苛立ちと本音
私は嬉しかった。
普通の人間で無くなっても、新しい体があれば恩返しが出来る。あの人の役に立てる事が何よりも嬉しかった。
魔鋼の体はあの人の温もりを感じる事は出来ないけれど、あの人が笑顔でいてくれるのを見ると心が温かくなる。それを感じていられるなら、戦う事も怖くは無かった。
ーーーそれがあの人の望みなら、私はどんな事でも受け入れた。でも、今は寂しい。この手はもう大切なあの人に触れる資格は無い。
あの温もりを感じられないのなら、私はもう生きる意味が、無い。
私は悔しかった。
エレノアを越える魔鋼人形が作れない事じゃない。一人の技術者として、エレノアを作った技術者を超えたかった。
私の手でエレノアを自由にしてあげたかったのに……。だけど、私の気持ちは揺らいでしまった。私はエレノアの気持ちに気付いていたのに知らないフリをした。
ーーー転がり込んで来た腐った果実に手を出してしまった。…悔しくて堪らない。私が叶えたかったのは……私が辿り着きたかったのはこんなのじゃない。私は、私の弱さに負けてしまった。
『もう、終わりだ。何もかも、どうでも良いーーー』
二人の意識が溶け合い、強固な魔鋼の体は溶岩にも似た熱を発しながら急激に変化していった。盛り上がった肉が魔鋼に出来た隙間から漏れ出し醜い姿へと形を変えていく。
レイヴンはその光景を前に悔しさを露わにしていた。
「…くそ!くそ!くそがッーーーー!!!」
トラヴィスを止められないどころか、助ける筈のエレノアとユッカまで完全に魔物堕ちしてしまった。
もう二人を元に戻す事は出来ない。何もかもが遅過ぎたのだ。
「レイヴン駄目だ!一旦退くしかないよ!…残念だけど、もう間に合わない!」
ルナはレイヴンに駆け寄り退避を促した。
いくらレイヴンの願いを叶える力でも、完全に魔物堕ちした人間は元には戻せない。仮に力を行使したとしても、一つになった二人が元の体に戻る事も、魂が宿る事も無いだろう。
二人は死を受け入れてしまった。
増大し続ける魔力は闘技場を崩壊させ、レイヴン達を吹き飛ばした。
闘技場の外まで吹き飛ばされたレイヴンは、気絶したルナを抱き抱えて瓦礫の中から這い出した。
限界を超えて魔法を酷使していたルナの体は冷たく、呼吸も浅い。命に別状は無いと思われるが、ここまでだ。
(すまない……俺が不甲斐ないばかりに無茶をさせた)
ルナが気絶した事で結界は全て解除されてしまった。
今、魔物堕ちした二人の咆哮を浴びれば多くの人間は助からない。運良く生き残ったとしても、精神が恐怖に耐え切れずに崩壊し廃人となってしまうだろう。
「レイヴン!ルナちゃん!」
魔力回復薬を取りに行かせていたクレアが戻って来た。
必死に走って来たのだろう。クレアの呼吸が荒く乱れ、額からは大粒の汗が流れている。
「ルナを頼む……。それから、まだ瓦礫の中にフローラ達がいる。助けてやってくれ」
力無く発せられたレイヴンの声はクレアが聞いた事の無い弱々しいものだった。けれど、剣を握る手は強く握り締められ、赤い魔力が漏れ出した剣は震えていた。
そう……間に合わなかったのだ。
きっとレイヴンの中にあるのは怒り。誰でもない、自分自身の不甲斐なさを責める怒りに違いない。
「レイヴンは…?」
異変を察したクレアは一緒に戦いたい気持ちをグッと堪えてレイヴンの身を案じる様に問いかけた。
本当は聞かなくても答えなど分かっている。
レイヴンは戦う気でいる。
それも全力でだ。
レイヴンの背後から伝わって来る桁違いの魔力。未だ膨れ上がる魔力はクレアが戦った女王の比ではない。アレが完全な形となった時、止められるのはレイヴンしかいないと断言出来る。
「早くしろ……お前がいれば街の外にいる魔物にも対処出来る。皆を連れて西を目指せ。途中でカレンと合流出来る筈だ」
淡々と告げられた逃亡の為の指示。
レイヴンはクレアの頭を優しく撫でてやると、崩壊した闘技場へと向き直った。
美しく輝いていた白と黒の翼は萎れた花の様に閉じられ、憧れていた大きな背中は酷く小さく見えた。
言われた通りにレイヴンの指示に従うのが正しいのかもしれない。けれども、クレアは言わずにはいられなかった。
「また…あの時みたいに二人を殺すの?」
「何だと……?」
「レイヴンは諦めちゃうの…?もう間に合わないのかもしれない……だけど、そんなの悲し過ぎる。エリスさんの時とは違…!ーーーーッ!」
レイヴンは振り向きざまにクレアの胸ぐら掴んで叫んだ。
「お前に何が分かる⁈ 完全に魔物堕ちした人間はもう元には戻せないんだ!!!もう二人を楽にしてやるしか方法が無いんだ!!!殺すしか無いんだ!!!」
大切な人が目の前で魔物堕ちして苦しんでいても何も出来なかった。どんな魔物でも倒せる力があっても、たった一人の人間も救えない。
無力感。絶望感。
生きたまま自分の心臓を抉られている様な苦しみは決して忘れる事など出来ない。
レイヴンに出来たのは少しでも苦しみから解放し、一秒でも早く楽にしてやる事だけ。
最早それ以外に二人の魂を救う方法は無いのだ。
「……違うよ、レイヴン」
「何が違う!!!もう他に方法は無い!お前達を巻き込みたく無い俺の気持ちが分からないのか⁈ 」
「そんなのちっとも分からないよ!!!」
「……ッ⁈ 」
クレアは自分に怒声を浴びせるレイヴンの赤い目を泣きそうになりながらも見つめていた。レイヴンもまさかクレアに言い返されるとは思っていなかったのだろう、胸ぐら掴んでいた手が緩んだ。
クレアはレイヴンの手を払い除けて更に詰め寄った。
今ここで言わないとレイヴンがどこか遠くへ行ってしまう様な気がしてならない。
嫌われても良い。レイヴンがレイヴンでなくなってしまうよりずっと良い。
「あの時はそうだったかもしれない!だけど!今のレイヴンは違う!同じ思いをする人を見捨てたくないからその力を使ってたの私知ってるもん!!!」
レイヴンは自分が魔物堕ちしてしまうかもしれないリスクを背負ったまま超常の力を使い、願い続け戦って来た。
誰かの手を掴む為、誰かに手を掴んで貰いたくて出来る事は何でもやって来た。それがどんな無茶でも、手の届く範囲にいる助けを求める人達を放ってはおけなかった。
だが、現実はトラヴィスの言った通りだ。
何もかもを救おうとした結果がこれだ。今までが上手くいっていただけ。どうにかなっていたのはきっと偶然か何かに違いない。最初から何も考えずに倒しておけば良かったのだ。
(エレノアに何を言われようとも……そうすれば……)
ーーーそうすれば少なくともエレノアだけでも救う事が出来た。
(これは俺の甘さが招いた事だ。せめて俺がこの手で……!)
ーーーどんなに恨まれたとしても、きっとそれが最善だった。
「……止めろ!もうそれ以上喋るな……!さっさと避難しろ!」
「嫌だ!」
「クレア!言う事を聞け!」
「……今のレイヴンはかっこ悪いよ。そんなの私の好きなレイヴンじゃない!レイヴンは私に生きろと言ってくれた!……私に光を照らしてくれたのはレイヴンだよ?今、レイヴンが諦めたらフローラさん達はあの時のレイヴンと同じ思いをする事になっちゃう……それじゃあレイヴンは何の為に戦って来たのか分からないよ……」
「……ッ!!!」
レイヴンは返す言葉が見つからなかった。
だが、クレアに生きろと言ったあの時とはあまりに状況が違い過ぎる。
“生きたいと願う意思は何よりも強い” 確かにそうだ。しかし、本人に人間としての意識が残っていない状態では何をやっても手遅れだ。それは南の町でリアムの仲間達を救おうと足掻いた時に嫌というほど思い知った。
目にいっぱいの涙を浮かべてレイヴンを見るクレア。
その目に映るレイヴンの目はまるで見えない何かに怯えている様だった。
(エレノアの手を掴んでやると約束しておきながら、この体たらく……。おまけにクレアにまで苛立ちをぶつけて……。くそ!俺は一体何をやっているんだ!俺は…!)
救おうとすればする程、足掻けば足掻く程、レイヴンの裏目裏目へと事が進んで行く。
クレアにこんな事まで言わせてしまった自分に腹が立つ。
もうじきエレノアとユッカの膨張が止まる。
背中に感じる魔力の増大が収まって来た。
ルナの結界はもう無い。咆哮が来れば全てが終わる。
この国は滅ぶ。
「ったく、何ぐだぐだやってんだよ」
ここにいる筈のない声が聞こえる。
レイヴンとクレアは声の正体を見て動きを止めた。
「どうして…お前が……」
ポニーテールに切れ長の涼しい目。
重たい鎧を身につけ、ロングソードを腰に下げた美丈夫は、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべると、惚けるレイヴンの顔面に全力で拳を叩き込んだ。
最重量とも言われるゴーレム種すら吹き飛ばす驚異的な腕力。
完全に不意を突かれたレイヴンは盛大に瓦礫の山に突っ込んだ。
「ん?俺か?俺は初代レイヴン係だぜ?お前がなかなか来ないから迎えに来たに決まってんだろ?なあ、レイヴン」