ルーファス
「ちょ、ちょっとどいて…!レイヴ…ン…じゃなかった、エリス!一体何が起こって……エレノア⁈ な、何で?何が⁈ 」
通路の奥からやって来たのはフローラと小人族の長老。そこにルナとミーシャの姿は無い。
「フローラか。丁度良いところに来た。ルナのーーーー」
「国が…!街が大変なの!今はルナが結界を張って防いでいるから何とかなっているけど、エレノアは戦闘不能になっちゃってるし、レイヴン…じゃなかった!エリスは何でか左手凄い事になってるし!ていうか、何でクレアが魔鋼人形と戦ってるの⁈ もう何がなんだかよく分からないし!とにかく早く来て!」
ルナが結界を張らなければならなくなる事態と言うからには、個別に対処し切れない規模で魔物が発生しているという事だろう。
原因は間違いなくトラヴィス。奴がやったに違いない。
マクスヴェルトの結界に匹敵する強度とはいかないまでも、ルナもかなりの規模と強度で結界を展開出来る。ニブルヘイムでもそうだった。余程のことが無い限り魔物が突破して来る心配は無いと思われる。とは言え、結界を維持するのにも大量の魔力を必要とする。このまま此処で手をこまねいていてはルナにも限界が来てしまう。
(魔剣の回収と一緒に先に片付けておくか……しかし、ユッカが……)
暴走したユッカを倒せば皆助かる。姿を消したトラヴィスとステラを探して追いかける事も出来る。しかし、その選択肢は最悪だ。
「落ち着け。そっちはルナに任せておけば問題無い。もう暫くは持ち堪えられる」
「大規模結界がそんなに長く保つ訳無いじゃない!早く何か手を打たないと…!」
「落ち着けと言っている。それよりも、寧ろ問題はこっちだ。クレアが戦っている魔鋼人形の中にはユッカという名の小人族の少女がいる」
「な……⁉︎ 何でそんな事に⁈ 」
「ユッカ?ユッカって確か…ど、どういう事?何であの子が⁈ 」
「トラヴィスの仕業だ。奴がユッカに魔核を埋め込んだらしい。これ以上魔物堕ちの症状が進行すれば、俺…私にも手がつけられなくなる」
トラヴィスの名を口にした途端に場が静まり返った。
(フローラの話を聞いた時から思っていたが、どうやらトラヴィスの存在はこの国に住む者達にとって禁忌の様だな)
「トラヴィス…どうして奴が……あり得ないわ。だって、奴は魔眼の力を持っている事以外は普通の人間だもの。生きている筈が無い……」
「どうだかな。私には奴が普通の人間だとは思えない。必ず何か……(誰だ⁈ )」
不自然な空気の揺らぎを察知したレイヴンはフローラ達の前へ出て身構えた。
「……誰だ?」
「トラヴィス…奴は普通の人間では無いという見解は正しい。が、それが全てでは無い」
聞いた事の無い男の声。
通路の影から出て来た男の服装は、この国の者で無い事を示している。長身でフードを深くかぶった顔は黒い仮面で隠されていた。
「俺の名はルーファス。アルドラス帝国軍諜報部に所属する者だ」
(帝国だと?しかし……)
帝国の、それも諜報を行う者が自らの素性を明らかにする。
そんな馬鹿な話を信じる者などいない。
誰もがそう思っていた中、レイヴンだけは違った。
(嘘を吐いていない?だが何の為に……?)
レイヴンは相手の嘘を見抜く事が出来る。仮面が邪魔で表情は読めないが、少なくとも声や仕草からは嘘の気配を感じない。
ただし、カイトがそうであったように、嘘を吐いていないからといって真実を話しているとは限らない。警戒するに越した事は無い。
「別に無理に信じる必要は無い。魔人レイヴン…貴様に渡しておく物がある。受け取れ」
(俺の事を知っている?)
ルーファスと名乗った男が投げて寄越したのは、南瓜ほどの大きさの袋だった。
重くは無い。けれど嫌な感じがする。
レイヴンはルーファスを警戒しつつ袋を開けた。
「これは……何のつもりだ?」
袋の中身は魔物の魔核と、それからもう一つ、見た事の無い無色透明の小さな水晶だった。水晶は砂時計と良く似た木枠に収められている。
「魔核はそこのエレノアとかいう魔鋼人形に使え。“共鳴” を起こせば無理矢理にでも意識を回復させられるだろう。そちらの水晶は魔具だ。任意の離れた相手に声を伝える事が出来る。相手の魔力をイメージして魔力を流せ。後は感覚で分かるだろう。以上だ」
ルーファスは一方的に喋り終えると、レイヴン達に背を向けて歩き出した。
「待て!お前が本当に帝国の人間だとしたら、どうしてこんな真似をする?お前はトラヴィスの仲間では無いのか?」
「……仲間?」
ルーファスは背を向けたまま抑揚のない声で言った。
「…奴は……トラヴィスは皇帝陛下の理想を踏みにじった。帝国を奴の好きにはさせない」
「何だと?」
その声は静かな怒りに満ちていた。
腹の底から湧き上がる憎しみを噛み殺しているのだろう。歯が軋む音。ほんの僅かな声の震え。滲み出る怒りが背中に透けて見えるようだ。
「最後に一つ。どうしても納得が行かないのなら、それはゲイルの命を救ってくれた事への礼だとでも思っておけ。ゲイルと俺は古い友人なのでな。どういう形であれ、友の命を救ってくれた事には違いない。感謝する……」
「……」
ルーファスが通路の影に溶ける様にして去った後もフローラ達は一言も発しなかった。
帝国にトラヴィス。
レイヴンが思っていた以上にこの国との因縁は深い様だ。だが、詳しい事情を聞くのは後だ。ルーファスの言葉を全て信じる訳にはいかないが、最後の言葉は信じられる気がしていた。
「まさか、それ使う気なの?」
「今は他に方法が無いからな。迷っている時間はもう無い」
レイヴンは水晶に魔力を込めてルナの魔力を探り始めた。
(なるほど、便利な魔具だな)
レイヴンの脳裏に浮かんだのはルナが結界を展開している姿。ぼんやりと分かる程度だが、隣には不安そうな顔をしたミーシャの姿も見える。どうやらツバメちゃんに乗って街を見下ろしながら結界を張っている様だ。
ルナは既にかなりの量の魔力を消耗しているのだろう。顔から血の気が引いて白い肌が青ざめているのが分かる。
「ルナ、聞こえるか?」
半信半疑ではあったが、どうやら上手く声は届いた様だ。ルナはレイヴンの声に気付いてキョロキョロと辺りを見回していた。
「聞こえているのなら闘技場上空に魔剣を入れておいた空間を開いて欲しい。その後はーーーー」
『あー、あー、僕の声、聞こえてる〜?』
音が途切れと思ったら今度は水晶から直接ルナの声が聞こえて来た。おまけにぼやけていたルナの顔まではっきりと分かる。
「まさか、とは思うが……」
『えへへ。その魔具面白いね。もう仕組みを覚えたから大丈夫。その魔具があればいつでも僕と会話出来るよ!今度通信用の魔具でも作ってみようかな〜』
クレアが一度見た物を覚えてしまう様に、ルナは一度でも体験した魔法であれば殆どの場合、魔法の術式そのものを解析し理解出来る。
どうやらルナは、この一瞬で水晶に封じられた魔法の原理を理解し、その上でレイヴンにも自分の声が届く様に改変までしてみせたらしい。
(何と言うか、マクスヴェルトがもう一人いるみたいだな……)
視界の端にフローラ達が口をあんぐりと開けているのが見えるが、放っておけば良いだろう。いちいち説明するのも面倒だ。
「はあ…呆れた奴だな。まあ良い。そちらの事情はフローラから聞いた。すまないが魔剣を渡してくれ。その後はーーーー」
『了解!街の皆んなに結界を張れば良いんだよね?』
「あ、ああ。ルナ、お前にはいつも負担をかける。悪いがもう少しだけ耐えてくれ」
『……』
ルナの返事が返って来ない。
頭の中に映るルナは何やらもじもじとしていた。戦闘中でもいつも冷静なルナらしくない。
また別の問題が発生したのかもしれないと判断したレイヴンは再びルナへ問いかけた。
「どうした⁉︎ まさか何かあったのか⁈ 」
けれど、ルナは変わらずにもじもじとしているばかりで応えない。ミーシャが隣で何か喚いている様だが、ミーシャの声はレイヴンには聞こえず、状況が全く分からない。
『良いなぁ〜今の凄く好き!僕なんだか元気が出て来たよ!』
「そ、そうか……?何も問題が無いのなら良い」
『僕もクレアに負けてられないから頑張るよ!さあ、受け取って!』
ルナとの通信が途切れると、目の前の空間が揺らぎ始めた。
空中に出来た亀裂から漏れ出る高密度の魔力。
ルーファスから渡された魔核が反応しているのが分かる。
「嘘…これって、空間魔法?もしかして次元の狭間にあるっていう虚数領域を操れるの⁈ 」
フローラの発言に周囲がどよめく。
空間魔法についての文献は数多く存在してはいるものの、未だ誰も成功させた事の無い究極難度の魔法。そんな貴重な魔法が目の前で展開されているのだから驚くのも無理は無い。
レイヴンは徐に空間の切れ目に手を突っ込んで魔剣を取り出した。
(……やれやれ。結局、お前が一番手に馴染む。また力を借りるぞ)
ーーーードクン。
心臓の鼓動と共に黒い霧がレイヴンを包み込んだ。