リヴェリアの提案と来客
「引率?僕が?」
リヴェリアへの報告を済ませたマクスヴェルトは紅茶の入ったカップを手にしたままポカンとして疑問符を浮かべていた。
「そうだ。明日には向かってもらおうと思う」
リヴェリアにとって、メッセージを受け取ったシェリルとそれを聞いたレイヴンの行動は予想外であったが想像外では無かった。
あの二人ならそういう選択をするのではないかと期待していたからだ。
そして、クレアの件もまた、リヴェリアの予想の範囲に収まっていた。しかし、こちらは完全に想定外。まさかレイヴンがそこまでするとは思わなかった。想像出来なかった。
嬉しい誤算とも言えなくも無い。けれど、壊れたクレアの心をもう一度繋ぐのは至難に思われた。魔眼の支配を根本から打ち払う術を見つけなければ、いくら言葉を尽くしても修復する事は無いと思う。
「君の事だから何か理由があるんだと思うけれど、一応聞いて良いかい?何でこんな時に?」
リヴェリアは引き出しから一枚の紙を取り出した。
「クエスト依頼?こんな物まで……」
「風鳴のダンジョンで発見された未踏領域があるのを覚えているか?レイヴンが破壊してしまって今は封鎖されているが、私が許可する。そこへセス達と行ってある物を回収して来て欲しいのだ」
「なんだ。それなら僕一人で行って来るよ。転移魔法を使えば今直ぐにだって……」
「いいや。セス達と行ってもらう。お前は賢者ではなくなったと言ったが、マクスヴェルトである事を否定しなかった。ならば、いっそのことマクスヴェルトという人間としてこの世界で生きる気はないか?」
マクスヴェルトを見つめるリヴェリアの金色の目は真剣そのもの。冗談でこんな提案をする人物では無いと分かっていても、ルナの成長が著しい今、この世界で生きるという選択は辛い。
あり得た筈の可能性をまざまざと見せ付けられて生きるだなんて、籠の中の鳥と一緒だ。
決して届かない窓の外の世界へ向かって羽を羽ばたかせるのは、自由に羽ばたく鳥という存在意義を否定している。正直なところ耐えられそうに無い。
「簡単に言ってくれちゃって……」
「簡単では無い。だが、私はお前と過ごした日々も大切に想っている。私だけじゃ無い。カレン、シェリル、そしてステラにとっても、お前はマクスヴェルトなのだ。だから言う。お前を傷付けてでも、私はお前ともまた一緒に旅がしたい」
リヴェリアは強いな。
そんな言葉が不意にマクスヴェルトの頭をよぎったが、言葉にはしなかった。
様々な可能性を模索して、この世界に辿り着いた。
それだけでも幸運だった。
道化でも良い。
もう一人の自分が同じ後悔をしない様に、最期の瞬間まで生き切れる様に。その為になら、自分を殺し続けていたレイヴンの様に生きるのも悪くないと思うのだ。
そこまでして、ようやく手が届く。願いが叶う。
「やだなあ、どんな贅沢なんだろう……。君らしくもない。そんなとこまでレイヴンに感化されないでよ。嬉しい申し出だとは思うけど、僕がこの世界に存在しているのは僕自身の弱さが招いた結果。選んだ、だなんて大層な事は言えないにしても、覚悟して此処にいるんだ」
そう、覚悟は出来ている。
足掻き、踠き、模索して世界を渡り歩いた。
出逢いも別れも同じ数だけあった。
それでも、忘れられなかった。
忘れられる筈が無かった。
「ならばどうして弟子をとった?」
「……」
「マリエの事だ。確かに覚悟は出来ているのだろう。私の記憶が封じられていた間も、お前はずっとレイヴンの為だけに生きてきた。とても私には真似出来ん。しかしだ、弟子をとり、マクスヴェルトの名を名乗り続ける以上、お前はやはり未練を捨て切れないのではないか?それだけの覚悟を持っているのなら、最後は自分の我儘の為に生きても良いのではないか?案外悪くないぞ?レイヴンの様に生きるのもな」
「茨の道を歩けって?あれはレイヴンだから出来るんだよ。ようやく苦労して見つけた道を、わざわざ自分で作った茨を背負って歩くのはレイヴンくらいのものさ……」
「だから好きなのだろう?」
リヴェリアは少し意地悪な笑顔を見せた。
「……まあ、ね。引率は構わないけど、返事は出来ないよ」
「そうか……」
その時だった。殆ど人の出払った冒険者組合が、にわかに騒がしくなった。
太い声の話し声とやたらと重そうな足音がいくつも聞こえる。
ーーーコンコン。
「お嬢、お客様をお連れしました」
「うむ。入ってもらってくれ」
「客?皆んな出払ってるのに誰を呼んだの?」
番をしていた冒険者の案内で入って来たのはずんぐりとした体型で立派な髭と太い腕を持ったドワーフだった。
「君は確か……」
「は、初めまして!ほ、本日は、お、お招き、えっと……お招き頂きまして……!」
「ガザフ。そんなに緊張する必要は無い。直接会うのは初めてだが、武器の供給など世話になっているのはこちらの方だ。いつも通りにしてくれて良い」
やって来たドワーフと言うのはドワーフの街を仕切っているガザフだった。
確かドワーフ達には予め輸出用の武器や防具の生産を依頼していた。今頃大忙しの筈なのに中央へやって来ているのはどういう訳なのだろう。この件についてはマクスヴェルトも知らない事だった。
ガザフはほっとした顔をしたと思ったらずかずかと中へ入ると、無遠慮にソファーへ腰を下ろした。
「いやあ、そう言って貰えると助かるぜ。それにしても、あんたみたいな別嬪さんが中央を仕切ってるボスだとは思わなかった。レイヴンの奴はそういう事に関しちゃ何にも話さないからな」
二人の会話を聞いていたマクスヴェルトは、それは当然だろうと顔を顰めていた。
異性の容姿についてガザフと話しているレイヴンなんて想像も出来ない。堅物で無頓着で鈍感。三拍子揃っているのがレイヴンだ。そういう話なら寧ろランスロットの領分だと思う。
「ふふ、嬉しい事を言ってくれるが、別に私がボスと言う訳では無い。皆が協力してくれているからどうにかやっているだけだ。それよりも、忙しい中呼び付けるような事をして申し訳ない。例の件なのだが……」
「ああ、分かってるぜ。とにかく実物を見てみない事には始まらねぇ。もう届いてるのか?」
「そろそろ届く筈なのだが……おっ、丁度帰って来た様だ」
リヴェリアの正面の空間が揺らぎ出した。
この反応は転移魔法だ。
けれどマクスヴェルトの使う転移魔法とは少し原理が違うようだ。魔法というよりは魔術に近いような感じがする。
「ふい〜。はいコレ。取って来たわよ。ていうかさぁ、協力を申し出たのは私の方だけど、人使い荒らすぎじゃない⁈ もう少し人に優しくっていうか、小人に優しくしようって思わない?思うでしょ?思うって言いなさいよ!大体、私の転移魔法は賢者マクスヴェルト様みたいに万能じゃないの!一回使うだけでも大変なんだから!ま、まあルナのお陰で仕組みがはっきり分かったから前よりは使い易くなったけど……」
早口で捲し立てる様に喋っているのは小さな小人の少女。
隣には大きな帽子がズレ落ちそうな白い髪の少女が袋を抱えて立っていた。
マクスヴェルトの記憶が確かなら、リヴェリアに噛み付くように話しているのはフローラ。もう一人の少女の方は分からない。
雰囲気はどこかエレノアに近い。体のあちこちに人間とは違う回路の様な模様が浮き出ている。
「フローラもユッカもご苦労だった。今し方、ドワーフ族のガザフも到着したところだ。早速本題に入るとしよう」
「嘘でしょ⁈ 今私が言った事サラッと流したあああああああ!!!信じらんないんだけど!」
ユッカの方はガザフとマクスヴェルトに自己紹介をしてそそくさとソファーへ腰掛けた。
従者なのかと思ったらそうでは無いらしい。白い髪、白い肌、赤い目。間違い無くレイヴンの力で魔物堕ちから救われた証だ。
「分かった分かった。ならば、そこにいるマクスヴェルトに魔法を教わると良い。それをもって対価としよう」
「へ?マ、マクスヴェルト?今、マクスヴェルトって言った⁈ 」
物凄い勢いでフローラが振り返った。
「や、やあ……僕がマクスヴェルトだよ。“初めまして” 」