最低の判断
今回は少し短いです。
レイヴンに斬られたクレアは悶絶して悲鳴を上げた。
一撃で魔物の命を絶つ事の出来るレイヴンの攻撃を受けて生きている時点で、殺すつもりが無かったのは明白だ。
クレアを傷付けられるのをあれだけ嫌がっていたレイヴンがクレアを斬った事はルナ達にとって大きな衝撃だった。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!!」
クレアの体は立ち所に傷を修復して元に戻りはしたが、その後はもう怯えるばかりで、完全に戦意を失っていた。
「おい」
「……ッ⁉︎ 」
レイヴンが僅かに動いただけでビクリと震える有様。クレアはボロボロと涙を流して少しでもレイヴンから離れようとして震えていた。
「来るな……来ないでよ!レイヴン…助けて……嫌だ、死にたくない……助けてレイヴン……レイヴン……」
「……」
最早勝敗は決した。
クレアが魔眼の支配を受けたままなのは何一つ変わってはいないが、これ位上の戦闘行為は誰の目から見ても無意味だった。
助けを求めて震える姿は出会った頃の幼いクレアそのものだ。
それでもレイヴンは殺気を抑えようとしない。
「おい……いくらなんでもやり過ぎなんじゃねぇのかよ……」
「いえ、あれで良いのかもしれません。人間の心を掌握するには恐怖心を植え付けるのが最も効果的だとされています」
「んな事分かってんだよ!俺が言ってんのは、あれじゃあクレアが元に戻ったとしても、心にでっけえ傷を負っちまうって事だよ!」
「あ、いえ、そういうつもりでは無かったのです。すみません……」
ランスロットの心配は分かる。けれども、エレノアが言った様に、魔眼の支配下にあるクレアには恐怖心を植え付ける事が最も効果的だとも言える。ただし、それだけでは何の意味も無い。その事はレイヴン自身もよく分かっている筈だ。
「二人共よさないか。魔眼の支配に対抗するには、そのくらい強烈な感情の揺さぶりが必要だと判断したんだろう。クレアの事を大切に想っているのはレイヴンも同じだ」
『問題はあの男じゃな。このまま何もせぬという事はあるまいよ』
「と言っても、この状況で何か出来るとは思えないんだけど……」
『いや、見てみよ』
この状況には冷静を装っていたトラヴィスも苦い顔を浮かべていた。焦っているという風には見えないが、強いて言うなら“恐怖を感じている” そんな風にも見えた。
何らかの手段を持っているのは間違い無いのだが、レイヴンの張った赤い魔力の影響で翡翠達も迂闊に動けないでいた。
「それにしても、この結界は厄介ですよ。魔法の障壁や封印魔法よりも厄介さは格段に上だ。しかも、範囲が出鱈目に広い。今、同胞達の力を借りて確認して分かっている範囲だけでも、この地下空間全てに張り巡らされていますよ……無茶苦茶だ」
「ホント…凄いね。何処でこんな事思い付いたのやら。しんど……。あーあ、リヴェリアに何て報告しよう……」
くたびれた様子のマクスヴェルトがカレン達が集まっている場所に転移して来た。
ミーシャから魔力回復薬を受け取って一気に飲み干すと、その場に大の字で横になった。
「マクスヴェルト、疲れているのは分かるが、緊張感が無さ過ぎるぞ!」
「あー、無理無理。まさかこの僕が魔力の使い過ぎで碌に動けないなんて何百年振りやら……」
カレンの叱責もどこ吹く風。
マクスヴェルトはジッと空で向かい合う二人をぼうっと見ていた。
レイヴンはしたくもない選択をしようとしている。
マクスヴェルトにはそれが分かっていながら、かける言葉が見つからなかった。レイヴンの選択は今はそれしかないというマクスヴェルトの判断と同じだったからだ。そしておそらく、ルナもまた同じ事を考えているに違いない。
最悪は避けられた。けれど、最低だ。
暫くすると赤い魔力の結界は解かれて、上空にいたレイヴンとクレアが地上に降りて来た。
「やってくれましたね……」
「知るか。確かめただけだ」
トラヴィスの元に戻ったクレアは変わらず怯えたままだ。
レイヴンもかなり消耗しているのか、肩で息をしていた。
ーーードクン!
「さて、俺はこれからお前を殺そうと思う。逃げるか、戦うか、選べ」
「これはこれは……随分とお優しいではありませんか。勿論、逃げさせて頂きますよ。悔しくて悔しくて仕方がありません。分かり切ってはいました。貴方と戦うにはまだ早過ぎたという事です」
トラヴィスは懐から水晶を取り出して何らかの魔法を発動させた。
転移魔法の一種なのだろうか、トラヴィスとクレアの姿が薄くなって消えて行く。
「レイヴン!このまま行かせて良いのかよ⁉︎ 」
「……今は、良い。これで良いんだ」
「これで良いって……」
やがて薄気味悪い渇いた笑いを残して、二人の気配が完全に消えた。
結局、クレアは取り返せなかった。いや、取り返さなかったのだろうか?
少なくともレイヴンの力であれば奪う事は出来たのに、レイヴンはそれをしなかった。
「翡翠、アルフレッド 。ミーシャ達を世界樹へ転移させられるかい?」
『なんじゃ急に』
「出来ない事はありませんが、これだけの人数となると今は……」
「そっか、じゃあせめて死なない様に祈ってみようか……」
『どういう意味じゃ?』
マクスヴェルトの呟きと同時に、再び空と地上から魔物の大群が押し寄せて来た。
「不味いぞ……今来られたら……」
レイヴンを含め、全員が疲弊した状況では魔物の群れを倒すのは困難だ。
カレン達が瞬時に覚悟を決めたその時だった。
「うあああああああああああああーーーーーーーッ!!!!!!」
レイヴンの雄叫びと共に赤い雷が全ての魔物を殲滅するべく地下世界を覆い尽くした。
けれど今度は最初に発動させた時の様な正確さは無い。
怒りとも悲しみともとれるレイヴンの揺れる心に反応する様に闇雲に攻撃し始めた。
赤い雷が降り注ぐ中で、カレン達はそれを避けるでも無く立ち尽くし、ただジッとレイヴンの背中を眺めていた。
吠えるレイヴンの姿にはクレアを失った後悔が透けて見えるようだった。