不安と覚悟
マクスヴェルトが転移魔法で姿を消したのを見たエレノアは、妖精の腕輪を発動させて透明な翼を広げると宙に舞い上がった。
「カレン!行けますか⁉︎ 」
「当然!」
カレンは地面を蹴って空中に飛び上がってエレノアの手を掴んだ。
二人共魔力は回復していない。今動けているのは事前にミーシャが配っていた回復薬の効果が出始めているからだ。エレノアやカレン達の様な魔力保有量の多い者でも後幾らかの時間があれば最大魔力の半分は回復出来る筈だ。
目指す先はレイヴンのいる戦場。
二人はマクスヴェルトを追って行った。
ステラとシェリルも二人の後を追いたかったが、その前にはっきりとさせておかなければならない事がある。
「リヴェリアにはこの結果が“見えていた” そうよね?なのに……」
「……」
リヴェリアにはマクスヴェルトがどういう行動をとるのか分かっていたに違いない。レイヴンに魔剣の依頼を出したのが誰なのか。おそらく事前に予想していたのだ。
レイヴンの魔剣が作られた経緯も、聖剣と魔剣が本来持っている意思が制御を失う事も。それを止める最も効率的で効果的な手段も。何もかも分かっていて知らないフリをした。
今こうしている間にもリヴェリアは平静を保ったままなのが良い証拠だ。
「昔からそう……リヴェリアは都合の悪い時には絶対に私達の目を見ないものね」
「……」
リヴェリアはシェリの言った通り、背を向けたままレイヴン達のいる方向を見ていた。
「教えてリヴェリア。この選択に未来はあるの?」
「もし、そうで無いのなら……」
ずっと後ろで様子を見ていたリアーナもリヴェリアが何も言わなくなってしまった事に疑問を感じていた。
西の空を見つめるリヴェリアの金色の目は変わらず美しく力強い光を放っている。
“選択” という言葉が何を指しているのかはリアーナには分からない。それでも、リヴェリアの目から希望が失われていない事だけは感じられた。
「どうして何も言ってあげないんですか?私には事情は分からないけど、言いたい事があるのなら、ちゃんと言葉にしないと駄目だと思うんです」
「どうして、そう思う?」
ステラとシェリルの問いには答えなかったリヴェリアが、リアーナの言葉には反応した。
「冒険者の依頼で出掛ける時のレイヴンもよくそういう目をしてたから……。何も言ってくれなかったけど、そういう目をしていた時のレイヴンはいつも傷だらけで帰って来てたんです……」
「ほう……」
不安や怯えの無い真っ直ぐで力強い目。自信に満ちた様な目をしているのに、そういう時に限ってレイヴンはいつも以上に無口で落ち着かない様子だった。
「きっと集中しているんだ。最初はそんな風に考えていたけれど、家に戻って来た時のレイヴンはいつもボロボロで……。だけど、どんなに疲れていても、エリス姉さんと私の顔を見ると少しだけ笑うんです。今のリヴェリアさんを見ているとその時のレイヴンにそっくりで、だから、その……」
リアーナの言葉を聞いたリヴェリアは目を閉じて深呼吸をした。
いつも自信で満ち溢れているリヴェリアらしくない。
「それは不安だ」
「え……?」
「自信はある。だが、“必ず戻って来る” などとは迂闊に言葉に出来ない事もあるのだ」
「だけど、私には問題無いって……!」
声を荒げそうになったリアーナを落ち着かせる様に、ステラとシェリルがリアーナの手を握った。
「大丈夫よ。貴女のおかげで答えは分かったから」
「ステラさん……」
言葉にすると消えてしまいそうな自信。
リヴェリアもレイヴンも、“絶対” という言葉の脆さを知るからこそ、口にするのが怖いのだ。
信じている。必ず戻って来ると言葉にしたら、叶わない様な気がする。
「リヴェリア、リアーナを連れて行くわ。それから……また会いましょう。今度は約束の場所で。“皆んなで” 」
「ああ」
三人が行ったのを見送ったリヴェリアは再び西の空を眺めていた。
“絶対” が欲しいから敢えて言葉にはしない。したくない。
ズルイと思われても仕方ない。相手を不安にさせてしまうのも分かっている。
『我が主。レイヴンも同じ気持ちだったのでしょうか?』
「……見え過ぎているのも考え物だな。今のレイヴンならきっと、自信を持って“絶対”と言えるのだろうな」
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マクスヴェルトが転移した先はレイヴンと交戦中のアラストルの背中の上だった。
アラストルの背中から見下ろすレイヴンの目は相変わらず虚で力が無い。少しは光が戻って来た様にも見えるが、まだまだ自我を取り戻すには時間がかかりそうだ。
「やあ。意外に善戦してるみたいだね。レイヴン相手によくやるよ」
「マクスヴェルトか、何をしに戻って来た?」
「何って……うわあああ!っと、ととと!危ない危ない……」
巨大な戦斧がレイヴンの魔剣とぶつかり合う度に背中越しに衝撃が伝わって来る。
今のレイヴンとこれだけやり合えるアラストルの実力は本物だ。無傷という訳にはいかないが、目で追う事の出来ないレイヴンの攻撃を見事に捉えている様だ。
戦斧の強度にしてもそうだ。見た目は普通の戦斧なのに、魔剣と斬り結ぶだなんて一体どういう構造と素材を使用しているのか気になる。
「おい!マクスヴェルト!カレン達は一緒じゃないのか⁈ 」
「ごめんね。僕一人だよ〜」
「マジかよ……」
「団長が戻って来てくれると助かるんでけどね……」
「やるしかない。愚痴を言ってもレイヴンは待ってはくれないからな」
ランスロット達は明らかに落胆した様子ではあったが、消耗し切った状態で早々に戦線復帰出来無いのは仕方ないと割り切って、再び戦闘に専念し始めた。
アラストルの方はというと、現れたのがマクスヴェルトだけであると知っていたのか、僅かに視線だけ向けて言った。
「……リヴェリア達の元へ帰れ。魔力の無いお前は邪魔だ」
「酷いなぁ。僕なりに考えがあって戻って来たのに」
マクスヴェルトは激しく動くアラストルの背で飄々とした態度を取り続けた。
今がどういう状況か分からない筈は無い。
魔力の枯渇した状態のマクスヴェルトがこの場に来ても何の役にも立たない。そのくらいの事は本人が一番よく分かっているだろう。
「止めておけ。レイヴンを怒らせたいのか?」
アラストルの言葉を聞いたマクスヴェルトから笑みが消えた。
「何だ……君も気付いていたのか」
「当然だ。妖精王として世界樹の管理をしていたのだ。“異物” の存在があれば直ぐに分かる」
「異物だなんて酷いなぁ。これは僕なりに足掻いた結果だよ」
マクスヴェルトが何を足掻いたのか。
流石の世界樹でも異界の事までは分からない。
「知ったことか。お前は既にリヴェリア達の仲間だ。それ以外にお前がこの世界で生きる術は無い。昔のよしみとして忠告しておいてやる。“望まぬ事だ” マクスヴェルトとして生きろ」
「そこまで勘付いてたのか……。実はリヴェリアにも似たような事を言われたよ。一緒に旅をしないかって、ね。凄く嬉しかったけど、返事はしなかったんだ」
「ならば……」
ならばやはりリヴェリアの元へ戻るべきだ。
アラストルがそう言い終わる前に、マクスヴェルトはアラストルの背中からレイヴンに向かって飛び込んだ。
「マクスヴェルト!!!」
「よせ!行くな!」
アラストルは戦斧でランスロット達を押し留めて無理矢理に下がらせた。
それはあまりにも一瞬の出来事で、ランスロット達が咄嗟に飛び込もうとした時にはもう終わっていたからだ。
「ふざけんなよ……」
レイヴンの魔剣から滴り落ちる血の音が嫌に大きく聞こえる。
あってはならない事が起こってしまった。
レイヴンはマクスヴェルトの胸を深々と貫いたままの姿勢で止まっていた。
「ゲホッ……こ、こういう、のは、さ……柄じゃ……無い、んだけどさ……」
「止めろ!それ以上喋るな!ちくしょう……!レイヴン!おい!何やってんだよ!!!くそっ!てめぇら離しやがれ!!!」
ランスロットが駆け付けようとしたのをゲイル、ライオネット、ガハルドの三人は全力でランスロットの体にしがみ付いて止めていた。
「堪えて下さい!」
「今は駄目だ!行くんじゃねぇ!」
「お前が行ってもどうにもならない!何か考えがある筈だ!今は堪えるんだ!」
「ふざけんな!仲間が死にかけてるんだぞ!!!」
ユキノとフィオナも口に手をあてて目の前で起こった惨劇に声を失っていた。
足元に流れる血の量は致死量を超えている。
回復魔法をかけようにも、レイヴンの魔剣に貫かれたままでは近付く事も出来ない。
「僕だって…こんな、こと……でも、レイヴン、には……待っ、てる、人がいるから、さ……」
「馬鹿者が……お前を待っている者もいるというのに……」
「……へへっ」
マクスヴェルトは自身の血で汚れた震える手で、魔剣の心臓が埋め込まれている部分に触れた。
ーーードクンッ!!!
レイヴンが暴走してから一度も鳴らなかった心臓の鼓動が響いたのと同時。
マクスヴェルトの心臓は動きを止めた。