動き始める者
今回は少し短いです。
ロズヴィックと常世の姫が戦闘を開始した頃、崩れた王城の瓦礫の下からトラヴィスが這い出て来た。
咄嗟に白い翼を持つ魔物を召喚して下敷きにされるのを防ぐ事には成功したものの、不気味な程整った単性な顔おは怒りと恐怖に歪み、白い肌も魔物の血と埃でべったりと汚れていた。
「クソッ!クソッ!クソッ!どうしてこの私がこんな目に……!」
皇帝ロズヴィックを倒せるだけの備えはあった。なのに、そんなトラヴィスの計画は脆くも崩れ去ってしまった。
全く予想だにしていなかった常世の姫の覚醒で何もかもが台無しだ。
あの力は最後の最後。魔人レイヴンの力を奪う為に長い長い時間をかけてじっくりと飼い慣らす予定だった。それをロズヴィックは無理矢理表の世界に引き摺り出した。
死後の世界と現世の狭間に存在する魂の選定者。
それが常世の主だ。
神でも悪魔でも無い第三の存在の力を使えば世界を相手にもう一度過去の大戦を引き起こす事だって可能だ。
「それが貴様の限界という事だ。世界を舐めるな」
崩れた瓦礫の上から聞こえる冷たく低い声。
トラヴィスは声の主が生きている事に激しく動揺していた。
「ルーファス⁈ た、確かに殺した筈だ……!」
レイヴンとルーファスのやり取りを見ていたトラヴィスは自分を欺いていた報復として、ルーファスと部下を纏めて殺した。
入念に死体を調べて本人に間違い無い事も確認した。なのに、トラヴィスを冷たい目で見下ろすルーファスは生きている。
「ああ、確かに殺された。俺も、俺の部下達も……だか、死んでいない」
ルーファスはトラヴィスにゆっくり近付きながら仮面を外して見せた。
暗がりに浮かぶ二つの眼球。
仮面の下の素顔を見たトラヴィスは言葉を失った。
「……ッ⁈⁈ 」
「どうした?俺の素顔もちゃんと確認したらどうだ?」
トラヴィスの闇しか無い黒い目に写っていたのは自分の顔だった。ルーファスの瞳には間抜けに口を開けた顔も写っている。
ルーファスの死体を確認した時の顔は一体何だったというのか。
「ま、まさか……」
「まだ生きていたいのなら、それ以上は口にしない事だ。理解したなら目を閉じてジッとしていろ」
ルーファスが仮面を一度翳して離すと、今度はレイヴンの顔が現れた。
瑞々しい肌の質感や顔の表情を見る限り魔法の類では無い事は直ぐに分かった。
「陛下の用が済んだ後は好きにしろ。お前への罰はレイヴンが下す。俺の役目では無い」
トラヴィスは苦虫を噛み殺した様な表情で口を黙んで目を閉じた。
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北方にある地下ダンジョンに到着したギルは、入り口でレイヴン達と遭遇していた。
先頭を歩く無愛想な顔の青年は黒い剣を腰に下げていた。
帝都を襲撃した魔人が似たような剣を持っていたとの報告から、目の前の青年が中央大陸に存在する三人の化け物の一人、魔人レイヴンであると分かった。
そして、その直ぐ後ろには中央から応援に来ている冒険者の姿と、白髪で魔物混じりと同じ赤い目になったゲイルの姿もあった。
「ギルか?……見違えたぞ。すっかり騎士団長らしくなったな」
ギルの姿に気付いたゲイルが近付いてギルの肩に手を置いた。
「ゲイル団長……」
姿は変わってしまったが、間違い無くゲイルだ。任務中は厳しい人だったが、非番の日等にはよく部下達を誘って食事や訓練に付き合ってくれていた。
そういう時に見せるゲイルと同じ表情だ。
「私が居ない間の事は、ルーファスから事情は聞いている。連絡してやれなくて悪かった」
「いえ、“俺” の方こそ直ぐに来れなくて……」
ゲイルはギルの暗い表情を見て何を考えているのか察しがついていた。
「……気にするな。お前とまたこうして会えて良かった」
ゲイルとギルが出会ったのは帝都外壁の外側にある森の中だ。皇帝ロズヴィックの様子がおかしくなったと感じ始めた頃、保護する筈の魔物混じり達の一部が魔物堕ちの危険性が高い事を理由に、森に放り出されるという事案が多くなった。
それは皇帝ロズヴィックの掲げた理想を自ら否定する行為であり、魔物混じり達を導いて来た数千年という長い刻を無にする行為だ。
何か理由がある筈だと察したゲイルは、数名の部下を連れて定期的に森の巡回をする様になった。その時に出会ったのがギルだ。
(私もレイヴン達の事を言っていられないな……)
今思えば、皇帝陛下と周囲を取り巻く大臣達の不可思議な行動は全て、帝国内に異変が起きているという皇帝陛下からのメッセージだったのだ。忠誠を誓っておきながら、それに気付けないとは実に不甲斐ない事だ。けれども、どんなにおかしいと感じていても、皇帝の命は絶対だ。騎士団長といえど皇帝陛下の決定に直接意見する事は憚られた。
それでも意見すべきだった。たとえ皇帝陛下に背く事になっていたとしても。
皇帝陛下が欲していたのは、一人でも多くの信頼出来る味方だったのだ。
今はその事を酷く後悔している。
「ゲイル。話の途中で悪いが、俺は先に行く。ルナは念の為にここの防衛を頼む」
二人の再会は喜ばしいのだが、レイヴンは帝都から感じる異常な魔力の高まりの元凶を確かめに行く用事がある。
一つはロズヴィック。もう一つは感じた事の無い魔力だ。
「えー⁈ 此処まで来てお留守番なの⁉︎ 」
レイヴンは駄々をこね始めたルナの頭をポンポンと軽く叩いた後、魔剣を発動させて黒い鎧を纏った。
「しょ、しょうがないなぁ……分かったよ。早く帰って来てよね?」
ルナは自分の頭を触りながら嬉しそうに笑顔を浮かべた。
その様子を見たライオネットとロイは、驚いた顔をしていた。
ルナと一緒に過ごしたのは一年にも満たない期間だけだが、騒ぎ始めたら非常に面倒になる事を嫌と言うほど知っていた。鎮められるのはクレアとリヴェリアだけ。そんなルナをレイヴンが頭を軽く叩いただけで言う事を聞かせた事が信じられなかったのだ。
きっと、それだけレイヴンの事を信頼しているという事なのだろう。
「ああ、なるべく早く戻る」
レイヴンが白く美しい四枚の翼を広げて飛び立とうとした時だった。
「待て」
音も無く抜き放たれたギルの剣が、レイヴンの背中に突き付けられた。