俺に出来る事
夕食を終え、子供達を寝かしつけた後。レイヴンとリアーナは教会の屋根の上に登って来ていた。
ランプの灯りが無くても夜空を見上げれば満点の星空から降り注ぐ光が溢れている。
冒険者として稼ぐ様になってからは、街にいる事が多くなった。
こんなに綺麗な星空を見るのは久しぶりだ。
「懐かしいね。エリス姉さんと私とレイヴンの三人でさ、よくここで街を眺めてたよね」
「ああ」
日々食べていくので精一杯だった当時、夜になると賑やかな街の灯りを眺めては、時折風が運んで来る屋台の匂いに腹を鳴らしていた。
生活は苦しかったけれど、それなりに楽しい生活を送っていた。
森や川で食糧を調達したり、レイヴンが依頼で稼いだ僅かな金で生活に必要な道具や服を少しずつ買ったりした。
貧しくとも穏やかな日々。
それだけで満たされていた。
「いろいろ変わっちゃったね。星空はあの頃と何も変わらないのに」
「……」
「ねえ、レイヴン。私達とまた一緒に暮らさない? 子供達もきっと喜ぶと思うし、私だって……」
それは無理だ。
子供達に教えてやれる事も、手本になってやる事も出来ない。
魔物を倒す事しか能が無い男だ。
それに、この場所に来るとどうしても昔の事を思い出してしまう。
本当はこの街に来るべきか迷った。
依頼をこなし続ける内にいろんな人間と出会った。
周囲の自分を見る目は相変わらずだが、それでも何人か信頼出来る人間とも知り合えた。
手紙を見て思ったんだ。
今なら、あの頃よりも少しは強くなれたんじゃないか? って。でも、駄目だった。
リアーナの顔を見て思い知らされた。
俺はまだ、あの日の事が忘れられない。
どれだけ魔物を倒しても、エリスを手にかけた時の感触が消える事は無かった。
「リアーナ、俺には……いや、リアーナは恨んでいないのか? その、俺がエリスを……」
「どうだろう……よく分からない」
魔物堕ちしてしまったとは言え、実の姉を殺されたのだ。
恨んでいない筈が無い。
許せる筈が無い。
やはり、もうこの場所へ来るべきでは無かったのかもしれない。
「……そうか」
パラダイムへ戻ろう。
此処へはもう二度と来ない。
きっとそれが正しい選択だ。
「なんてね! 恨んでなんかいないわよ。エリス姉さんがああなったのは誰のせいでも無い。レイヴンはエリス姉さんを苦しみから解放してくれた。もし、レイヴン以外の人の手にかかっていたら、その時は恨んでいたかもしれない。どんな姿になったって、私の姉さんだもの。絶対に許せなかったと思う。こんな言い方しか出来ないけど、最期に姉さんを送ってあげたのがレイヴンで良かったと思ってる。ありがとう。レイヴン」
「……!」
俺は……俺は………
駄目だ。涙が止まらない。
俺は、弱くなってしまった。昔は涙を流すなんて一度も無かったのに。
あの日だって泣かなかった。
なのに……どうして涙が溢れて止まらないんだ。
リアーナが俺の頭をそっと抱き寄せた。
かつてエリスがそうしてくれた時の様に優しく撫でてくれる。
「強くなったね」
「そんな事は無い。俺は、弱くなってしまった……。涙が勝手に……止まらないんだ」
「違うよ、レイヴン。強くなったから涙が出るんだよ。“心” が成長したんだと思う。泣きたい時には泣けば良いんだよ。ずっと張り詰めたままじゃ、心がつかれちゃうから」
「ああ……」
心、それはエリスが俺に教えてくれた。
人間の心には喜怒哀楽の四つも感情があるのだと言っていた。
それは頭で考えるのではなく、感じたまま表に解き放てば良いのだと。
今でもよく分かってはいないけれど、何気無い出来事にも感情があるのだと気付いた。
美味しい料理を食べた時に、素直に美味しいと口にする。たったそれだけの事なのだとエリスは笑っていた。
笑うと言えば、ランスロットやミーシャもよく笑うし、よく怒る。
彼らの様には出来そうには無い。それでも、相手が何を感じているのか少しだけ理解出来る様になったと思う。
リアーナのおかげで落ち着きを取り戻す事が出来た。
言わなければならない。
俺はここにはいられない。
「リアーナ、俺はここには留まれない。俺にはーーー」
リアーナは俺の唇にそっと人差し指を押し当てて言葉を遮った。
「良いの。分かってるから。ここだけじゃないんでしょう? 私ね、調べたんだよ。レイヴンったら全然帰って来ないんだもの。何かあったんじゃないかって…」
「……」
「王家直轄冒険者……魔人レイヴン」
「どうして……」
「言ったでしょ? 調べたって。驚いちゃった。まさかレイヴンがそんな凄い肩書きを持つくらい頑張ってるだなんて知らなかった。でも、なんだか急に不安になって…。昔のレイヴンが居なくなっちゃったんじゃないかって」
「……」
「私、中央都市まで行ったんだよ? でも、そこは私みたいな魔物混じりがいちゃいけない場所だって直ぐに分かったの…。誰も私の話なんか聞いてくれなくて、道すら教えてくれないんだもの。どうしたらいいのか分からなくて途方に暮れてたら、怖い人達に囲まれちゃって……。でもね、なんだか凄い立派な鎧を着た人が助けてくれたの。名前を聞きそびれちゃったんだけど、背が高くて、こう……ポニーテールにしててね、こぉんな感じの切れ長の目をしてた!」
リアーナを助けてくれた人物の特徴に心当たりがある。
ランスロットだ。
「それでね、思い切ってレイヴンの事を聞いたら、なんだかちょっとがっかりした様子になって、『俺も今から探しに行くところだ』って。それからレイヴンの事いろいろ聞いてたら、安心しちゃった。レイヴンは昔と何も変わって無いって分かったから」
(そうか、やはりランスロットが)
中央で出会ったのがランスロットで良かった。
あの街は吐き気がする程魔物混じりに対する差別が露骨だ。
あそこに僅かの間だけでも留まる事が出来たのは、単に俺の力を恐れて誰も近づけなかっただけだ。
(リアーナが無事で良かった。ランスロットには礼を言わなくてはならないな)
「レイヴン。たまにでも良いから帰って来てね。ここはレイヴンの家なんだから。帰って来たら……ひっく、レイヴンの好きな……ひっく、ミートボール、パスタ…いづでも作っであげるから……」
「ああ…必ず帰って来る。約束だ」
俺はリアーナが泣き止むまで肩を抱いていた。
(エリス、俺は少しだけ強くなれたみたいだ)
翌朝。ランスロットと約束した三日目だ。
今から街へ戻れば夜までには着くだろう。
「レイヴン。また手紙書くからね!」
「ああ、待ってる」
「レイヴン行っちゃやだー!!!」
「お、俺は泣いたりなんかしないぞ! 強い冒険者になるんだ! まだな…! ひっく…レイヴン!」
(またな。か……)
長い旅の生活の中でこんな気持ちは初めてだ。
これが、嬉しいという気持ちなのだろうか。
「グルアアアアアアア!!!」
その時、一匹の魔物が森の中から飛び出して来た。
討伐依頼ランクAといったところだろう。
こんな所にいる種類の魔物では無い。群れからはぐれたのかもしれない。
「きゃーーーっ!!!」
「ま、ま、ま、魔物だーーーーっ!!!」
子供達はさっきの咆哮で腰を抜かしてしまった様だ。
リアーナが子供達を避難させようとしている。
「レイヴン! 手伝って! 私一人じゃ二人を抱えられ無いの! 地下にいれば安全だから! 早く!」
(俺に教えてやれる事か……)
レイヴンは黒剣を抜き、魔力を込めた。
ドクンという音と共に魔剣が目を覚ます。
「キッド! 目を背けるな!」
「だ、だって怖いんだもん!」
「情け無い。俺より強い冒険者になるんじゃなかったのか?」
「そ、それは……! だけど、こんな…無理だよ!」
「よく見ておけ。俺が居ない間、何かあった時にはお前が家族を守るんだ!」
キッドにも見える様に加減しながら魔物を迎え撃つ。
普通に戦っては一撃で倒してしまう。
キッドには皆を守れる強い冒険者になって貰いたい。
攻撃を躱し、時には剣で受け止めながら徐々に魔物を斬り裂いていく。
教えてやれる事はコレしかない。だが、それでも良い。
今まで覚えて来た事が誰かの役に立つのなら、それで良い。
(俺は俺だ。俺に出来る唯一の事を教えてやろう)
レイヴンにしてみれば何という事の無い程度の弱い魔物だ。
けれども、多くの冒険者、一般人にとってはそうでは無い。
たった一度の油断、力が無いばかりに大切な全てを奪っていく。
「す、すげぇ……」
「レイヴン…あなた……」
さあ、そろそろトドメだ。
キッドには充分見せてやる事が出来ただろう。
いきなり強くはなれない。しかし、キッドなら大丈夫だろう。今見た事を真似るだけでも役に立つ筈だ。
「付き合わせて悪かったな。楽にしてやる」
魔物の頭を斬り落として終わりだ。
「レイヴンすげぇー!!!」
「キッド、お前に合う剣を送ってやる。普段は木の棒を振って今の動きを練習しろ。だが、本物の魔物とは戦うな。今度、俺が来た……いや、帰って来た時に詳しく教えてやる」
「俺、強くなるよ! レイヴンみたいなカッコイイ冒険者になるんだ!」
「そうか」
「ありがとうレイヴン」
「俺にはこんな事しか教えてやれないからな。リアーナ、子供達を頼む」
「任せて! 立派に育ててみせるから! 手紙書いたら返事くらい寄越してよね。いつもお金送ってくるくらいなんだから、手紙くらい出せるでしょう?」
「え、あ、いや……金のことは知らない。誰か知らない奴だ」
「ふふふ、そういう事にしておいてあげる。レイヴン、行ってらっしゃい」
「ああ、行って来る」
レイヴンは皆に別れを告げて、忘れられた街オーガスタを後にした。
「レイヴン行っちゃった……」
「大丈夫よ! また、会えるから。ここはレイヴンの家だもの」
「俺、剣の練習する!」
「頼もしいなあ。でも、お手伝いもちゃんとしてね?」
「わ、分かってるよ!」
「あははははは!」
「ふふふ。さあ、家に入りましょう」
第一章の折り返しです。
パラダイム編の終わりに向けて物語が動きだします。