生きようとする意志
今までに無い魔剣の力の解放はレイヴンの体に想像以上の負荷を強いた。
共鳴による激しい頭痛。全身の血液が沸騰しているような熱。
際限なく魔力を喰らおうとする魔剣との攻防。
これまでのように意識を失うギリギリの所で制御しようとしても暴れ馬のように反発するばかりだ。
(まだだ!まだお前の力はこんなものじゃ無い。もっと、もっとだ!)
レイヴンは魔物堕ちした少女の身体から幾重にも伸びて来る触手を斬り落としながら、魔物の中心にある魔核を目指して前進して行く。
だが、いくら触手を斬り落としても瞬時に再生してしまってきりがない。
「ぐっ……!」
避けきれなかった触手がレイヴンの体を抉る。
ランスロットは堪らずレイヴンに駆け寄ろうとした。
「レイヴン!」
「来るな!……問題、無い」
レイヴンの魔力を喰らって歪に姿を変えた魔剣を強引に意志の力で抑え込む。
(今欲しいのは殺す為の力じゃない。俺は助けたいんだ。俺の全てを懸けてでもあの少女を助けたい!!!)
ーーードクンッ!
魔神喰いは一度大きく鼓動し、元の黒剣の姿に戻った。
だが、それで安定した訳では無かった。
心臓のような鼓動は激しさを増し、刀身に浮き出た血管の様な模様は柄を通してレイヴンの右腕を侵食し始めたのだ。
(俺を喰うつもりか。……それでも良い。今は俺に力を貸せ!!!)
ーーードクンッ!!!
周囲に広がる赤い魔力の波動はレイヴンを包み込む様にして安定しているように見えた。
あれが謎の多い魔剣「魔神喰い」の本当の力なのだろうか。
「何だ……レイヴンの魔力が急に……」
「お嬢、あれは一体?!」
「分からん。だがーーー」
禍々しくて重苦しい魔力の波動は離れていても息苦しい。それでも、あの赤い渦の中には確かにレイヴンの少女を救いたいという強い思いがあるように感じられた。
「アアアアアアアアッ!!! イヤダ! シニ…タクナイ……コナイデ!」
魔物と化して肥大化した少女の体はレイヴンの声を拒絶する様に増殖した触手を幾重にも畝らせて魔核への接近を許さない。
もがき苦しむ程に力が増していく。
「大丈夫だ。お前は……死なない。生きるんだ」
レイヴンは核となっている少女の本体を傷付け無い様に、慎重に、ゆっくりと触手を処理しながら距離を詰めていく。
見た目は完全に魔物になってしまったが、まだ少女の意識は残っている。
完全に人格が消えてしまう前にケリをつけなればならない。
「コワ、イ……イタイ…イタイ……」
「俺が助けてやる。直ぐに痛みは無くなる」
「ウソダッ…! タスケテ……イッタノ、ニ!!! ダレモ……ダレモ! 」
それは激しい拒絶の言葉だった。
少女の心にあるのは恐怖。
一体どんな目に遭って来たらこれ程他人を拒絶出来るのだろうか。
レイヴンにはその理由が痛いほど理解出来た。
近付こうとしても拒絶され、否定される。そんな事を繰り返して、どうして他人を信用出来るようになるだろう。
自分の存在を肯定して欲しい訳じゃなかった。ただ、皆と同じように傍にいさせて欲しかっただけだ。誰かに手を掴んで欲しくて拒絶の言葉を否定したかった。
(……ああ、そうだ。俺はお前を否定したりしない。独りにしたりしない)
どんなに孤独でも、根底には死にたくないという強い想いがある。だが、それでは足りない。少しでも成功する確率を上げる為には、自ら生きたいと強く願う意志が必要不可欠だ。
(このままでは駄目だ。もっと願え。もっと足掻け!)
レイヴンは触手を斬る手を止めてしまった。
闇雲に触手がレイヴンの外殻を削り、そして……。
「レイヴン!!!」
無防備な状態となったレイヴンの腹部に鈍い痛みが走る。
触手はレイヴンの腹部を貫き、ようやく動きを止めた。
「ア、ア、ア………チガ、ウ…ワタシ……ワタシ……」
「ぐふっ…ハァハァ……問題、無い」
大量の血を流しながらもレイヴンは前へ進む。
触手が内臓を抉る度、大量の血を噴き出しても一歩ずつ前へ。
「よせ!!! そんな事したらお前が死んじまう!」
ランスロットが必死に呼びかけているが、止まる訳にはいかない。
この少女の心は魔物になろうとしている。
人間の側に引き戻さなければならない。
「聞け……お前は生きたくないのか? ずっと……その醜い姿のままでいたいのか?ずっと、独りでいたいのか?」
「イタイ…ノハ、イヤ…サムイノモ……ヒトリ、ハ、モウ……」
「なら願え……そして言え。生きたいと。俺が……それを叶えてやる!」
「デモ……」
「生きたいと言え! お前は人間だ!!!俺がお前の手を掴んでやる!手を……伸ばせ!!!」
「……!!!」
少女を覆っていた触手が解け、赤い涙を流す少女の顔と魔核が露わになっていく。
(そうだ。それで良い……)
生きたと強く願う意志は、少女を人間の側に繋ぎ止める力になる。
生きる意志が無い者を救ったところで意味は無い。
それではただの抜け殻になってしまう。
「……生きタ、イ…ワタシ、は、生きたい……!!!」
少女の叫びは、人の声となって広場に木霊した。
魔物堕ちした少女は人間の側に戻りつつあるのだ。
少女が上げた心からの叫びに呼応するようにレイヴンが動き出す。
ドクンという魔剣の鼓動が一際大きく鳴り、刀身を赤い魔力の膜が包み込むと、背中に生えた黒い翼をバサリとはためかせて懐深くにまで一気に飛び込んだ。
魔力の消耗が激しい。
意識が途切れそうだ。
これが最初で最後のチャンス。
レイヴンは魔剣に全ての意識を集中させ少女の魔核を貫き叫んだ。
「喰らい尽くせ!!! お前が魔と神を喰らう魔剣なら! 少女を蝕む魔を喰らってみせろ!!!」
レイヴンと魔剣から吹き上がる黒い霧が魔物と化した少女の体を包み込み侵食していく。
醜く肥大化していた体は、黒い霧に溶けて崩壊していった。
やがて黒い霧が晴れ、人間の姿に戻った少女を抱き抱えたレイヴンが姿を見せる。
少女の髪は色が抜けて白髪へと変化しており、以前よりも身長が伸びていた。気を失っているだけで、命に別状は無い様だ。胸には魔核が埋め込まれていた傷が残っているが、じきに消えるだろう。
(よく頑張ったな……)
魔物堕ちした少女を人間に戻すという前代未聞の難業を成し遂げたレイヴンへ賞賛の大歓声が沸き起こる。
そしてもう一つ、街に変化が現れた。
空から周囲の警戒をしていたミーシャが冒険者達に向かって声を上げる。
「皆さん! アレを見て下さい! 」
「何だ…? …おい! お前ら見てみろ! やった! やったぞ! 魔物供が帰って行くぞ!」
「やったんだ…街を守り抜いたぞーー!」
「生き残った…俺達、生き残ったんだ!」
「勝ったぞ! こんちくしょう!」
「やりましたよ、ツバメちゃん! 女の子も元に戻ったし、レイヴンさんはやっぱり凄いです!」
「くるっぽ!!!」
街に引き寄せられていた魔物は反転し、元居た住処へと移動を始めた。まだ暫くは周辺に魔物が溢れた状態が続くだろうが、この街は魔物の大軍から生き延びたのだ。
抱き合い喜びを分かち合う者、酒を配って祝う者。
四方の壁から止むことの無い歓声が聞こえて来る。
「戻った……本当に人間に戻った」
「これはとんでもない事ですよ…。正直、成功するとは思っていませんでした。でも、流石ですね」
「ったく、冷や冷やさせんなよレイヴン」
「お嬢。何とかなりましたね」
「ああ。レイヴンの奴、見事にやり遂げおった。しかし……」
「まだ何か?」
少女を無事に人間に戻したというのに、レイヴンの魔力が膨らみ続けている。その発生源はレイヴンの持つ魔剣からだった。
落ち着いたと思われた魔力の波動が急速に膨らんでいく。
(魔剣の暴走か⁈ 消耗しきったレイヴンでは魔剣の力を制御出来ん!)
まだ終わってなどいない事に気付いたリヴェリアは皆に指示を出すべく声を張り上げる。
「気を抜くな! まだ終わってはおらん!!! ユキノ! 少女を回収して治療を! 他の者は武器を構えろ! レイヴン! 聞こえているか⁈ おい!返事をしろ!」
広場に緊張が走る。もし、レイヴンが自我を無くして魔物堕ちしてしまったら、自分達の手でレイヴンを殺さなければならなくなる。
「リ、リヴェリア。魔剣を……俺の腕ごと斬り落とせ…! このままでは…ぐああああああああッ!!!」
「腕ごとだと⁉︎ 」
「心配いらない……後でくっ付ければ自然に治る」
「腕が自然に? 何ともふざけた奴だ。……良かろう、引き受けた!」
リヴェリアは覚悟を決めてそう返事をした。
魔剣はレイヴンの右腕に同化するように赤い血管を張り巡らせて、今尚、侵食範囲を広げている。
このままではいずれ魔剣に体ごと乗っ取られてしまいかねない。
「皆、聞いていたな? 私がレイヴンを押さえる! その間に他の者はレイヴンの右腕を斬り落とせ!!!」
「マジかよ……この展開は予想してなかったぜ」
「魔物堕ちしたレイヴンと戦うよりはマシですよ」
「よっしゃ! 一思いにぶった切ってやる!」
「そんなに簡単に行くとは思え無いですけどね……。というかですね、何で皆さんそんなに乗り気なんですか……」
先制して仕掛けたのはリヴェリアだ。
既に第四段階まで力を解放したリヴェリアの体にはくっきりと竜の鱗が浮き出ている。
リヴェリアの使うレーヴァテインとレイヴンの魔剣『魔神喰い』がぶつかる衝撃は地面を陥没させる程、凄まじいものだった。
喜び勇んでいた冒険者達も見守る中、二人の戦いが始まる。
王家直轄冒険者の二人が剣を交えるという稀有な光景。
これが御前試合であったなら歓声の一つも湧くかもしれないが、二人の戦いが周辺に及ぼす被害は尋常では無い。
剣がぶつかり合う度に衝撃で地形が変わっていく。家は薙ぎ倒され、被害は広がる一方だ。
「ぐっ…! レイヴン! もう少し力を抑えられないのか!」
「そうしたいのは山々だが、俺自身の魔力も底を尽き掛けている。既に右腕を侵食されて体の制御も利かない。魔物堕ちしない様に意識を保っているので精一杯だ。悪いが、力づくで止めろ」
「成る程。……ぐあっ!」
力で押し負けたリヴェリアの体が広場の噴水目掛けて吹き飛ばされた。
「「「お嬢!!!」」」
「嘘だろ、リヴェリアが吹き飛ばされるのなんて初めて見たぜ」
「ランスロット! 何、感心しているんですか! お嬢以外にレイヴンを止められ無いんですよ⁈ 」
「わ、分かってるって!」
吹き飛ばされたリヴェリアが瓦礫を押し退けて立ち上がった。
リヴェリアは切れた唇から流れる血を拭いながら思考する。
剣聖と呼ばれる自分が剣圧で押し負けるなど、一体いつぶりだろうか。皆には悪いが、レイヴンとの戦いは心が躍る。
だがやはり、予想していた通り今のままではレイヴンには勝てそうにない。
「ふふふ。無茶を言ってくれる。……やむを得んか。レーヴァテイン! 第六まで解放しろ!!!」
『許可出来ません。これ以上の力の解放は竜化現象を早める危険があります』
「許可など求めておらん! やれ!!! お前もへし折られるぞ!」
『……第六までの封印術式を緊急解除、実行します』
「拗ねるな。私とて分かっている。レイヴンを止めたら第三までの封印を即時再実行だ」
『……了解』
力を解放したリヴェリアから湧き上がるのは黄金に輝く魔力。二本の角と牙を生やし、目の周りには真っ赤な竜の鱗が浮かび上がっている。
「ふふ…行くぞ! レイヴン!!!」
二人が纏う黒と黄金の魔力がぶつかり合い吹き荒れる。
ランスロット達は腕を斬り落とすタイミングを見極め様と必死に二人の姿を追いながらも、二度と見る事が出来ないであろう異次元の戦いに見惚れていた。
(すげえ!すげえ!!すげえなおい!!!あの野郎まだこんな力を隠してやがったのか!)
関心している場合でないことくらい分かってる。それでも、剣の一振り、一挙手一投足全てが力強く美しくランスロットを魅了する。国の危機を救ったという救国の英雄の呼び名は伊達では無いのだと思い知らされる。
「お嬢、何だか楽しそう」
「悔しいけれど、私達の力ではお嬢の相手が出来ないもの」
「この緊急時にストレス発散とは、まったくお嬢らしいですけどね」
「俺はいつかお嬢に追い付いてみせるぞ!」
「はいはい。脳筋はそのくらいにしましょう。ガハルドは現実を見ましょうね?」
「何だと! ランスロット、お前も何か言ってやれ! 俺達はまだ強くなれる!だろ!?」
「あ、ああ。そうだな……」
ランスロットが憧れ、背中を追い続けたレイヴンの力は、努力だけではどうにもならない高みにある。
普通の人間である自分では不可能だ。頭では理解していても、二人の戦いを目の当たりにして力の差を痛感させられた。けれど…。
「良いねぇ。手が届かねえ方が燃える…。山は登らなきゃ天辺には辿り着けねぇ! 俄然やる気が出て来たぜ!」
「ランスロットがまた馬鹿な事言ってる……」
「放っておけば良いのよ。馬鹿がうつるから」
二人の戦いは苛烈を極め、終わりの見え無い剣撃の音が鳴り響き続けていた。
いつまでも見ていたいが、そうも行かない。二人の力は拮抗状態。これではレイヴンの腕を斬り落とすどころでは無いように思われた。
「このまま戦っていたい気もするが、お互いそうも言っていられんな」
「……随分楽しそうだな」
「そう怒るな。仕方なかろう、性分なのでな」
「ふん。さっさとしてくれ」
「なら、少しは力を抑えろ」
「出来たらやっている」
「そうだった、な!」
戦いを見守っていた者達には、拉致のあかない戦いを終わらせる方法など思い付かない。そもそも、二人の戦いに介入すら出来ない。そんな状態でどうすれば良いというのか。
「ランスロットさーん!」
「ん? ミーシャ! まだ近付くな! 巻き込まれるから離れて……ろ。これだ!」
「え?な、なななな、何です?」
「ミーシャ! ツバメちゃんでレイヴンを押し潰せ!」
「うえええええ⁈ いきなり何言い出すんですかランスロットさん! ツバメちゃんは戦闘なんか出来ませんよ!」
「良いから早くやれ!」
ミーシャは躊躇したが、ランスロットの顔は真剣で、冗談を言っている様には見えない。
「むう…。ツバメちゃん、いけますか?」
「くるっぽ!」
作戦はこれしか無い。ランスロットの頭に浮かんだのは、ツバメちゃんを払い除ける事が出来なかったレイヴンの姿だった。あの時、ツバメちゃんにはレイヴンが払いのけようとしたのが通用せずに、そのまま押し倒されてしまった。
魔物と精霊は反発し合う。これなら一時的にレイヴンの動きを鈍らせる事が出来る筈だ。
「ライオネット、ガハルド! 手を貸してくれ!」
手短に説明を済ませたランスロットはミーシャに合図を送る。空から急降下したツバメちゃんはレイヴンの背に覆い被さった。
「ぐっ…!何だ? 急に力が……」
流石は風の精霊だ。
目で追うのもやっとだったレイヴンを見事に捉えてみせた。
「今だリヴェリア!」
「応ッ!!!」
レーヴァテインで魔剣を地面に叩きつけたリヴェリアはそのままの姿勢でレイヴンの腕を固定する事に成功した。
「行くぜ、レイヴン! 歯ぁ食い縛れ!!!」
ランスロットが振り下ろした剣は、少しめり込んだだけで止まってしまった。だが、これは予想済みだ。
レイヴンを覆っている黒い外殻を貫くには一人では力が足りない。
ならば!!!
「 ライオネット! ガハルド!」
「むん!」
「どぉりゃああああ!!!」
ランスロットの剣の上から二人の剣が重なり合うように振り下ろされる。
ずぶりと刃がめり込み、見事に切断してみせた。
魔剣から解放されたレイヴンは元の姿に戻り、極度の疲労から気を失った。
「フィオナ! レイヴンの止血を!」
周囲に立ち込めていた赤い魔力も消え去り、魔剣は元の黒剣へと戻っていた。
「や、やりましたーーー! お手柄ですよツバメちゃん!!!」
「くるっぽーーー!!!」
冒険者の街パラダイムを襲った脅威は去り、ようやく街に平和が戻って来た。それはいくつもの偶然が重なり合った勝利。正に奇跡であった。
「お嬢。お疲れ様でした」
「いや、私だけではどうにもならなかった。皆が頑張った結果だ。だが、ランスロットには少々お仕置きが必要な様だ」
「はあああ⁈ 何で俺が⁈ 」
「お前がツバメちゃんのことを早く思い出しておれば、こんなに被害が広がらなかったであろうが! 罰としてお前は私の部下になれ!」
「そりゃねぇぜーーーーーー!!!」
「ふふ、あはははははは! 冗談だ」
「「「あははは!」」」
こうして冒険者の街パラダイムを襲った一連の騒動は一先ず幕を閉じたのだった。