決意。動き出した悪意。
黄金の魔力が収まり、リヴェリアはレーヴァテインを手に取った。
封印の解かれたリヴェリアは意外な事に力を解放した時に見られた激しい魔力の奔流を放ってはいない。寧ろ子供の姿であった時と同じ程度の微々たる魔力しか帯びてはいなかった。
それはリヴェリアが己の力を完全に掌握した事を意味している。
『申し訳ありません。聖剣デュランダルの解析に手間取りました』
竜人であるリヴェリアが竜化現象に悩まされるだなんて元からおかしな話だったのだ。
つまるところ、レーヴァテインはリヴェリアの不安定な心を見抜いていたという事。記憶を封印されたままの状態では、リヴェリア自身の強大な力を制御出来ないのは必然。
であれば、レーヴァテインの力でリヴェリアが安定していられる様に調整してやれば良い。合計十三段階からなる強固な封印も、封印を解く事を渋っていたのも全てはリヴェリアを想ってのことだったのだ。
「いやいや、よくやってくれたとも」
リヴェリアが変わったきっかけはレイヴンと戦った事にある。
今までの世界ではあり得なかった両者の衝突。互いに本気では無かった。しかし、あの時リヴェリアは本当の意味でレイヴンと向かい合う事が出来た。この意味は大きい。
レイヴンがそうした様に、リヴェリアもまた可能性という名の一歩を踏み出した。
その一歩がリヴェリアを成長させたのだ。
「…本当に良いのか?お前はまだあの時のことを悔いておるのではないのか?その記憶の重圧に耐えられるのか?」
ミアに支えられたダンは真っ直ぐにリヴェリアを見据える。
眼に入れても痛くないと思えるほどにリヴェリアの事を溺愛している。
またリヴェリアの心が壊れてしまうくらいなら地上の事などどうなっても構わないとまで本気で思っていた。
リヴェリアは少しだけ目を伏せる様にして呟いた。
「…悔いている」
「なら……」
“なら、もう一度記憶の封印をすれば良い”
ダンは言葉を飲み込んだ。
目の前にいるリヴェリアはもうあの時のリヴェリアでは無い。
「私はシェリルを手にかけた現実を未だに受け入れられずにいる。正直、今でもあの時のことを考えると足が竦む……手の震えも止まらない……。それでも私は、もうその後悔に背を向けたくは無い」
幾度となく繰り返される始まりと破滅。その絶望的な世界の中で、共に笑っていられる友がいるのなら世界にはまだ希望という光がある。
「失ったものは私にとって大き過ぎる。けれど、私には友と呼べる仲間がいる。……私は私だ。他の何者でも無い。私を慕ってくれる者達の前で情けない姿は見せられない」
「リヴェリア……」
親友を失い、無邪気に笑っていられた時間はもう戻っては来ない。
けれど、シェリルは沢山の思い出をくれた。
偽りの記憶と共に過ごして来た数百年。何度も出会いと別れを繰り返して来た果てに、共に笑ってくれる者達が揃った。
これ以上の宝は無いと断言出来る。
「ダン爺様。爺様が私に言ってくれた言葉の意味がようやく分かった様な気がします。レイヴンは私に道を示してくれました。後悔も絶望も悲しみも、全て背負って歩いて来た。彼が歩みを止めない限り、私は私の後悔を理由にしたくない。少なくとも今はそう思っています」
後悔を捨てられないのなら全部背負って歩いて行けば良い。たとえそれが茨の道でも、歩みを止めてしまえば心は闇に飲み込まれてしまうだろう。
レイヴンがもがきながら手を伸ばし続けた様に。自分もまた手を伸ばし、一歩を踏み出す。
弱さも強さも全て受け入れる。受け入れてみせる。
そうでなくてはレイヴンを救いたいなどと、どの口が言えるというのか。
「レイヴンに伝えるの?」
「ええ、ですが今直ぐではありません。黙っているつもりは毛頭ありませんが、今レイヴンに真実を伝えるのは早い気がしています」
「……そうか」
リヴェリアの言葉に迷いは無い。
ダンは幼い頃から見て来たリヴェリアを幻視していた。
思いのままに行動するリヴェリアは幼い頃から手に負えないお転婆で、掟を破って勝手に下界へ下りては厄介ごとに首を突っ込んでいた。
そんな時に出会ったのがシェリルだ。
竜人と人間では寿命も時間の流れも違う。関われば辛い思いをするだけだと、それとなく諭した事もあった。
素行の悪さには随分と頭を悩まされたが、活き活きとして楽しそうなリヴェリアを見てしまってはそれ以上強くは言えなかったのだ。
竜人と人間。
かくして種族を超えた契りはリヴェリアにとって唯一無二の宝となった。
その親友を自らの手にかけたリヴェリアの心中を想うと胸が張り裂けそうになったのを思い出す。ダンは廃人の様になってしまった大切な孫を放ってはおけなかった。
だが、それは間違いだったのかもしれない。
たとえどれだけ時間が必要になっていたとしても、どんなに辛くとも、再び自分の足で歩き出せるように見守ってやるべきだった。
結局のところ、理由をつけてリヴェリアの記憶を封印したのは自分の為だったのだ。
「行け……。そして、もう此処へは戻って来るな」
「……はい」
「お爺ちゃん……」
リヴェリアの姿をゆっくりと見たダンは、何かを決意したような表情を見せると、聖剣デュランダルをペンダントの姿へと変えた。
「リヴェリアよ。(お前はもう自分の足で歩けるのだな……)持って行け。何かの役に立つじゃろう」
ダンは聖剣デュランダルをリヴェリアに手渡し、そのまま部屋を出て行った。
「これは……」
リヴェリアが畏怖していた祖父の背中は小さくて……。
とても寂しそうだった。
(爺様…ありがとうございます)
リヴェリアはペンダントを強く握り締め、去っていくダンの背中に向かって静かに頭を下げた。
「リヴェリア……。お爺ちゃんはああ言ったけど、いつでも帰って来て良いんだからね?」
「ミア姉さん、その……ごめんなさい。私はミア姉さんを……」
「ううん。このくらい平気よ。私の方こそ謝らないといけないわ。リヴェリアの事をまだまだ子供だと思ってたみたい。こんなに立派になって……」
ミアはリヴェリアを優しく抱きしめて肩を震わせた。
「姉さん……」
「皆と共に未来を創りなさい。希望の光はいつだって貴女の進むべき道を示してくれるわ。……さあ、行って。貴女のやるべきことを、貴女を待っている人がいるのだから」
「…はい!」
リヴェリアは力強く頷いて、天界を後にした。
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東の果て。
少し小高い丘の上から鉄の街を眺める影が二つ。
トラヴィスとステラは互いの研究に必要な情報を得る為に、フローラの国にやって来ていた。
「これはこれは……新しい研究資料を回収しに来てみれば……なかなか愉快な事になっているではありませんか。ねえ…ステラさん」
「……」
ステラは不愉快極まりないトラヴィスの方を見ようともしない。
何がそんなに愉快だというのか、トラヴィスの考えている事など興味は無い。しかし、邪魔をしてくる様なら容赦はしない。協力しているのはあくまでもレイヴンのためだ。
そんなステラの考えを見抜いたのか、トラヴィスはいやらしい笑みを浮かべたまま喋り続けた。
「ククク……おっと、失礼。分かっていますとも。此処では別行動と行きましょうか。貴女の邪魔はしませんとも。ああ、そうだ!貴女の技術と私の技術。丁度良い頃合いですから、一つ試してみるとしましょう!退屈な長旅で飽き飽きしていた所です。きっと楽しくなりますよ」
「レイヴンに手出しはさせないわよ」
初めてトラヴィスの方を向いたステラは、暗く淀んだ青い瞳で睨みつけた。
「おや?おやおやおや……これは異な事を仰りますね。ですが、まあ良いでしょう。今はまだ私の技術ではあの化け物に対抗出来ません。久し振りに見ましたが、アレは既に人の領域に無い。私には何故彼から人が離れないのか不思議でなりませんよ」
「でしょうね……」
「……」
「あんたなんかにレイヴンの事が理解出来る訳が無い」
「貴女は出来ていると?」
ステラはトラヴィスの質問には答えなかった。
「クク……。“姫” が無事なら今はそれで良しとしますとも。それではまた後程……」