光はあるか?
地図に従って雑木林を進んで行くと、人の手で切り拓かれた場所に出た。
簡素な石畳が続く畦道を更に進んで行った先、闘技場の半分にも満たない小さな空き地に彼女はいた。
舞台の上で糸が切れてしまったマリオネットの様な印象のエレノアは、剣を抜き呆然と空を見上げたまま微動だにしていなかった。
「レイヴン……」
「……ああ、分かっている」
レイヴンはエレノアの正面へと向かって歩を進める。
異変を感じたクレア達は、一言も発する事なく二人から離れる様にして距離をとった。
「約束通り来てやったぞ。それで?ここでお前と戦ってみれば良いのか?」
「……」
エレノアは何も答えない。
互いに無言のまま、時間だけが流れ行く。
エレノアの体に埋め込まれた魔鋼は、先日見た時とは比べ物にならないくらいの魔力で満ちている。
(差し詰め戦闘用と言ったところか……)
「エリスさん……」
不意に名前を呼んだエレノアが、空を見上げていた視線をゆっくりとレイヴンへと向けた。
レイヴンを見つめる目は光を失っており、闘技場で見せた凛とした輝きを放っていた姿とは別人の様に感じられた。
(……何があった?)
脱力し、魂が抜け落ちた様な姿勢のままエレノアは言葉を続けた。
「貴女は負けた事がありますか?」
「何?」
「私は長い間、負ける事を望んでいました。期待し、絶望し、それでもまた期待して……。それが私を救ってくれたあの人の望みだったから……。でも、違いました。私は……皆が私を超えていく時を心待ちにしていたのに。私はもう、何の為に戦って来たのか分からなくなりました」
「……」
「私は知りたい。貴女なら私の存在を試せる」
「どういう意ーーー」
(……ッ!)
エレノアの姿が消えたと思った瞬間、レイヴンの懐に飛び込んで来たエレノアの剣が襲い掛かって来た。
レイヴンは抜きかけの剣で辛うじて防ぐ事に成功したものの、あまりの衝撃に大きく後ろへ吹き飛ばされてしまった。
「嘘⁈ レイヴンがあんな簡単に……!」
「だ、駄目ですよ!今はエリスさんです!」
「わ、分かってるよ!だけど、こんな事って……」
鳴り響く轟音。
吹き飛ばされたレイヴンの体はいくつもの木を薙ぎ倒してようやく止まった。
突然襲い掛かった事への怒りよりも、一撃でレイヴンが吹き飛ばされてしまった事への衝撃がクレア達の感情を支配していた。
「チッ……いきなりだな。いや、対峙した瞬間から戦いは始まっていたという事か……俺としたことが……」
レイヴンは倒れた木を押し退けて起き上がると剣を抜き魔力を込め始めた。
クレアの魔剣は流した魔力の量に応じて斬れ味と強度を増す。先ずはどの程度の魔力量であればエレノアを傷付けずに済むのか探る必要がある。
先程の一撃は見事だった。正直に言って魔鋼人形の性能を舐めていたと言わざるを得ない。
「素晴らしい……私の見立ては正しかった」
遠くまで吹き飛ばされたにも関わらず、何事も無かった様に起き上がって来たエリスを見たエレノアの口元が歓喜に歪んだのも束の間。
矢の様に飛び出して来たエリスが、エレノア目掛けて反撃して来た。
「ぐうぅっ!!!」
「よく防いだな」
(もう少し強くても良いか……。なるほど、最強の魔鋼人形の呼び名は伊達では無いという事か)
今放った攻撃はリヴェリアが大人の状態になった時と同程度に加減したものだ。
大きく後退しはしたものの、踏み止まってみせたエレノアの力は大した物だ。
「やはり、貴女は強い。貴女なら私に……」
「何を言っているのか分からないが、負ける事を望んでいただと?くだらない。この世界はやるかやられるか。それだけだ。力が無ければ生きる事も、願いを口にする事も出来ない。失いたく無いなら戦え。守りたいなら足掻け。俺の敵はいつだって自分自身だった。道があろうが無かろうが、そんな物は関係ない。光を手にする為には、手を伸ばして掴むしかないんだ。エレノア……お前の中に光はあるか?」
「光?何を言って……」
レイヴンはエレノアの返答を待たずに再び攻め始めた。
けれど、その構えはいつもの物とは違う。
重心の位置は高く、片手で剣を正眼に構え、僅かに半身を開いた姿勢。
相手が縦横無尽に駆け回ろうとも決して崩れる事無く、全ての攻撃を躱し、或いはいなしながら追い詰めていく。
「これって……」
「リヴェリアお姉ちゃんと同じ構えだ……」
足の運びは流れる水の様にしなやか。それでいて自然体に近い構えを維持している。
何処にも無駄な力が入っていないその構えは、正しく剣聖リヴェリアの戦う姿そのものであった。
ゆらりと風に揺れる羽の様に相手の攻撃を躱したかと思えば、攻撃に転じるやいなや劣化の如き苛烈な攻撃を繰り出す。
柔と剛の両方を兼ね備えた構えは攻守において抜群の安定感を発揮する。
「な、何で普段通りに戦わないんでしょうか?」
「多分、あの体が原因だと思うなぁ」
この時、ルナの予想は的中していた。
レイヴンが敢えてリヴェリアの構えを真似た理由は正に体にある。男の体のままであったなら筋力だけで強引に対抗する事も出来た。しかし、低い姿勢から力強い攻撃を繰り出すエレノアの剣は鋭く、重い。不慣れな女の体では競り負けると踏んだレイヴンは、かつて自分が戦った中で一番戦い難かった相手の動きを拝借する事にした。それがリヴェリアの構えなのだ。
「体?でも、風鳴のダンジョンで戦っている時はいつも通りでしたよ?」
「きっとエレノアさんが強いからだと思う……」
「だね。どちらも本気じゃないけど、油断出来ない相手って事でしょ」
「そんな……レイヴンさ…エリスさんに勝てる人なんて……」
「確かにね。今のレイヴン…じゃなかった、エリスなら多分誰が相手でも負けないだろうね。でも、これはエレノアの力を測る戦いでもある。色々確かめてるんじゃないかな?何せ自分と同じ構えだからね〜」
二人の戦いは次第に激しさを増して行く。
動き回るエレノアに対して最小限の動きで追い詰めるレイヴン。
相手が最強の魔鋼人形と呼ばれているにしても、ここまでレイヴンと戦える存在は数える程しかいない。
互いに振るう剣がぶつかり合う衝撃は凄まじく、剣が交わる度に衝撃波がクレア達の頬を叩いた。
「何故、クレアと同じ構えを取らないのですか?」
「必要無い。これで十分だ」
「私は本気の貴女と闘いたいのです!」
「何の為に?」
「言ったでしょう!私は負けたいのです!私という存在が本当に意味のある物なのかどうか確かめたい!貴女ならそれが出来る!」
「……またそれか。負けを知ってどうする?それがお前を成長させてくれるのか?」
「成長?私は魔鋼人形です。こうして戦っている間にもあらゆる経験を蓄積し、最適な行動を導き出せます。それを成長と言うなら、今この瞬間にも私は成長しています!」
(話にならないな……)
エレノアの言う通り、少しずつ反応速度が増して来ている。けれど、そういう事を言っているのでは無い。
確かに敗北から学ぶ事は多い。しかし、レイヴンの言った“成長” とは意味が違う。
この世界で本当の敗北は死を意味する。
それは肉体的な事だけを指すのでは無い。負けを認めた瞬間に存在が、魂が、死を肯定するのだ。
魔物に殺されたなら、力が足りなかった、パーティーとの連携が上手く機能しなかった等と後悔しても遅い。得る物は無く、待っているのは“無” だ。
しかし、生死を賭けた戦いで無いなら、その敗北は糧となる。己に足りない要素を洗い出し、見つめ直す事で次へと繋げる事が出来る。
エレノアが求めている敗北がそうでは無いのなら、そこに意味は無い。待っているのは精神の死。思考停止という名の現実逃避に他ならない。
再び歩き出す為に歩みを止める事はあっても、歩く事を放棄してしまったのではそこに成長は無い。
「エレノア、負けた先に何がある?」
「それが分からないからこうして貴女と戦っているのです!どうしても本気で戦ってくれないというのなら、私にも考えがあります!」
「……ッ!」
エレノアの視線の先にあるものに気付いた時、エレノアは既にソレに向かって走り出していた。