一人じゃない
ーーードクンッ!!!
ーーードクンッ!!!ドクンッ!!!
ーーードクンッ!!!ドクンッ!!!ドクンッ!!!
急激に鼓動が高まる度に、かつて無い膨大な魔力が魔剣に集まっていく。
三人がかりで展開しているにも関わらず、結界が軋みを上げ、亀裂が生じ始めた。
『三人共、持ち堪えよッ!!!この結界を抜かれては皆死ぬぞッ!』
切迫した顔の翡翠が叫び声を上げていた。
今のレイヴンは意識こそあるが、力の制御が全く出来ていない様に見える。万が一にも結界が破れでもしたら、この場にいる全員どころか世界は一瞬で滅びてしまいかねない。
「う、くうぅ……!」
「何て力なの……!」
レイヴンは魔物堕ちの最終段階に入ろうとしている。常世の主と同化したトラヴィスを倒して砕けたクレアの心の欠片を回収するだけであれば、ここまで大きな力を使わなくても良い筈だ。
だがしかし、此処まで来たらもうレイヴンの意思だけでは押さえ込むことが難しいだろう。
「だ、駄目だ……!結界の修復で魔力がどんどん消耗されちゃう!」
『だらしのない事を言うで無い!本番はまだこれからぞ!何としても持ち堪えるのじゃ!』
「分かってるよ!ミーシャ!回復薬!頭からで良いからかけて!」
「は、はひ!」
ミーシャはゲイル達の手を借りて回復薬をいつでも三人にかけられる様に手際良く準備していった。
少しでも皆んなの役に立つ為なら何だってする。それがミーシャの選んだ立ち位置だ。
「皆さんも今の内に飲んでおいて下さい。私が調合した物ですけど、効果がでるまでに少しだけ時間がかかるんです。でも、回復効果はカレンちゃんの保証付きですよ!」
「「カレン団長の⁇ 」」
瓶に貼られた紙には胡散臭い商品名と、ちゃっかり開発者であるミーシャの名前と公認したカレンの名前が書かれていた。
勿論ライオネットとガハルドはカレンが商会の長である事を知っている。目利きは一流。最前線で自ら商品のやり取りをして来た実績も、その辺の商人が束になっても敵わない。そんなカレンが保証したともなれば、市場に出回っている物よりも価値があると認めた様なものだ。
「私にも一本頂戴。ミーシャの腕は大したものよ?」
「ええ、こんなに素晴らしい薬はフローラ様でも作れません」
「カレンちゃん!エレノアさん!」
「「団長⁉︎ 」」
不意に現れたのはリヴェリアの言いつけ通りに待機していた筈のカレンと、クレアの魔剣修復の護衛に着いている筈のエレノアだった。
「……やれやれ。予想より随分早い展開だね。ギリギリみたいだけど、間に合って良かったよ。三人共、結界は僕が代わりに担当しよう」
二人の背後から顔をだしたマクスヴェルトは結界を補強する様に新たな魔法を発動させた。
すると、三人でギリギリだった結界がより強固な物へと変わり、シェリル達の負担が一気に軽減された。
「……流石ね。助かったわ」
「衝撃を防ぐだけならね。今のレイヴンに攻撃されたら一撃で破壊されるだろうから、あまり過信はしないで欲しいんだけどね」
マクスヴェルトがやってみせたのは、三人が展開していた結界に割り込んで制御を奪い、そのまま流用して新たな結界とする。という、圧倒的な魔力保有量を誇るマクスヴェルトならではの強引なやり方だったが、これであればレイヴンに直接攻撃されない限り簡単に結界が破られる事は無いだろう。
「マクスヴェルトさんまで⁈ それに、ユキノさん、フィオナさん、ランスロットさんも!!!じゃ、じゃあ、リヴェリアちゃんも?」
「残念。お嬢の出番はもう少し後よ」
「この場は私達だけで乗り切る手筈になってるわ」
「手筈?それって……」
示し合わせた様に集まって来た面々は、いずれもルーファスが予め手を回していた配下の連絡を受けていた。当初リヴェリアが立てていた作戦とは大きく異なるが、それも各国からの想定以上の協力があっての事だそうだ。依然として警戒は怠れない状況だが、『レイヴンの魔物堕ち以上に重要な局面は無い』というのが、共通の認識となった事が大きな要因だ。
「例のレイヴンが助けた三人組が俺達の所に連絡に来たんだ。それも、そこにいるルーファスの根回しらしいんだけどな」
「ふん……力で敵わない以上、頭を使うしか無いからな」
「そりゃそうだ。にしても、マジかよ……」
ランスロット達の視線の先には見た事の無いレイヴンの変わり果てた姿があった。
辛うじて人の原型は留めているが、身長や体格は以前の倍近くある。これまで外見的な変化が殆ど無いままだったレイヴンもいよいよという事なのだろう。
誰もがそう思っていると、マクスヴェルトとと翡翠がそれを否定した。
「確かに不味い状況だけど、今はお互いに拮抗している様だね。それから言っておくけど、あれはまだ完全な魔物堕ちじゃ無いよ」
「「「???」」」
レイヴンの魔物堕ちを知らない面々は揃って頭に疑問符を浮かべていた。
あれはどう見ても魔物堕ちだ。それ以外の何者でも無い。
「翡翠、レイヴンのは魔物堕ちじゃ無いの?」
『いや、魔物堕ちには違い無いのじゃがな。……あまり言いたくは無かったのじゃが、マクスヴェルトの言う通りなのじゃ。レイヴンの魔物堕ちは普通とは少し違う。今の状態はこれまで抑えていた魔物の力を解放したに過ぎん』
「そりゃどういう事なんだ?」
ここまでの状況になってもまだ完全に魔物堕ちしていないとはどういう事なのだろう?
これまで何人もの魔物堕ちを見て来たゲイルやユキノ達でさえ、今のレイヴンの状態は明らかな魔物堕ちの症状だ。
「丁度良いから魔物堕ちについて説明してあげるよ」
「おいおい……!そんな悠長にしてて良いのかよ?今の内に俺達に出来てる事をやっておいた方が良いんじゃねえのか?」
「へえ、ガハルドはもっと脳筋かと思ってたのに意外だね。大丈夫だよ。まだ状況が動き出すには少しだけ時間があるから」
レイヴンは魔剣の力を目一杯に解放してトラヴィスが無尽蔵に生み出す魔物を喰らい続けていた。
互いに一歩も引くつもりは無いのだろう。トラヴィスはレイヴンが魔物堕ちして制御を失う事を感じて徐々に余裕を取り戻しつつある。
マクスヴェルトは皆の方に向き直ると、いつもの調子で話し始めた。
この状況下で、しかも強固な結界を何食わぬ顔のまま制御しているのだから、マクスヴェルトも大概だ。
「僕達が知っている魔物堕ちというのは本来の意味での魔物堕ちとは少し違う。魔物混じりと呼ばれる人達が何故魔物堕ちするのか?それは体内を流れる魔物の血への抵抗力が無くなる。或いは均衡が崩れる事で陥る現象だという事は理解しているでしょ?
結果として人の意識の消失、自我の崩壊といった症状を伴う事によって、魔物の血が暴れ出す。それを僕達は魔物堕ちと言っている訳だけど、厳密には、その時点ではまだ人の魂は残っているんだ。
これは最近になってようやく分かった事なんだけど、レイヴンの持つ願いを叶える力は、つまるところ“魂の救済” を行う力が根源にあるみたいなんだ。信仰心とか、そういう事じゃないよ?要は、魔物への抵抗力を失ってしまった魂の穢れを喰らって元の状態に戻す。レイヴンがやっていたのは、そうして救った魂を新しい器、つまり身体に移し替える事なんだ。魂が壊れて完全な魔物になってしまう前にね」
レイヴンは魔物堕ちした人間の全てを救えた訳では無い。
リアムの仲間達を救おうとした時には何人も間に合わずに死なせてしまった。それは人の魂が既に肉体から離れてしまっていたからだ。
魂を救うとは、シェリルが言うところの背中を押すという表現が最も近いだろう。
「なら、本当の魔物堕ちというのは?」
「それは見ていれば分かるよ。というより、どういう形になるかまだ判断し兼ねてるって感じかな」
『レイヴンの魔物堕ちにはまだ先がある。それがどういう形で発現するかが重要なのじゃ。もしも、世界を滅ぼした時と同じなら、妾達に勝ち目は無い。じゃが……』
「そうだね。今のレイヴンであればまだ僕とリヴェリアで押さえ込む事が出来る。世界が滅ぶ事も無いだろうね。……だけど、それではレイヴンは助からない。願いも叶わない。それだけは絶対にしたくないから、皆んなには協力してもらわなくちゃいけないんだけど……」
レイヴンが世界を滅ぼした時、人間性の一切が消失した状態だった。けれど、あの時とは違うとはっきりと言える事がある。
マクスヴェルトは集まった皆の顔を見て、何の心配も要らない事を確信した。
誰一人として下を向いている者はいない。真っ直ぐで力強い目だ。
レイヴンはもう一人では無い。
世界に絶望したあの日のレイヴンはもういないのだ。
ーーードクンッ!!!
「……鼓動の間隔が長くなって来た」
『いよいよ始まるか……。皆、警戒を怠るで無いぞ。決して勝とう等とは思わぬ事じゃ。全力で“逃げる” 事だけ考えよ』
「逃げる?どういう事ですか?」
「お嬢が待っている所まで走るのよ」
「へ?」
ーーードクンッ!!!
膨張し続けていた魔力の反応が急速に収まっていくと、魔剣を頭上高く突き上げたレイヴンが翼を広げて叫んだ。
「神ト魔ヲ喰ラウ魔神喰イヨ!世界中ノ闇ヲ喰ラッテ、願イヲ叶エロ!常世ノ主ゴト喰ライ尽クセッ!!!」