人で無いモノ
エレノアとカレンにのし掛かる魔力の重圧は一瞬で二人から戦意を奪った。
これまでもレイヴンが全力で超常の力を振るう度に息苦しさはあった。それでも、自制心さえ強く保っていれば結界が無くとも耐える事が出来た。なのに今は無理だ。
二人共奥の手を出して戦意は高まっていたのに、それがどうしたど言わんばかりに消し飛ばされた。
最早、勝てる勝てないの次元では無い。本能が抗う事の無意味さを感じとってしまった。
逃げようにも体が震えて脚がいう事をきかない。
「シェリル!ルナ!結界の強度をもう一段階上げるわよ!」
ステラは三人で結界を維持していても、完全には遮断出来ないと判断した。
本来なら一人で展開しても十分な強度がある。レイヴンやリヴェリアが直接結界を破ろうとしない限りは持ち堪えられると考えていたのだ。しかし、レイヴンが放つ魔力の圧力は、想定していたよりも遥かに強い。
「無茶言わないでよ!私こういうのは昔から苦手だって知ってるでしょう⁈ 」
「文句言わないの。昔、教えてあげた事があるでしょう?それを思い出して!あとは私がやってる事を真似すれば良いから!ルナはもうやってるわよ?」
「うう……」
シェリルは魔法が苦手だが、やって出来ない事は無いとステラは知っていた。シェリルが魔法の勉強や練習を嫌がったのも、ステラが剣の訓練をしなかったのと同じ理由だ。
互いの個性を尊重し合う事でいつも協力して来た。
(本当に凄い……私の展開してる魔方陣から術式の構成を読み取ってる)
ルナは結界を維持しながら術式の書き換えを行っていた。しかも、ただ真似するだけじゃない。自分が扱い易いように手を加えているのが分かる。
ルナはステラがなかなか話しかけて来ない事に痺れを切らしたのか、わざわざ自分からステラに話しかけて来た。
ーーーあのさ、僕ももう恨んで無いよ。こうして新しい体と力をレイヴンから貰う事が出来たし。あの長い苦しみも、魔剣が完成しなければ、今の幸せは無かったと思えるから。……僕をこの世界に生み出してくれた事には感謝してる。本当だよ?けど、今の僕はルナだ。レイヴンが付けてくれたこの大切な名前は魂に刻まれている。だから、僕とステラの"昔話“ はこれでお終い。これからは友達って事で改めて始めてみようと思うんだけど、どうかな?
どうしてレイヴンの周りにはこんなにも温かい人達がいるのだろう……。ルナは屈託の無い笑顔でステラの手を握っくれた。
「ちょっと、ステラ!何でいきなり泣いてるのさ⁈ ちゃんと結界張ってよ!僕とシェリルだけじゃ無理だってば!」
「うん、ごめん。ありがとうルナ」
少し恥ずかしそうなルナとステラのやり取りを見ていたシェリルは、優しく微笑んでいた。
三人のやり取りの最中もレイヴンから獣の様な低い唸り声が響いていた。
黒い霧は赤い霧へと変わり、漆黒の鎧には魔剣と同じ血管の様な赤い線が全身に浮き出て、まるで鎧が生きているかの様に脈動している。
今までとは明らかに違う。レイヴンの目は光を失い、心臓の辺りに見える赤い光は間違い無く“魔核” だった。
白く美しい四枚の翼こそ健在だが、鎧の禍々しさと相まって、異様な雰囲気を醸し出している。
魔物堕ちが進行しているにしても、まだ完全に魔物になってしまった訳では無い。それでもまだ、レイヴンの魔力は際限無く膨らみ続けた。
ーーーガシャン!
エレノアは聖剣デュランダルを落として四つん這いに崩れ落ちた。
全身が麻痺した様に震えて嘔吐までしている。
「うえええ……ッ!ガハァッ……!!!」
「エレノア⁉︎ 」
「ゴホッ!ゴホッ……!こ、こんな……」
「エレノア!今直ぐデュランダルを封印して鎧を解きなさい!早く!!!」
カレンはエレノアに言うより早く紅蓮に燃え盛る炎の鎧を解除した。
これだけの重圧の中で無防備を晒すのは自殺行為だ。けれども、カレンの表情は先程よりもかなり顔色が戻って来ていた。
そんなカレンを見たエレノアも鎧を解除してみると、体の震えも止まり、まるで言うことを聞かなかった手脚の感覚も元に戻った。
「……ッ!はぁはぁ……。カ、カレン、これは一体?レイヴンは何をしたのですか⁈ 」
「……何もしてない。立っているだけよ」
「そ、そんな馬鹿な事……。見えない手で心臓を鷲掴みにされたようでした……」
「私もよ」
抗う事も許さない絶対的な力は、戦意を持って相対した者から戦う意志を根こそぎ喪失させる。だからといって、この差はあまりにも遠い。
かつて魔物堕ちしたレイヴンが世界を滅ぼしたという話が現実なのだと否応無しに分らせてくれる。
(こんなの、どうやって止めたら……。リヴェリア、貴女ならどうする?)
カレンは、鎧を解いても平然としていられるのはレイヴンに対して敵意が無い事を示したからだと直感していた。おそらくだが、魔剣と鎧はレイヴンの前に立ちはだかる者の存在を認めないのだ。そのあり様は傲慢で、けれど圧倒的な力を前にしては逆らいようも無い。
最悪の場合には全員でレイヴンを殺す。そういうつもりでいたのに、それすらも叶わない。
「カレン、心配するな。俺は正気だ」
禍々しい気配とは裏腹に、いつも通りのレイヴンの声が聞こえて来た。
赤い霧が晴れた後には全身から魔剣と同じ赤い雷の様な魔力を放つレイヴンの姿があった。
「レイヴン……意識があるのか?」
「ああ、問題無い。ただ……」
「ただ?」
「これではもう、流石に人間だとは言えないな……。蝋燭は消える前に激しく燃えると言うが、今の俺はまさにそんな感じだな。いよいよ残された時間が無いのが自分でもはっきりと分かる」
それは諦めにも似た言葉だった。
人間であり続けようと願って来たレイヴンらしくない。
「やれやれ……こんな有様だというのに、力の制御はこれまでと同じ様に出来るというのもな。いや、これまでよりも容易かもしれない。それに、魔剣はどうやらその内に俺も喰うつもりでいるらしい。…で?どうする?続けるか?」
自分の事を蝋燭だと言った時、レイヴンに動揺している様子は微塵も無かった。魔剣に喰われる事も予測していた様な雰囲気すらある。
「いや……ここまでだ」
レイヴンにはもう自分の結末が見えている。その上で受け入れて前へと歩き続けている。
慌て蓋めいていたのは周囲の人間ばかりで、レイヴン本人はそれが当然のように思っている。それだけレイヴンは自分の目指す未来に希望を抱いているという事なのだろうか?
「エレノアはどうする?」
「残念ですが、これ以上は無理です。すみませんレイヴン。完全に戦意が喪失してしまいました……」
「……そうか」
二人が戦闘継続を諦めたのを見たレイヴンの姿は、どこか寂しそうに見えた。
それを見た皆もは、どうしてレイヴンが最初から鎧を纏わなかったのか分かった気がした。
レイヴンは決して戦いが好きでは無い。必要以上に力を見せびらかしたりはしないし、誇示する事もしない人間だ。
更に強大になった力に対応する為に調整したいというのは本心だろう。けれども、人では無い領域に立った事を悟ったレイヴンには、初めから戦闘にすらならない事が分かってしまった。
結界を張っている三人もその事に気付いていたのだろう。レイヴンと同じ様に表情には影が落ちていた。
『よさぬか!主では相手にもならん。力の差が分からぬ訳ではあるまい!』
翡翠が声を荒げた先には、愛用のロングソードを肩に担いだランスロットが結界へ向かって歩いていた。
「うっせえな。んな事は初めて会った時から分かってんだよ!ったく、改めて言わせんなよな!なるべく考え無いようにしてんだからよ。ルナ、結界を通してくれ!」
「本気?どうなっても知らないよ?」
「およしなさい!あの二人がどうにもならないのに、貴方が敵う道理はありませんよ。時間の無駄です」
「随分とまあハッキリと言ってくれるな。誰がやっても勝てねえなら、俺がやったって良いじゃねえか」
ランスロットは翡翠とアルフレッドの制止も聞かずに、レイヴンの方を見つめながら歩き続けた。
結界を潜り抜けたランスロットはレイヴンと向かい合うようにして立つと、口元を釣り上げて言った。
「レイヴン!今度は俺が相手になってやるぜ!」