サラとリヴェリア 前編
サラが用意して来た書類の多くは支援物資の依頼書だった。ニブルヘイムの再興についてはユキノに全権を任せてある。それでもこうして支援物資の嘆願書を寄越したという事は、ユキノの裁量を越えて事態が深刻である事を意味している。だが、その全てを補う事はリヴェリアにも難しい。
「わ、私がですか⁈ 」
「そうだ。中央にある商会へは私から話を通しておく。備蓄している資財の三割を自由に使って商いを行う許可も出そう。それらの資財を上手く使って計五箇所の大都市を繋ぐ物の流れる仕組みを作るのだ」
「はっはっは!これはまた大胆な事を考えなさる」
リヴェリアがサラに提案した内容はこうだ。
中央都市、ニブルヘイム城下町、魔鋼の街、妖精の街、アルドラス帝国帝都。
以上、五箇所を繋ぐ物流経路と販路の構築という壮大な計画だ。
それを中央に備蓄してある資材の三割を使って達成させる。
全ての機能を淀みなく循環させるには何年、何十年という長い歳月が必要になる事だろう。
「む、無理です!私にはとてもそんな大きな仕事……」
「何故だ?」
「な、何故って⁈ 私はまだ商隊の代表になったばかりですし、まだ何の実績も無いんです。それに、中央にある資財の三割と仰いましたけれど、街の規模や凡その人口からして三割もの資財が一時的にでも使えなくなる事は死活問題に繋がりかねません。それこそ何万という人達が飢える可能性だってあります。経路の確保と維持。販路構築までにかかる護衛を雇うお金だって、私の概算ですが全盛期のニブルヘイムの国家予算に匹敵する莫大な額が必要になるでしょう」
リヴェリアはサラの発言にしめたという顔をしていた。
「ほう、概算と言ったな。ならば、商人サラならどうする?」
「え……?」
「やるとしたら。仮定の話だ。もしも、商人としてこれらの計画を達成させようとするなら、サラの思うままで良い、サラならどうするのか話してみてくれないか?」
「そ、それでしたら……」
サラの提案は資財の二割を元手に、先ずは一番情勢の安定している東の大国魔鋼の国との国交を開くという物で、喋り始めたサラはつらつらと自分の考えを話し始めた。
その表情には先程までのおどおどした様子は微塵も感じられ無い。言葉を紡ぐ毎に思考が深くなり、自分の世界に入り込んでいるのが分かる。
「魔鋼の国には既に十分な自衛の戦力があると聞き及んでいます。また、魔物の被害も少なく、技術や文化も発展していると。であれば、先ずは彼等との交渉を優先します。私なら二割の資財はここで全て投資します」
「全部を一度に?」
「そうです。そうして太い基盤を作った後、今度は彼等の戦力を借り受ける形で、他の三国との経路の確保と維持を順次依頼します。彼等にしてみれば魔物の素材を直接得る機会にもなるのですから、駄目という事は無いかと。それに、活動範囲を絞れば中央の得る魔物の素材の量にも影響は無いと思われます。冒険者だけでは手が足りない現状を鑑みれば、中央の戦力をある程度維持したまま安全に経路拡大を狙えるという点で、中央以外の町にいる冒険者や町の人達にも仕事が増えます。そうなれば中央大陸内での販路の確保も容易になり、中央そのものが更に潤うでしょう。この時点で最初に投資した資財の約三倍になる利益を回収出来ると見込んでいます。次にニブルヘイムと妖精の街ですが、妖精の街を優先するべきでしょう」
「ほう?ニブルヘイムの再興は後回しなのか?」
「はい。ニブルヘイムは竜王陛下の支援のおかげで急速に立ち直りつつあります。しかし、新しい女王陛下が家臣からの信頼を得るには、まだ時間がかかると私は見ています。政を正常に行える様になる前に大掛かりな販路の拡大を推し進めれば、中央にとっても負担が大きい。余計な混乱を招く可能性は避けるべきです。中央の力をニブルヘイムに割くよりも、自立を促す名目を立ててでも後回しにした方が、後々の関係の為にも良いと思われます。
それから、妖精の街については生憎情報が乏しいのですが、出来れば彼等の聖域を荒らしたくはありません。せっかくの豊かな自然を壊してしまっては元も子も無いので、経路の確保についても彼等と交渉した上で慎重に検討するべきかと思います。豊かな土壌があれば作物の生産も捗るでしょうし、何より妖精族はそれ程多くの食料を必要としない種族です。彼等の労働力を借りられる対価が用意出来れば、作物の生産に関する交渉にも応じてくれるでしょう。政の話は私の専門外ですけれど、そうなれば戦う力を持たない人達も安全に食料を買う事が出来る。人口が増えれば労働力の確保も自衛戦力の確保も出来る様になると思うんです」
「ニブルヘイムはそれで良いとして、妖精族はそれで交渉に応じるだろうか?彼等は他国の援助無しでも暮らしていける。作物を作る事にしても、彼等自身が消費するので無いのなら難しいのではないか?」
「彼等の多くは妖精の森から外界へ出る事はありません。他国の風土や自然を知る事、知識や技術を共有する事も視野に入れられたなら、交渉の予知は十分あるかと思います。それに作物の生産についても全てを彼等に委ねる訳では無いのです。食料という命に関わる重要な繋がりを一部でも請け持ってもらう事で、我々人間からの信頼を買ってもらいます」
「ほう……」
「最後に西の帝国ですが、私は帝国内部の事情について殆ど何も知りません。この中央とよく似た統治だと仮定するならですが、此方の経路確保と販路拡大が終わり、更にそれらが安定した後、力を蓄えてからの方が対等な交渉が出来ると思います」
「有利では無く対等か。事情を知らないと言った割に随分と帝国を高く評価しているのだな」
「内情がどうかは知りませんが、外部から見た帝国の支配体制は盤石と言っても過言ではありません。帝国の歴史は数千年にも及ぶとか……。その間、一人の皇帝が未だに統治を続けているだなんてあり得ない事ですから。他の国々と同じに考えるのは危険だと思ったんです。なにしろ神々の加護を受けていた頃のニブルヘイムでも帝国の存在を脅威に感じていたそうですし、現段階で中央が交渉を持ちかけてもあまり良い返事が聞けるとは思えません。なので、帝国との交渉は最後です。……い、以上です。ど、どどどどうでしょうか?あくまでも二割の資材投入を元に考えたので時間はかかるとは思います。で、でも!争わず、確実で着実な交渉を展開するなら、この順序が良いと、思い……ます」
喋り終えたサラはまたおどおどした態度に戻った。
喋っている間とは本当に別人の様だ。
オルドもサラの考えには概ね賛同といった風な表情をして頷いていた。
かつて公爵の地位にまで登り詰め、中央大陸の人と金、情報の流れを熟知していたオルドがその様に反応するのは、サラの発言が実現可能な域にある事を指している。
「では、これが最後だ。何故、私がこの計画を進めようとしているか分かるか?」
サラの意見は商人の枠を既に越えている。
目先の利益だけでなく、数十年、数百年先の未来を想定していなければ出て来ない言葉ばかりだった。それにこの質問を投げ掛けたのはサラにとっても予想外だった筈だ。なのにサラは全ての質問に淀み無く答えて見せた。
リヴェリアの質問に少し考えたサラは、何かを思い付いた様に呟いた。
「壁……竜王陛下は、人と人の間にある壁を取り除こうとしているのだと思います」
「……続けてくれ」
「陛下は物の流れを作ると仰いました。物の流れは人の流れ。人の流れは文化と知識の流れを生み出します。全ての場所と人が繋がれば、国という垣根すら小さな枠でしかない。陛下は国という壁を壊そうとしておられるのではないでしょうか?帝国に対抗するだけなら魔鋼の国とだけ国交を持てば可能……なのにって、私ったら何を⁈ す、すみません!偉そうな事を言いました!ごめんなさい!今のは忘れて下さい!」
リヴェリアは書類の束と一緒に同封されていた手紙へ視線を落とした。
そこにはカレンから話を聞いたユキノの見解とカレンの部下達が見たサラの印象と人柄について書かれていた。サラは商人としては駆け出しで何の実績も無い。
ニブルヘイムでの物資のやり取りも実質的にダストンという先代が行なっているという。
「オルドの見解はどうだ?」
「気になる点も多々ありますが、大筋は悪く無いかと思います。特に二割の資財を全て魔鋼の国に注ぎ込む判断が気に入りました」
「あ、あの……」
リヴェリアは引き出しから翼と天秤の刻まれた紋章を取り出してサラの前に置いた。
翼はリヴェリアの部下である事を示し、天秤は商会の特権商人である事を指している。
「この紋章は昔、カレンの為に用意しておいたのだが、そんな物は要らないと言われてしまってな。それ以来そのままになっていた物だ。サラ、お前を私の直属の部下とし、特権商人の証を与える。五カ国を繋ぐ物の流れを作れ。やり方は任せる」
「へ?」
リヴェリアとオルドは共に笑みを深くして紅茶に手を伸ばした。
次回投稿は3月12日を予定しています。