王である事。自分らしくある事。
王城の中を歩くリヴェリアの姿を見た城の家臣達は誰もが皆、息を飲んで頭を垂れて跪いた。中には涙を流す者までいる。
彼等は中央大陸の仕組みと秩序を維持する為にガレスが選りすぐった者達である。長い間待ち続けた主の帰還だ。感情が昂るのも無理はない。
リヴェリアはそんな彼等の間を足早に通り過ぎて行く。
今のリヴェリアは美しい容姿に加えて神聖な雰囲気を纏っている。その神々しくすらある姿がリヴェリアは好きでは無かった。
本来の自分である事は確かなのだが、話をするにも相手が畏ってしまって、窮屈に感じるのだ。
「むう……やはり駄目だ。こうも人に頭を下げられると体がむず痒くなる」
『慣れて下さい。既に竜王を名乗った以上、後戻りは出来ません』
「慣れ、か。無理だろうな……」
巨大な扉を通り抜けた先が玉座の間だ。
リヴェリアは玉座へと続く階段の下から空の玉座を見上げて、それ以上は近付かなかった。
「……レーヴァテイン、王とは何なのだろうな。この数百年という時を過ごして来て、一度も王という存在が必要になる事は無かった。王家直轄冒険者の証を授与した時くらいか?……あれにしても全部偽物だ。正しく政を行う者がいて、それを守る為の最低限の秩序がありさえすれば、仕組みは秩序として機能する。王が誰だとか国だとか、多くの者達にとってはどうでも良い事なのだろうな。それこそ叔父上の様に、自らが先頭に立つ覚悟があれば別だが……。生憎、私にはそんな度胸も気概も無い事を自覚している。第一向いていないのだ。私はただ後悔に取り憑かれて、シェリルの忘れ形見であるレイヴンをどうにかして助けてやろうとしていただけだ。数え切れないほど多くの人々の人生を弄び、己の願望を満たそうとした。そんな私は王では無い。レイヴン一人を導く事でさえ手に余るというのに……」
『……』
「私はなレーヴァテイン。私が私の唯一の王であればそれで良いと思っているし、それが私の精一杯だと思っている。そして私以外の皆も同じだ。自分という存在がこの世界で唯一の王であると自覚して生きてくれさえすれば、それで良いと思うのだ。レイヴンの様にとは言わないが、自由で良いと思わないか?生き苦しい事もあるだろうが、自分が望む限り、足りない分は繋がりが勝手に補ってくれる。
レイヴンが望むありふれた日常。私もそんな日常が好きだ。その為なら徹夜もするし、おやつも我慢する。
最近夢に見るのだ。今よりもずっと魔物が減って、街や村を囲う高い壁が必要無くなった世界を。太陽の日射しを浴びて、干し草に横になって目を閉じる。森や田畑で自由に遊ぶ子供達の笑い声が良い子守唄になるだろう、とな」
『……』
王家が存在するかの様に見せかける為だけに作られた空の玉座には、今まで誰も座る事は無かった。そして、これから先もこの玉座は空のままであり続ける予定だ。
竜王としての肩書きはあくまでも竜人族としての物。人間の王としてリヴェリアが中央大陸に君臨する気は毛頭無い。
仮染めの王制ではあったが、仕組みとしてはほぼ出来上がっている。サラに託した外界との交易路が完成すれば、更に盤石な物になるだろう。
文明が発展したとしても、この世界から魔物が消えない限り人々の共通の敵であり続ける。であれば、争いそのものは無くならないにしても、人間同士、国同士の争いは最小限で済む筈だ。
「皆、私の事を買い被り過ぎだ。私には王など向いていない。私自身がそう言うのだから間違い無い」
『……』
レーヴァテインは何も答え無かった。
たった今、リヴェリアが口にした事は全て自身が王である事を否定する為の言葉だった。しかし、裏を返せばそう口に出来る事が既に、王に相応しい言葉であり、考えだと思っていた。もしもリヴェリアが自分こそが王に相応しいなどと口にしようものなら、そんなモノは王では無い。紛い物だ。
「いいえ。だからこそ貴女は王に相応しい。普通の者はそんな事を考えたり、口にしたりはしません」
振り返ると、元老院筆頭ガレスが部下を従えて立っていた。
「ガレス、それにお前達にも聞いて欲しい。私がこの場にやって来たのは、あくまでも交渉に必要な体裁の為であって、王としてでは無いのだ。中央大陸は、既に私の手を離れつつある。王など居なくても何も問題は無い。それに、お前達がいれば仕組みは機能するだろうしな。
……そんな顔をしないでくれ。そういう風になる様に私なりに頑張って来たのだ。いや、頑張って来たのは罪滅ぼしの為だな……。私がもたらした自分勝手な行いの代償だ。期待した者もいただろうに……最後まで自分勝手ですまない。この交渉が成立すれば、私の役目も終わる。今後はシェリル達とのんびり旅をして過ごすのが私の願いなのだ」
空の玉座を背にして話すリヴェリアの姿は窓から射し込んだ光によって輝いていた。その様子は正しく竜王の名にふさわしい荘厳な気配を放っている。
リヴェリアの長い言葉の一つ一つが自分への懺悔の言葉だ。なのに、その言葉は聞く者の心を惹きつけた。
「それでも貴女はやはり王であられる。本当はもう分かっておられる筈……王とは権威の事を指すのではありません。自らを統治し、他者を支配するのでは無く、守護し、導く事こそが王の役目であり役割。どんな理由があろうと、貴女は貴女らしく我々と民を導いて来られた。たとえその事を民が知らなくとも、貴女を慕う者、この城に仕える者は皆、貴女のなさり様によって忠義を尽くすと決めた者達です。
自分勝手と仰せになられましたが、後悔、迷い、大いに結構ではありませんか。
竜王リヴェリア陛下。見守ってくださるだけで良いのです。旅でも何でも好きになされれば良い。王という存在が飾りとして機能しているのなら、民は安泰でしょうから。そういう方だからこそ、我々も忠義を尽くす甲斐があるというもので御座います」
ガレスが喋り終えると同時、家臣達は一斉に片膝を着いて臣下の礼をとった。
「よ、よしてくれ!私は……私は王などでは無い。私は……」
『我が王。今まで通りです』
「今まで通り?」
『玉座に座るかどうかは問題ではありません。貴女が貴女らしく生きる事が王の振る舞いそのものなのです。それに、腹を括ったのでしょう?なら、最後まで貫き通すべきです。でないと、レイヴンに笑われてしまいますよ?』
「レーヴァテイン……ずるいぞ……」
レイヴンを引き合いに出されては返す言葉も無い。
リヴェリアは玉座の間に射す太陽の光を見上げ、溢れる涙が溢れない様に堪えていた。
「私はズボラだぞ。身の回りの事には頓着しないし、食べる物といえば菓子と紅茶ばかりだ。旅に出ればいつ戻って来るかも分からない。旅が楽しくて二度と戻って来ないかもしれない……。戻って来たとしても、お前達の言を聞かないかもしれない。勝手な思い付きで困らせるかもしれない……。それでも良いのか?」
「御随意に……。我々は陛下の治世があまりにも完璧過ぎて、少々退屈しておったところです。それに、また昔のように、勝手に彷徨くお嬢様をお世話させて頂くのも面白う御座いますしな。あの時は方々を探し回って大変な目に遭いましたぞ」
ガレスの言葉を聞いたリヴェリアの頬を伝って落ちた一筋の涙が、レーヴァテインを濡らした。
「レーヴァテイン」
『御意。第三までの封印術式を再実行します。行きましょう。会談が始まります。“我が主” 』
「ああ、行くとしよう。ガレス、後でサラという新米商人が訪ねて来る筈だ。案内してやってくれ」
「はっ!仰せのままに」
(レイヴン。お前が歩き続けられる本当の理由が初めて分かった気がするぞ)
リヴェリアは赤い髪を靡かせながらガレス達の間を颯爽と通り抜け、円卓の置かれた部屋の扉を開けた。