許す事。許される事。
「待つのじゃシェリルよ」
シェリルの話を黙って聞いていた翡翠が不満そうに話を遮った。
すっかり話に聞き入っていたレイヴンも途中で話を遮られて不満そうだ。
レイヴンにとってシェリルだけで無く、ステラやリヴェリアの事を知る事が出来る良い機会だ。
「おい、これからが良いところだったんじゃないのか。邪魔をするな」
『ほほう。これはこれは、まさか主がそこまで昔話に聞き入っておるとは思わなんだ。じゃが、駄目じゃ!』
昔話をしていただけなのにどうして険悪な雰囲気になるのか。
シェリルは困惑して、二人を止めに入った。
「ちょ、ちょっと二人共喧嘩しないでよ。一体何が不満なの?」
『そんなペースで昔話をされたら、妾が登場する迄にひと月はかかってしまうではないか!話すならもっと妾の活躍している話が良い!』
「ふざけるな。こんな中途半端に終わられたら続きが気になる」
『後で聞けば良かろう?今は妾の活躍をじゃな……』
シェリルとしても昔話に興味を持ってくれた事は嬉しい。けれど、二人が喧嘩をしてしまうのなら、この辺りで止めておいた方が良いかもしれない。
「喧嘩するなら話はこれでお終い。その後どうなったかだけ教えてあげる」
「……分かった」
『むむ……』
「私とステラは村に戻って改めて自己紹介をした後、リヴェリアと友達になったの。リヴェリアってば竜人だって打ち明けるまでは本当に変な子だったのよ。人間界の事は本でしか知らなかったみたいだし、でも正義感だけは人一倍強かった。それから……」
シェリルの話によると村は魔物の襲撃によって全滅してしまったそうだ。
三人が旅に出る事になったのも、それがきっかけらしい。
(全滅……)
現在よりも魔物の数が少なかった時でさえそんな事が起こっていたのには驚いた。
後に冒険者という仕組みをリヴェリアが作ったのも、本格的な自衛を促す事と仕事を結びつける為に必要な事だったそうだ。
「後にリヴェリアは冒険者という仕組みを作って、人々が自衛の手段を持てる様にしたわ。冒険者が依頼を受ければ魔物は減るし、お金にもなる。依頼を出す方も安全を確保しながら自分達の生活に専念出来る。そうして経済と安全を結び付けて、お互いに必要な物を活用する仕組みを使えば、戦う手段を持たない人達でも安全に旅をする事も出来たって訳よ」
「カレン……貴女も起きたのね」
「まあね。だけど、そこにいるちびっ子があの精霊王だったなんてね。だったら早く言ってよ」
『気配で気付かぬお主が悪い』
翡翠は悪びれた様子も無く淡々と言って退けた。
「まあ良いわ。とにかく、シェリルがレイヴンを身篭った事で状況は一変したわ。世界の均衡が崩れたの」
『おいおい、カレンや。随分と自然に妾の活躍の場面をすっ飛ばしてくれるではないか。そう焦らずとも、先ずは妾の華麗なる活躍の数々を話して聞かせるべきであろう』
「世界の均衡?歪みでは無いのか?」
『……ふん!後で聞かせてくれと泣いて頼んでも知らぬからな!』
翡翠が何やらほざいているが、レイヴンにはどうでも良かった。
そんな事よりも世界の均衡が崩れたという話の方が気になる。
カレンはシェリルに目で確認を取ると、レイヴンの方を向いて話し始めた。
「もう薄々気付いているだろうから話すけど、シェリルは神の眷族よ。当然、ステラもね。そしてレイヴン、貴方の父親はーーー」
「私の兄、アイザックは魔物の王。人間には魔王などと呼ばれていました。けれど、実態は魔を司る魔神です。同じ神ではありますが、聖を司る神とは対を成す存在です」
(アイザック……魔物の王。それで……)
追加の毛布を抱えたアルフレッドが部屋に入って来た。
背後にはお茶と菓子の乗った台車もある。
「お久しぶりです義姉上……」
アルフレッドはそう言って、シェリルに向かって深々と頭を下げた。
肩は震え、握った拳は真っ白に血の気が引いていた。
アルフレッドの心にあるのは罪の意識。
兄と妻の危機に助けにもなれず、自分だけのうのうと生きている事に対する恨めしさだ。
長い沈黙が場を支配していた。
シェリルとアルフレッドは互いに何と言葉を発して良いか分からずに固まったままだ。
「二人の間に何があったのかは知らないが、来たなら座れ。せっかくの茶が冷めてしまう」
沈黙を破ったのは予想外にもレイヴンだった。
いや、この沈黙を破るとすれば、翡翠でもカレンでも無く、レイヴンでなければならなかっただろう。
良くも悪くも、レイヴンの空気を読んだのか読んでいないのか分からない態度は場の空気を変えた。
「……やれやれ。話を聞いて分かったとは思うけど、私は君の叔父に当たるのだけれどね」
「知らん。良いから座れ」
「はあ……君という奴は……兄者を見ている様だ」
暖炉に火をくべて厚手の毛布を掛けて周ったアルフレッドは、最後にお茶を配ってから近くの椅子に腰掛けた。
『アルフレッド、何を縮こまっておるのじゃ。さっきまでの威勢はどうした?』
「私は、その……本来なら義姉上に合わせる顔が……」
“ああ、そうだったのだ……”
アルフレッドの言葉を聞いたシェリルはアルフレッドがずっと罪の意識に囚われていたのだと知ってハッとした。
「アルフレッド。精霊王にも言ったんだけど、私は誰も恨んでなんかいないわ。それはあの人だって同じよ。寧ろ貴方に後の事を全て押し付けてしまった事こそ謝らないといけないわ……ごめんなさい、アルフレッド。そして、ありがとう。貴方のおかげで崩れた世界の均衡があの時以上に拡大せずに済んだ。本当にありがとう……」
「……ッ!!!」
アルフレッドは人目も憚らず大粒の涙を流して泣いた。
だが、それを笑う者などこの場には居ない。
アルフレッド自身、全ての罪が許された訳では無いと分かっている。けれど、ずっと胸の中に刺さっていた棘が一つ抜け落ちた。
「貴女という人は……今、改めて納得した。兄者が魔の一族よりも義姉上を選んだ訳だ……」
『あの時に戻れたら、などとは言わぬが……』
「過去を無かった事になど出来ないし、あってはならない。だけど、私達はあの時を乗り越えていける」
レイヴンは後悔を乗り越えようとする四人の姿を黙って見ていた。
世界の均衡が崩れた理由が自分だと言われただけでは正直言ってピンと来ない。しかし、神の眷族と魔王がそういう関係になる事が異常だという事だけは理解出来た。そんな二人の間に出来た子供が産まれる事を容認出来ないと判断されたのも分からない話では無い。
神でも悪魔でもあるし、人間でも魔物でも無い。
なんと中途半端な存在である事か。
考え様によっては何者にもなる事が出来る。
だが、それはレイヴンの望んでいる事では無い。
怒りや憤りをぶつける事は出来る。
どうして自分を、と責める事も。
レイヴンは、それを今更どうこう言うのは筋違いだと思っていた。
何故なら、それらは全て“たった一つの純粋な願い” が生んだ結果だからだ。
多くの者に望まれた命では無かったかもしれない。けれども、少なくとも世界と戦った二人だけは、レイヴンが産まれて来る事を願ってくれた。
それはとても嬉しい事だ。何も無いと思っていた自分にも、願ってくれる人がいた。決して誰にも望まれなかった訳では無いと分かっただけでも、答えの出なかったモヤモヤとした気持ちが楽になった気がする。
レイヴンは、それが分かっただけでも自分の存在を許された気がしていた。
『我々の心には確かに拭えぬ後悔がある。しかし、あの戦いは今、実を結ぼうとしておる。二人が世界と戦った事は無駄では無かった』
「それはつまり、文句があるならかかって来いと、神と悪魔を相手に喧嘩をしたということか?」
「喧嘩……」
シェリルは力が抜けた様にふらふらとして翡翠にもたれ掛かった。
喧嘩と言われればその通りなのだが、事はそんなに軽い話では無い。
『ま、間違ってはおらぬが、いくらなんでも平たく言い過ぎじゃぞ!神も悪魔もそれぞれ世界を管理してはおるが、是非はともあれ彼等の行いは全て均衡を保つ為であって、断じて争いを望んでおる訳では無い。互いに争えば世界がどうなってしまうか、彼等が一番理解しておるからの』
「レイヴン、何度も言うが願いを叶える力は世界の理にすら干渉し得る危険な力だ。今まではその力を十全に扱える者がいなかったから問題にはならなかっただけで、今の君の様に力を扱える者が現れるのを危惧していたんだ」
(神と魔の血を受け継ぐ子供なら、それが可能かもしれないと踏んだ訳か)
段々と朧げだった部分が見えて来た。
互いに不干渉を貫く神と魔が子を成す。
それはさぞかし慌てた事だろう。
「……くだらないな」
レイヴンは全てをその一言で切り捨てた。