昔話②
それはもう“すこーーーん” と気持ち良いくらいの音と手応えが、一瞬で全身を駆け巡り、シェリルの体をなんとも言えない満足感が満たした。
「すっごく気持ち良い……じゃなかった!不味いよ!あの子助けなきゃ!」
「出てってちゃ駄目!今出て行ったら作戦が台無しになっちゃう!」
茶色の髪の少女が一体何処から現れたのか分からない。
けれど、胡椒は予定通りに男達の周囲に散乱して激しい咳やくしゃみを引き起こしていた。
「ぐあああっ⁉︎ ゲホッ!ゲホッ!な、なんだこりゃ⁉︎ 」
「お、お頭!はあああ……っくしょい!!!き、奇襲……っしょい!でさあ!っしょい!」
「ああ⁉︎ 分かっゲホ!んだ!ゴホッ!ゴホ!だよ!」
予想以上の効果に男達は大混乱に陥っていた。
症状の重い者は地面をのたうち回って顔を青くしている。
「ちょ、ちょっとシェリル……ひょっとして胡椒以外に何か入れたの?」
「え、あー……唐辛子の粉を少し……何だが強そうだったから……」
「どっちが?」
「くちゅん!うー、酷い目にあったのだ……」
屋根の上で身を潜めて様子を伺っていた二人の背後で妙におじさんくさい喋りの少女の声がした。
「「……ッ⁉︎ 」」
周囲の警戒はちゃんとしていたし、念の為に屋根の上には侵入防止の結界を張っていた。
魔物を相手にしても背後を取られた事の無い二人にとってはかなりの衝撃だった。
だと言うのに、それらをいとも容易く突破して茶色の髪の少女が二人の背後に立っていた。
二人と同じくらいの年頃だろうか。今は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているが、おそらく端正な顔立ちをしているであろう少女の目は金色に輝いて、如何にもお嬢様っぽい可愛らしい服を着ている。そして腰には、明らかに身長よりも長い美しい剣を携えるという不思議な格好をしていた。
「はあ……ふあぁ…っくちゅん!うーー……まだムズムズずるのだ」
「え⁈ 嘘……さっきまであそこにいたのに……」
「貴女誰⁈ 」
剣を構えたシェリルがステラを背中に庇う様にして謎の少女の前に立った。
見た目は当てにならないかもしれない。男達の所から屋根の上までそれなりの距離がある。それを二人に気付かれずに一瞬の内に背後を取った少女が只者である筈が無い。
「もう、いきなり酷いではないか。せっかく地上に降りて来たと思ったら、いきなり胡椒の洗礼とは……一体私に何の恨みが……ふあああ、くちゅん!」
「ご、ごめん……良かったらこれ使って」
敵意が無いらしい事を確認したシェリルは剣を収めて持っていたハンカチを手渡した。
「うう……ありがとうなのだ。ブビーーーーーッ!!!はい、返すのだ」
何の遠慮も無く鼻を噛んだ少女は、徐に鼻水まみれのハンカチを返そうと差し出して来た。
「い、いらない。それは貴女にあげるから」
「う、うむ……そうか?なら、貰っておくのだ」
「それより貴女は何者?」
「ん?私はリヴェリアだ。十歳になった自分への祝いとして、地上を見て周ろうと思って朝一番に来たのに酷い目にあった……」
「「地上???」」
「あ、いや!旅だ!そうだ、旅なのだ!偶々通りかかったのだ!偶然なのだっ!」
「「ふーーーん……」」
どう考えても怪しい。
嘘だというのは直ぐに分かった。
十歳になったばかりで、子供一人でこんな時間に旅をする。それだけでも十分過ぎるくらいに怪しい。
「そ、それよりこんな所で何をしていたのだ?」
「え?あーーー!そうだった!ステラ!どうなった⁉︎ 」
「遅かったみたい……」
どうやら男達はさっきの胡椒攻撃を貴族の男が仕掛けていた罠だと勘違いしたらしい。
宿屋に雪崩れ込んで行った男達は、立ち所に貴族の男を表に引きずり出していた。
宿屋の主人や従業員の姿も見える。
こうなる前に終わらせたかったのに、これは非常に不味い状況だ。
「仕方ない……私が一気に突撃するから、ステラは上から援護して!」
「わ、分かった!リヴェリアは……って、あれ⁈ 」
「ステラ!あそこ!」
二人はまたも一瞬で姿を消したリヴェリアが、今度はすたすたと男達の前に歩いて行くのを見て青褪めた。
「乱暴な事は止めろ!くちゅん!」
リヴェリアは手を腰に当てて毅然とした態度で言い放った。
「なんだあ?」
「この村のガキって感じじゃなさそうですぜ?」
「よく見りゃ、上等な服を着てやがる。もしかして糞貴族の身内か?」
「へへっ、身代金の餌に丁度良いぜ。構わねえ、縛ってその辺に転がしておけ」
屈強な男達がリヴェリアを捕まえようと手を伸ばしたその時だった。
シェリルの放った矢が男の足元に刺さると同時に大量の煙を発生させた。
「ぐああっ!こ、今度は何だ⁈ 」
「ただの目眩しだ!狼狽えるな!」
いち早く態勢を整えた男達ではあったが、流石に視界を奪われては満足に身動きが取れない様だった。
「ステラ!私はリヴェリアを助けて来るから援護お願い!」
「分かった!」
シェリルは屋根から飛び降りると、一直線にリヴェリア目指して走って行った。
最早作戦どころでは無い。
今は一刻も早く村の事情とは関係の無いリヴェリアを助け出すのが先決だ。
二人が焦っていた一方で、リヴェリアは落ち着いた様子で剣の鞘を外してから抜き放った。
「くちゅん!え、煙幕とは都合が良い。第二と言ったところか。レーヴァテイン!」
リヴェリアの声に反応する様に光を放った剣から声が聞こえて来た。
『第二迄の封印術式解除申請を受諾。竜化危険度は最小限に抑えられます。封印の解除を実行しますか?』
「うむ!」
金色に輝く魔力の奔流がリヴェリアの体を包み込むと、幼い少女の姿であったリヴェリアの体は赤毛が印象的な大人の姿へと変貌した。
『封印術式解除完了。制限時間は三十秒です』
「むむ……三十秒しか無いのか。まあ良い。それだけあれば十分だ。やるぞ、レーヴァテイン!」
煙幕に飛び込んだシェリルは目を疑った。
はっきりと見えていた訳では無いのだが、リヴェリアの声がした途端に、これまで感じた事の無い圧倒的な魔力の波動が周辺一帯を支配した。
「何これ……」
嫌な感じは全くしない。
確かに威圧感はあるものの、清々しい気配がする。
屋根の上から様子を見ていたステラもまた驚愕の表情を浮かべていた。
「あり得ない……」
魔法を扱うからこそ分かる。こんな馬鹿げた巨大な魔力は異常だ。少なくとも人間のものでは無い。
ステラは援護をするのも忘れて、呆然と煙幕を見下ろしていた。
煙幕の中では既に戦いが始まっていた。
とは言っても、戦いとは名ばかりの一方的や蹂躙だ。
リヴェリアの金色の目に煙幕による影響など関係無い。それでなくても、殺気立った男達の気配など目を閉じていても分かる。
「ち、ちくしょう!何が起こってやがるんだ⁈ 」
「お、お頭!ぐあああああ!」
「おい、お前等!何が起こっているのか説明しろ!」
頭と呼ばれた男にも何がなんだか分からなかった。どうにか分かっているのは、部下が次々と何者かに倒されていっているという事だけ。
ムカつく貴族を捕まえた後、村に蓄えられている金品を奪った足てそのまま中央へ向かう手筈だった。
子供の使いの様な簡単な仕事になる筈だったのだ。それが蓋を開けて見れば、何者かに妨害され、一方的に部下がやられている。
「悪いことを考えるものでは無いということだ。これに懲りたら大人しく縄について身の振り方を考える事……ふああっ、くちゅん!だな!」
男の前に不意に現れた赤毛の美女は、そう言って男の意識を絶った。
「こ、殺したの……?」
「いいや、気絶させただけだ。今の内に鎖か何かで縛って……って!わ!わわわわわわ!」
「?」
「さ、さらばなのだ!」
赤毛の美女はシェリルの顔を見るなり、慌てて森の方へと走り去って行った。