想いを叫ぶ大魔法
ルナと翡翠を守って戦っていたアルフレッドには目の前で繰り広げられる光景に理解が追い付かなかった。
クレアを助けようとして動いた筈のカレンとランスロットはレイヴンに対して激しい攻撃を繰り返し、応援に来た筈の冒険者達は戦う手を止めてしまった。ミーシャも影響を受けているのか、呆然と立ち尽くすだけで目は虚ろで焦点が定まっていない。
どういう訳か魔物も彼等を襲う気は無いらしい。
直ぐ様上空で戦い続けるエレノアへと方向転換して襲い掛かって行った。
エレノアが魔眼の影響下に無かった事は幸いだ。しかし、非常に不利な形勢である事に違いない。
「精霊王!これは一体どういう事なのです⁈ 」
『説明しておる暇は無い!ルナの魔法が発動するまで今は時間を稼ぐのじゃ!』
ルナのやろうとしている魔法は精霊王である翡翠でも使えない。
現実世界に存在するルナと精神世界に存在する翡翠を繋いで初めて発動可能な大魔法だ。
世界に散らばった凡ゆる矛盾を洗い出し、強制的に隔離し、消し去る。
トラヴィスの魔眼による無意識の支配もこれで解除可能な筈だ。
「出来た!出来たよ翡翠!」
『うむ!』
翡翠を中心にあり得ない程巨大な魔法陣が展開された。
それは空と大地を覆い、世界を包み込んだ。
『一回こっきりの魔法じゃ。しくじるで無いぞ』
「分かってるよ!我が名はルナ。精霊王翡翠の友人にして唯一の契約者也。契約者たるルナの名において命ずる。世界の記憶を辿り、偽りの記憶を世界から切り離せ!」
ルナの詠唱は世界の記憶をあるべき姿へと戻す奥の手だ。しかし、魔方陣が強く輝きを放ちはしたものの、魔法が発動する気配が無い。
「どうして⁈ 世界への接続は完璧だったのに!」
「それじゃあ駄目だよ」
慌てふためくルナの耳に暫く聞いていなかった声が聞こえた。
「忘れたのかい?魔法の発動で大切なのは呪文や詠唱じゃない。想いの力だって事をさ」
何処からともなく現れたマクスヴェルトは、ルナと翡翠の手を取って目を閉じた。
マクスヴェルトの持つ膨大な魔力が二人を介して魔方陣へと流れ込む。
「す、凄い……」
二人がかりでも一回こっきりの発動が精一杯だったのに、たった一人で必要な魔力を全て補ってしまった。
当然だ。
レイヴンやリヴェリアと肩を並べる超常の力の持ち主だ。一体どれ程の修練を積んだというのか。マクスヴェルトは今のルナでは到底手の届かない遥か高みにいる。
『……良いのか?ここで力を使えば、もう見届ける事が出来なくなるのじゃぞ?』
翡翠はマクスヴェルトがこの地に来ている事を知りながら黙っていた。それはマクスヴェルトがルナと関わる事を避けていると勘付いたからだ。
「もう十分だなんて、そんな事は微塵も思っていないけれど、君がルナを選んだ瞬間から安心はしてたんだ。さあ、ルナ。君には満足に魔法を教えてあげられなかったね。今から魔法の授業といこうか。と言っても、のんびり話している場合じゃないから……」
『分かっておる。主等の意識を妾の世界に繋ぐ』
ルナには何の事か分からなかったが、翡翠とマクスヴェルトは知り合いの様だ。全ての魔法を操ると言われる賢者マクスヴェルトであれば、精霊王と面識があってもおかしな話では無い。
それどころか、二人の間には長い刻を共に過ごして来た様な深い繋がりを感じる。
「何言ってるの……これって……ねえ、翡翠」
『……聞いてやるが良い』
翡翠は困惑するルナを優しい口調で諭して目を閉じると白い闇が広がった。
白い闇の中にポツンと置かれたソファーの上で元の姿をした翡翠が優雅に寝そべっていた。
マクスヴェルトから供給される魔力は初めから自分の魔力であったかの様に、自然に同調して流れ込んで来る。
一見して高度な技術だと受け取る事も出来るが、あまりにも違和感が無さ過ぎた。
「ここに来るのは久しぶりだなぁ……。さて、僕が最初に言った魔法の発動概念を覚えているかい?」
「うん……」
ーーー魔法とは、究極的に突き詰めればイメージの具現化。
精神力とは術式を元にイメージした魔法を形にするもの。
心とは発動した魔法の効力を左右するもの。
想いが強ければ強い程、魔法は無限の可能性を発揮する。
「その通りだ。魔法を自在に操るという事は、自分の心を制するという事。一の魔力で十の効果を生み出せるかどうかは術者次第なんだ。今の君がイメージしなくちゃいけないのは、元に戻す事じゃ無い。こうあって欲しいと、願い、想い描くことさ。人はそれを願いの力だと言う」
「願いの力……それってレイヴンと同じ……」
「ああ、願いの力は本来誰の心の中にもあるんだ。あれが欲しい、これが食べたい。そんな些細な欲望も全部そうなんだ。レイヴンは頑固で我儘だからねぇ……その力が他の人より少し大きいだけさ」
マクスヴェルトは呆れた様な仕草をしてみせた。
「そんな単純なことで……」
「そうだよ?もしかしてルナは世界を創ったのが神や悪魔だとでも思っていたかい?」
「違うの?だから、シェリル達は……」
マクスヴェルトはルナの問いを首を横に振って否定した。
「世界とは願いの集合体だよ。一人一人の些細で細やかな願いが折り重なって世界は世界として構築されて形を成す。神や悪魔なんて存在は、人間よりもそれが大きいって事でしか無いんだ」
「そうか、願いの比率……でも、だとしたら……」
「あはは、流石に勘が良いね。これは不文律とでも言うべき世界のバランスだ。人は無意識のうちに敵わないと思った相手に白旗を揚げちゃってるからね。自然とそういう風な流れを自分達で作っている事に気付けない。でも、そうじゃ無い人もいた」
「それが、シェリルとレイヴン……」
二人に共通しているのは“抗う意志” 世界中を敵に回しても想いを貫き抗い続ける強い意志だ。
『そう言えばアルフレッドが言っておったぞ。“願いの力を持つ者は、まるで他人を生かす為だけに生まれ来た様な存在” じゃとな。そしてこうも言っておった。“呪いにも似た君の優しさは毒でしかない。他人と自らを滅ぼす猛毒だ。狂気と言っても良い” とな。
言い得て妙な話だとは思わぬか?人は誰しも願いを抱えて生きている。ならば、それは呪いなのか?……違うであろう。人は自分の弱さを自覚しているからこそ、他者との繋がりを求め焦がれる。そこに種族や、正義も悪も無い。ましてや呪いなどという事は断じて無い』
二人はその事を本質的に心で理解しているからこそ、純粋に願う事が出来る。それはいつしか周囲を巻き込んで畝りとなって、世界に影響をもたらす程の大きな力になるのだ。
世界の安定を第一とする神と悪魔が恐れた願いの力の本質がそこにある。
「どうだい?何か掴めたかい?」
『相変わらず主の説明は回りくどくてかなわん』
「そうかなぁ……結構手短に話したつもりだったんだけど」
マクスヴェルトが来てくれた事はルナにとっての幸運だ。
おかげで世界の真理に近付けた気がする。
「……二人共ありがとう。なんだか少し分かって来た気がするよ」
ルナの何かを掴んだ様な、自信に満ちた表情を浮かべていた。
「じゃ、そろそろ行ってみようか。クレアの事もあるけど、先ずは皆んなを魔眼の支配から解放しなくちゃね」
『では……』
白い闇が消えて現実へと戻って来たルナは、再び意識を集中した。
マクスヴェルトが言った様に、魔法の発動で最も大切なのは想い、願う事。けれどまだマクスヴェルトの様には上手くいかない。
だから今は言葉にする。
願う現実をより強くイメージする為に、想いを叫ぶのだ。
「世界に存在する数多の精霊達よ、我が呼び声に応えよ。我が名はルナ。精霊王翡翠の友人にして唯一の契約者。
契約者たるルナの名において命ずる。世界の記憶を辿り、偽りの記憶を世界から切り離せ!
如何なる時空、次元、刻の流れに存在していようとも、世界の真実は一つ。
揺り起こせ、世界の記憶を。
呼び覚ませ、世界の真実を。
重ねて告げる。我が名はルナ!世界と世界を繋ぐ者!世界の真実に触れる者!発動せよ!フォールスフッド・デストラクション!!!」
精霊王翡翠の力を借りて放たれた大魔法は、偽りの記憶を破壊する為に発動した。