レイヴンの本質
三つの魔核と三つの水晶。
魔物堕ちして一つになったユッカとエレノアと同等か、或いはそれ以上の力を持った魔物が誕生した。だが、今のレイヴンはそんな事を問題にもしていない。
レイヴン本人に対する暴言なら聞き流しもした。逃がすと決めたからには、相手がどんな糞野郎でも見逃してやる。本心から望むのなら元の人間に戻す事すらも考えていた。
だが、そんな気持ちは三人が言い放った一言で何もかも吹き飛んだ。
三人組は言った。『ガラクタの人形』と。
エレノア達に何があったのかも知りもしない奴が、長い間ずっと一つの願いの為に戦い待ち続けたエレノアを侮辱するなど断じて許せる筈が無い。
エレノアはあの国に集まった全ての人間が長い長い年月の間に培って来た研究成果の結晶とでも言うべき存在だった。
しかし、トラヴィスによってそれらは歪められ、魔鋼人形エレノアはもういなくなってしまった。けれども、抱き続けた想いや願いは今でもエレノアの中に確かにある。
黒い霧が晴れ姿を現したレイヴンの体からは赤い魔物が漏れ出していた。
魔剣の鼓動は一定のリズムを刻み、黒い刀身には雷の音と共に赤く凶暴な魔力が纏わり付いている。
「ナンダ、ソノ姿ハ…⁈ ド、ドウセハッタリダ!!!コロ、コロシ、テヤル!!!」
尋常では無い気配を纏うレイヴンを前にしても三人はまだ気付かない。
三人は触れてしまったのだ。
最強の魔人と呼ばれるレイヴンの逆鱗に。
決して抗う事の出来ない超常の力。世界の理にすら干渉し得る魔人の力は今、三人の愚かな元人間を殺す為だけに向けられている。
「俺が甘いと言ったな。確かにそうなんだろう」
暴言や中傷には慣れている。大抵の事は気にしないし、彼等が暴言を口にするのも魔物混じりに対する恐怖心からだという事も分かっている。
反論したところで魔物混じりである事実が変わる訳じゃない。
三人組はレイヴンの言葉を受けてニヤリと笑みを浮かべた。
こうしている間にも次々に魔物を捕食して力を蓄えている。
「……だがな、貴様等は一つ大きな勘違いをしている。俺は誰も殺せないんじゃない。殺さないだけだ」
魔剣を握るレイヴンの腕が一瞬ブレた様に見えた次の瞬間。
三人の視界がズレて頭が切り飛ばされた。
声も上げられずにのたうち回る三人は必死に頭を再生しようとするが、レイヴンの攻撃は止む事無く膨張した体を斬り刻んでいった。
「早く再生しろ。魔核と水晶は無事だろ?」
地面に散らばった肉の塊は水晶に蓄えられた膨大な魔力を使って再生を始める。
けれど、体が繋がった途端にレイヴンによって斬り刻まれてしまって、また肉の塊に逆戻りだ。
「グ、ガアアアッ……!!!」
徐々に再生速度が落ちて来ている様だ。
水晶に蓄えられていた魔力が急激に減り激しく明滅するようになった。
「どうした?魔力が足りないのか?ほら、餌だ」
音と声に誘き寄せられた魔物の頭を無造作に掴むと、再生を繰り返す三人の体に投げつけた。
「もっと喰え。安心しろ。まだまだ餌はあるぞ」
どんなに細かく別れた肉の塊でも、魔物が近くにあると分かった途端に喰いついている。魔物の本能なのか、三人の中にある生存本能なのかは分からない。
「ま、マテ!!!マッテ、クレ!!!」
「何を待てと言うんだ?再生する時間ならくれてやっただろ」
ようやく再生した頭は未だ元の形を成していない。それでも三人は必死に呼びかける。
「オマエ、ハ、あの人形ニ手も足モ出ナカッ、タ!ナノニ……!ソノ強サハ、ナンナン、ダッ⁉︎ 」
「まだ気付いていなかったのか。俺は必要以上に傷付けない様に戦っていただけだ。うっかり殺してしまわない様にな」
「ナッ……⁈ ソ、ソン、ナッ、バカなコ……」
レイヴンは三人の言葉を最後まで聞く事無く、再び頭を斬り飛ばした。
「もう貴様等と話す気は無い。死ぬまで殺してやるから頑張って再生するんだな」
いくら魔物の生命力がずば抜けていても再生にはかなりの魔力を消耗する。餌となる魔物が尽きて魔力が無くなってしまえば、待っているのは死だ。
水晶の魔力が無くなってきたら近くにいる魔物を投げつける。三人の体に埋め込まれている魔核と水晶には一切手を出さない。
新たな魔物が近寄って来る度に繰り返される再生と斬撃。
既に何度繰り返しただろうか。
“一体この行為に何の意味があるというのか”
そんな想いがレイヴンの中で渦巻いていた。
殺すだけなら一撃で何もかも終わっていた。
再生を待たずとも、最初に魔核と水晶を破壊してしまっていれば、後は放っておいても三人組は魔物の餌になっていただろう。
黙って逃げていれば良かったのに。
エレノアを侮辱された怒りは確かにあるのに。
殺したい程憎いのに。
レイヴンには分からない。
分からない事が分からない。
(どうして……!どうして俺は泣いているんだ⁈ どうして、涙が止まらない⁈ )
最後の魔物を投げ付けたレイヴンの動きが止まった。
剣を握る手が震えて、鎧がガチャガチャと音を立てて止まらない。
昂る怒りはやがてレイヴン自身へと向けれ、言葉にならないモヤモヤとした感情が心を支配していく。
「イ、イヤだ……死ニタク、無イ…コロ、サ、ないデ……」
「……ッ!」
水晶は輝きを失い魔力を使い果たしていた。
魔物を取り込む力ももう無いのだろう。肉に埋もれた魔物が踠いている。
このまま放っておけば三人は死ぬ。
そうすれば心を支配していた怒りは晴れる筈だ。それでも……。
レイヴンは震える腕を掴んで叫んだ。
「くそったれぇえええーーーーーーッ!!!」
ーーードクンッ!!!
ーーーーーーーーーーーーーーー
中央に戻って来たリヴェリアは子供の姿に戻ると自室を目指して早足で歩いていた。
「お嬢、お帰りなさい!」
「ああ」
「お嬢、例の書類ですが……」
「ああ」
誰が話し掛けても上の空。
呼吸を荒くしたリヴェリアは勢いよく自室のドアを開けた。
「やあ、早かったね」
そこにはいつもと同じく、ソファーでくつろぐマクスヴェルトの姿があった。
ただし、いつもの様なふざけた態度では無い。服装も賢者らしく正装を身に纏っている。
「その格好……まさか、もう結論が出たのか?」
マクスヴェルトの顔に疲労の色が濃く出ている。服装といい、相当に神経を張り詰めているのだろう。
「うん。今し方ね」
「どう、だったのだ……?」
いつになく真剣な面持ちのリヴェリアは、ジッとマクスヴェルトを見つめて返事を待った。
時間の流れがやけに遅く感じる。
唾を飲み込む音すら煩わしく感じてしまう程の緊張の中、マクスヴェルトはゆっくりと口を開いた。
「あの三人は生きている。レイヴンは誰も殺さなかったよ」
目を見開いたリヴェリアは大きく息を吐いてその場にへたり込んだ。
「何泣いてるのさ。言い出したのはリヴェリアじゃないか」
リヴェリアはレイヴンの世界を揺るがす咆哮を聞いた時から考えていた。
魔剣の力を制御し、願いを叶える力すらも完璧に使いこなして見せたレイヴンは、本当にレイヴンのままでいられるのだろうかと。
シェリルは魔物混じりでは無かったので魔の力に精神を蝕まれる心配は無かった。
けれど、息子であるレイヴンは魔物混じりだ。どんなにレイヴンが抗おうとも、人の身を超えた力はやがて身を滅ぼし、いずれ魔の力に抗えなくなる。だからこそ、どうしても確かめる必要があったのだ。
レイヴンがレイヴンのままであるのか否か。中央に捕えていた三人の命を利用してでも見極める必要があった。
答えは出た。
レイヴンの本質は何も変わってなどいない。
レイヴンは人を殺さない。どんなに激しい怒りに支配されたとしても、何もかもを壊してしまえる力を持っていても変わらない。
「ああ…!良かった……本当に良かった……!」
命を奪う事と命を奪わない事の間には途轍もなく重要な意味がある。
レイヴンの様に特別大きな力を持つ者程、壊してしまえる対象が大きくなる。その衝動を抑えるのは並大抵のことでは無い。
奪うか、奪われるか。
この世界では抗う力を持たない者は生き残れない。それが真理であり、現実だ。
では、奪う事が正しいのか?
違う。
それでは盗賊や殺人鬼と同じだ。
奪わせない為に抗うのだ。
失いたく無いから奪わない。
レイヴンの本質はそこにある。
揺れる感情に戸惑う時も、激しい怒りに支配された時ですら、理屈など分からなくとも、いつだってレイヴンの心は一番大切な事を知っている。
「やっぱりレイヴンはレイヴンだよ。僕ならきっとあの三人を殺してた」
「私もだ……」
「レイヴンにバレたらきっと凄く怒るだろうね……」
「覚悟なら出来ている。今回の件は賭けだった」
「本当に酷い賭けだよ。でも、勝った。今回の事で確実に未来は変わった。滅びしか無かった未来にようやく光が射したよ」
「ああ。残る問題は三つだ」
未だに目的がはっきりしないステラ。
帝国を裏から支配しているトラヴィス。
そして、姫と呼ばれたクレア。
いずれもレイヴンとは切り離せない存在だ。
「特にクレアの事は慎重にならないと。レイヴンにとって、クレアの存在は大き過ぎるからね」
「分かっているさ。全ては南だ。妖精の森と大樹が持つ記憶次第で結論が出る」
「確かにね。此処から先は僕も知らない。後はもう本当にレイヴン次第だよ」
世界で起こった全ての記憶を持つと言われる大樹の元へ行けば、失われた記憶も何もかも明らかになる。
その時レイヴンがどういう判断を下すかによって未来は変わる。
「と、ところでマクスヴェルト……少し手を貸してくれないか」
「どうしたの?」
「その…安心したら腰が抜けて……」
「あははは!」
「わ、笑う事は無いではないか!」
「残念だけど、僕もなんだ。立てなくて困ってたんだよ」
「「ハア……」」
見つめ合った二人は同時に溜め息を吐いて寝そべった。
「マクスヴェルト……」
「ん?」
「ありがとう。お前が協力してくれなかったら賭けどころでは無かった」
「この貸しは大きいよ。僕までレイヴンに怒られちゃうもん」
少し嬉しそうにおどけて見せたマクスヴェルトは静かに目を閉じた。