地下へ。いつかの三人。
兵舎の屋根の上に降り立ったレイヴンは魔物の気配を探ろうと意識を集中させた。
人的被害さえ出さなければ建物を破壊しても構わない気がしないでもないのだが、リヴェリアが皇帝の事を信用出来ないと判断しているのなら、一先ずは依頼の通りにしておくのが良いだろう。
「と、止まれ!!!そこを動くんじゃ無い!」
殆どの兵士が逃げ出したにも関わらず、兵士の一人が城壁の上から弓矢を放って来た。
(この男……)
兵士は明らかに怯えた演技をしているだけだ。鬼気迫るといった風に装っているだけ。恐怖、殺気、闘争心といった類の感情は感じられない。その証拠に弓を構えながら目で合図して来る。
(下に降りろと言うのか?)
「動くなって言っただろ!そのままジッとしているんだ!」
再び放たれた矢は避けるまでもなくレイヴンの足元に外れた。石畳の隙間に刺さった矢をよく見ると手紙が括り付けてあった。
(さてさて、これはどういう意味なんだ……?)
「動くなって言ってるだろ!!!」
やはりそうだ。
兵士の目はレイヴンを見ていない。
(あそこか)
レイヴンは再び放たれた矢を避けるフリをしながら、手紙の付いた矢を拾って近くの小屋に飛び込んだ。
予想通り兵士はそれ以上追撃して来る様子は無い。大声で他の兵士に今の内に退避する様に呼びかけている。
手紙には“小屋の床下へ入れ” とだけ記されていた。この小屋は物置の様だ。小屋の中を調べてみると、無造作に置かれた鎧や武器の入った木箱の下に、不自然に途切れた足跡が残っているのを見つけた。
風と一緒に僅かだが瘴気が漏れ出している。
どうやら此処が地下施設への入り口らしい。
(こんな分かり易い場所にあるとはな。しかし、ここであれば兵士の誰が出入りしていても違和感は無い。それにしても、さっきの兵士はリヴェリアの送り込んだ内通者か?一体いつから準備していたんだか……)
床下へと入る前にレイヴンは鎧を解いて魔剣の発動を停止させた。
目的は魔物の殲滅だが、最初に目指すのは地下施設の出口だ。一年前にレイヴンに差し向けられた魔物の群れが地下から来たのなら、魔物が通り抜けられる入り口があったとしてもおかしくない。仮に入り口が無いのであれば水晶を使っていると判断して即座に魔物の殲滅を開始すれば良い。
慎重に気配を殺して地下へ降りると、そこは意外にも清潔で、魔具や魔物の素材が綺麗に並べられていた。
神経質そうなトラヴィスらしいと言言いたいところだが、奥の扉を開けた先からは様子が違っていた。
最初は人の手が入った形跡があった通路も、いつしか見慣れたダンジョンへと変化していき、やがて完全にダンジョンの内部と同じになった。
至る所から魔物の気配を感じる。
脅威となりそうな個体は今の所いない様だ。
(ダンジョンを一人で歩くのは久しぶりだな)
一年と少し前、冒険者の街パラダイムでクレアと出会う前まではレイヴン一人でダンジョンの探索を行っていた。
パーティーを組む事を嫌い、冒険者のランクを偽りながら孤児院の為の資金を稼いでいたのが遠い昔の様に思えて来る。
(不思議だ。まだほんの少ししか経っていないのに……)
今ではクレア、ルナ、ミーシャと共に旅をするまでになった。ランスロットとはたまに行動を共にしていたりもしたが、今ほど気軽に話しをしていなかった。
暗い通路を出来る限り気配を消して進んで行く。
今は途中にいる魔物も全て無視だ。
(俺は本当に変われたのだろうか)
ライオネットはレイヴンが変わったと言った。
確かに一年という短い時間の中で多くの出会いがあった。初めは感情すらよく分かっていなかったのに、今なら少しは相手が何を感じているのか分かるようになって来た。
それが変わったという事なのだとしたら、少しは前に進めたのかもしれない。
あの時、ダンジョンでクレアと出会っていなかったら今の自分は無い様に思う。
魔物を倒すし事しか取り柄のない自分が、同じ力を使って誰かの役に立っている。それだけで、確かに生きているという実感が持てる。他に手段を知らなかった頃に比べれば、少しは人間らしくなれた気がする。
それが単なる思い過ごしだったとしても、ずっとマシだ。
暫く空気の流れを辿って歩いていると、ダンジョン特有の広い空間に出た。所謂ボス部屋というやつだ。
(瘴気の影響による変化…だけでは無いのだろうな。念の為に調べておくか)
広い空間の中には最初に見つけた魔具や魔物の素材が無造作に転がっていた。
おそらくこの場所で実験をしていたのだろう。この空間だけやけに血の臭いが濃い。
「だ、誰かいるのか?」
(人間だと?どうしてこんな所に)
声のする方を注意して見ると、壁の窪みに鉄格子が埋められ、中に三人の人間が捕らえられているのを見つけた。
「なあ!お願いだ!俺達を此処から出してくれ!!!」
「礼なら此処を出た後何でもするからさ!私達を逃しておくれよ!」
「もう嫌だあああっ!早く此処から出してええええ!!!」
着ている服はボロボロで、僅かに確認出来る手や足は痩せて骨が剥き出しになっていた。
助けてやるのは簡単だ。けれど、その前に確認しなければならい事がある。
「どうして貴様等が此処に居る?」
「え……そ、その声…まさか……」
鉄格子の中にいたのはかつてクレアを攫った三人組。
ドワーフの街のダンジョンでは水晶を使って舐めた真似をしてくれた。
「俺の質問に答えろ。中央で捕らえられている筈だろ。何故此処に居る?」
「そんな事俺達だって分かるかよ……気付いたら三人共此処に閉じ込められてたんだ。な、なあ!昔の事は謝るから、此処から出してくれよ!」
「私も謝るからさ!後生だよ!こんな所で死にたく無いんだよ……!」
「出せええええ!!!此処から出せええええええ!!!」
三人が此処にいる理由など察しが付いている。
世界を隔てる壁を自由に超えられる人物は術者本人であるマクスヴェルトの他には一人しかいない。
「嘘だな。貴様等がステラとどういう関係があるのかは知らない。……が、大方トラヴィスの手下といったところだろう」
トラヴィスの名前を出した途端に三人組は青ざめた表情を浮かべて震えだした。
余程酷い扱いを受けていたのだろう。
けれど同情はしない。トラヴィスに関わる様な連中を助けてやるつもりも無い。
レイヴンは背後に複数の魔物の気配が近付いて来るのを感じていた。三人が大声を出したせいで侵入がバレたらしい。
(チッ。予定とは違うが、やるしか無いか)
ーーードクン。
魔剣の力を発動させたレイヴンは鉄格子を破壊して言った。
「消えろ。二度と俺達に関わらないと誓うなら命は助けてやる。どうした?さっさと逃げないと魔物の餌になるぞ?」
三人組の体が既に体力の限界に来ているのは分かっている。魔物が蔓延る地下ダンジョンで無事に逃げ切れる保証は無い。だとしても、これ以上情けをかけてやるつもりは毛頭無い。
「甘いねぇ……あんたはトラヴィス様が仰っていた通りの甘ちゃんだよ!」
「……」
「反吐が出るんだよ!俺達はもう戻れないのさ!人間にはなあ!!!」
「甘い!甘、甘い!甘、あ、まイイイイイイイ!!!」
三人の目が赤く光りを放ち、急激に魔力が膨れ上がり始めた。痩せ細っていた体は膨張し、互いの体を侵食して三人は文字通りの化け物へと変貌した。
おそらく三人はトラヴィスの実験台にされたのだ。それぞれの胸には魔核と水晶が一緒に埋め込まれているのが確認出来た。
「アハハハハハハ!!!知ってるぞ!アンタはガラクタの人形相手に手も足も出なかったんだってね!!!」
「……」
「アンタは人間を殺せない!!!俺達の事モ、コロセナイダロッ!!!」
完全な魔物と化した三人は集まって来た魔物を触手で絡め取ると、体内へ吸収し始めた。魔物が一体喰われていく度に三人の魔力は際限なく上昇している。
「ギャハハハハハハ!!!いくラ、アンタが!ツヨク、テモ!オレ達、ハ!コロセ、ナイッ!!!さア!オレ、ワタ達ヲ!ニンゲンニモドシテ……クレヨ!!!アノガラクタミタイニ!!!」
ーーードクンッ!!!!!!
魔剣の鼓動が激しい怒りに呼応して鳴り響いた。
三人の膨大な量の魔力すらも圧倒する魔力の奔流がレイヴンから吹き上がる。
レイヴンの体を覆う黒く濃い霧に驚いた三人が後ずさるがもう手遅れだ。
赤い目の輝きが増した直後、低く暗い絶望を告げる声が聞こえて来た。
「言いたいことはそれだけか?」