ギルの異変
えー……寝落ちしていました。
ごめんない。
突如レイヴンに剣を突き付けたギルの行動を見たゲイルは顔を青くした。
レイヴン相手に殺気を隠しもしない様子を見ているだけで寒気がする。力づくでどうにか出来る相手では無い事くらい理解している筈だ。
「ギル!何をしている⁈ レイヴンは味方だ!信用出来ない気持ちは分かるが、今は皇帝陛下をーーー」
「ゲイル団長は黙っていて下さい!」
先程までとは打って変わってギルの表情は、ゲイルでも見た事が無いくらいに鬼気迫るものになっていた。
ただし、鬼気迫る表情には怯えの感情が透けて見える。
「ギル、お前……」
感動の再会も束の間。ギルはゲイルの言葉を遮って、レイヴンの前に立った。
それがどれ程愚かな行為なのかも理解出来ていない。
「魔人レイヴン。お前を行かせる訳にはいかない。この場から動くな」
最強と呼ばれる魔人レイヴン。黒い鎧を纏って立つ姿からは、帝都を襲撃した時に感じた桁違いの魔力は感じられない。ただ一つ、不気味な程に静かな魔力の流れが気にかかる程度だ。
ダンジョンの外へ出て来たという事は、帝国内で起きている異変に気付いたからだろう。あんな地下深くに居てどうやって気付いたのかは謎だが、今はレイヴンを帝都に向かわせる訳にはいかない。
「……久しぶりの再会なんだろう?俺に構わず、そのまま話していれば良い」
レイヴンは突き付けられた剣を気にする様子も無く淡々と告げた。
ギルの放つ殺気には気付いているだろうに、レイヴンはそれがどうしたと言わんばかりの態度だ。
「そういう訳にいくか!これは皇帝陛下の御意志でもある」
「皇帝?俺は俺の目的とゲイルとの約束を果たしに来ただけだ。奴の部下でも無ければ、帝国の住民でも無い」
ゲイルとの約束を果たす事はクレアの面倒を見てくれた事への礼でもある。皇帝が何と言おうがレイヴンには全く関係の無い事だ。ギルの事を無視しても良いのだが、ゲイルとの関係を考えれば無視するというのも気が引ける。それに、ギルには興味もあった。
レイヴンはゲイルに視線を送って了解を得ると、振り返りざまにギルの剣を真っ二つに切断した。
「……ッ⁈ 」
一歩も動けないどころか、瞬きする間すらない。
ギルが何か起こったのかようやく認識した時には、斬り飛ばされた剣が地面に落下する音が響いていた。
(この程度か。……期待していたのとは違うな)
勿論、レイヴンは全く本気では無かったし、周りで見ていたゲイル達にもちゃんとレイヴンの動きが見えていた。確かに二人の間には大きな力の差がある。だとしても、この程度の動きに反応すら出来無いギルの方がおかしいのだ。
「ば、化け物め!舐めるなよ!」
しかし、ギルの方はその事に全く気付いていないのか、レイヴンに向かって啖呵を切る始末だ。これにはゲイルも顔を顰めていた。副団長であった頃のギルは粗暴な面が目立ちはしたが、いざ戦いとなれば相手が誰であろうとも真剣に立ち向かっていく高潔さを持ち合わせていた。
それがどうだ?今のギルにあるのは疑念や迷いといった雑念ばかり。レイヴンに向けた感情は勢いだけの野党と何も変わらない。
(何なんだよ!こんな化け物にランスロットが一体どうやって勝てたって言うんだ⁉︎ )
「ふむ……邪魔をするなら、次は首を斬り飛ばす」
レイヴンらしく無いわざとらしい台詞だ。適当に演技をしているのは誰の目にも明らかなのに、ギルにはそう見えなかったらしい。
ギルは歯軋りしてレイヴンを睨み付けると、持っていた剣を捨てて腰に下げていた二本の短剣を抜き放つなりレイヴンに斬りかかった。
(ほう……)
予備動作の殆ど無い流れる様な動きは見事な物だ。けれど、レイヴンにはギルの動きが止まっている様に見えた。技術的な事よりも、戦う理由が希薄とでも言うのだろうか。ギルから感じるのは殺気ばかりで、一体何の為に剣を振るっているのか全く伝わって来ない。
ランスロットと互角に戦った男がいると聞いて少し興味があったのだが、これでは今のランスロットには遠く及ばない。
これ以上は意味が無いと判断したレイヴンが動く前に、ルナの声がした。
「させる訳ないじゃん」
「け、結界⁉︎ 魔法が使えるのか!」
レイヴン目掛けて放たれた短剣は、ルナの張った結界によって呆気なく阻まれてしまった。
本気の戦闘であれば邪魔をするなと言う所だが、レイヴンは既にギルへの興味を失っていた。後はルナに任せておけば良い。
「程々にな」
「分かってるって!(レイヴン、片方の反応が急激に弱くなってる。多分、皇帝の方。急いだ方が良いと思う)」
「(分かった)ギル、お前は何の為に剣を振るっている?喧嘩がしたいだけなら野党の集まる酒場にでも行くんだな」
レイヴンはそれだけ言うと、ギルに背を向けて帝都に向かって飛び立って行った。
「ま、待て!まだ俺の話は終わっていない!」
「煩いなあ。大体、話って何?まだレイヴンの邪魔をするつもりなら、僕が相手になってあげるよ。翡翠!」
ルナの魔力が異常に膨れ上がるのと同時に展開された巨大な魔法陣から、緑色の髪をした美しい幼女が召喚された。戦闘が出来る様には全く見えない。
それだけなら何かの余興かと笑い飛ばす事も出来た。けれど、その幼女が纏う圧倒的な存在感はギルだけで無くゲイル達からも言葉を奪った。
『ふあ〜……まったく、随分と気軽に召喚してくれるものじゃな……』
翡翠はまた眠っていたのだろう。眠たそうな目を擦りながら背伸びをしていた。
「そう?僕は翡翠と沢山お喋り出来るから楽しいよ?」
大袈裟に展開された魔法陣は只の演出。使用した魔力も最小限の簡易な召喚だ。
無詠唱で召喚くらいして見せろと言ったのは翡翠の方だ。それにしても、これだけの短期間でこんな器用な真似が出来てしまう才能には舌を巻くばかりだ。
やはりシェリルやカレン達と話した“レイヴンの力の恩恵を受けている” という説は濃厚の様だ。
『ふふふ……お主らしいな。まあ良い。ならば、さっさと済ませてお喋りをするとしよう』
「でしょ?それが良いよ」
翡翠は満更でも無さそうな笑みを浮かべてギルの前に立ちはだかった。
ルナがわざわざ召喚するからには面倒毎が起きたのかと思って起きてみれば、何と言うことも無い。はっきり言って、この程度の事で精霊王を召喚されては堪った物では無い。
「何者だ!」
警戒して構えるギルは目の前で起きた異常事態に理解が追い付いていない様子だった。
見た所、実力的には後ろの三人と遜色ない。白髪の男が頭一つ抜きん出ているといった所だ。翡翠が知る中で最も実力が近い者で言えばランスロットがいる。
『そう言えば、レイヴンはどうしたのじゃ?姿が見えぬが……』
「レイヴンなら、さっさと行っちゃったよ?』
『ふむ……』
レイヴンは真剣に向かって来る相手を馬鹿にする様な事はしない。たとえ実力差が明白であったとしても、本気の相手には本気で応える。なのに、そのレイヴンがまともに相手にもしなかったという事は、目の前の青年からは何も感じる事が無かったからだと容易に想像が出来る。
『……妾を召喚する必要は全く無かった気もするが。そうじゃな、自己紹介くらいはしてやろう』
翡翠はルナがやった様に、わざとらしく大きな身振りで魔力を高め始めた。
すると、幼女の姿をしていた翡翠の体が妖艶な美女の姿へと変化していった。
勿論これも魔法による演出。所謂、幻というやつだ。
「……!!!」
『妾は精霊界を統べる者にして召喚者ルナの友。精霊王翡翠である。主には何の恨みも無いが……折角じゃ、戯れ程度に遊んでやろうぞ。覚悟は良いか?』