シェリルの日記。リヴェリアの記憶。
どこまでも続く青い空と田園地帯。
街の外れにある細道を走り抜け、リヴェリアは数百年は帰っていない家の扉を開いた。
換気の為に開けられた窓から心地よい風が吹く。
あちこち埃まみれかと思われた家は綺麗に掃除され、いつでもまた住める状態に手入れされていた。
「まったく……放っておいてくれて良いと言っておいたのに。おっと、レーヴァテインはここで待っていてくれ」
リヴェリアはレーヴァテインを入り口に立て掛け、家の中へと入って行った。
竜人の寿命は長い。
数百年という長い年月でさえ、竜人達にとっては悠久の時の一欠片に過ぎない。
自室へと向かったリヴェリアは目的の物を探して机の中を探し始めた。
死んだ人間を生き返らせる方法はいくつかある。当然、そのどれもが禁忌とされており、文献として残っている物となると極端に少なく、間違った記述の物も多い。仮に発動出来たとしても高い代償を支払う事になる訳だが、反魂の秘術という物は人を引き寄せる。
高い代償を払ったとしても、自らの願いを叶えようとするほどに。
その代償が自分の命であったとしてもだ。
「……あった。これだ」
手に取ったのは古ぼけた一冊の本。
亡き親友が残した想い出の詰まった日記だ。
表紙に刻まれた傷も、少しシミが付いて汚れたページも、何もかもが懐かしい。
だが今は感傷に浸っている場合では無い。
ゲイルはあの魔剣に死んだ人間を生き返らせる力があるのかと聞いた。
願いを叶える事が出来る剣は、使用者の魔力や想いの力を糧として世界の理すらも書き換え、具現化させる超常の力。
理屈では発動させられるだけの魔力と願いの力があれば、死人を蘇らせる事など造作も無い。しかし、いくらそれだけの力があったとしても、やはり代償がある。
生前の彼女が言っていた。
『願いの力は決して万能の力なんかじゃ無い。誰かのささやかな想いを叶える為にある。可能性を掴む為の勇気ときっかけをほんの少しだけ与えて後押ししてあげるの。願いを叶えるのはあくまで本人の意思だから』
彼女は願いを叶える力を使って背中を押す事はあっても、自分の願いの為にその力を使った事など一度も無い。
叶える願いはいつもささやかなもので、世界の理を歪めたり干渉したりする事を避けていたのを覚えている。
リヴェリアは日記のページをめくりながら自然と涙が溢れている事に気付いた。
「い、いかん……感傷に浸っている場合では無いというのに……」
書かれていたのは本当にくだらない出来事や、出会った人達の事が大半。他にはリヴェリアやカレンと喧嘩をした事などが綴られていた。
やはり人間を生き返らせるだのという突飛なものについては何も書かれてはいない。
ページをめくる毎に彼女が生きていた頃の記憶が蘇る。
「……四人?」
リヴェリアは日記のとあるページに書かれた出来事に目を止めた。
『今日から仲間が一人増えた。三人も旅仲間が出来るなんて嬉しいなぁ。彼?彼女かな?どっちかよく分からないけど、きっと彼だよね?名前はマクスヴェルト。魔法なら何でも使えちゃう凄い人。あーあ、私も魔法が使えたらなぁ。そうだ!今度教えてもらおう!』
日記に書かれたマクスヴェルトの名前。
「魔法なら何でも使える……どういう事だ?私達はずっと三人で……うぐっ、何だ⁈ 急に頭痛が……」
更にページをめくっていくと、やはりそこにもマクスヴェルトの名前があった。偶然同じ名前なのだとしても変だ。書かれている通りならマクスヴェルト本人に間違い無いのに、リヴェリアがマクスヴェルトと出会ったのは、もっと後の事だ。
「何故、私は覚えていない?」
リヴェリアの記憶と合致しない記述。
ずっと三人で旅をしていた筈なのに四人目の存在としてマクスヴェルトの名前がある。
他に何か手掛かりは無いかとページをめくっていく。
「これは……そうか、そうだった。この日は……」
何も書かれていない真っ白なページ。
彼女が死んだ日だ。
「何故だ……」
彼女が死んだ日で間違い無い。
なのに……。
「思い出せない……。私は彼女が死んだ日の事を覚えていないのだ?それに、彼女とは……誰だ?私の親友で……ずっと一緒に旅を……うぐああああっ⁈ あ、頭が……!」
突然襲って来た激しい頭痛に机の上に手をついて倒れた。
彼女の事を深く思い出そうとすると痛みが増して行く様な気がする。
窓から吹き込む風が空白のページをめくっていく。
「何だこれは……?」
本の最後の方に今まで気が付かなかったページが出て来た。
「結婚?子供?」
リヴェリアが知る限り、彼女は結婚などしていなかったし、ましてや子供などという話は聞いた覚えが無い。
次のページも、その次のページも、日付けの書かれていないページが続いていた。
どれも彼女の文字で間違い無い。だとすれば、これは一体……。
「相手は魔物混じりの様だな。何処にも出産などの記述は無い……待て、これは?」
『子供が出来たのが知られてしまった。ステラには反対されたけど、私は産みたいと思う。きっと大きな戦いになる……。私の我儘で皆んなが危険な目に遭うのは嫌。それでも私は生きたい。世界中が敵になったとしても、私はこの子を産んであげたいの。世界には沢山の綺麗な場所や出会いがあるもの』
「ステラ…だと?」
そこにある筈の無いステラの名前。
訳の分からないまま、更にページをめくる。
『今日、最後の通告を報せる使者が来た。あの人は私に隠れているように言ってくれたけど、ずっと地下に隠れたまま暮らすなんて出来ない。何処まで抗えるか分からないけど、やるしかない』
「……」
『カレン達が一緒に戦ってくれるって言ってくれた。とても嬉しかった。だけど、それは駄目。ステラに協力して貰って、結界を張って皆んなを守ってもらう事にする。これは私の我儘だもの。皆んなを巻き込めない……。でも、きっと怒るだろうな……』
「ステラが守った?私達を守ったと言うのか⁉︎ 」
“カレン達” という事はリヴェリアも当然知っていた筈。なのに覚えが無い。
『最後にもう一度話してみたけれど話し合いは決裂して、そのまま悪魔と神の連合軍と戦った。あの人は私を庇って先に逝ってしまったけれど、この子に名前を残してくれた。まだ男の子かどうかも分からないのに……。ううん、あの人が言うんだもの、きっと男の子よね。名前はレイヴン。あの人みたいに不器用でも良い。優しい子に育って欲しい……。絶対に生き残らなくちゃ』
「馬鹿な……そんな事がある筈が…」
リヴェリアの心臓の鼓動が速くなり、手にじんわりと汗が滲んでいくのが分かる。
レイヴンの名はオルドが名付けたものだ。腹に宿した子供が本当にあのレイヴンなのだろうか……。それに悪魔と神と戦った事は知っているが、連合軍というのは初耳だ。
『これから最後の戦いに行く。相手は悪魔と神。念の為にってステラから力を増幅させられる聖剣を渡されたけれど、それとは別にもう一つ。あの人の形見の魔剣を持って行こうと思う。私に魔剣は使えない。だけど、願いを込めれば多分……。無茶なのは分かってる。それでも他に方法が無い』
「どういう事なのだ……聖剣と魔剣は元から別の剣だった?いや、それよりも、願いを叶える力と聖剣は関係無い?」
レイヴンの持つ魔剣は元は聖剣である事は間違い無い。それに関してはルナも断言している。では、力を増幅させられる聖剣とは?願いを叶える力を聖剣が持っていなかったのだとしたら……。
頭の中が混乱する。
リヴェリアは日記の最後のページをめくった。
『ありがとう。リヴェリア、カレン、マクスヴェルト。あなた達と出逢えて私は幸せだったよ。沢山喧嘩もしたけれど、その分沢山笑い合えた。もしも……もしも、私が死んだら……違うわね。私が生きて戻ったら、また旅をしましょう。今度は五人で。きっと楽しい旅になる。世界はまだまだ広いもの。じゃあね。ありがとう、皆んな。本当にありがとう』
感謝の言葉で締めくくられた最後のページを読み終えたリヴェリアは、机に拳を叩きつけて叫んだ。
「どうしてだ!!!何故、何も覚えていない!!!とても大切な想い出の筈なのに!何故、私は今まで疑問を抱かなかった⁈ どうしてなのだ!!!何で……どうしてなのだ……」
レイヴンに普通の生活を送って欲しい。
その一心で数百年という長い刻を、幾度も繰り返して来た。
願いを叶える力、ステラ、マクスヴェルト、形見の魔剣、レイヴン。
どれもリヴェリアの記憶とは違う。
日記に記された子供がレイヴンだとして、母親である彼女はどうなった?
ステラが彼女と関係しているのなら、何故レイヴンの邪魔をする?
いない筈の四人目の仲間。マクスヴェルト。奴の名前が何故日記に記されている?
何故、悪魔と神は彼女を殺そうとした?あの戦いはそもそも悪魔と神の戦いを止める為のものだったのではないのか?
「……私はどうして彼女が悪魔と神と戦ったと知っている?魔神喰いに関する伝承や文献は全て調べた。その時は何も思い出さなかったのに……」
願いを叶える力が聖剣の力とは関係無いのであれば、その力は彼女自身の力だったという事になる。
「違う……彼女は戦いに赴く直前に聖剣を受け取っている。なら……」
リヴェリアは曖昧になった記憶を辿る。
彼女の笑顔。彼女の声。彼女の戦う姿。
「……ッ!」
リヴェリアは汗で滲んだ両手を見つめて愕然とした。
彼女との想い出の中で、今も確かに実感出来る物が一つだけある。
「彼女の剣は片刃……」
“剣気一閃”
数ある剣技の中で唯一名前のある剣技。
彼女が最も得意としていた技。
納刀状態から剣気を高め、抜刀と同時に放つ奥義。
「私はあの技を教えて貰って……いつ?」
彼女の技は今でも自分の中で生きている。
なのに思い出せない。
「ぐっ……!うああぁ……くそ!ま、また、頭が……!ぐああああああああああああああああ!!!」
「リヴェリア!」
絶叫をあげながら頭を掻き毟るリヴェリアを見たミアが駆け寄る。
リヴェリアの帰還に気付いたミアが様子を見にやって来ていたのだ。
「しっかりして!リヴェリア!リヴェリア!」
苦しんでいたリヴェリアが糸の切れた人形の様にだらりと両腕を下ろした。
天井を見つめたまま涙を流すリヴェリア。
「ふふふふふふ……あははははははははは!!!」
「リ、リヴェリア⁈ ねえ、大丈夫なの⁉︎ ねえったら!」
「ミア姉さん……」
「良かった。意識ははっきりしてるのね?」
「何もかも思い出した……」
そう言ってミアへと視線を向けたリヴェリアの金色の目は暗く淀んでいた。
「……!!!」
「シェリルを……シェリルを殺したのは、私だ」
次回投稿は12月23日夜を予定しています。
正月明けくらいまでは毎日更新が難しくなりますので、次回更新のお知らせは後書きとTwitterの方で連絡します。宜しくお願いします。