叫び。ぶつかる心。
“私の願いとは違う”
声の主の正体に気付くのとほぼ同時に、殺気をみなぎらせたカレンの拳がレイヴンの兜を掠めた。
「ステラーーーーーッ!!!」
咄嗟に展開した魔法の障壁で攻撃を防いだもののカレンの攻撃の勢いを殺し切れずにレイヴンの後方へと退いた。
「くそ!どうなってんだ⁈ 今のがステラなのか?」
ランスロットを始め、その場にいた全員がステラの出現に驚いていたのに対して、レイヴンは至って落ち着いた様子で魔剣を構えていた。
ーーーレイヴン!ステラが!
「気にするな。“想定内だ” 」
カレンならステラをきっちり抑え込んでくれるだろう。
天井……いや、天上から出現した蓮中はエレノア達が対処する。仮に討ち漏らしたとしてもランスロットやリヴェリアの部下達なら戦力として申し分無い。
レイヴンは姿勢を低く構えて願いの力を発動させる準備に入った。
ひたすらにシェリルの姿を思い浮かべて、シェリルの意識と同調させていく。
深く、深く……深く。
リヴェリアがレイヴンの手を掴んでくれた様に、レイヴンもまたそれに応える。
リヴェリアの願いは後悔の果てに残った希望。
止まった時間をもう一度動かす。
ーーードクン!ドクンッ!!ドクンッ!!!
次第に大きくなる心臓の鼓動が願いの力を発動させるだけの準備が整いつつある事を報せていた。
「レイヴン!それは駄目だと言ったでしょ!!!!!」
ステラがすかさず発動を阻止しようと動くが、紅蓮の炎に身を包んだカレンがレイヴンへ接近する事を許さない。
激しく燃え盛る炎はやがて紅蓮の鎧へと姿を変貌させ、カレンの魔力を受けてその力を最大限に引き出して行く。
「邪魔などさせるものか!!!」
カレンの両腕に嵌められた手甲はステラの魔法障壁を容易く破壊した。
「そんな……⁉︎ 私の魔法を破壊するなんて……」
「忘れたか、私は竜人の血を引く魔物混じりだ。私には二度と同じ魔法は通用しない!」
「面倒な……!」
「無駄な抵抗は止めろ。お前に勝ち目は無い。後悔を抱えているのはお前だけでは無い事が分からないのか!」
「後悔……?ふふふ……」
ステラは不気味な笑みを浮かべて笑い始めた。
何がそんなにおかしいというのか。あの時何も出来なかった事への後悔は、あの場にいたシェリルに関わりを持つ者達全員が抱えている事だ。
ステラはレイヴンの力を利用して後悔を無かった事にしようとしているだけだ。
それでは駄目だ。リヴェリアは言った。“やり直し” では無い。もう一度始めると。
誰よりも悔いている筈のリヴェリアが言ったその言葉はカレンの、皆の胸に響いた。
後悔を乗り越える事で新しい可能性を切り開く。
それを教えてくれたのはレイヴンだ。
レイヴンにしてやれた事と言えば気にかけて見守ってやるくらいの事だった。だが、それで十分だった。
レイヴンは誰に教わるでもなく、どんな境遇にあっても歩みを止めなかった。生き抜く為に足掻き続けた事はレイヴンにとって多くの出逢いと幸運を呼び込んだ。それが無意識に発動させていた願いの力の影響だったとしても、レイヴンはレイヴンとして歩き続けた。
忘れ形見であるレイヴンをどうにかして人間らしく生きられる様にと、世界を滅ぼさなくても済む様にと繰り返して来た事は決して無駄では無かったのだ。
「何がおかしい!リヴェリアは後悔を乗り越えた。そしてレイヴンもまた、未来を欲している。その気持ちを笑うなら、やはり私はお前を許せない!」
「ふふふ……まさか、シェリルの魂が魔剣と同化していたなんて気付かなかった……もっと早く分かっていれば他の選択肢もあったのに……あんな奴等に魂を売らなくても良かったのに……」
被っていたフードを取ったステラは頭に巻いていた包帯を外した。
「なんて事を……」
「必要な実験は全て終わったわ。聖の魔力を持つ竜人族が、その血を使って魔物の血を抑え込んでいるのなら、神の眷族である私にも可能な筈。その推論は正しかった」
ステラは自らの体に魔核を埋め込んでいた。
額に埋め込まれた魔核が鼓動すると、淀んでいた青い目が赤く変化していった。
それは魔物混じりの証。
真っ赤に染まった目を見開いたステラは更に見た事の無い魔具を取り出して腕に装着した。
「それがお前の答えなのか、ステラ。人は明日という未来を願い想うからこそ後悔する。失敗しない者などいない。何も間違え無い者もいないんだ。けれど、正解が何なのかさえ分からない。それでも前へ進むのは、少しでもマシになるように、少しでも後悔を減らせる様にする為だ。お前は後悔から逃げたんじゃ無い。目を閉じて見なかった事にしようとしているだけだ」
カレンは変わり果てたステラを前にして言わずにはいられなかった。
シェリルとステラの二人はとても仲の良い姉妹だった。
カレンと共に人々を守ったステラが、あの場に駆け付けたい気持ちを必死に噛み殺していたのを、同じ戦場にいたカレンは知っている。
ステラがシェリルを失った悲しみや苦しみを想うだけで胸が張り裂けそうになる。
「私、分かったの。後悔だなんてそんな言葉、私には必要無いって。だって……全部無かった事にすれば良いだけだもの」
「そんな事を認められるものか!私達は既に自分達の都合で罪を重ねて来た。世界が滅びを迎える度に時間を巻き戻した。それでも、滅びの道に巻き込まれるしかなかった人々を救う事にもなると信じていた。そんな私達にお前の行いをとやかく言う資格は無いかもしれない。だがーーー」
ステラはレイヴンを利用しようとしている。これだけは絶対に許せない。レイヴンを蘇生させたステラが、どうして幼かったレイヴンを一人にしたのかずっと考えていた。
そして今、その答えが分かった気がする。ステラはずっと、巻き戻される世界の片隅で、レイヴンが魔剣を扱える様になる事と魔物堕ちする事を待っていたとしか思えないのだ。
ステラはカレンの言葉を遮って叫んだ。
「目を閉じて何が悪いの!無かった事にして何が悪いの⁈ 私は貴方達みたいに強く無い!……だってあんなの絶対におかしい……どうしてシェリルが……アイザックが……レイヴンが……。私は私の全てを犠牲にしてでも!私はあの楽しかった日に戻りたいのよ!!!それを望んで何が悪いの⁉︎ ……その為だったら、こんな狂った世界なんてどうだって良い!レイヴンの力を使えばそれが叶う!レイヴンだって救われる!!!皆んなが幸せだった時間に戻れるんだから、それで良いじゃない!!!貴女達が犯した罪も無かった事になるのよ?それが一番幸せな事でしょう⁈⁈ 」
ステラは醜い魔物の体へと変貌しながらも、これまで誰にも打ち明ける事のなかった想いをぶちまけた。
勿論レイヴンやシェリル。他の皆にもステラの声は届いている。
ステラがずっと胸に秘めていた想いは分かった。
ステラは負けたのだ。
自分の心に巣食う恐怖に。
後悔という名の重圧に。
心が折れて壊れてしまった。
それを責めるつもりは無い。リヴェリアも一時は廃人の様になった。カレンとて、レイヴンの生存を知らなければ再び歩き出せていたか分からない。
世界を滅びから救うだなどと綺麗事を言ったところで、中央大陸という閉ざされた世界を弄んだ罪は罪だ。
「違う!誰もが強く前を向いて歩き出せる訳じゃな事くらい分かってる!私だってそうだった!だとしても!目を閉じて何も無かった事にしてしまっては可能性を自ら閉ざしてしまう事になる。挫けて立ち止まったって良い。後ろへ下がってしまったとしても、進む道が見えなくても、目を閉じてしまったら見える筈のものまで見えなくなってしまう。それだけは駄目だ!」
「詭弁だわ!私がやろうとしている事と貴女達のやろうとしている事に何の違いがあるの?罪を罪だと認めるのなら、何も無かった事にした方が良いに決まってる!!!」
カレンはステラの言い分も最もだと認める一方で、どうしてそこまでして何も無かった事にしたいのか疑問に感じていた。
翡翠が言った様に、最初の可能性を作ったのは間違いなくステラだ。
ならばこそ、言わねばならない事がある。
聞いておかねばならない事がある。
「ステラ……お前は気付いていないのかもしれないが、私達に後悔を乗り越えるきっかけをくれたのはお前だ。お陰で私達はそれぞれに悩みながらも前へ進むことが出来たんだ。目的が何であれ、感謝している。だがな……」
「感謝ですって?今更何を……!」
「……リヴェリアから聞いた。お前は一時期、幼いレイヴンとルナの三人で慎ましく暮らしていたと。魔剣を作ったのもレイヴンの力を抑え込む為に協力していたと。あの時のお前はとても幸せそうな顔をしていて安心したのだと!!!それが、どうしてこんな事になった⁉︎ リヴェリアの記憶を改竄してまで、どうしてリヴェリアが差し伸べた手を離した⁈ そんなお前の事は誰が救ってくれると言うんだ⁈ 」
体の変質を終えたステラは、全身が不気味な装飾の鎧の様な物で覆われていた。
それらはまるで生きているかの様に蠢いていた。
「そんなの決まってるじゃない。私には魔剣を創る為の知識が必要だったからよ。それに、どうして私がシェリルを殺した奴なんかと仲良くしなくちゃいけないの?今思い出しただけでも吐き気がする。自分達が後悔を乗り越えたから、私にもそうしろと言うの?貴女達のは単なる自己満足よ。自分達に都合の良い理由を見つけて、しかもそれをレイヴンのおかげ?馬鹿にしてるのは貴女達の方でしょ……。もう良い。こんな茶番は要らないわ。私は私のやり方でレイヴンとシェリルを救ってみせる!!!」