは全ての魔物をレイヴンが倒した後の事だ。
朝を迎え、大地に燻る瘴気は世界樹の根によって浄化されたそうだが、その影響があってか、冒険者の街パラダイムを取り囲む様にして妖精の森が出来上がってしまったらしい。
「妖精の森に?なら、あの辺り一帯は夜になると魔物が……」
「その通りだ。故に、魔物堕ちしたレイヴンを元に戻すのなら、冒険者達が集まるあの街でなければならなかったのだ。モーガンと街の冒険者達には事前に了解を得ている」
夜の妖精の森は地上に存在する天然のダンジョンと同じだ。
事前に了解を得ていたと言っても、モーガンもとんでもない物を押し付けられたものだ。
「……本当によく見える目だな」
わざわざ誘き寄せる真似をしたのは、アルフレッドが世界樹の力を使うと予め想定していたからだ。
未来視とも言われる金色の目は何処まで遠くを見ているのか想像もつかない。
「こんな事くらいしか役には立たんよ。人の未来は自分の手と足で作るものだ。そして、出会いと絆がそれを支えてくれる。遠くの事ばかり見えていても、それが現実となるとは限らない。手を伸ばし足掻き続けた先にしか未来は無い。そういうものだろう?」
「ああ……」
地上に存在していた魔物は、ダンジョン内部でしか発生する事は無くなり、サラとオルドが手掛けている流通毛に関しても想定していたよりも少ない人員と護衛で実現したそうだ。
護衛が全く必要無い状況にならなかったのは、盗賊などの動きが活発になる事を見越しての事だという。
魔物という共通の脅威が無くなった以上、これはある意味仕方の無い事だ。
「お前が気にする事では無い。今まで表面化していなかった事案が目に見える形になったというだけの事だ。こちらも既に手を打ってある」
「リアーナ達は?それに、クレアとルナも……」
「リアーナなら外で子供達と遊んでいる。クレアとルナは大層はぶてていたぞ?宥めるのが大変だったのだ。今は二人共新しく出来た冒険者制度を利用して依頼をこなしている最中だ」
「新しい冒険者制度?依頼?どういう事だ?」
西の帝国と南の妖精の森を除く三カ国で新たに冒険者制度を制定し直したそうだ。
中央での実績を元に基本的な部分を流用しつつ、各地の状況に見合った仕組みを構築したらしい。組合員には予め配置しておいたリヴェリアの部下達がそのまま駐留して補助を行っている。
「それらに伴い、王家直轄冒険者とランク制を一旦白紙に戻した。冒険者達は全員、再度実力に見合ったランク試験を受ける事になっている。だから、今のレイヴンは王家直轄冒険者でもSSランク冒険者でも無い。オーガスタの一市民という訳だ」
「……オーガスタ」
マクスヴェルトの見立てでは完全な復興には十年単位の時間を要するという話だったが、どうやらそれもフローラの国の技術者達が協力を申し出た事で急速に復興が進んでいる様だ。
今ではもう忘れられた都では無くなっているという。
「まあ、そうは言っても、以前と大きく違う点は、個人でダンジョンへ潜る事を正式に禁止した事くらいだ。これはダインジョン内部の瘴気が濃くなった事で、ダンジョンの構造変化と魔物の突然変異が起こった為だな。こちらはカレンとその部下達が引き続き調査に向かっている」
妖精の森を除き、魔物がダンジョンから出て来る事は完全に無くなった。しかし、強力になった魔物に対して、これ迄の様に個人で対応するのは難しく、冒険者の安全を最低限確保する意味合いでもパーティー単位での行動が必須となった。
「二人はどうして?」
「お前が寝ている間、孤児院の運営費を稼ぐ為だ。既に十分な資金と人員を配置してあるから自分達の為に使えと言ってあるんだが、“レイヴンがずっとやっていた事だから自分達もやる” と言って聞かないのだ。今では二人の好きにさせている」
「なら俺もーーー」
あの二人なら余程の魔物が相手でない限り遅れを取る事はあり得ない。
しかし、リヴェリアは立ち上がってレイヴンが起き上がろうとしたのを遮った。
「駄目だ。リアーナの側にいてやれ。眠っている間の世話をずっと一人でお前の世話をしていたのだぞ?それに、今のレイヴンはもう冒険者では無い。だからもう戦う必要も無い。あの二人もレイヴンが落ち着いてから旅が出来れば良いと言っていたしな。せっかく手に入れた日常だ。今はゆっくりと過ごすと良い」
「いや、しかし……」
「三年も眠っていたのは、ずっと無茶をして来た代償だ。常人ならそのまま死んでいてもおかしくない。……手を伸ばし続けてようやく掴んだのだ。レイヴン、お前のおかげで世界は変わった。当たり前の日常をのんびりと過ごすのも悪くないぞ?また、連絡する。ではな」
リヴェリアはそう言って、オルドから預かって来たという手紙を置いてそそくさと帰って行った。
また部屋に一人になったレイヴンは困惑していた。
目が覚めたら冒険者では無くなっていたなんて突然言われても、どうしたら良いのか分からない。
(いいや、実際のところ冒険者かどうかはどうでも良い……)
別に戦いたい訳では無いし、ありふれた日常を過ごす機会がようやく実現した事を素直に喜ぶべきだ。だがしかし、一方でそのささやかな幸せを受け入れられない自分がいるのも確かなのだ。
『読まないのか?』
(……喋れるんじゃないか)
レイヴンは子供達の笑い声が聞こえる部屋で、静かに手紙の封を切った。