エレノアの選択
白く染まった世界から戻って来たレイヴンは魔剣に命じて叫んだ。
「二人の魔を喰らって願いを叶えろ!戻って来い!!!お前達を待っている者がいる!」
ーーードクン!
再び魔剣が鼓動して願いを叶える力が発動した。
黒い霧は眩い光へと変質し、醜く膨れ上がっていた肉の塊が望む姿へと形を変え始めた。
二人共魔物堕ちから戻った者特有の白い肌と髪をしているのが分かる。
(頑張れ…もう少しだ!)
ユッカは少し背が伸びた事以外には殆ど元の状態にまで戻る事が出来ているのだが、魔物混じり特有の赤い目は流石にどうしようも無い。小人族として今まで通りの生活を続けるのは難しいかもしれない。後は本人次第。エレノアが破壊された光景を目の当たりにしたにも関わらず、レイヴンの前に立ってエレノアを庇おうとした勇気があれば大丈夫だろう。
(問題はエレノアだ。流れ込んで来た記憶を見た限り、魔物に襲われる前の子供の姿では戦闘行為は無理だ。我儘になれとは言ったが……まあ良い。約束だからな。それがお前の望みなら叶えてやる)
エレノアの希望を限りなく忠実に再現した結果。魔鋼人形の姿の時よりも、より人間に近い姿へと生まれ変わる事に成功した。ただし、レイヴンとしては些か不満ではある。
「レイヴン!成功したのか⁈ 」
いつの間にかまたカレンが来ていた。
カレンの傍らには呼吸を荒くしたクレアとランスロットの姿もある。魔力の反応が収まったのに気付いて様子を見に来たのだろう。
「問題無い。成功だ…」
白く長い髪にスラリと伸びた手足。大量の魔鋼は主に骨格を形成する骨の代わりに利用してある。少し不機嫌そうな表情と赤い目。腰にはレイヴンの持つ魔剣と良く似た装飾の剣が下げられていた。
「これは……」
(驚いた。もう動けるのか)
エレノアは自分の体に起きた変化に戸惑いながら、あちこち触って感触を確かめていた。
中身はともかく、見た目は人間と全く同じ。柔らかい肌の感触にもじきに慣れるだろう。
「顔は後で確認しろ。お前の希望通りの筈だ。ただし、後で文句は言うなよ」
「文句など……エリス、貴方は本当に……」
信じていなかった訳じゃ無い。けれど、この手に伝わる感触と体温は正に人間のもの。冷たい魔鋼人形の体とは違う。
魔物堕ちした状態から元の人間に戻す。それだけでも信じられない異常な事だ。その上、エレノアの希望を完璧に叶えてみせた力は人智を超えている。
おまけにあの馬鹿げた強さ。一体エリスが何者で何処から来たのか、今は本気で知りたいと思っている。
「話は後だ。その様子なら直ぐにでも動けるだろう。ユッカは俺がみていてやるから、さっさとこの国の連中を守って来い」
いきなりの戦闘行為でもエレノアなら戦っている内に新しい体の感覚を掴めるだろう。
エレノアは結局、人間であった頃の自分と魔鋼人形として生きて来た自分の両方を選んだ。人間でも魔鋼人形でも無い。エレノアとして生きるという選択肢を自ら選んだのだ。
「はい!」
エレノアは力強い返事と共に勢いよく飛び出して行った。
エレノアと入れ替わるようにして、カレン達が駆け寄って来た。
「おいおい、マジか。本当にあの状況から二人共助けてみせるなんてな。しかもあの姿……」
「……」
「な、何だよその目…。いやいや、信じてたって!お前ならやると思ってたさ!流石だなレイヴン!」
(全く……調子の良い奴だ)
真面目なのか不真面目なのか。良くも悪くもランスロットの飄々とした性格にはいつも助けられている。
「本当だっての!」
ランスロットがレイヴンの肩に触れようとした時、異変が起こった。
急激な魔力の消耗による魔力欠乏症。漆黒の鎧は霧になって霧散し、レイヴンは激しい目眩に襲われてその場に膝をついた。
「レイヴン!」
クレアが咄嗟にレイヴンの体を支えた。
「だ、大丈夫だ。魔力を消耗し過ぎただけだ。暫く休めば動ける様になる……」
「カレン、レイヴンにも加護を付与してやってくれ!」
「慌てるな。分かっている」
カレンはすぐ様レイヴンに加護を付与して魔力よりも傷の回復を優先させた。これまでの経験上、この程度の傷であれば驚異的な回復力で塞がっていた。それなのにレイヴンの傷が治癒している気配が無い。消耗している事を考えても比較的マシな左手すら回復の気配が無いのは変だ。
「コレを飲め。正直なところ気休め程度だと思っていたが、ミーシャの腕はなかなの物だ。市販の高級魔力回復薬よりも効果がある。それから傷の具合はどうだ?」
「ああ……問題、無い……」
レイヴンは回復薬を飲むと力なく項垂れて動かなくなってしまった。
体から流れて地面に広がる血を見た一同に緊張が走る。
「レイヴン⁈ やだ……レイヴンしっかりして!目を覚まして!レイヴン!レイヴン!」
「お、おい、クレア。そんなに揺すったら…」
クレアは取り乱し、レイヴンの体を揺すって必死に呼び掛けた。けれどレイヴンは深い眠りに落ちた様に何の反応も示さない。
少しするとレイヴンの気配が消えて全くの別人の気配が漂い始めた。
「この気配はまさか……」
「カレン、何か知ってるのか?俺には何がなんだか……って、どうしたクレア?」
「違う……レイヴンじゃない……」
クレアはランスロットの足にしがみつく様にして隠れてしまった。こんなに怯えた様子を見せたのはいつ以来だろうか。
「レイヴンじゃ無いだって?確かに気配は変わったけど、どうなってやがるんだ?」
一方でクレア以上に驚いていたのはカレンだ。
シェリルの気配には気付いていた。レイヴンの傍にいる事も、ミーシャの前に姿を見せた事も何か意味があるのだと思っていた。そして今、目の前にシェリルがいる。
「大丈夫よ。レイヴンは今眠っているだけだから」
聞きなれた声。懐かしい声だ。
「シェリル!」
カレンは込み上げる感情を抑えられずに抱き付いた。
「カレン。……久しぶりね」
「ああ…!その声、間違いなくシェリルだ…!」
「な、何だ⁈ シェリル?」
ランスロットは人目もはばからずにわんわんと大声で泣き出したカレンを見て混乱していた。
カレンが泣く姿を見たのも驚いたが、聞いた事も無いシェリルという名前、突然消えたレイヴンの気配といいさっぱり状況が分からない。
「私はずっと後悔していたんだ。私はシェリルを助けに行けなかった……私が居ればリヴェリアだって…あんな……そうすればレイヴンだって……!!!」
「……あの時の貴女には多くの命を救う役目があった。それに、あの結末は私自身が望んでいた事だもの。誰も悪くないわ……」
「だけど…!」
「ありがとうカレン……。貴女達のおかげで私はレイヴンと話すことが出来た。この手で抱きしめてあげる事は出来ないけれど、とても嬉しかった……」
シェリルはカレンを優しく抱きしめて耳元に唇を近付けた。
「……シェリル?何を……」
「そのまま聞いて。気付いているとは思うけどーーーーー」
「……分かった」
「本当はリヴェリアとも直接話がしたかったけど……私にはもう時間が無いの。多分、直接話せるのはこれが最後。だから私の言葉を“今の” リヴェリアに伝えて欲しい。私を止めてくれたのがリヴェリアで良かった。リヴェリアのおかげで私は誰も憎まずに逝く事が出来たわ…ありがとう……って……」
「ま、待って!まだ話したい事が沢山…シェリル?」
カレンを抱きしめていた手から力が抜け、シェリルの気配が完全に消えてしまった。