動き出した魔人 後編
王都中央へ移動したカイトは南門に現れた女に一瞬警戒したものの、女が魔物混じりであると気付いてから余裕の笑みを浮かべていた。強いと言っても所詮は魔物混じり。共鳴を自在に操れるカイトにとっては脅威とはならない。あの強大な力を持つレイヴンですら耐えられないのであれば、もはや目的を達成したも同然である。
「やはりこの下か。止まれ、レイナ」
レイナを停止させた場所は城下街の広場。
普段なら美しい花が咲き乱れるその場所も、今は雪と氷に閉ざされいて、ほんの僅かに覗く土も乾いてしまっている。
「レイナ、探し物はこの下だ。ダンジョンの元となる水晶と王家に代々伝わる秘宝。その二つとレイヴンの力があれば……」
ーーーーーードクンッ!
突然響いた魔剣の発動を報せる音を聞いたカイトの顔から余裕の笑みが消え失せる。
「まさか……もう復活したのか。あれだけの共鳴を間近で受けたというのに……。まったく、君という男は出鱈目だな。だが、何度来ようが同じ事だ。出番が来るまでは大人しくしていてもらうだけだ」
レイヴンの力が必要になるのは万が一の時。
カイトの計画が失敗した時だけだ。
「何だこれは?そうか、誰かが王都に結界を張ったのか」
王都全域に張られた結界は魔を寄せ付け無い完璧な物。調べでは城にそんな高度な魔法を行使出来る魔法使いはいない筈だ。
ーーーーーードクンッ!!!
先程よりも更に大きく力強い音が響いた直後、それは起こった。
声にならない声となって世界に響く咆哮。
その発生源はレイヴンだ。
魔物混じりとは言え、人間であるレイヴンに咆哮が放てる訳が無い。けれど、今のは間違いなくレイヴンから放たれた咆哮だ。
「レイヴンが咆哮を使ったのか⁈ まさか、魔物堕ち⁈ チッ、共鳴を使ったのは不味かったかもしれないな。これでは計画が……」
圧倒的強者による前代未聞の咆哮は、結界で覆われていた人間達をも巻き込んで絶望を撒き散らしていた。魔物も悪魔も我先にと一斉に王都から撤退し始め、王都は経験した事の無い未曾有の大恐慌に陥った。腰を抜かして動けない者、助けを求めて泣き叫ぶ者様々だ。
「ひっ!ひいゃあああああ!!!」
「た、助けてくれ!!!」
「お、置いて行かないでくれ!あ、足が……体が動かないんだ!」
「離せ!この!俺が先に逃げるんだ!」
黒と白の美しい翼を羽ばたかせたレイヴンは王都の上空へと上がり、満足気に魔剣を眺めていた。加減を一切考えていない初めての試みではあったが、思いの外上手くいった。
これまで幾度も魔剣の力を使って来た中で、今回ほど手に馴染んだ感触は初めてだった。
「悪くない。今までよりも魔力の消費が少ないのも良いな。では、始めるとしようか」
ーーーーーードクン!
主の期待に応える様に鼓動した魔剣は赤い雷の様な魔力を迸しらせて空を赤く染め上げて行く。
「加減は無しだ。お前の力を見せてみろ」
レイヴンは宣言通り手加減無しの魔力を込めて魔剣を振り下ろした。
けたたましい轟音と共に降り注いだ赤い雷は、魔物の体を伝搬して瞬く間に全体に広がって行く。回避も防御も不可能な攻撃は逃げ惑う魔物に容赦無く襲い掛かる。
「成る程。こういう使い方もあるのか。しかし……」
眼前に広がる氷の大地には黒い焦げ跡と雷によって引き裂かれた跡だけが広範囲にわたって残っている。
さすがのレイヴンもこの結果には少し驚いていた。
「威力は申し分無いが、結界無しには使えないな。魔力の量だけを調節してやればどうにかなるか?今後の課題だな」
天より降り注いだ死の雷は、王都、そして王都を取り囲む魔物の群れを穿ち、全ての魔を炭に変えてしまった。
(そんな馬鹿な事……。これがレイヴンの力だと言うのか)
カイトは上空で佇むレイヴンの桁外れな力に驚愕していた。
たった一撃。
その一撃で万を超える魔物の群れが全て消し炭にされてしまうなど一体誰が想像出来ただろうか。
初めに黒い鎧姿で現れた時に見た時でも既に予想以上の力を持っている事は分かっていた。けれど、今のレイヴンは更に力を増している。
悪魔であるカイトの理解の範疇すらも超えた存在。ここまで強大な力を持つ存在は同族にもいない。
王都に広がる絶望的な光景。
人間では抗う事も困難な魔物達を一瞬で殲滅せしめた存在に誰もが視線を奪われていた。
大臣、兵士、民、全ての者達に沸き起こる感情は無。冗談の様な光景を目の当たりにした彼等は恐怖すらも超越した不思議な感覚に陥っていた。
「あっはははははは!こりゃすげえな!一撃かよ!」
「流石レイヴン!魔剣の制御は完璧だね!」
「レイヴン……凄い……」
「レ、レイヴンさん、また強くなってませんか?」
口々に感想を述べるランスロット達とは対照的にカレンは冷や汗を流しながら、煙の燻る王都を見つめていた。
魔剣から放たれた赤い雷は見事に魔だけを滅してみせた。カレンが危惧した魔剣の制御に失敗するかもしれないという思いは杞憂に終わった。けれど、これで将来レイヴンを討つのが難しくなってしまったとも思っていた。
魔物混じりが全て魔物堕ちする訳じゃ無い。しかし、レイヴンはこれまで繰り返して来た中央大陸の歴史全てで魔物堕ちしている。
(リヴェリア、マクスヴェルト……これがあなた達が選択した可能性という事なの?)
王都に残る魔はカイトとレイナだけ。
魔物の焼けた臭いが鼻をつき始めた頃、ようやく我に返ったカイトは呟いた。
「あり得ない……こんな不条理な力……ば、化け物か……」
「違う。俺は人間だ。魔物堕ちなどしていないし、俺は俺。冒険者レイヴン。それだけだ」
いつもと同じ口調でカイトの言葉を否定したレイヴンは、ゆっくりと二人の前に降りて来た。
あれ程の力を放った後だというのに呼吸が乱れた様子は無く、濁っていた赤い目は澄んだ色へと変わっていた。
「これだけの事をやっておきながら、それでもまだ自分は人間だと言うのかい?」
「事実だ」
「……」
レイヴンの言葉には微塵も迷いが無い。
本気で自分が人間だと思っている。
(まったく嫌になる。こんな出鱈目な存在が理性を保ったままだなんて)
「そうかい。でも、君の出番は今じゃ無いって言っただろ。もう暫く大人しくしていてもらうよ?レイナ!」
共鳴を発動させてしまえばそれで終わり。どんなに化け物じみた力を持っていようが関係無い。
「どうしたレイナ⁉︎ 何故動かない!」
レイナは肥大化した体を持ち上げて人間の形をした本体を衆目の前に晒した。
辛うじて残る人間らしさ。しかし、いくつもの魔核を取り込んで膨張した事で、その人間らしい部分すら醜く歪んでいる。
「レイナ、何を……」
胸に埋め込まれた魔核が光ると、紫色の魔力が漏れ出した。やがて人の形になった魔力は、黒髪の美しい少女の姿を映し出した。
「それが、本当の姿か」
「レイヴン……どうして来てしまったの。北に向かっては駄目だと言ったのに」
「俺は依頼を受けたついでに来ただけだ。俺には国とやらがどうなろうと関係無いし、国がどういう役割を持っているのかも知らない。だが、それでは北の大地に暮らす人々が困る事は分かる。それから、その原因の一つがカイトだという事もな」
「心外だな。俺は嘘は吐かない。国を救おうとしているのは本当だ」
「関係の無い人間の命まで奪ってまでやる事とは思えない」
「レイヴン。君も見ただろう?多くの子供達は生かしてある。不必要なのはこの事態を招いた大人達。見て見ぬ振りをした者達だ。俺は最善の手を尽くしているとも。その手段についてまで君にとやかく言われる覚えは無い」
「だろうな。実に悪魔らしい考え方だ」
「合理的だと言って欲しいね。不純物を全て排除して新たに国を再興させる。子供は純粋だ。教育次第でどうにでもなる」
「人間はそんなに単純では無い」
睨み合う両者の力の差は歴然としている。しかし、カイトには確信があった。レイヴンは自分とレイナを殺さない。
殺そうと思えば先程の一撃で葬れた。それをしなかったという事は、まだ話し合う余地がある事を示唆している。
「待って!やり方は間違っていたかもしれない……だけど、カイトはよく頑張ってくれたわ」
「正気か?罪の無い命を奪って、それで一体誰が救われると言うんだ」
例えどんな理由があろうとも、皆が生きる事に必死になっているこの世界で、無為に奪って良い命など無い。
「この国はもう滅ぶ運命にある。カイト……貴方は悪魔だけれど優しい人よ。貴方がやって来た事を全て肯定する事は出来ない。だけど、それが貴方の望みでは無かった事も私は知っている。私は再興なんて望んでいない」
「な、何を言い出すんだレイナ⁈ もう直ぐなんだ!もう少しで君をその姿からも解き放てる!この国だって救われるんだ!何もかもやり直すのが君の望みではなかったのか!!!その為に俺は……!!!」
「ごめんなさい。今まで私の我儘に付き合ってくれてありがとう」
レイナは触手を使ってカイトを拘束した。
悪魔と言っても低級のカイトにはレイナの拘束を振り解くだけの力は無い。
「我儘なものか!俺は君を解き放つと、あの時誓った!それもあと一歩だと言うのにどうしてなんだ!俺は君の事が……!」
「分かってる。私も同じ気持ちよカイト」
「だったら!」
「それは駄目。もう、終わりにしましょう。貴方のおかげで秘宝の在り処は分かった。コレは正しく使われるべき物。私達の出る幕は終わったの」
そう言って持ち上げた触手には、水晶と王冠を象った秘宝が握られていた。
「全ての元凶たる水晶と秘宝。魔物を操る力を持つ水晶は破壊する。王冠はこの国を正しく導いてくれる人が持つべき。今の大臣達なら新しい後継者をきっと見つけられる」
「俺は嫌だ!それじゃあ一体何の為に今までこんな……!それがあれば何もかもやり直せる!もう一度あの穏やかな庭園で君と……考え直すんだレイナ!」
レイナはカイトを遠ざけてレイヴンへと向き直った。
「レイヴン……私を殺して。貴方のその力があれば、今の私を殺す事が出来る。もうこれで終わりにしたいの。私の理性が残ってる内に早く!」
「駄目だレイナ!それはあくまでも最後の手段なんだ!お願いだレイナ……俺の望みを叶えさせてくれ……」
カイトがレイナの為に動いていたのは理解した。力を蓄える為に人々を犠牲にしてでも、機を待っていたのも分かった。
悪魔であるカイトが目的の為に手段を選ばなかった事も、それしか無かったのだと考えたのも、魔物を生み出して操る事が出来る女王と戦う為には必要だと判断したからなのだろう。しかし、その為に何を犠牲にしても良いだなんて考えだけは容認出来ない。
女王という元凶が居なくなり、失われた秘宝も見つかった。
魔物を操っていた水晶を破壊して、カイトとレイナが死ねばそれで終わり。ニブルヘイムは元の緑豊かな国に生まれ変わる事が出来るだろう。
だが、それで本当に終わりだろうか?
「さっきから黙って聞いていれば、最後の手段だの、殺してくれだの勝手な事を。そんな御託は知らん。お前達が勝手に決めるな」
ククククク……その通りだ!妾の国を貴様らの好きには断じてさせはせん!!!まだ終わってはおらぬ!!!
「この声は女王⁉︎ 一体何処か……らっ⁉︎ ……ぐあああああああああ!!!」
レイナの体を突き破って出て来たのは死んだ筈の女王であった。
「ククククク!あはははははは!!!感謝してやるぞ、我が不出来な娘よ!!!」