動き出した脅威
支度を整えたミーシャとリヴェリアは、ミーシャの召喚した精霊に乗ってパラダイムを目指すべく空の上にいた。
リヴェリアが号令を出してからまだ半刻も経っていない。
「おおー! これは速いな! 何という鳥なのだ?」
「ツ、ツバメちゃんです……」
「なんと! ツバメちゃんと言うのか⁈ 見たところハトにしか見えないが……ふむ。ミーシャは面白いな!」
「は、はあ……」
リヴェリアはライオネット、ガハルド、ユキノ、フィオナの四名をそれぞれ討伐、補給、医療部隊の指揮官とし、自身はミーシャの使う精霊魔法で冒険者の街パラダイムへと一足先に向かっていた。
魔物の大軍に囲まれた街への救援は一刻を争う。
時間が経てば経つ程に、住民達の不安とストレスと疲労は想像以上に増すことになる。
リヴェリアはランスロットが救援が来る事を住民達には伝えていないと踏んでいた。それは、ランスロットという男が、実はリヴェリアの知る冒険者の中で、実はもっとも慎重に事を運ぶ性格である事を知っているからだ。
来るかどうかも、間に合うかどうかも分からない救援部隊の存在。
曖昧な情報とは言え、住民達にとって希望である事には変わりない。が、曖昧な情報は心を惑わせる。
窮地に立ち向かう人々に必要なのは確実な未来。
明確な心の支えだ。
ランスロットがそこまで考えているかは分からないが、おそらく直感的に救援部隊の存在を伏せた筈だ。
ランスロットは変わった。
昔のランスロットは自己顕示欲の強い猪武者といった有様で思慮の足りない男だった。
魔物への無謀な突撃、恥も外聞も無く、形勢不利と見れば即座に撤退する。それが全て悪いとは思わないが、今一つランスロットには信念を貫くという考え方が抜けていた。だが、今回の件でランスロットは逃げなかった。
状況判断が出来ていないと言えばそれまでだが、自らの保身ではなく、住民達を守る為に街に残った。
ランスロットが変わった原因はレイヴンだと思う。
レイヴンに負けてからのランスロットは少しずつ変わって行った。自分の足元が見える様になったとでも言うのだろうか。それは、団長のお使いに行かされて帰って来る度に顕著に現れた。
「ふふふ……」
「ど、どうかしましたか?」
「ん? いや、何でもない。昔の事を少しだけ思い出していた」
「はあ……」
ミーシャは後ろではしゃぐ少女が王家直轄冒険者の一人である事実が受け止めきれないでいた。
十歳程にしか見えない外見で剣聖だと言われても、とてもそんな風には見えない。
ライオネットから受け取った剣もリヴェリアの身長よりも長い。腰に剣を差してツバメちゃんに跨る姿は、さながら公園の遊具で遊ぶ幼女そのものだった。だが、信じるしかない。SSランク冒険者を手足の様に動かす事が出来る人物は、剣聖リヴェリア本人にしか出来ない。
「先程は試して悪かったな」
「え?」
「ランスロットの指輪を持つ少女が現れたと聞いて、皆、内心穏やかでは無かったのだ。仕方なかろう? ライオネットが言ったと思うが、あの指輪を他人に託すという意味は重い。しかも、魔物の大軍から街を守る為に残ったなどと、ランスロットを知る者ならば、誰でも裏があるのではと疑いたくなる」
「……」
「そこで、我々はミーシャを試す事にした。救援の依頼が真実であるかどうかでは無い。そんな事は調べれば直ぐに分かる。重要なのは、お前の言葉に真があるかどうかだ。人間、口では何とでも言える。しかし、心を偽る事は出来ない。何かを隠している、或いは秘めた想いのある者の言葉には特別な煌めきが宿るのだ」
「私は……」
自分は何もしていない。ただ、あの時は必至で、思った事をぶちまけただけだ。
生き残る為に逃げる事を選んだ。それは、正しい選択である筈なのに、後ろめたさが頭から離れなかった。
心に棘が刺さった様な、モヤモヤとした気持ち悪い物を吐き出したかっただけなのかもしれない。
「ミーシャ。案ずるな! お前の心に刺さった棘は私が取り去ってやろう!救える力のある私がな!」
「あ……」
(この人は全部見抜いている。私の中に棘がある事も、力がない事を悔いている事も……)
後ろで自身満々に腕を組んでいるリヴェリアの目は揺るぎない輝きを宿している。
三万の魔物の大軍などまるで恐れてはいない。
「はい! お願いします! リヴェリアちゃん!」
「ちゃん? あっはっはっはっはっは! 私をちゃん付けで呼んだのは二人目だ。本当にミーシャは面白いな!」
「くるっぽーーー!」
「あははは! やはりハトではないか」
「ツバメちゃんです!」
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「急報ーー!!! 魔物が動き始めました! 徐々に包囲を狭めつつあります!」
物見からの報せに緊張が走る。
門は固く閉ざされ、四方の壁にはAランク以上の冒険者が待機していた。
住民達は家の中に避難させているが、動ける男連中は各防衛箇所へ補給物資を運ぶ役目をさせている。
「始まったな。モーガン、何か見つかったか?」
「いえ、まだ何もそれらしいものは見つかっていません」
「そうか。引き続き捜索を頼む。必ず原因がある筈なんだ」
「分かりました」
魔物を引き寄せている原因が分かれば街から魔物を引き離せる可能性がある。
そうすればまだ希望はある。
「うわわわあ⁉︎ 登って来やがった!」
「落ち着け! 作戦通り叩き落とすだけで良い!」
「お、おう!」
モーガンの提案で各箇所に数人、モーガン直属の部下を配置している。
冒険者達の指揮をとらせる為だ。
中央から連れて来たというモーガンの部下達は、この街の冒険者よりも肝が座っている。
人数は少ないが、なかなか頼りになる連中だ。
ランスロットは壁に登り周囲の魔物を観察する。
Aランクの小さな個体が前面に出て来ている内は良いが、中型の個体が直ぐ後ろに控えている。
ランスロットの役目は小さな個体に紛れたSランクの魔物を仕留める事だ。
「チッ! 早速来やがったな。俺が合図したらほんの少しで良い、ロープを垂らしてくれ!」
「そ、それは良いけどよ、一体何を?」
「へっ! こうするんだよ!」
「うわ! 馬鹿野郎! 戻れーー!」
「何考えてんだあの兄ちゃんは⁈ 」
ロングソードを抜いたランスロットは魔物の群れ目掛けて城壁から飛び降りた。
悲惨な結末を予想し誰もが目を逸らす中、群れの中から聞こえて来たのは、ランスロットの楽しそうな声だった。
小型の魔物を避けて、中型の魔物だけを次々と倒していく。
「凄え……」
「あいつが近付いただけで周りの魔物がどんどん倒れていく……まるで手品だぜ…」
「いや、違う。速すぎてよく見えないが、間合いに入った魔物を全部斬ってるんだ……!」
「斬ってるだと⁈ 走りながら間合いに入った奴を全部か⁈ 」
「だろうな。あの兄ちゃんが通った後に道が出来てやがる……」
「あの魔物混じりといい、とんでもねえ奴らだ……」
ランスロットは戦士職だが、盾は使わない。足を止めず常に動き回り、高速の剣技で相手を制する。その範囲は剣の届く場所であれば、真上だろうが真後ろだろうが関係無い。
ランスロットの間合いに入った魔物は胴体を真っ二つにされて絶命する。もっとも、この戦い方が出来るのはランスロットの高い身体能力があってこそだ。
一撃で胴体を切断する戦士の筋力と、足を止めず常に有利な場所へと足を踏み出す事を可能にするレンジャーの俊敏性。この二つが無ければ、ただ闇雲に剣を振り回しているのと変わらない。
因みに、この特殊な戦い方はレイヴンを参考にして編み出した物だ。
いつも一人で戦うレイヴンの動きは、修練を積んだ人間の動きとはかなり違う。
一箇所に留まらず、縦横無尽に馳け廻る。
『相手に隙が無いのなら作れば良い。隙を見つけたなら懐に潜り込んで斬れば良い。それだけだ』
とは、新しい戦い方に煮詰まっていた時にレイヴンがランスロットに言った言葉だ。
至極単純で、言われてみればその通りだと思える発想ではあったのだが、これが実戦となると難しい。
何しろ相手は動きの読めない魔物なのだ。同じ魔物でも個体差がある。それらの動きを全て見切って懐に飛び込むというのは無謀を通り越して不可能に近い。
体得するまで諦めるものかと、幾度も深手を負いながら魔物に挑む日々。しかし、レイヴンの動きを真似ようとすればする程に体得への道は遠退いていくばかり。
苛立ちを募らせたランスロットはレイヴンからコツを教わる事にした。
情け無い話だが、これ以上やっても無駄だと悟ったのだ。
『体に染み付いた構えに任せろ。俺とお前は違う』
今まで悩んでいたのが馬鹿馬鹿しいくらいにあっさりと答えが見つかった。
「まだ完璧とは言えねぇけど、成る程こいつは良い。レイヴン様様だぜ! よし、これで最後っと! とりあえず一度戻るか」
ロープを伝い壁の上に戻ったランスロットを出迎えたのは冒険者達の歓声だった。
「うおおおお! やりやがった!」
「凄えぞあんちゃん!」
「戦える! 俺達は戦えるぞ!」
レイヴンとは違い、歓声を浴びることに慣れているはずなのにランスロットは妙なこそばゆさを感じていた。
自分の功績をひけらかす事も、声高に自慢する事もあった。しかし、誰かの為の成果というのは初めての経験だった。
「参ったなこりゃ……。てめえら! まだ始まったばかりだ! 気を抜くなよ!」
「「おーーーーーー!!!」」
それからの戦いは順調に進んでいった。冒険者達も要領を掴んだらしく、壁を乗り越えて侵入して来た魔物の数は予想していたよりもかなり少ない。
中型の魔物に対してランスロットが突撃するという作戦も功を奏し、状況は平行線のまま時間を稼ぐことに成功していた。しかしーーー
「いっ…! くそ! 無理がきてるな……」
「ランスロット殿、これ以上無茶をしては……」
「そうもいかないだろ。大丈夫だ、少し休めばまだ戦える。それよりモーガン、あれからどのくらい経った?」
「まだ二時間も経っていません。今のところは順調です。しかし……」
「ああ、分かってる」
魔物の大軍に囲まれた状態で戦い続ける冒険者の体力が早くも限界に近付いている。逼迫した精神状態ではダンジョンの中以上に体力の消耗が激し過ぎるのだ。
おまけに自分も無茶な戦い方をしたせいで、体が思うように動かなくなって来ていた。
このままでは半日持ち堪えられるかどうかも怪しい。
ほんの僅か、緊張の糸が途切れた瞬間に戦線は崩壊する。
「おい! アレを見ろ!」
「レ、レイドランクの魔物が動いたぞ!!!」
「急報ーー!!! キングゴブリンが此方へ向かって来ます!」
恐れていた事態。
レイドランクの魔物が動いたとなれば最早打つ手がない。
「だ、駄目だ! やっぱり無茶だったんだ!!!」
「嫌だーーー! 俺はまだ死にたくねえよお!」
「取り乱すな!!! 手の空いている冒険者はキングゴブリンに火力を集中! 一斉に弓を放て!!!」
モーガンが素早く檄を飛ばして指示を出す。しかし、レイドランクの魔物相手に普通の弓では擦り傷程度も与えられない。
「俺が出る」
「無茶です! ここは我々が時間を稼ぎます! ランスロット殿は今しばらく体力の回復を!」
「馬鹿言え、ここで無茶しなきゃ全部台無しになっちまう! まだ手も足も動くんだ! 黙ってやられるかってんだ!」
「しかし!」
「モーガン、もしも連中が街に入って来たら中心点を探せ。そこに奴らを呼び寄せる原因がある筈……。期待させるようなこと行ったのによ、全員助ける事は出来なくなっちまった。すまん」
「貴方が謝る必要などありませんよ。後は……お任せ下さい」
「おう。行ってくるぜ!!!」