二人の願い。変わらない願い。
一時間程前に一話投稿しています。
前話を読まれていない方はご注意下さいませ。
レイヴンの腹に深々と刺さった剣から滴り落ちる多量の血液。
震える手に伝わる心臓の鼓動が否応無しにエレノアを現実へと引き戻した。
「あ、ああ…!私は…なんて事を……」
エレノアは目の前で起こった事態に狼狽え震えていた。
美しい翼を携え、黒い鎧を纏った戦士。無造作に突き出された自分の剣が名も知らない戦士の体を貫いているではないか。
「…意識が戻ったか。私だ。エリスだ」
聞こえて来たのは間違いなくエリスの声だ。
「エ、エリス…?こ、これは……わ、私は……」
「ゲホッ……ハァハァ…何も言わなくて良い。…分かっている。絶対に助けてやる」
「助ける?エリス……貴女は…」
エレノアは何が起きたか分からずに混乱している様だが、説明をしている暇は無い。レイヴンはエレノアの腕を掴むと問答無用で切り落とした。
「な、何を⁈ 」
「歯を食いしばれ。少々キツめにいくぞ」
間髪入れずに叩き込まれた渾身の蹴りは、体に取り付いていた魔物ごとエレノアを闘技場の反対側まで吹き飛ばした。
「ぐッ……!うぐあっ…!ハァハァ……」
レイヴンは剣を抜いた後、堪らずその場に膝をついた。
ギリギリで急所は外れたが傷が深い。
(俺としたことが……)
反応が遅れた理由は殺意の有無。
エレノアは人間としての思考を持っている。であれば、行動を起こす際には必ず気配が生じるものだ。それはどんなに熟練した者であっても変わらない。気配を消すと言っても、あくまでも察知され難いように抑えているだけであって、生きている以上、完全に気配が無くなるなんて事はあり得ない。しかし、今の攻撃はエレノアの意思とは無関係のものだった。まるで何かに操られている様な無意識の動き。そんなものに気配は無い。
「早く傷の手当てを!」
「来るなッ!俺の事は良い……魔法の解除に専念しろ」
「だ、だけど、早く治療しないと!血が!」
「問題無い。急所は外れている。この程度なら直ぐに…治る」
「そんなわけ……」
傷の手当てをしている暇は無い。
レイヴンは再び立ち上がるとエレノアの元へ急いだ。
上空ではミーシャが取り乱した様子で騒いでいた。
レイヴンの負った傷はどう見ても致命傷になりかねない危険なものだ。クレアを救った時でさえ生きていたのが奇跡だったのに、あの時よりも出血が多い。今直ぐにでも治療をしなければ手遅れになってしまう。
「ルナちゃん!レイヴンさんが…!レイヴンさんを助けないと!」
「分かってるよ!…だけど駄目だ。僕等は此処を動けない。それはクレアだって同じさ」
クレアとルナは今すぐにでも駆け寄りたい気持ちを必死に抑え込みながら戦っていた。
ミーシャの言う通り、いくらレイヴンが頑丈でも決して不死身などでは無い。深傷を負えば命を落とす。どんなに桁外れな力を持っていても普通の人間と何も変わらないのだ。
「僕だって出来る事なら戦いを放り出してレイヴンの元へ行きたい。だけど……」
それでも自分の役割を果たすのは、初めて一人で戦う事を任されたからだ。レイヴンが何も言わないのであれば、レイヴンを信じてやり遂げるまでだ。
「そんな……。いくらレイヴンさんでも、あのままじゃあ……」
「大丈夫。いざとなったら僕がどうにかする。言ったでしょ?僕はこの国の事なんかよりもレイヴン一人の方が大切なんだ」
「ルナちゃん……」
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レイヴンに吹き飛ばされたエレノアは瓦礫に埋まっていた。
体を侵食していた魔物の気配は無くなった様だ。
(今のうちにエレノアだけでもどうにかしないと。フローラが魔法を解除したのを確認次第始めなければ……)
クレアとルナのおかげで被害は最小限に抑えられている。けれど、それも長くは保たない事を察していた。
二人が無理をして頑張ってくれているのは重々承知している。大人顔負けの実力を持ってはいても体力はまだまだ子供と大して変わらない。
二人のどちらかが限界を迎えれば、戦況は大きく傾く。そうなる前にケリをつける必要がある。
(やむを得ないか……これ以上後手に回る訳にはいかない)
これ以上の持久戦は危険と踏んだレイヴンは、応援を要請する事にした。
大規模戦闘を想定した最適な人物。多少実力で劣る者であっても彼女の特殊能力があれば一線級の戦力となる。
せめてこの国の住人達が自分の身を守れる程度にでも強化されれば不慮の事態にも対処し易くなる筈だ。
「ミーシャ!カレンを連れて来てくれ!」
「カ、カレンちゃんですか⁈ でも、今からじゃ……」
「時間が惜しい!早く行け!」
「は、はひ!!!さあ、行きますよツバメちゃん!全速力です!」
「くるっぽー!!!」
カレンの能力が意思を持たない魔鋼人形の性能にまで影響を及ぼす事は無いだろう。けれど、この国には多くの魔法使いや魔術師がいる。彼等の力を借りられたなら、少しはルナの負担が軽減される。そうすればクレアの支援に力を割く事が出来る。
レイヴンは意識の混濁したままのエレノアに向かって語りかけた。
「聞け。エレノア……お前は人間だ。お前の願いは何も間違ってなどいない。お前が感じた迷いも、どうにもならない憤りも、魔鋼人形として過ごして来た長い年月も、幾度となく訪れた出会いと別れも……全ては願いに辿り着く為。お前自身がそうだと気付かなかっただけなんだ。だが、肝心の記憶は封印され、お前は自身の持つ願いとは違う幻影を追い掛け続けた。……フローラには他に方法が無かったんだ。仕方が無かったなんて言葉では片付けられない問題だ。結果、お前の願いは歪められる事になったんだからな」
「……」
「それでも、フローラはお前が生きる為に力を尽くした。どんな形であれ、お前に生きて欲しかったんだ。エレノア、お前がフローラの願いを叶えようとした様に、フローラはお前が生きる事を望んだ。これまで魔鋼人形として歩んで来た道、それが本来の願いとは違っていたとしても、お前達二人はずっと互いの願いの為に生きてきた。それだけは俺にも分かる……」
「……」
いつしか形を変えてしまった二人の願い。けれども、願いの本質だけは変わらなかった。
フローラの願いはエレノアの願い。エレノアの願いはフローラの願い。
二人の願いは初めから互いの為にあったのだ。
そして、二人の願いはやがて国に住む者全ての願いへと変わって行った。
唯一の不幸があるとすれば、それは誰も願いを口にしなかった事だ。
叶う叶わないじゃ無い。手を伸ばす事に意味がある。手を伸ばし続けた者だけが、願いを手にする事が出来る。
「だからーーーー」
レイヴンは魔剣を握り直して魔力を込めた。
心臓の鼓動と共に赤い魔力の奔流が吹き荒れる。
「貴様は邪魔だトラヴィス!エレノアの体を返してもらうぞッ!!!」
レイヴンの叫びと同時、怒りに満ちた剣が振り下ろされた。
闘技場全体を激しい衝撃波が揺らす。
崩れた瓦礫が巻き起こした大量の土煙が晴れると、目を見開き不気味に笑うエレノアの顔が現れた。
「ククク……アハハハハハハハ!お見事!お見事ですよ魔人レイヴン!よく私がエレノアの中にいると分かりましたね!」