お前が力を貸せ
エレノアの前に降り立った小さな少女の登場に闘技場の観客達は騒ついていた。
魔鋼人形同士の戦いとは神聖な物であり、この国に住む全ての者が打倒エレノアを掲げている。そんな場所に人間が武器を持って降り立つなど前代未聞である。
「レイヴン!クレアが!」
「ちょっと!ちょっと!ちょっと!乱入しただけでも大問題なのに、武器を持った状態でエレノアの前に立つなんて無謀よ!」
クレアを止める事は出来た。けれども、レイヴンは敢えてクレアに任せてみる事にした。
「少しだけ様子を見る。念の為に準備しておいてくれ」
「本気?レイヴンがそう言うなら良いけどさ……」
「何言ってるんですか⁈ フローラちゃんもああ言ってるんですよ⁈ 今ならツバメちゃんで…!」
ミーシャが焦っているのはレイヴンの不自然な反応だ。クレアの身に何かあればレイヴンが黙っている筈がない。怪我で済めば良いが、万が一の事があったりでもしたら誰もレイヴンを止められない。この場にはリヴェリアもマクスヴェルトもいないのだ。
「心配しなくていい。必要無い」
だが、そんなミーシャの心配を他所にレイヴンは至って冷静だった。
クレアの実力なら下手な事にはならないというのが一つ。
そしても一つ、エレノアという魔鋼人形の動きを学習するには良い機会だと思ったのだ。
エレノアは強い。動きの一つ一つが正確で迷いが無く、何より変な癖が無いのが良い。
「僕、なんだかレイヴンが考えてる事分かっちゃったかも。でも、引き際が肝心だよ?クレアはああ見えて熱くなるタイプだからね。それと、後でクレアが知ったら怒るよ?」
「ああ。分かっている」
「もう!何なんですか!私だけ仲間外れじゃないですかー!二人共何言ってるのかさっぱりです!」
「どうなっても知らないわよ。エレノアの事だから手荒な事はしないと思うけど、絶対とは言い切れないわ」
レイヴンは闘技場でエレノアと対峙するクレアを見つめたまま、徐に本題を話し始めた。
「フローラ、俺はクレアがトラヴィスに何か関係があるのではないかと考えている」
突然の事で思考が停止しかけたフローラであったが、直ぐ様レイヴンに詰め寄った。
「ちょ、ちょっと……!皆んながいる前で何言ってるの⁉︎ その話は後で……」
「構わない。クレアにさえ聞かれなければそれで良い。ルナ、ミーシャ。二人にも聞いておいて欲しい」
「……巻き込みたく無いんじゃないの?」
風鳴のダンジョンでの一件でレイヴンが見せた優しさと理不尽なまでに強大な力。
そのアンバランスな心と力はいつも孤児院の子供達の為に振るわれている事をフローラは知っている。
オルドの語ってくれたレイヴンと、フローラが実際に目にしたレイヴンとのギャップは良い意味でフローラの心を打った。でなければ、この国に余所者を招き入れたりはしない。
フローラが知る最古の歴史に登場した魔人。
たった一人で世界を滅ぼした災厄。
それがレイヴンであると確信してから実はこっそりと情報を集めていたのだ。
そして、知った。
かつて世界を滅ぼした災厄の魔人は、世界で一番寂しがり屋なのだと。
レイヴン自身いろいろ抱え込んでいるというのに、他人の為に力を振るう。
当然、最初は何かの冗談かと思った。世界を滅ぼした魔人が他人の為に力を振るうだなんてどう考えても馬鹿げてる。けれど、その疑問も中央大陸に潜入してから真実を知る事が出来た。
見ていて危なっかしくもあるのに、レイヴンの傍にはいつも誰かがいる。本人が気付いているのか分からないけれど、きっとそれがレイヴンの魅力なのだと思う。
クレア、ルナ、ミーシャ。彼女達のレイヴンを見る目を見れば全幅の信頼を寄せている事くらい分かる。
「ああ。俺にとって魔眼は既に何の障害にもならないし、俺一人でもトラヴィスを排除する事は出来る。それで多くの人の命が救われるなら手を汚すことも厭わない。だが、西の帝国とトラヴィスの件。おそらく俺一人では両方を解決するのは無理だ。フローラ、お前はトラヴィスの事を知っていると言ったな?なら、お前が俺達に力を貸せ。お前の願いを叶えるのはその為の報酬とする。異論はあるか?俺には皆の協力が必要だ」
トラヴィスの排除だけであればレイヴン一人で片がつく。魔物の大群が出て来ようが問題無い。問題は魔眼の影響下にある者達。皇帝を始め、帝国の中枢にいる者の殆どが魔眼によって記憶を書き換えられているだろう。では、トラヴィスを排除すれば魔眼の影響下から逃れる事が出来るのか?その答えはおそらく否だ。
魔法や魔術を用いた呪い然り、解呪しない限り術者の生死に関わらず呪いの効果は持続する。であれば、フローラに協力してもらい、魔眼の支配を解く方法を見つける必要がある。
「あーあ。まさかそう来るとはね……。分かった。でも、此処じゃ話せない。先ずはクレアが無事に戻って来てからよ。この状況をどうにかしないと」
「分かった」
ルナとミーシャはそんなレイヴンを見てクスリと笑っていた。
真剣な話をしている間、レイヴンの視線はずっとクレアを見つめたままだったのだ。
レイヴンが本当にどうにかしたいのはクレアなのだと分かるからこそ、二人もまたフローラの言葉に頷いた。
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「貴女は?この国では武器の携帯は許可されていません。今直ぐ武器を捨ててこの場から立ち去りなさい」
「教えて、さっきの構え。誰に教わったの?」
(構え?)
エレノアは突然現れた少女を観察する。
特に変わった様子の無い一般人にしか見えない。しかし、少女が持つ剣は異彩を放っている。魔鋼技術で作られた剣とは違う何か特殊な鉱石を用いて作られた剣の様だ。魔力を帯びた剣の持ち主であるなら、あながち一般人とも言い切れないかもしれない。
いずれにせよ参加資格の無い者がこの場にいる事は許されない。
「繰り返します。今直ぐにこの場から立ち去りなさい。武器を携帯している以上、これ以上は実力行使となります。貴女はまだ幼い。私に剣を抜かせないで下さい」
「良いよ。その方が早いもん」
クレアは呼吸を整えて構えをとった。
これまで数多くの構えと技を見て体得してきた中で、クレアが絶対に変えない構え。大好きなレイヴンと同じ構えだ。
重心を低く、ダラリと垂れ下がった腕と剣は地面すれすれの位置。
簡単な様で難しい。
クレアの相手の技や動きを見ただけで覚えてしまうという特異な能力を持ってしても、この構えを完全に体得するまでには未だに至ってはいないのだ。
エレノアが理由を教えてくれなくても、誰かに教えられた物なのかどうかは実際に戦って見れば分かる。
「驚きました。その構えは私と同じ……」
小さな少女が構えた瞬間に纏う空気が変わったのを敏感に感じ取ったエレノアは、これまで味わった事の無い感動を覚えていた。
無理の無い程度に低く沈んだ腰と重心。
余計な力を加える事なくダラリと垂れ下がった腕。
剣を持つ手は地面すれすれの位置を保っている。
真似ただけの構えでは無い。体のバランスも良く、数え切れない程の実戦を経た者でなければ出来ない熟練を感じさせる構えだ。
「エレノア!」
事態を飲み込めず呆気に取られていたエレノア付きの技術者達が、ようやく駆け寄って来た。
「大丈夫です。それがこの少女の望みだと言うなら、どの様な結末になっても後悔など無いのでしょうから」
「だけど!そういう事じゃ無くて!」
「……分かっています。貴女、名前は何というのですか?」
「クレア。それより早く構えてよ。戦って見ればエレノアさんの構えが本物かどうか分かるから」
クレアと名乗った少女の目は真剣そのもの。
この場でなければ喜んで相手をしただろう。
「残念ですがそれは出来ません。……ですが、興味が湧きました。日を改めて手合わせをしませんか?定められた場所であれば、武器の携帯も戦闘行為も許されています」
「…ッ!早く構えてって言ってるのに!!!」
痺れを切らしたクレアが激昂して踏み込むのと同時、黒い影が空から舞い降りた。
「そこまでだ。もうよせ……」
振り上げようとしたクレアの腕を掴んだレイヴンは、そのままクレアを抱き寄せた。