敗北と満足感。
終わりのない剣撃が鳴り響いている最中、それは唐突に訪れた。
体力の限界まで攻め立てたランスロットの膝がガクンと崩れた瞬間に、これまで魔人喰いと刃を交えて来たロングソードも限界を迎えて真っ二つに折れてしまった。
「ハァハァ……何でそこで手を止めちまうんだよ」
折れたロングソードを支えにして膝をついたランスロットに対して、レイヴンはランスロットの喉元に魔剣を突き付けた状態で動きを止めた。
「ここまでだ。……これは“遊び” そうなんだろ?」
レイヴンは殺気の無いランスロットを遂に最後まで捉える事が出来なかった。
自分に対する害意や敵意、殺意には即座に反応出来るのに、ランスロットにはそれが無かった。
「へっ……どうかな。少なくとも俺は本気だった」
攻撃という行為が相手を倒す為の技術として成立しない矛盾はレイヴンの心を戸惑わせた。
攻撃は防がなければならない。けれども、自分を傷付けるつもりの無い相手に対して、自らの剣を振り下ろす事の違和感は、レイヴンの体に反撃が成立する事を拒ませた。
「お前には驚かされた。まさかこういう方法があるとは思わなかった」
「……少しは、気が晴れたかよ?」
「ああ。悪くない。これも俺が“欲しかったもの” だ」
「……そりゃ良かった。俺に出来るのはこれくらいしかねぇからな。もしかしたらって思ったのが当たってて良かったぜ」
「変に気の回る奴だな」
ランスロットはリアムの街でレイヴンが見せた行動に違和感を覚えていた。以前から似たような事はあったのだが、特に酷かったのが帝国から帰って来てからだった。明らかに苛ついているのに、それを必死に隠そうとしている姿を見て不安を覚えた。そしてそれは、無心で土を耕すレイヴンを見て決定的なものになった。
街を離れる前夜、リアム達に何か理由を知っているかと聞いて、ようやく謎が解けた。
レイヴンがかつてこの街で畑仕事を手伝いながら暮していた事があった事。
ルイスという女性がレイヴンに生き方の指針を示した事。
遺跡の周辺に咲き乱れていた花畑はレイヴンが世話をしていた事。
レイヴンはあの数年という短い時間の中に理想の暮らしを夢見ていた。
田畑を耕し、花を愛で、陽の落ちる水辺を眺めながら夜を迎える。そうして、ゆっくりとした時間が流れて行く。
そんな当たり前の生活が欲しいのだと強く感じるきっかけになった街があったのだ。
ニブルヘイムで見せた超常の力が再現した景色はおそらく、レイヴンが焦がれてやまない理想の世界の一端だ。レイヴンが時折口にする『特別なんか要らない』という言葉の真意はあの日見た景色にこそ集約されているのではないだろうか。
当たり前の日常に勝る幸せなど無いと分かっているからこそ、恋い焦がれる様に願うのだ。
「本当に面白い剣だな。再生能力まであるのか。確か魔物の素材も使ったと言っていたな。だが、そろそろ終わりにしよう」
レイヴンの放った拳がランスロットが不意打ちで放った一撃を押し返した。
「…チッ。今のはいけたと思ったのに。簡単に防ぎやがって……」
「急襲、不意打ちはお前の得意技だからな。あれだけ動きを見ていれば流石に目が慣れた」
「なら、これならどうだ?」
「……⁉︎ 」
それまで穏やかだったランスロットの纏う気配が獰猛な肉食獣を思わせる鋭さを放ち始めた。無数に繰り出されるランスロットの攻撃の中に殺気が篭った攻撃が混ざっている。全てでは無い。五回……いや、三回に一度だけ殺気が篭められた本物の攻撃が放たれている。
(突然何だ⁈ )
殺気の無い攻撃に対しては体が反応する事を拒絶してしまう。無意味な殺し合いはしたくない。けれど、殺気が込められているのなら、レイヴンの意思とは無関係に体が勝手に反応してしまう。
「よせ!せっかくの“遊び” を不意にしたくない!」
「……」
だが、ランスロットはレイヴンの訴えを聞いても攻撃を止めなかった。
どうにか反撃の手を抑えていたレイヴンだったが、ランスロットの攻撃に織り交ぜられた攻撃の殺意が増して行くにつれて体が勝手に反応し始めた。
(くそっ……!このままでは!!!)
このままではランスロットを殺してしまう。
そう思った瞬間に、それは起こってしまった。
苦悶の表情を浮かべるランスロットの顔を赤い鮮血が真っ赤に染め、斬り飛ばされたランスロットの右腕が宙を舞った。
「しまっ……!」
恐れていた事が起こってしまった。
今のは腕一本で済んだが、次はまず間違い無くランスロットの命を奪ってしまうだろう。
「ばーか……」
ランスロットの口元が不適に歪んだのを見た次の瞬間には、仰向けに倒れたレイヴンの目の前にランスロットの剣が突き付けられていた。
腕が斬り飛ばされた瞬間に左手に持っていた糸を引っ張って剣を手繰り寄せるのと同時に、殺気の無い足払いでレイヴンを押し倒したのだ。
“遊び” は終わりだ。
レイヴンは小さくため息を吐くと、魔剣の発動を終わらせて鎧を解いた。
「参った……俺の負けだ」
「へへっ……やっと勝てた。追いついた訳じゃねえけど、やっとだ……」
大量に出血したランスロットは青ざめた顔で満足そうに笑うと、剣を離して仰向けに倒れた。
レイヴンにとって生まれて初めて味わう敗北感は、人間では無い存在になってしまった事への不安や諦めの気持ちすら吹き飛ばした。そうして最後に残ったのは満足感。
負けて悔しいという思いよりも、不思議と言葉に出来ない何か温かい気持ちが湧いて来るのだ。
「あーあ、何で勝った俺がぼろぼろで、負けたお前が無傷なんだよ。こっちは腕一本斬り飛ばされてんだぞ?ああ……血を流し過ぎて頭がくらくらして来た。腕の痛みどころじゃねえよ……」
「……」
ランスロットはこういう奴だ。
自分の気持ちに素直で口が悪い。稼いだ金は殆ど武具、酒、女に消える。どうしようも無いふざけた奴だ。けれども、仲間の為なら躊躇なく自分を犠牲にする情の厚い、むさ苦しいくらいに熱い奴でもある。
こんな愉快な人間とは、ランスロット以外には出会った事が無い。
「この一瞬の為に腕をわざと斬らせるとはな……。まったくとんでもない事を考える奴だ。もう少しで本当にお前を殺してしまうところだった」
「何言ってやがる。お前がやって来た無茶に比べたらマシだ。それに、最強の魔人相手に勝つ為に腕一本で済んだんだぜ?どうだ?安い買い物だろ?」
実際の所、ランスロットがレイヴンに勝つ為にはこれ以外の方法は無かったと言わざるをえない。利き腕を失う代償は大きい。失敗すれば命を落とす危険すらあっただろうし、勝利の可能性など無いに等しい絶望的な戦力差という現実も立ちはだかっていた。
殺意を持ってレイヴンの前に立つという事はそのまま死を意味する。
あまりにも無謀で愚かな行為だ。こんな事をしようだなんて本物の馬鹿だ。
しかし、そうでなくては万が一にも届かなかった。
ランスロットが掴んだ奇跡的な勝利は、長年挑み、負け続けたレイヴンからの勝利をもぎ取り、レイヴンの荒みかけた心をも救ってみせた。
腕一本が高いのか安いのか。それはランスロットが決める事だ。
「ふふ……そうだな、安い買い物だ」
「だろ?」
「だが、いくら治せると言っても、馬鹿だな。元のようになるには時間がかかるぞ。なのに……お前は最高の大馬鹿野郎だ……」
「なんだ、今更気付いたのか?」
互いの顔を見合わせた二人は、堪え切れずに笑い出した。
「「あはははははははははははは!!!」」
今まで聞いたことも無い様な二人の明るい笑い声がどこまでも響いていた。
それはとてもとても楽しそうな笑い声だった。
最強の主人公が負けるとしたら、こういう展開が良い。
ずっとそう思っていました。