会談 前編
新章始まります。
宜しくお願いします。
物事というのは時に人間が思い描く想像力を凌駕する。
これは決して想像力が欠如していただとか、危機感が足りなかっただとか、そういう類の話では無い。
寧ろこの状況を正確に予測する事が出来ていたなら、これまで起こったあらゆる不幸な事態を回避する事だって出来ていただろう。
うっかり傷付けてしまった魔物の素材、うっかり床に落としてしまったミートボール。そんなたわいの無い事を予測する事の方が遥かに容易だ。
「どうした?食べないのか?」
目の前で豪快に食事を摂る老人。
金色の髪を短く刈り上げ、鋭くつり上がった目は魔物混じり特有の赤い目をしていた。口元から覗く牙はさながら獰猛な肉食獣を彷彿とさせる。
老いを感じさせ無い鋭い眼光と、隠す気すら無いらしい殺気。
しかし、仕掛けてくるつもりが無いのは分かる。あの殺気は目の前にいる老人の本質的な部分とは違う様に思うからだ。
「何だ、せっかくわざわざ料理人まで連れて来てやったというのに、この手の料理は口に合わないのか?」
此処はリアムの街中心部に設置された巨大な天幕の中。
長いテーブルに用意された料理はどれも高級な食材をふんだんに使ってある。香ばしく食欲を誘う香辛料の匂いは周囲で見ているだけの人間にとってはさぞかし苦痛だろう。
「緊張しているのでしょう。それに、レイヴンはこういう食事よりも、もっと庶民的な家庭料理の方が好みなのです」
「家庭料理?なるほど、お前は確か冒険者であったな。ふむ……」
「提案があります。今この街には丁度、腕の良い料理を作る者がおります。試しに一度食されてはどうでしょう?私も何度か食べたのですが、アレは高級料理にすら勝るとも劣らない一品です。きっと気に入ると思いますよ」
「ほう、それは良い。お前が言うのだから間違いはあるまい。直ぐに用意するのだ」
「相変わらず美味しい食事に目がありませんね」
「お前に言われたくは無い。どうせ甘い菓子ばかり食べおるのだろう」
これは一体何の茶番なのだろうか。ふざけているのか真剣なのかさっぱり分からない。
今すぐにでも席を立って立ち去りたいのに、今はどうしてもこの街を離れる訳にはいかない。
「何を怒っている?心配せずとも何もせぬよ。疲弊仕切った今のお前が相手なら儂一人でも勝てる。だが、此度は戦いに来た訳では無い。儂はお前がどういう人間なのか知りたいだけだ。この料理も悪くないぞ?」
「……」
「ね、ねえレイヴン。何か喋った方が……」
レイヴンの隣にはクレアとルナが座っている。
隠れている様に言おうとしたのだが、老人の纏う尋常でない気配を察して諦めた。
老人が言うように今の状態では戦っても勝算は低い。
「あんたがこの場にいる事も驚いたが、出来れば俺はそこに座っている奴に事情を聞きたいんだがな」
いるだけならいつもの事だと気にしなかった。しかし、老人と親しげに話している姿を見ては疑念の一つも湧くというもの。
「何だリヴェリア。儂の事を話していなかったのか?」
「ええ…記憶が戻ったのは半日ほど前ですから」
「そうであったか……」
(記憶?)
記憶が戻ったとはどういう意味なのだろう?リヴェリアの纏う空気が変わっている事も関係していそうだ。
「何これ⁈ すっごく美味しい!」
「ほんとだ!お肉も柔らかくて美味しいね!レイヴンもほら!」
空気の流れが変わった途端にクレアとルナの二人が料理の感想を言い始めた。
「おい、お前達今は……」
「あっはっはっはっは!そうか!美味いか!やはり子供は素直で良いな!」
「二人共、そんなに慌てて食べなくても無くなったりしないから大丈夫だ。それにそろそろ……」
リヴェリアがチラリと視線をやると、レイヴンがこの街を離れられない最大の理由がやって来た。
こういう小細工は以前のリヴェリアなら絶対にしなかった。
「お、おま、お待たせしました!」
緊張でガチガチになりながら料理を運んで来たのは、本来此処に居る筈の無いリアーナだ。
まだ本人から詳しい事情を聞いた訳では無い。しかし、リアーナの他に子供達の気配を感じる。これではとても全員を守って戦うのは不可能だ。
非常に不愉快で不利な状況では、大人しく話を聞く他に選択肢が無いのが腹ただしい。
「おお!待っておったぞ!……ん?これは?」
「どこの家庭や街にもある最も安価な料理の一つです。ですが、リアーナの作ったミートボールパスタは美味ですよ。私も初めて食べた時は驚きました」
テーブルに置かれた大きな皿には大量のミートボールパスタが盛られていた。
「やった!リアーナのミートボールパスタだ!」
「あ!私も!私も欲しい!ルナちゃん、私のお皿にも!」
「分かってるって!よそってあげるからちょっと待っててよ」
「ほほう、そのはしゃぎ様は儂が用意させた料理の時以上だな」
リアーナ特製のミートボールパスタはクレアとルナのお気に入りだ。滅多に食べられ無いだけあって、今回のはしゃぎ様はレイヴンから見ても興奮しているのが分かる。
「あ、あの……こ、こんな高そうな料理があるのに……私なんかの料理で……」
「なんかだなんて言うな。リアーナのミートボールパスタは絶品だ。俺はこれ以上美味い料理など知らない」
「…ありがとう、レイヴン」
確かにリヴェリアの言った通りミートボールパスタは最も安価で手軽な料理だ。けれど、このミートボールパスタは特別だ。何処の街に行っても、これを上回る料理は無い。
「おお!これは美味い!まさかこれ程とは……正直侮っておったわ。うむ、これは良い。流石に晩餐会では出せぬが、普段の食事に是非とも取り入れたいものだな」
「後でリアーナにレシピを教えてもらってはどうですか?」
「ふふん、そうするとしよう」
最も高価な衣服を着て、最も安価な食事を頬張る老人。まさか、この老人が西の大国アルドラス帝国皇帝ロズヴィック・ストロガウスその人だとリアーナが知ったら腰を抜かしてしまいそうだ。
「おい。いい加減に本題に入ったらどうだ。まさか本当に俺の顔を見に来ただけ……という事は無いのだろう?それからリヴェリアもだ。合流する筈のゲイルが居ない理由も話せ」
「そう急くな。折角の食事が不味くなるではないか」
「もっと不味くしてやっても良いんだぞ」
虚勢、では無い。
皇帝とリヴェリア。二人を相手に皆を守り通すのは不可能。確かにそうなのだが、皇帝は一つだけ引っかかる事を言った。
(それを確かめ為に強気に出てみた訳だが、反応を見る限り満更でも無い様だな。油断は禁物だが、少なくとも先程よりはマシか)
皇帝は食べる手を止めてレイヴンの赤い目をジッと見つめた。
「無粋な奴め……まあ良い。お前がどういう人間なのか知りたいと思ったのは本当だ。世界に響いたあの胸が高鳴る様な鼓動。その鼓動を放った人物と儂の国で咆哮を放った魔人が同一人物だなどと、興味を持たない方がおかしかろう?」
「私が此処へ来たのも同じ理由だ。リアーナについては元々マクスヴェルトから移住の話があったのだ。しかし、今回の為に予定を繰り上げさせたのは私の判断だ。レイヴンがこういうやり方を嫌っているのは十分承知している。だが、こうでもしなければ話も聞かずに何処かへ行ってしまっていただろう?」
「話だと?どうもこうもあるか。そいつは敵だぞ?」
「これは思った以上に頭の固い人物の様だな……。良かろう。先ずはその誤解を解くとしよう」