エレノアとエリス
東の森の奥。
フローラ達と一旦別れたレイヴンは、もう一度エレノアに会う為に一人で研究所を訪れていた。
「正気?」
エレノアをあんな状態にした張本人が一体何をしに来たというのか。
博士はエリスの来訪に警戒を強めていた。
「警戒するのは理解出来るが、私は戦いに来た訳では無い。エレノアはもう直ったのかと聞いているだけだ」
淡々と話すエリスの姿を観察する。
武器は持っていない様だがエレノアとの戦闘を見た限り、エリスの身体能力は異常だ。
魔鋼人形の超重量を相手に細腕一本で圧倒してみせた実力は驚異という他無い。
「それを信じろと言うの?言っておくけど、エレノアは更に強くなってるわ。魔鋼も貴女と戦った時よりも質の良い物に換装してある。この間みたいにはいかないわよ」
「そうか」
エレノアは戦闘経験を蓄積して強くなる。
確かに凄い事だが、そんなものは訓練と実戦を重ねていれば誰でも同じだ。驚く箇所があるとすれば、エレノアはその為の訓練を必要としない事だけ。
いくらエレノアが優れていようとも、たった一度の戦闘で力が大幅に増すなどという事は有り得ない。
「そうか、って……最強の魔鋼人形であるエレノアが更に強くなってるって言ってるのよ⁉︎ 貴女、その意味が分かってるの⁈ 」
精一杯のハッタリ。それでも一度戦ったなら、エレノアの性能は分かっている筈。
武器が無い状態でなら対処出来ないに違いないと考えていた。
「だからなんだ?エレノアが動けるのなら少しだけで構わない。話がしたい」
博士最大の誤算は、目の前のエリスの正体が最強の冒険者“魔人レイヴン” である事を知らないという事だ。エレノアとの戦闘で見せたのが小手調べで、しかも素手の時の方が強いなどとは想像もしないだろう。
「ふざけないでよ!!!」
「お前は……」
「ちょっと!貴女は隠れてなさい!」
研究所から飛び出して来たのは小人族のユッカだ。
博士の制止を振り切ってエリスの前に立った。
「あなたねえ!エレノアにあんな酷い事しておいて何言ってるの⁉︎ あんなの戦いじゃない!」
「……やり過ぎたとは思っている。だが、私の大切な者を傷付けようとしたのはエレノアだ。謝るつもりは無い」
「そんな事…!」
「待ってください。ユッカ、私もエリスに話があります」
「エレノア⁉︎ まだ動いちゃ駄目だよ!」
「ちょ、ちょっとユッカそれは秘密……!しまっ…!」
今更慌てて口を塞いだところでもう遅い。
エレノアは見た目こそ元通りになってはいるが、歩き方がぎこちない。新しい体が馴染んでいないのだろう。
「良いのです博士。それにユッカ、エリスの言う通りなのですよ」
「え?」
「私は本気のエリスと戦いたいばかりに、関係の無い人を巻き添えにしようとしました。本当ならあの場で完全に破壊されていても文句は言えないのです」
「エレノア……」
「大丈夫です。少しの間、二人だけにしてください」
エリスとエレノアは、敷地の一角にあるベンチに座ったきり、言葉を交わす事もなく黙っていた。互いに気不味い空気を察しての事だったのだが、暫くして意を決した様にエリスが口を開いた。
「お前はどうして負けたかった?あれがお前の本心だとはどうしても思えなくてな」
最強の魔鋼人形であるエレノアが、この国で敗北を知らないまま長い年月を過ごして来た事とフローラの作った法とやらが関係してしている事は分かる。しかし、あの時のエレノアには負ける事への“不安” というものが感じられなかった。
命懸けの戦いとは不条理が付き纏う。
長い鍛錬の果てに手にした力も、大切な存在も何もかも一瞬で奪われる。
エレノアにはその奪われる事への実感が無い。
強いて言うなら、“生きている証を求めていた”
そんな風に思うのだ。
生と死を感じられるのは死を実感した瞬間。
エレノアは魔鋼人形として生まれ変わった時に死を間近に感じていた筈だ。けれど、フローラの言う過去の記憶が欠落している状態で勝利し続けていた事がエレノアの中にある人間の部分に歪みを引き起こしている原因の一つだと考えられる。
「……エリス。貴女の目から見て私は強いと思いますか?」
「何だその質問は?私の質問はどうした?」
「あ、いえ……私の強さはこの国の皆から与えられたと言っても差し支えありません。寧ろその事を本望だと思っています。私は魔鋼人形として与えられた役割りを果たす事、あの人の描いた理想を実現させる事が生き甲斐でした。ですが、この国の技術者達は種族間での協力を拒みます。特に新しい技術などは試合の日まで同族にすら隠している有様。これでは私は一体何の為に戦っているのか分かりません」
(敗北を知らないまま勝利を重ねて来たツケというやつか……)
エレノアの悩みは簡単な様でややこしい。
魔物という外敵から日常的に身を守らねばならない中央や他の外界の国と違って、危機感が無いばかりに、くだらない事でぐだぐだと悩む。
「逆に聞くが、お前はこの国が仮に魔物に襲われたらどうする?」
「当然、排除します。此処では私以外に魔物との戦闘経験がある者はいませんから」
「なるほど……」
魔物に恐われろだなんて言うつもりは無い。
けれども、エレノアがこの調子では、いつか本当に魔物に襲われた時にこの国は呆気なく滅ぶだろう。
「先程の質問に答えよう。エレノア、お前は弱い」
「そうですか……。やはり、まだ私程度の力では……」
「違う。力があるとか無いだとか、それ以前の問題だ。本当に強い奴は負けたいだなんて考えない。敵わないと知っていても手を伸ばす。諦めない。何故だか分かるか?」
「何故、ですか?」
「はあ…。少しは自分で考えろ。それに気付けない限り、お前に本当の敗北は無い。永遠にな。だが、その理由を知った時、お前はもう二度と負けたいとは口にしないだろう」
敗北を知る事で強くなれる。
ただし、本気で何かの為に命をかけていた場合だ。
要は奪われる苦しみを知っているかどうか。
そうでなければ負けたいなどと軽々しく口にしたりしない。
「やはり私には分かりません。皆が力を合わせればきっと……」
(どうにも話が噛み合っていないな)
レイヴンは立ち上がりクレア達の待っている道具屋へ向かって歩き出した。
エレノアが自分の事を人間だと忘れている事がこんなにも厄介だとは思わなかった。
予選はまだ続けられる。その間に何かきっかけを掴む事を期待するしかない。
思い詰めた様なエレノアを見ていると昔の自分を見ている様で苛々する。
(やれやれ……)
「最後に一つ。どうしても分からないのなら一度、自分の為だけに戦ってみろ。じゃあな」
「……」
エリスが去った後、エレノアは一人考えていた。
“自分の為だけに戦う” だなんてこれまで一度も考えた事が無かった。
エレノアにとって戦いとは“約束を果たす為の手段” に過ぎない。時折ある魔物の迎撃も他に任せられる者がいないからやっているだけだ。
「そう言えば、エリスを本気にさせようとした私は、あの子供達に目を付けました。何故?……大切な存在、だから…?」
直感的にとった行動の理由。
エリスにとってあの子達が守るべき大切な存在だと思ったから。
「そうか、私には……守りたいモノが無い」
エレノアの呟きは誰にも聞かれる事なく風に流されていった。
いつもありがとうございます。
次回投稿は12月28日夜を予定しています。