戸惑い
第ニ章 西方騒乱編 開幕です。
宜しくお願いします。
冒険者の街パラダイムから西にある森の更に奥。さして高くは無い山脈を越えた先、山の麓にドワーフの街がある。
街といっても小さな市場がいくつも寄り集まった場所という方が正しいかもしれない。特に決まった名称がある訳でも無く単純に『ドワーフの街』と呼ばれている。
ドワーフと言えば背が低く、太い手足に髭を蓄えた鍛治職人というイメージが強い。しかし、これから向かうドワーフの街は鍛治職人と言うよりも、ドワーフの商人が大部分を占める。
冒険者への依頼や、各地から貴重な素材や鉱物を集めて同じドワーフ族の鍛治職人に安く卸しているのだ。
腕の良い職人は街から少し離れた場所に工房を開いていくつか村を形成している。そこはドワーフの案内が無ければ立ち入る事が出来ず、余所者の侵入を徹底して拒んでいると言う。
その工房で作られた武具や道具は街へと運ばれ、外部の客に高値で売られているそうだ。
値段は馬鹿高いが性能は一級品。同じ素材でも、人間の職人が作った武具と比較してみると、その違いがよく分かる。
まず軽い。それから比較的安価な鉄の剣一つとっても斬れ味も強度もまるで違うのだ。一度でも使えば、他の武具は使えないと思わせるだけの高品質。当然、各地から噂を聞きつけた商人や冒険者がドワーフ製の武具を買いにわざわざやって来る。が、そこは職人気質の強いドワーフだ。信用と信頼の無い商人は相手にされず、馴染みの客であっても簡単には売ってくれない。
ドワーフは気の良い種族ではあるが、相手が誰であろうと気に入った相手にしか売らないのだ。
街にある店では誰でも購入出来るが、そこに置いてあるのは見習い鍛治職人が作った品だ。性能は人間の鍛治職人が作った物と同等か少し上回る程度。中には掘り出し物が混ざっている事もあるので、一度は見ておいて損は無いだろう。
「なあ、レイヴン。クレアの装備もそこで揃えるのか?」
「……いや、武器は最低限リヴェリアが用意してくれているから必要無い。先に素材の鑑定方法を覚えさせる。戦闘はまだ無理だが、生きる為に金は必要だからな」
「お前がいるじゃねぇか」
「ずっと一緒とは限らない。自分の食い扶持くらい稼げないと話にならない」
歩けるようにはなったが、激しい動きにはまだとても対応出来ないだろう。本格的な訓練を始める前に素材の知識を覚えさせる方が良い。体力についてはダンジョンの中を歩くだけでもスタミナをつける訓練になる。
この世界で生きる術とは、自分で自分の身を守る力を得る事だ。
静かに暮らすだけならリヴェリアの所でなくても、リアーナに頼んで他の子供達と一緒に暮らす選択もあった。しかし、クレアには一人でも生きていける“強さ”を身に付けさせてやりたい。一緒に居てやれる時間はおそらく、そう長くは無い。それまでに最低限の事を教えておきたい。
「そんな難しい顔するなよ。何でもかんでもしてやろうって思うのは逆効果だぜ? 依頼をこなしてりゃ嫌でも体で覚える。そういうもんだろ。な、クレア?」
「あうー!」
「ふむ……」
勝手に覚えると言うランスロットの意見には同意する。
守るばかりでは駄目なのも自分なりには分かっているのだ。
「ま、それはそうと、今日はこの辺りで野宿だな。山を越える前に陽が落ちちまう」
「……今ならまだ間に合うだろう」
「そりゃ、俺達だけならな。クレアがいるのを忘れるなよ?」
「……」
「あう……」
「クレアは悪くないぞ。レイヴンが気遣いの出来ない朴念仁なのが悪いのさ」
これもランスロットの言う通りだ。
先が思いやられる。
「なら、さっさと火を起こせ。俺は獲物を狩ってくる」
ランスロットとクレアを残して森の中へ入ったレイヴンは早速夕食の獲物を探し始めた。
耳を澄まし、獣の気配を探る。一番近い獲物は何匹か集まって群れで行動している様だ。
しかし、獲物を狩るのは慣れている筈なのに何故か上手く行かない。
レイヴンの気配を察知した獣は、近付く前にことごとく逃げて行ってしまう。
こんな事は初めてだ。
(……何故だ)
一人で旅をしていた時に出来ていた事が出来ない。良かれと思ってした事も全部空回りしてしまう。
レイヴンには何故そうなってしまうのかが理解出来ないでいた。
悪戦苦闘する事、数刻。
ようやく獲物を仕留めた時には、もう辺りは陽が落ちてすっかり暗くなってしまっていた。
「おっ! 良いぞクレア! 初めてにしては上出来だぜ!」
「あい!」
「 んー、でももう少し細い枝が欲しいな。集めて来てくれるか?」
「あい!」
「もう暗いから俺の目が届く範囲にしろよー!」
「あい!」
元気よく返事をしたクレアは転びそうになりなが一生懸命に枝を集め始めた。
手に持ち切れない分はランスロットが即席で作ってやった蔦の籠に入れていく。
「なんつうか、案外こんなのんびりした旅も悪く無いもんだな。にしても、レイヴンの奴何ちんたらやってんだ? まぁ、あんな状態じゃあ無理もねえか……」
ランスロットは、レイヴンが自分の変化に戸惑っている事に気付いていた。
それは感情の発露。
今まで経験した事の無い心の揺らぎをどうして良いのか分からないのだろう。
レイヴンは自身の持つ圧倒的な力を使って弱者を助ける事は出来ても、誰かの為に何かをする事、考える事は苦手だ。これまでは考えるまでもなく力で解決する事が出来たからだ。
クレアと旅をするという事は、クレアの為に考えて動くという事。それはただ寄り添うだけでは駄目だ。相手の側に立って物事を考えなければならない。
レイヴンに当たり前とそうで無い事の区別を付けろというのは難しい。そもそも、レイヴン自身が当たり前を理解出来ていないのだから無理も無い。
ここまでの道中もクレアの事が気になっているのか、気配を上手く消せていなかった。なかなか戻って来ないのもそれが原因だろう。
「二人同時に子守してる気分だぜ……」
「あーう!」
「おお、速いじゃないか。ありがとうな!」
クレアの言葉も時間が経てば元に戻るとユキノが言っていたが、今のところは何の変化も無い。
せめて会話出来ればレイヴンとの意思疎通がもう少しマシになると思う。
「なあ、クレアはレイヴンとずっと一緒にいたいか?」
「あーう!」
「そっか、ずっと一緒に居れると良いな」
「あう!」
言葉は分からなくても、ころころと変わるクレアの表情を見ていれば、何となくだけど気持ちが分かる気がする。
問題はレイヴンが朴念仁だという事だ。
こればかりは本人に努力してもらうしかない。
「戻った」
これだ。レイヴンは必要な時以外、ほとんど単語の様な短い言葉しか使わない。
どうにかして喋らせたいけど、流暢に喋るレイヴンを想像すると気持ち悪い。困ったものだ。
「おいおい、マジか。その兎一匹だけか?」
「これしか獲れなかった。……嫌なら食べるな」
食事を済ませたクレアはあっという間に眠ってしまった。慣れない旅でかなり疲れていたのだろう。
魔物の気配の無い夜は久しぶりだ。
風に揺れる木々の音。
遠くで聞こえる水の流れる音。
虫の声がやけに煩く感じる。
こんな静かな夜は落ち着かない。
焚火をじっと見つめたまま動かないレイヴンを見たランスロットは小さなため息をつく。
(相当重症だな)
常に危険な環境にいたレイヴンにいきなり慣れろとは言わないし、言えない。
「じゃあ、先に寝るからな。交代する時に起こしてくれ」
「ああ……」
(ったく、焦る必要は無いんだぞ、レイヴン……)
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レイヴン達がドワーフの街を目指していた頃、とある館の中で男は報告書を片手に愉悦に浸っていた。
貴重な実験体を失ったと報告を受けた時には怒りで我を忘れそうになったが、報告書の最後には『魔剣の力により魔物堕ちした実験体を人間に戻した』とあった。これは非常に興味深い。
魔物堕ちした人間が元に戻った例は一件も無い。しかも、それを成したのは魔物混じりだと言うではないか。
魔核が完全に癒着した状態から魔の力を取り除く。そんな事は、かの魔法の大家、賢者マクスヴェルトの魔法を持ってしても不可能だ。
「あ、あの…それで、俺達は一体どうなるんで?」
「わ、私は最後まで実験体を死守しようとしたんですよ! それをこの二人が……!」
「自分が真っ先に逃げようとしたんじゃないですか…」
「おだまり!!! ち、違うんですよ? 私は本当に……」
男の前で必死に弁明している三人、背の高い痩せた男の名はサイモン。背の低い小太りの男の名はヴェス。
そして、リーダー格の強欲そうな女の名はイザベラ。
いずれも盗賊崩れの小悪党ではあるが、諜報をやらせるのに何かと便利な連中だ。替えはいくらでも居る。
今回のような失態を犯した場合でも簡単に切り捨てられる。だが、まだこの三人には利用価値があると考えていた。
「お前達の失態を私は許そう。ヴェス、魔剣について分かっている事を話せ」
「は、はい! 魔剣の名前は『魔神喰い』という伝承にも殆ど詳細の書かれていない幻の魔剣でして…持ち主の魔物混じりから奪うという話もあったのですが………その、なんと言うか、出鱈目な強さでして…。レイドランクの魔物を一人で倒してしまう様な奴なんです。そ、それと、持ち主の名前までは分かっていません。い、以上です!」
(魔神喰い? もしや……)
男は黙って報告書をもう一度確認する。
(高ランク冒険者と思われる人物が複数……。なるほどなるほど、そういう事か)
「お前達は引き続き魔物混じりの調査を行え。ただし、手を出すな。報告だけで良い。以上だ。行け」
「は、はい!」
「あ、あ、ありがとうございます!」
「調査を開始します!」
三人が慌ただしく部屋を出た後、男は堪えていた笑みを深くする。
久しぶりに気分が良い。
魔物堕ちを元の人間に戻す事が出来る力をなんとしても手に入れたい。それが無理なら、魔物堕ちから生還した実験体を捕まえる方法もある。
長年の研究が完成すれば、魔物の力を持った強力な兵士を量産出来る。他の連中に渡してなるものか。
「おっと…いかんな。私とした事が……」
男は逸る気持ちを抑え込む。
直ぐに手を出すのは愚策である。じっくりと事に当たるべきだ。
これは実験を成功させて勢力図を塗り替えるチャンスなのだ。
「こんな辺境に私を押し込めた連中に目に物見せてやろう。ああ、楽しみだ。本当に楽しみだ…ククククク」




