温かい手
昔からそうだ。誰にも言えずに自分一人で抱え込むのは、ステラの悪い癖だ。
ステラはきっと誰かに話を聞いて欲しかった筈だ。そして何でもいいから怒りをぶつけて欲しかったのだ。
罪悪感を肯定して貰う事で、少しでも楽になりたいと考えたに違いない。
そうすれば、今とは違う選択もあり得たのかもしれない。
(だけど……)
現実はそうはならなかった。
全ては”もしも“ の話。誰が悪いという話でも無い。
神も悪魔も人間も、決着を着けたのが中立の立場にある竜人族のリヴェリアであったからこそ、多大な犠牲を払いながらも納得して矛を収めたのだとシェリルは考えている。
リヴェリアが一人で罪を背負った事で、あの一件に関わった誰もが、向けるべき怒りの矛先を失う事になった。
しかし、皮肉にもその事が……結果的にだが、本来大人しい性格のステラが、自分を追い詰める引き金になってしまったのだと思う。
それをステラに言ったところで、救いになるとは思えない。
シェリルはステラにどんな言葉をかけてあげたら良いのか迷っていた。
トラヴィスはレイヴンに自己満足だと言った。ならば、シェリルの戦いもまた自己満足以外の何ものでも無い。だとしても、戦いを選んだ事に後悔は無い。そういう結末も全て分かった上で選んだ事だ。
「ステラ、私は誰も恨んでなんかいない。寧ろ私はリヴェリアで良かったと思ったわ……」
「……ッ⁈ う、嘘よ……恨んで無いだなんて、リヴェリアで良かっただなんて嘘よ……私がやらなくちゃいけなかった……!」
「ステラはリヴェリアが“全部分かってたくせに” って言ったけれど、多分その通りなのよ。リヴェリアの金色の目には自分が成すべき事が"見えている" だからこそ、私を止めてくれた。謝らなくちゃいけないのは私もステラと同じだもの……」
「シェリル……」
行き場を無くした憤りは、未だに後悔となって各々の心に残っている。
「でもね、リヴェリアが言ってくれたのよ。やり直すんじゃなくて、もう一度始めようって。また皆んなと旅がしたいって」
「そんな事……」
シェリルの堪えていた涙が溢れてテーブルを濡らしていった。
「私、嬉しかった……嬉しかったのよ。私は私の願いの為に多くの人を巻き添えにした。決して許される事じゃ無い。それでもリヴェリアは私と、私達ともう一度旅がしたいと言ってくれた。こんな私の事をずっと待っていてくれたのよ。だから私は、リヴェリアの手を掴む事に決めたわ」
リヴェリアは全てを受け入れて前へ進もうと手を差し伸べてくれた。
心に刺さった棘は簡単には抜けない。シェリル自身も突然送られて来たリヴェリアのメッセージを聞くまでは、レイヴンと言葉を交わせるだけで満足していた。
今はもう違う。
生きたいという欲が生まれた。
それがどんな手段だろうと、我儘で贅沢な願いだろうと、生きたいと強く願っている。
もう一度始めようと言ってくれたリヴェリアが待っていてくれるのなら、そこへステラも連れて行く。
一人では無理な事でも、互いの欠点を補い合って生きて来たステラとなら乗り越えて行ける。
無かった事にするんじゃ無い。
越えられない後悔なんて無い。
それを証明してみせた人物を知っている。
「シェリルだけ行けば良い……私はもう取り返しがつかない。それに、今更どんな顔をして……」
難しい言葉は必要無い。
ただ一言で良い。
「行こう!ステラ!」
二人の間を隔てていた長いテーブルは消え失せ、満面の笑みを浮かべたシェリルがステラの手を掴んだ。
「シェリル……」
何て温かい手だろう。
ステラの凍り付いた冷たい手が、懐かしい温もりを感じてほのかに赤らんで行くのが分かる。
いつだってそうして来た。
シェリルが落ち込んだ時にはステラが、ステラが落ち込んだ時にはシェリルが温かい手を差し出してくれた。
幼い頃と同じ。
ステラの手握るシェリルは、いつも二人でいた時と同じ無邪気な笑顔だった。
(ああ……私はこんな大切な思い出すら忘れてしまっていた……無かった事にしようとした。私を苦しめていたのは私自身だったんだ……)
ステラはシェリルの温かい手を握り返した。
「レイヴン!今よ!」
俯いていたステラの目に光が戻るのを見たシェリルはレイヴンの名を叫んだ。
シェリルが叫んだのと同時に、光の繭の外で意識の無いまま立っていたレイヴンの魔剣が輝きを増した。
「レイヴン⁈ 」
またも突然動き出したレイヴンにカレン達も思わず身構える。
考えたくも無いが、万が一という事はある。
「何だ何だ?今度は何だってんだ⁈ 」
「分からん。だが、今微かにシェリルの声が聞こえた気がする」
「シェリルの?」
赤い目の光が強くなり、力無く閉じられていた白い翼が勢いよく広がった。
ーーードクンッ!!!
大気を震わせる魔剣の鼓動に合わせてレイヴンの赤い目が輝きを増す。
ゆっくりと重心を下げる様にした独特の構え。
身体中の魔力を掻き集めるように深い呼吸を繰り返す。
深く、深く、深くーーー
光の繭の中にいる二人の姿を思い浮かべてイメージを形に変えて行く。
脳裏に浮かんだのは幼いシェリルが泣きじゃくるステラの手を引いて歩く姿。
「戻って来い!人はどうしようもない暗闇に囚われたとしても、また歩き出せる!踏み出したその瞬間から未来が始まる!!!それを知るきっかけをくれたのはステラだ!お前は一人じゃないんだステラ!踏み出すべき時は今だ!!!」
ーーードクンッ!!!
魔剣の力を受けた光の繭が輝きを増すと、黒い霧が晴れて、優しくて温かい光が広がった。
(お帰り、ステラお姉ちゃん……)
二人が新たな肉体を得て戻って来たのを確認したレイヴンは、口元に笑みを浮かべた後、再び意識を失って倒れた。
「「レイヴン!!!」」
倒れるレイヴンを二人の手が支えた。
白い髪、白い肌、赤い目、そして……二人の背中にはそれぞれ片翼の白い翼を携えていた。
「ごめん……ごめんねレイヴン」
「……違うよステラ。"ありがとう" って言うんだよ?」
レイヴンを優しく抱き止めた姿はお伽話に出て来る天使の様に穏やかな表情で、片翼の翼は二人の魂が寄り添う様を象徴している様だ。
「……ありがとう、レイヴン」
ステラの流す温かい涙がレイヴンの頬を濡らした。
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「お嬢、探しましたよ。オルドと名乗る孤児院の責任者とサラと名乗る商人が率いる馬車の一団がお嬢に面会を求めて来ています」
リヴェリアは冒険者組合の屋根の上でジッと一点を見つめたまま立っていた。
「……そろそろ来る頃だと思っていたところだ。直ぐに行く。少しだけ待っていてもらってくれ」
リヴェリアはそう言いつつも、その場を動こうとはしなかった。
「何か良い事でもあったのですか?」
部下の目に写るリヴェリアは、満足そうな笑顔を浮かべていた。
「ん?ああ、南の方で良い風が吹き始めたと思ってな。とても懐かしくて心地良い風だ……私も置いて行かれない様に頑張らねば」
「南、ですか?置いて行かれないようにしないといけないのは寧ろ我々の方ですよ。それに、お嬢はずっと頑張ってるじゃないですか」
南の地と言えば、レイヴン一行とマクスヴェルト達がいる場所だ。しかし、あの二人と唯一肩を並べるリヴェリアが置いて行かれるなど想像出来ない。
「ふふ、気にするな。私の心掛けの問題だ。気を抜くと置いて行かれそうなのでな」
「お手柔らかに。では、先に戻っていますので」
「ああ」
部下が去った後もリヴェリアは遠い南の地を眺めて笑みを浮かべていた。
欠けていた歯車が埋まり、全てが良い方向へ動き出した確かな手応えを噛み締めて。