それぞれの反応
世界にこだまする異様な高鳴りを聞いた者達は一様に空を見上げていた。
特にレイヴンに所縁のある者達は、その音が直ぐにレイヴンの持つ魔剣から発せられたものだと直ぐに気付いた。
超常の力を知らしめたレイヴンの持つ魔剣は禍々しい心臓の鼓動を響かせていた時とは明らかに異なる音を発している。言うなれば、それは歓喜だ。
レイヴンの魔剣は主の期待に応える為に歓喜の音を発している。
「リヴェリア、これは不味いかもしれない。あまり得策では無いけど、こうなったら行くしか……!」
「待て。行かなくて良い。マクスヴェルト、お前には分からないか?」
「何って…こんな無茶をしたらレイヴンが!」
窓を開けて空を見上げるリヴェリアの横顔は笑っていた。マクスヴェルトにもこの音が普段と違うと分かっていたが、それとこれとは話が別だ。魔剣の制御が向上していたとしても、レイヴン本人が無事だとは限らない。
「そんな顔をせずとも心配無い。落ち着いてよく聞いてみろ。何とも心地良い音だとは思わないか?」
清々しくすら聞こえる心臓の鼓動。
立て続けに聞こえたレイヴンの咆哮は、不安や迷い、そういった類の感情を吹き飛ばしている様にも聞こえる。
「そうだけど……」
「お前はリアーナ達の移住の件を早急に進めておけ。きっと必要になる」
「必要になる?だけど、それにはレイヴンの許可が……」
「大丈夫だ。良いからやっておけ」
リヴェリアはそれだけ言うと、腹が減ったと言って出て行ってしまった。
残されたマクスヴェルトは未だに迷っていたが、リヴェリアが動じた様子を見せないのならとリアーナ達の元へ転移魔法を発動させた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
異変を感じていたのはレイヴンの事を快く思っている者達ばかりでは無い。
西の大国アルドラス帝国皇帝ロズヴィック・ストロガウスもまた、玉座の間にまで響いて来た鼓動と咆哮に眉を顰めていた。
「この音……そして咆哮。あの時の魔人か。しかし……」
レイヴンが帝国に来た時、クレアを連れ去られた怒りと殺意の込められた咆哮が帝国全土を大混乱に陥れた。殆どの兵士は戦意を失い、民もまた多くが意識を失った。
けれど今回のは違う。
咆哮に込められているのは敵意でも殺意でも無い。
「願い……」
皇帝の呟きに控えていた下臣達は顔を見合わせた。
皇帝ロズヴィックは曖昧で不確かな感情を信じてはいない。感情が無い訳ではないのだが、皇帝ロズヴィックが臣下達前でそんな事を口にした事自体が異例。決して感情に流される事の無い治世を貫いて来た皇帝の言葉とは思えない。
臣下の一人は皇帝の前に膝をついて言った。
「恐れながら皇帝陛下。願い、とは如何なる物なのでございましょうか?私はまたあの恐ろしい魔人とやらが活発に動き出したのではと危惧しておりますれば……その……」
臣下達に緊張が走る。
皇帝の許しなく言葉を発するなど自殺行為だ。第一騎士団長トラヴィスの耳に入ったなら処罰されるだけでは済まない。
けれど、皇帝は慌てる臣下達を視線だけで制して言葉を発した。
「なるほど。お前達にはアレが恐ろしいものに感じるか」
「はっ……」
あの魔人のせいで帝国が再び全機能を取り戻すのに少なくない時間を要する事となった。
未だにあの時の恐怖に毎夜怯える者も多い。
「……人の身でありながら、魔人と呼ばれる存在。最強の冒険者とも呼ばれているそうだな。報告によれば各地で人助けの様な事をしているというではないか」
「その様でございます。しかし、陛下……」
「魔物混じりでありながら、魔の力を御する存在。一度直接会ってみたいものだ……」
「なっ……」
皇帝の言葉は玉座の間にいた者達全員の度肝を抜くのに十分過ぎた。
大国の皇帝が一冒険者との面会を望むなどあり得ない。調査によれば王家直轄冒険者という特別な称号を与えられていると聞くが、相手は所詮魔物混じりだ。皇帝陛下と直接の面会など格が違い過ぎて到底認められるものでは無い。
どうにかして諌め様とした臣下達であったが、皇帝陛下の纏う雰囲気が変わったのを見て言葉を飲み込んだ。
清廉にして潔白。
種族も魔物混じりも関係無い平等な治世を目指していた頃の皇帝ロズヴィック・ストロガウスの姿がそこにあったからだ。
「東か……。ふふっ、よかろう。余自ら会いに行ってやろうではないか。騎竜の用意をせよ!暫く城を空ける。余が戻るまで後の事は任せたぞ」
「「「ははあっ!!!」」」
最早異論など無かった。
久々に見た皇帝の力強い眼差しと、不敵に笑う姿を見て否などある筈も無い。
ただひたすらに理想を追い求めていた頃の皇帝が戻って来たのだ。
彼等は久しく影を潜めていた理想を目指す熱い感情が、自分達の中にまだあったのだという喜びに打ち震えながら、東へ向かう準備に奔走した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
懐かしい気配を感じたカレンとステラは、未だに魔鋼を纏った魔物と激しい戦闘を続けているレイヴンを瓦礫の上から見下ろしていた。
駆け付けた時、魔剣は魔力を失い、レイヴンの左腕は鎖で固定されたまま力無く垂れ下がっていた。
だと言うのに、誰かと会話を続けながらもレイヴンの動きは鈍くなるどころか鋭さを増していった。
(まさか、シェリルと話しているのか…?)
その誰かとはシェリルに違いないなかった。
レイヴンがあそこまで感情を露わにして本音を言える相手。その本音を引き出しているのは間違いなくレイヴンの母親、シェリルだ。
「レイヴン……」
“捨てる事を勇気だと言うのなら、俺は臆病者で良い。捨てる事を強さだと言うのなら、俺は弱者で良い。もう何も失いたく無いんだ!だから俺は限界を超えてでも前へ進む!!!”
レイヴンの魂からの叫び。これまで歩いて来た全てを込めた言葉はカレンの心を打った。レイヴンという存在を知らなければ、何を甘い事を言っているのだと一笑に付しただろう。
人は自分が思っている程強くは無い。不完全でいい加減で、どうしようも無い壁にぶち当らない限り、いつまでも甘い理想を追い求めてしまう。
そして、いざその時になってようやく気付くのだ。心が折れ、挫折感と無力感に苛まれた瞬間、人は常に取捨選択の中で生きているのだと思い知る。
それが現実という物だ。
だがしかし、レイヴンはそれ等を全て分かった上で言ってのけた。
自らを臆病者だと言い、弱者であると認めた。多くの者は頭では理解していたとしても、本当の意味で自らの弱さを肯定する事が出来ないものだ。
その言葉を口にする為に費やしたレイヴンの生き様を想うと胸が苦しくなる。
とっくに限界など超えている筈なのに、レイヴンの魔力はあり得ない程に高まっていく。
全ての迷いを吹き飛ばすかの様に放たれた咆哮は、確実に新たな一歩を踏み出す力となって世界に響いた。
「なんという……」
二人を無事に救ったとして、一体どんな代償を支払う事になるのか想像も付かない。カレンの気持ちはランスロットが言った言葉と同じだった。
いつかは魔物堕ちすると分かってはいても、後悔や絶望といった負の感情の果てに魔物堕ちしする事など断じて認めない。けれど、甘くとも真に理想を貫く決意と覚悟があるのなら、そういう結末も悪くない。
「ああ……シェリル。やっぱりそこに居たのね……」
そう呟いたステラの口は不気味に歪んでいた。
光の無い淀んだ目とは対照的に、頬は僅かに紅潮して恍惚と表情を浮かべている。
「お前がその名を口にするな」
ステラがどんな思惑を抱えていようとも、どの言葉にも真実は無い。
カレンは潜ませておいた魔鋼人形を使ってステラを拘束した。
「抵抗しても無駄だ。お前ではその拘束からは逃れられまい」
「……カレン。もしかしたら、レイヴンを壊すのは私では無いかもしれない……」
ステラはそう言うと薄気味悪い笑い声を残して煙の様に姿を消した。