言い訳
レイヴンは自らの叫び声を掻き消すかの様に赤い雷を降らせ、襲撃して来た全ての魔物を倒した後の地下世界は何も残っていない更地と化していた。
カレン達やリヴェリアの部下達もレイヴンの攻撃がギリギリの所で掠めて通り過ぎた事に安堵しながら、青ざめた顔で変わり果てた地下世界を見ていた。
そんな中、ルナとマクスヴェルトの反応は少し違った。
レイヴンは本当に演技が下手だ。どうやったって誤魔化し切れないくらいに下手だ。
どうにもならないと分かっているくせに、嘘が付けないくせに。
それでもレイヴンは必死になって嘘を演じる。
自分の心を騙す嘘を演じてしまう。
皆が呆然と周囲を見回している間もずっと、泣きそうな顔をしてレイヴンの背中を見つめていた。
「……」
立ち込める灰の臭いが鼻に付く燻った荒野の中心で、レイヴンは崩れて穴が空いた天井を見上げていた。
レイヴンは、これで良かったと思う一方で、他に方法があったのかもしれないという疑念に囚われて後悔していた。
絶望も後悔も嫌と言う程繰り返して来ても尚、自分自身の手で後悔を生み出してしまう愚かさに言葉も無い。ドドの詰まり、エリスを失ったあの時から何も進歩していない。ただ一つだけ、殺す以外の方法がある事が、唯一マシだと思える程度だ。
「はは……ははは……」
“どんなに力があっても、どんなに願っても、どうにもならない現実というのはある”
自分で言っておいて笑ってしまう。
魔物が倒せるから何だと言うんだ。生き抜く事は出来ても、肝心な時に手が届かないのなら、そんな力に意味は無いのではないか……。
万の魔物を打倒する力よりも、たった一人の心を救う事の出来る言葉を、想いを紡ぐ力が欲しかった。
心の底からそう思う。
「クレア……俺は、俺は……」
トラヴィスは言った。
“怒り狂った貴方を止められる者など、この世界に存在しないのですから”
本当にそうだろうか?
いつも足を引っ張っているのは自分自身の弱さだ。
クレアの剣を砕いた時、本当に砕けていたのは自分の方だと分かっている。
どうにかクレアを取り戻そうとして酷い事をした。
クレアは何も悪く無い。他に方法が思い付かなかったばかりに辛い思いをさせてしまった。
あそこまで追い詰める必要があったのかと言えば、無い。
そう言い切れる。
それでも、やらなければならなかった。
「俺は、もう一度クレアと対峙した時、またクレアの面影を見るのが怖かった。自分の事を慕っているのだと……。言葉にされるだけで耐えられないと思った。こんな俺にそんな資格があるのか怖かった。だから壊した。だが……もっと早く手を打っていればとは思わない。散々手をこまねいた結果が今だったんだ。すまない……今はそれを言い訳にさせて欲しい。必ず……必ず救ってみせるから。今度は離さないから……」
誰もレイヴンから目を離せなかった。
崩れた天井から射し込む朝日を見上げて喋るレイヴンの姿に魅せられていた。
白い翼は舞い上がった灰で灰色に染まっていて、今の心情をそのまま表している様にも見える。
ーーーガシャン…!
レイヴンの手から落ちた魔剣の音が響いた。
「レイヴン……!」
瞬間、ルナ達はハッとしてレイヴンに駆け寄った。
纏っていた漆黒の鎧は黒い霧となって霧散し、レイヴンはその場に膝から崩れ落ちる様に倒れた。
「無茶しやがって……結局自分で抱え込んでるじゃねえかよ……」
「全くだ。レイヴンの優しさは不器用過ぎる。そこが良い所だが、見ていられない……」
レイヴンは、まるで自分の叫びを掻き消すかの様に魔力を使い果たして気を失うまで攻撃を止めなかった。
あれはきっと、レイヴンの心が上げた悲鳴だったのだ。
「血の繋がりとはこうも似てしまう物なのですね。兄者もそういう人だった。魔王、魔神と呼ばれても、他人の為に力を尽くす事を厭わない人だった」
『ああ。だからこそシェリルが選び、アイザックもまたシェリルを選んだのじゃ」
「そう、ですね……」
二人が結ばれたのは必然だった。
そう言えるくらいによく似ていた。
『それはそうと、この様子では暫く目を覚まさぬじゃろう。あの光の繭も未だに変化は無い。どちらも長引きそうじゃな』
「なら、ここで野営が出来る様に準備をさせましょう。街へ戻るよりもその方が良いでしょうし」
『うむ。ではリヴェリアとの連絡はマクスヴェルトに任せるとしよう』
「ええっ⁈ 僕ってば今、ヘトヘトなんだけど?」
わざとらしく呼吸を荒くしたマクスヴェルトを翡翠が鋭い視線で睨んだ。
何だかんだと長い付き合いだ。今はもう契約していないと言っても、さすがにこの程度の嘘は分かる。それに、一度この場から離れさせてやるのが良いと思ったのだ。
『嘘を言うで無い。ミーシャから貰った回復薬で殆ど回復しておるであろうが。妾の目は誤魔化せぬぞ』
「げ……バレてた」
マクスヴェルトは翡翠に目で感謝を伝えると、また来ると言って転移魔法を発動させた。
シェリルとステラのいる光の繭を囲む様にして野営の準備が始まった。
アルフレッドは流石妖精王という力で一部ではあるが森を再生させた。残りの部分については数日もあれば世界樹の力で元に戻るそうだ。
「では、私は地上の様子を見て来ます」
「大丈夫ですよ。もうあの魔物達の気配はありませんから」
「いえ、じっとしていたく無いのです。私は今度こそレイヴンに恩返しが出来ると思っていましたが、まだまだでした。せっかく聖剣デュランダルを貸し与えて頂いたのにこの様では……。レイヴンを見ていると己の未熟さを痛感します」
指輪の形に戻ったデュランダルをなぞったエレノアは申し訳なさそうに言った。
元々真面目な性格なのだろう。
エレノアの戦いぶりを見て、カレンやランスロットだけでなく、リヴェリアの部下達も非常に高い次元の攻防に目を奪われた。力強さと技術を兼ね備えた素晴らしい戦いであった事は言うまでも無い事だ。
「レイヴンを基準に考えてたら体が保たねえよ。あれだけ戦えたら十分だと思うけどなあ」
「基準にしてる人が言うと説得力が違うわね」
「絶対言うと思った……」
「「「あはははははは」」」
貼り詰めていた雰囲気が少し和んだ所で一先ず休息をとる事にした。
レイヴンが目覚めない事には話が進まない。
「とにかく、エレノアも今は体を休めると良いわ。いくら慣れたと言っても、まだ全力戦闘は負担が大きいでしょう?」
「それはそうですが……」
『妾もそろそろ精霊界へ戻るとしよう。こちらの世界に顕現しておるのも久し振りだったので疲れた。すこし眠る』
「眠るって、それは良いけどちゃんと起きてよ?」
『分かっておる。それと、次からは召喚に詠唱は要らぬぞ。精霊王たる妾と契約したのじゃ。“そのくらいやってみせよ” 」
ニヤリと笑った翡翠の言葉に、和やかだった場が静まり返った。
ミーシャは翡翠が精霊王だと知って口をパクパクさせている。
「お、王って……ああ、そんな…私の……あいでんてぃてぃがぁ……」
契約が成立している事ですら理解の範疇を超えていると言うのに、聖霊王の召喚を無詠唱で行うなどあまりに無謀だ。もしも、そんな事が出来たなら、賢者マクスヴェルトに並び立つ魔法の才を得たのと同義だと言っても、決して過言では無い。
だが、ルナはやる気だ。
既に一度無詠唱の感覚は掴んでいる。
「良いねえ。僕ももっと成長したいと思ってたんだ。寝てる暇が無いくらいに呼び出してあげるから、覚悟しておいてよ」
『ふふふ。では、その時を楽しみにしておるとしよう。…ああ、そうじゃった。ミーシャよ』
「は、はひ!」
『お主のツバメちゃんじゃが、暫く妾に預けよ。何、悪いようにはせぬから安心せい。ではな。繭に異変があれば呼ぶが良い。ふああああ……』
大きな欠伸を残して翡翠は精霊界へと帰って行った。