かつて魔神喰いと呼ばれた魔剣
世界は白と黒の眩い光で満ちて、音の無い世界へと変わってしまった。
二人の放った剣気一閃は想像を絶する破壊を撒き散らして、世界を隔てる壁に囲まれた一帯の景色を一変させた。
窪んだ大地の中心で剣を交わす二人の姿は危機的な状況であるにも関わらず、見る者を魅了して釘付けにした。
音も無く交わされる神速の剣技。
目で追えなくとも、足の運び一つをとっても芸術的で、互いの呼吸を見事に読み切っているのが見て取れる。
時間にしてほんの一呼吸だろうか。二人の剣がぶつかり合って動きを止めた時になってようやく音が戻って来た。
溜め息一つ聞こえない静寂の中で、向かい合う二人の気迫が城壁の上で見守る全ての冒険者達にビリビリと伝わって来る。
「戦う事がこんなに楽しいと感じたのはいつ以来だ?私は今、心が踊っている」
「……勘弁してくれ。俺もお前とは全力で戦ってみたいとは思っていたが、今はそんな場合じゃないと言っているだろ」
「それは分かっている。だが……こんなお誂え向きの舞台はもう二度と無い。もう少し私の我儘に付き合って貰うぞ」
そう言って笑ったリヴェリアは、再び烈火の如き勢いでレイヴンを攻め始めた。
後の先を主体とするリヴェリアらしからぬ猛攻。
剣の冴えはこれまでレイヴンが知る中でも最も鋭い。
(チッ、いつもと様子が違うとは思ったが、此方が本来のリヴェリアか……!)
いくら勝手に体が動いているからと、こんな時にたまったものではない。
だがしかし、レイヴンも満更でも無いと思い始めていた。
生きる事、誰かを救う事以外に自分の力を振るう事。
それはレイヴンが最も嫌っていた事だ。
無用な戦いで力を誇示する為に強くなった訳では無い。しかし、それとは別に孤独を感じている者もいるのだ。
リヴェリアが無闇に剣を振るわないのは、単に戦いを好まないからでは無い。
金色の目は見え過ぎる。いつだったか、レイヴンがリヴェリアの目を見て何を見ているのか分からないと感じた事があった。
それは見える事から生まれる弊害。相手の力量を見抜き、膨大な情報から未来を予測する。そんな力を持っている者が、普通の生活に満足出来る筈が無い。
言ってみれば、リヴェリアは退屈していたのだ。
後悔を抱え、次の一手に苦心していている時でさえ、リヴェリアの心は違う何かを求めていたに違いない。
「リヴェリア、ほんの少しの間だったが、クレア達と旅をしていて分かった事がある」
「珍しいな!昔話か?」
「……あれは面白い体験だった。生まれて初めて旅をする事が楽しいと思えた。シェリル達と旅をしていたと聞いた。リヴェリアも同じ事を感じていたか?」
過去にはランスロットと共に旅をする事もあった。だが、それはあくまでも孤児院に必要な金を稼ぐ為で、楽しいとかそういう感覚とは無縁だった。
そして、クレア達と旅してようやく分かったのだ。
腹が減ったと喚いてみたり、急に寄り道をしようと言い出したり、水浴びがしたいと言って水場を探し回ったり、そして冗談を言い合って笑う。時には意見がぶつかる事も、思った通りにいかない事もあった。
「レイヴン。それが、誰かと一緒にいるという事だ。同じ歩幅で歩いている様でいて、人それぞれに、履いている靴の大きさや色、形は違う。違うからこそ、予測出来ない事が起こる。それが楽しさに繋がっているのだと私は思っている」
シェリルもステラも、カレンもマクスヴェルトも、誰一人として同じ考えの者はいない。ユキノやフィオナ、ライオネット、ガハルドもそうだ。
それぞれが全く違った色を持っているのが面白い。
「その金色の目でもか?」
リヴェリアはレイヴンの目が先程よりも強く輝き始めているのを見て攻撃を徐々に緩める事にした。
「勿論だ。“楽しい” は、理屈では無い。未来予知に近い私の目でも、見えない事が沢山ある。ずっと先の行動を予測出来ても、結末がそうとは限らない。だから面白い。レイヴンもそう思わないか?」
今日とは違う明日。
明日とは違う未来。
そこにあるのは色とりどりの花で、自分には無いものばかりだ。
「道理で、一人で足掻いていても掴めない筈だ……」
歩き始めた頃に比べて、世界は随分と賑やかになった。
暗闇でしかなかった世界に花が一つ増える度に自分の考え方や気持ちも変わっていったように思う。それが成長だと言うのなら、今立っている場所は、到底一人の力だけでは見えなかった景色だ。
「花は咲いて終わりでは無い。風に吹かれれば景色も変わる。花びらが散っても、また新たな種を撒く。私も、レイヴンも同じだ。そういう道なら、たとえ棘で覆われていたとしても、歩いていて飽きないだろう?私は好きだ。踏み越えてでも、もっと遠くの景色が見たくなるからな」
「確かに、そうだな……」
魔剣の反応が落ち着いて来ると、体の感覚が戻って来た。
(これならやれるか)
レイヴンはリヴェリアから距離をとって構えを解いた。
「どうした?まだ私は満足していないぞ?」
「黙れ、戦闘狂め。そんなに戦いたいならクレアとルナの成長を待て。今更そのくらいは待てるだろう?」
「それは……そうだが……」
あの二人の成長は著しく、クレアに至っては常世の姫との同化を経て格段に強さを増している。精霊王翡翠との契約を果たしたルナとのコンビが相手なら、これまでに無い戦いが期待出来るだろう。それでもレイヴンに比べれば……そう思ってしまう。
「あの二人を侮っていると足元を掬われるぞ?」
レイヴンの魔力が高まっていく。
戦闘中はやはり力を抑える事に集中していた様だ。
魔物堕ちした肉体は再び膨大な量の魔力を蓄えて人の姿から外れようとして蠢いていた。
「……分かった。私の我儘はここまでとしよう。今は、な」
「ふん……」
魔剣の中に溜まった力を解き放つにはリヴェリアが言うように今しか無い。
レイヴンは魔剣を掲げると、リヴェリアの後方で待機している三人の名を叫んだ。
「クレア!ルナ!ミーシャ!」
突然名前を呼ばれた三人は目を丸くして驚いていたが、臨戦態勢を崩さない様に次の言葉を待った。
「多分、これが最後だ。“頼りにしている” 」
これが最後。
魔剣に残された過剰な魔力を吐き出す前にやっておく事がある。
人の心に潜む闇は瘴気を生み、魔物を生み出してしまう。野放しにすれば地上はまた魔物で溢れ返ってしまうだろう。
それでは駄目だ。
光と闇は表裏一体。
光ある世界を望む以上、闇が根絶される事は無い。
ならば世界の仕組みを変えてしまう以外には現状を変える方法は無い。
地上に跋扈する魔物をダンジョン内に封じ込める。人の心が生み出す魔物もダンジョン内でのみ発生する様にしてしまうのだ。
ーーードクンッ!!!
魔剣が準備を終えた様だ。
「リヴェリア。感謝する。お前が手を回してくれなければ、俺はまた世界を滅ぼしていただろうからな」
「……それこそ今更ではないか?皆、レイヴンの帰りを待ち望んでいる。だがしかし、本当にやるのか?」
「本当によく見える目だ。ま、やれるだけやってみるさ」
リヴェリアはレイヴンに気負った様子が無い事を察してマクスヴェルト達に合図を送った。
「ふう……此処までは概ね予定通りだね」
これまでの戦いは前座でしかない。
これから起きる事を乗り切れば、晴れてレイヴンは戻って来る。
「大丈夫よリアーナ。レイヴンは必ず戻って来るから」
リアーナはカレンに励まされ、平野に立つレイヴンをじっと見つめた。
(相棒……ここまでよく持ち堪えてくれた)
ーーーようやく生まれたというのに……。
(悪いな。さあ、最後の仕事だ)
ーーーやれやれ、我儘な主だ。
ドクンッ!!!
レイヴンは腰に下げていた短剣を取り出して発動させた。
これはステラが作った力を増幅させる力を持った魔剣だ。
「かつて魔神喰いと呼ばれし魔剣よ!俺の魔力を喰らって世界を変えろ!魔物が地上を跋扈する時代はこれで終わりだ!全ての闇はあるべき場所へ還れ!さあ、発動せよ!ミストルテイン!!!」
レイヴンの体を貫いた魔剣『ミストルテイン』は主の魔力を喰らって“世界の理” へと手を伸ばした。